29 うぅ許してくださいお兄様、ファニーは悪い子なのですぅ!
「どうしたの? 何かあったのかい?」
「あぁ、ちょっとラキール王国の話をしていたのじゃよ」
ファニーが兄に話しかけられないでいる間に、リルムが話しかけた。
「さっき、あの本を見て思い出したのじゃが、貴様らラキール王国のティーゼ家の者じゃろう。ティーゼ家はラキール王国でも有名な超名門の貴族じゃからな、わらわも何度か交流したことがある」
「そうなんだね」
兄はいつもどおり穏やかな微笑を浮かべている。
動揺した様子もない。
「確かに、僕は9歳まで貴族として教育を受けてきた。でも今は訳あって、僕とファニーはティーゼ家とは何の関係もない。ただの一般人だよ」
「アヴィアンヌに乗っているからか?」
「それもあるけど。……簡単に言えば、嫌なことがあったから出てきたって感じかな。子どもの癇癪みたいなものだからリルムさんは気にしないでいいよ。それよりも、リン粉のことなんだけど──」
兄は、この話をしたくないのだろう。
小脇に抱えていた分厚い本を開いて、違う話を始めた。
「ウルガのリン粉は、幼虫時代からウルガがたくさんの植物を食べてできた栄養の塊だ。だから、栄養剤として開発すればより強い植物に育てることができる」
「荒れ果てた大地に緑を復活させる手段になりうる……?」
そういうこと、と兄は笑った。
「どうしたい? 思いつきで調べてみただけなんだけど、いい薬が出来そうな気もするんだ。リルムさんが決めてくれ、この薬が君の言う功績の一つになるのか」
「よろしく頼むぞ」
意外にあっさり了承を得られたからか、ヴェルデライトは戸惑った顔をしている。
リルムはにんまり笑っていた。
「いいよ、ウルガ探しはリルムさんに任せる。僕は薬作りに専念するとするよ。えと、ファニーはどうしたいんだい?」
「は、はにゅ!?」
いきなり話しかけられて、心臓がバクバクしてしまう。
兄は柔らかな表情を浮かべていた。
「え、えと! ふぁ、ファニーはリルムのお手伝いがしたいのでっ、リルムと一緒にウルガ退治をするのですっ! えへへへ……っ」
「そっか……」
ちょっと残念そうな表情だった。
「じゃあ、一人で取りかかるよ。リルムさんの屋敷の一部屋、借りてもいいかな? 薬作りに何日かかるか分からないからね」
「良いぞ。なら、さっそく今から取り組んでくれ。ニーチェ、こやつに部屋を教えてあげるのじゃ」
「承知いたしました」
そうこうしているうちに、ヴェルデライトとニーチェが行ってしまった。
残されたファニーは、しょんぼりと肩を落とす。
「お兄様と目を合わせられなかったのですー。ファニー、最低なのですぅ……」
「なんじゃなんじゃ。ベタベタ兄妹が珍しく喧嘩したのか?」
「喧嘩っていうか。ただ、ファニーがちょっともやっとしてて、一方的にお兄様の顔を見られなかったというか……」
「若いのぉ。いわゆる思春期というやつじゃよ。今まで信じていたものが、急になくなってしまうような感覚。わらわにも覚えがあるのぉ」
「リルムも?」
なんだかんだ言って王女だから、そういうモヤモヤとは無縁なのだと思っていた。
とても驚いた。
「でもたいてい、そういうときは、相手が自分のことを思いやってやってるんじゃよ」
「本当なのですか? 今までファニーに、家族のことを内緒にしていたのは、全部全部、お兄様がファニーのことを思っているからなのですか?」
「幼子には、刺激が強い内容じゃったのかもしれないの」
そう言うリルムの横顔は、とても美しかった。
長い銀色の髪を風になびかせて、一歩、前に踏み出す。
「人が秘密を話す時は、その相手が成長し、自分にとって守ってあげなくてはならない存在ではなくなったときじゃ。ファニーがもっと心も体も成長したら、あやつもその秘密とやらを話すじゃろう」
「ファニーはもう子どもじゃありません! それに、立派なレディになるために毎日、ちょっとずつ頑張ってるのですよ! 苦手な野菜を食べたり、残さず食べたり!」
「ははっ、そうじゃな。きっとそのうち、話してくれる時が来るじゃろう」
リルムはそのとき、ファニーではない違う方角を見つめた。
何を見ているのだろう。
「聞こえるのじゃ……」
「聞こえるってどういうことなのです? ファニーには何も聞こえないのですよ?」
「ファニーも来い。緊急招集がかけられた。王族や貴族にかけられるものじゃ。きっと何かあったに違いないぞ」
有無を言わさず腕を捕まれ、引っ張られる。
リルムは速い。足の遅いファニーは何度となく躓きそうになった。
「もう、仕方のないやつじゃ。わらわに掴まれ!」
「は、はい!」
どういうわけかお姫様抱っこされるファニー。
凄まじい風圧と振動が来て、思わず目をつむってしまう。
リルムは、飛んでいた。
重力魔術を己にかけて、地面から足が数ミリだけ浮いている。
──は、速すぎるのです……!
たたただ、振り落とされないようにリルムにしがみつくしかなくて。
とにかく必死に耐えていると、いつのまにか足が地面についていた。
「到着なのじゃ」
「ふぁ、ふぁいなのれすー……」
「大丈夫か?」
「大丈夫、大丈夫……」
フラフラの体をどうにか持ちこたえると、大きな木がファニーの視界に入った。
来たことがある。
黒エルフの王族が住む家《守り人の住処》だ。
その目の前に、多くの人が集まっている。
大半は軍服姿のエルフたちだ。
──誰か倒れている……?
「タリマン……!!」
リルムが走っていくので、慌てて追いかける。
タリマンといえば、昨日リルムにちょっかいをかけていた男だ。
ニワトリヘアーで、総司令官の役割を担っている。
その彼が、全身傷だらけでうずくまっていた。




