23 困っている人がいましたよお兄様、助けてあげましょうっ!
リルムが気絶して、しばらくしたあとのこと。
ファニーは、城の中にたぬ吉を入れるために、足の裏をタオルで拭いていた。たぬ吉はとっても大きいので、拭くのも一苦労だ。大きな前脚の汚れを拭き、次は後ろ脚。お腹についた汚れも拭いて──
「さ、一緒にリルムさんのところに行きますよー」
「わおーんっ!」
飼い主にまた会えることが嬉しいらしく、全力で走り始めた。
まっすぐな廊下を走り、くねくね曲がり、愛おしい女の子の匂いがする部屋へ。
ベットで眠るリルムを見つけた途端、たぬ吉は大きなジャンプをする。
「むぎゅぅあああああ!?」
「あちゃー。……あのサイズがベットにダイブしたら、ほらああなるのですよ……」
ひしゃげたベットの上で、大きな犬がお座りして尻尾を振りたくっている。
たぬ吉の下敷きになったリルムは、助けを求めて手を伸ばしていた。
ファニーが体を引っ張り出すと、リルムはよろよろと床に倒れ込んでしまう。
「い、犬ぼうに殺されるかと思ったのじゃ……」
「たぬ吉は、本当にリルムさんのことが好きなのですよ。羨ましいのです」
「たぬ吉? 犬ぼうのことか?」
「そうなのです。ファニーがつけたのですよー」
「ほお、よい名じゃ。──貴様もわらわがいない間に、よい娘と出会えたのじゃな。安心したぞ」
たぬ吉の鼻面を撫でで、安堵したようにリルムが微笑む。
そんな様子は、本当にたぬ吉を思いやる普通の女の子だった。
怖い感じは全くない。
「ファニーも良かったのです。さっきまで、リルムさんのこと誤解してたのです。リルムさんは、アヴィアンヌを盗ろうとする悪い人なのかと思っちゃいました」
「わらわは悪い人じゃぞ」
「え?」
彼女の銀色の瞳には、真剣な光が宿っていた。
見た目にそぐわない威厳をたたえている。
「貴様らにとっては悪い人じゃ。わらわは、どんな手を使っても《トキ戻し》を国に持って帰らねばならぬ。でなければ…………」
「でなければ、国はどうなるんだい?」
遅れてやってきたヴェルデライトは、部屋の惨状に苦笑を浮かべる。
ベットがたぬ吉に潰されてる。
大きな物音を聞きつけてやってきたら、この様だ。
「いくらなんでもやりすぎだろ。ぺしゃんこじゃないか」
たぬ吉は素知らぬ顔で目を合わせてこない。
まあ、そんなことで怒るようなヴェルデライトではないが。
改めてリルムに視線を移す。
「頭は冷やせたかい?」
「ああ。いきなりあんなことをして、すまぬことをしたな。性急過ぎた。おぬしらからすれば、大切なアヴィアンヌの核心を、いきなり売り渡せなんて無理があった。断られても無理はないの」
「聞かせてくれないかい? なぜエルフ族の王女が、わざわざ一人でアヴィアンヌに侵入したのか。その理由」
エルフ族の王女であれば、他のエルフを遣わせても良いところだ。
研究したいのなら大人数で先遣隊を出せばいい。
危険を冒してまで一人で来る必要はない。
「わらわの国は、ラキール王国の中心からかなり離れた場所にある。大昔の火山で出来たカルデラの内部に国を興した。中央に樹齢二千年の大木がそびえ、豊かな大自然に囲まれている。名は《巨人を知る大樹》」
「ああ、ドラってあれだよね、巨人が運んできたっていう伝説がある木。僕、行ったことある」
「行ったことあるのですか?」
「前世の話だけどね」
緑豊かな大密林地帯、それがドラ。
珍しい動植物がいるということで、前世では色々な研究者がこぞって訪れたという秘境だ。
ヴェルデライト自身も、興味本位と珍しい植物を探しに行ったことがある。もう五百年以上前のことだ。
「ほお」
興味深げな息をもらしたドラの王女様。
「アヴィアンヌの設計者だという割に、妙に若いなと思っておったが、まさか輪廻転生を果たした人間じゃったとは。ならば、アヴィアンヌにある森のことも合点がいった」
「あの森? たぬ吉が住んでる森のことなのです?」
ファニーが疑問符を飛ばしたので、すかさずフォローをしておく。
