01 やばいですお兄様、すっごい勢いで落ちてます!
あれは島なのか、建物なのか、それともただの大木なのか。
街でもあり、大樹でもあり、そして巨大な城でもある。
その昔、一人の《賢者》が空飛ぶ城で世界を巡りたいと願い、創り上げたもの。彼の没後、五百年の時を経てなお空に浮かび続けている。
《浮遊城アヴィアンヌ》
大きくて、豪華な、賢者の住処でもあった。
◇
本日は晴天なり。
彼ら兄妹にとっては、絶好の《パーツ探し》日和でもある。
「お兄様お兄様お兄様お兄様っ!! 大変です大変です大変ですっ!!」
「ん……どうしたんだい? ファニー、朝から騒がしいよ」
妹の元気な朝の声に、眠気の残ったお兄様が答える。
「あ、アアヴィ、アヴィ、アヴィアンヌがっ!」
「ん? アヴィアンヌがどうしたって?」
「アヴィアンヌがすっごい勢いで落ちてますっ!」
はて、落ちてるとは。
お兄様の整った顔が呆けると、ファニーが慌てた様子で窓の外を示した。
「アヴィアンヌが落ちてるのです!」
「心配しなくても大丈夫だよファニー。着地地点の計算とか、ちゃんと昨日しておいたから。間違っても墜落なんてしないよ?」
「それがしてるのですっ!!」
「え」
「分からないのですけど、このままじゃ地上にぶつかりますぅうう!!」
浮遊城アヴィアンヌに住むのは、兄妹二人だけ。
初めての着陸は、大森林地帯への不時着となってしまうらしい。
◇
木々の幹はパンパンに膨れ、高さは優に百メートルを超える。
ここは超高木針葉樹林大地帯。
そして、凍てつく雪と氷の世界でもある。
久しぶりに晴れた森林地帯に、突如として異変は起きたのだ。
轟音とともに、天から降ってくる城。
圧倒的な質量を誇る巨大な塊が、高い木々の先端をへし折っていく。あわや地面に激突するかと思われたそのとき、不思議な光が巨大な城を覆い隠して停止した。
まさに、奇跡。
「いってててて……。城の衝撃を和らげても、やっぱり体にくるもんだな」
奇跡を起こした張本人であるお兄様。
もとい、ヴェルデライト・アレク・ティーゼ。
浮遊城アヴィアンヌを創り上げ、死んでも未練がましく輪廻転生を果たした物好き賢者である。
「お、お兄様……。ファニーはちょっと頭が痛いのですー」
頭を抱える妹を助け起こし、ヴェルデライトは部屋の状態を確認する。
物がいくつか散乱しているものの、目立った傷もない。
それよりも、早く外が見たい。
建物の外へ出てみると、見たことのない風景が広がっていた。
雪だ。城の外は、凍えるような寒さに違いない。
ファニーに外套を持ってくるように指示をだす。
ヴェルデライト自身は、かばんに手帳や採集道具などを詰め込んだ。
「お兄様お兄様っ! たぬ吉を連れて行っても構いませんか!?」
さあ出発しようというときに、ファニーが連れてきたのは「たぬ吉」だった。
名前はたぬ吉だが、あれは巨大な犬だ。もふもふの白い毛並みが美しく、ファニーがとても可愛がっている。いつから浮遊城に住み着いていたのか、ヴェルデライトすら分かっていない。
はてはてどうしたものか。
兄として、可愛い妹の申し出を断りたくない。けれどたぬ吉は、見た目が大きく迫力もある。もし現地住民と出会ったとき、変な混乱を招いてしまうかもしれない。
やはりここは、兄らしい威厳を持って断ってしまおう──
「いいですよね、お兄様っ?」
「分かった、許可しよう」
「ありがとうお兄様っ! やったね、たぬ吉っ!」
『ワンワンっ』
兄の威厳も、可愛い妹の前では地に落ちる──と。
「しっ。二人とも静かにしてて」
「は、はい。たぬ吉、しーっだよ? しーっ」
『しーっ……』
優れたヴェルデライトの五感が、何かの気配を捉える。
魔力を練り込んで、魔術を開放。この城に向かってくる存在を探知した。
──ソリ、か……?
ついで千里眼も解放。見えてきたのは、雪道をソリが進む光景だ。ソリをひかせるのは、寒さに強い雪国の犬であると本で読んだことがあるが、あれは犬ではない。
──人、だな。獣人族か。
寒さに強い種族だろうか。二人の獣人族が荷車をひいている。乗っている一人は若い男性だろう。黒衣のすき間から、たくましい腕が覗いていた。もう一人の性別は分からないが、荷車に倒れ込んでしまっている。
「お兄様、どうかしたのですか? もしかして敵襲っ?」
「むしろ逆。アヴィアンヌが落ちるとき、けっこう頑張って衝撃を吸収したけど、それでも巻き込まれた人がいたみたい。荷車に怪我した人が乗ってる」
「助けないと!」
「うんまあ、ファニーならそう言うと思ったよ」
ファニーは心優しい妹だ。怪我した鳥や動物を介抱して、元気になるまで面倒を見るような子。全面的な魔術の才能があるわけではないが、治癒魔術だけは天才の兄すら凌駕する。治せない怪我はない。
「よし、追いかけよう。こっちも、まちがって不時着してしまった責任があるしね」
「はい!」
これが。
兄妹二人、13年ぶりに地上に降り立った瞬間だった。