「ほら、《人知らぬ大樹》のことだよ。たぬ吉が根っこと根っこの間に、寝床を作っていただろ。あの木は、リルムさんの故郷にある木の枝から、成長して大きくなったんだよ」
「え、えええ!? 枝から!?」
枝から大木になるとは想像できないだろう。
でも、事実だ。
アヴィアンヌにある大樹は、カルデラ内部で発見したドラの子どもである。ドラの木があまりに大きく、可憐なピンク色の花を咲かせていたので、一目惚れして持ってきたのだ。
「ドラの木は、いま黒エルフ族が管理してるんだね。前は誰も住んでなかったけど」
「管理か。そうじゃな、あそこに住まわせてもらってるのだから、管理せねばいけなかった……」
「どうして、過去形?」
エルフ族は自然とともに生きる種族。
アヌ言語を開発した経緯だって、もとは植物の病気を治すためだと聞いている。
「ドラの国の植物は、未知の病気が広がって枯れて初めておる。国中の魔術師がその原因を突き止めようとしているのじゃが、とても間に合わない。……あと十年もすれば、周りの植物はすべて……」
ハッとしたような顔で、リルムは顔をあげた。
よろよろと歩いて、ヴェルデライトの服を掴む。
「何年じゃ……あれから……」
「え?」
「わらわがあそこで凍りついて、いったい何年経ったかと聞いておる!!」
手が、震えていた。
紫混じりの銀色の瞳に、大粒の涙がたまっている。
「百年だ。君が凍ってから、百年経ったよ」
「なん……じゃと」
力が抜けて、リルムは座り込んでしまう。うなだれた彼女は、顔を手で覆った。
「国を救うと約束したのに。すべて元通りにすると、緑豊かなドラの景色を復活させると息巻いてきたのに……わらわは、わらわは……なんていうことを……」
理由は察することが出来た。
王族のとしての責任は、国を守ること。
エルフ族が自然を愛しているからこそ、緑が消滅している危機に民は絶望しただろう。
そのなかで、彼女は立ち上がった。国を守るために、愛する民を守るために、一人でアヴィアンヌに乗り込んできたのだ。
「リルムさん、大丈夫なのですよ!」
王女様に駆け寄ったのは、ファニーだった。
元気づけようと、明るい声を出している。
「ファニーが何とかします。ファニーが、リルムさんの故郷を救ってみせます。だから、元気だしてくださいっ!」
「し、しかし……もうあれから百年も経ってしまったのじゃぞ。もしかしたら、国は全滅……」
「そんなの、行ってみないと分からないじゃないですか。王女様なら、諦めちゃダメですよ」
リルムの手を掴み、ファニーは顔を近づける。
あんな風に、スッと相手の心に近づける才能はすごい。
だって、リルムはどんどん顔色を明るくしているのだから。
「そう、じゃな。そのとおりじゃ。王女がこんな状態では、下々の者に示しがつかんな」
「その意気なのです!」
ああやって、王女すら友だちにしてしまう。
妹には敵わない。
「お兄様も、手伝ってくれますよね。ドラの国をピンチから救うのです!」
「うーん。まぁ、手伝うのはいいんだけどね、パーツ集めも急いでるわけじゃないし。ただラキール王国に近づきたくないんだ……」
──王国は嫌な思い出しかないからなぁ。
「なら、交換条件を出そう。もし、貴様が協力してくれるのなら百人力じゃからな」
急に余裕を取り戻したリルムに、さしものヴェルデライトも興味をそそられる。
「交換条件? なに、大金でもくれるっていうのかい?」
「アヴィアンヌの一部じゃ。この城、本当は二階建てじゃろう? でも今は、住むために魔術で二階より上の部分を塞いである」
見抜かれていた。
衣食住の中心にしているこの城は三階建てだ。本当は天井に大穴が空いていたのだが、魔術で塞いである。見た目が貧相にならないように、偽物の三階部分まで作ったというのに。
それがバレているということは、リルムは、相当な魔術の使い手だ。
「分かった。その条件のもう」
次の進路は決まった。
黒エルフの住まうカルデラ地域、《巨人を知る大樹》の国だ。




