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死神は葬送の聖女を殺せない  作者: ほねのあるくらげ


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8/12

嵐の前の静けさ

 よく晴れた、すがすがしい朝だ。この二日後に、圧政の象徴とも呼べるような聖女サマ主導の一斉処刑が執り行われるなんてとても信じられない。

 だが、すでに裏付けは取れている。のんびりしてはいられない。食べ終えた朝食の後片づけを終え、クロヴィスはサンドリヨンに声をかける。


「サンドリヨン、出かけるぞ」

「いってらっしゃい、クロヴィスさん」

「何言ってんだ、お前も行くに決まってるだろ」


 サンドリヨンは露骨に嫌そうな顔をした。予想していた通りの反応に、クロヴィスは苦笑を浮かべる。


「下見だよ、下見。逃走経路と、大時計塔の様子ぐらいは事前に見ておいたほうがいいだろ。乗り込むんだから、事前準備は大事だぜ?」


 処刑の妨害をするのは罪だ。悪魔と対峙する過程で、王子アドリアンと聖女シビルを傷つける可能性もある。そもそも、あの二人の前に再び姿を現した時点で問答無用のまま捕縛されるかもしれない。

 だから、せめてこの変人修道女だけでも逃げられるようにする必要があった。その場さえしのげれば、あとは自分でなんとかするだろう。なにせサンドリヨンは、剪定鋏(ジャルディニエ)の捜査からも逃げ切った女だ。その後の心配はしていない。


「それはそうかもしれませんが……」

 

 サンドリヨンは何か言いたそうに視線を彷徨わせてる。しばらくの逡巡ののち、サンドリヨンはため息をついた。


「仕方ありません。わたしもついていきましょう。ですが、あまりわたしに話しかけず、近づきもしないでください。変に思われてしまいますから。他人のふりをしてくださいね」

「はぁ? ……まさかお前、外見のこと気にしてんのか?」


 サンドリヨンが人を避けるのは、その見た目で迫害を受けた過去があるからなのだろうか。昨夜見た、凄惨な傷跡の数々が脳裏をよぎる。言いようのない苛立ちを感じ、クロヴィスは舌打ちをして頭を掻く。


「俺がンなこと気にするように見えるのか? しょせん外野だ、うわべしか見えねぇ馬鹿には言いたいように言わせときゃいいだろ。それでお前の価値が決まるわけでもあるまいし」


 するとサンドリヨンはしばらく黙る。そして、困ったような微笑を浮かべた。


「クロヴィスさんと一緒にいると、わたしが変に思われてしまいますので……」

「喧嘩売ってんのかお前!」


 いざとなれば自分が囮になってでも彼女を逃がすつもりだったクロヴィスだが、別に見捨てても大丈夫なんじゃないかと思う今日この頃だ。


*


「それにしてもお前、ほんとに人慣れしてねぇんだな」

「話しかけないでくださいと言ったでしょう……」


 大通りを歩くクロヴィスの背中にはサンドリヨンがぴっちりとくっついている。何やら生意気なことを言っているが、縮こまって震えながら言っていると思うと捨て台詞も可愛いものだ。

 最初は彼女の要望通り、多少の距離を開けて歩いていた。しかしサンドリヨンは歩くのが下手というかなんというか、あっという間に人混みに流されるのだ。

 幸い、修道服のおかげで目立つには目立つ。はぐれることこそないが、ふとした瞬間にぶつかられたり突き飛ばされたり、危なっかしいことこのうえない。通行人達も故意でないことはなんとなくわかるが、みな足を止めて首をひねるだけで謝りもせず行ってしまうのだ。ここまで心の冷たい奴らばかりだとは思わなかった。これも世界の歪みのせいなのだろうか。クロヴィスは嘆かずにいられなかった。

 見かねたクロヴィスが手を差し伸べると、サンドリヨンは不承不承ながらもその背に庇われることを是としたのだ。クロヴィスが盾になってからは、サンドリヨンもなんとか歩けるようになっていた。

 通行人を注視すれば、またいつぞやの白いのっぺらぼうのようなものが見えてしまうかもしれない。なるべく彼らのことは見ないようにする。中央広場とその付近の裏路地の位置を一通り確認し、脳内に地図を書き止めていく。

 大時計塔の周辺には警備の兵がいて、なにやら物々しい雰囲気を醸し出していた。大時計塔の内部は常に一般人の立ち入りを禁止しているが、それにしたって兵が張り込んでいることはない。行きかう人々もその異様さには何か思うところがあるのか、不思議そうに視線を向けていた。


「ずいぶん厳重だな。それでも忍び込もうと思えば忍び込めるが、どうする?」

「あまり事を荒立てたくありませんし、処刑が始まる前に向かうのも手かもしれませんね。シビルさん達も、すでに待機しているでしょう。婦人達や国民を人質に取られては困りますし、処刑の時間になる前に解決できるようならそうすべきです」


 大衆を前にした派手な断罪劇は望んでいない。悪魔が世界を狂わせているなんて声を大にして言ったところで信じてもらえないだろうし、王子と聖女がその渦中にいると知られれば国中は大混乱だ。

 傀儡の王子と偽物の聖女でも、その地位は大きな意味を持つ。たとえクロヴィス達の糾弾が正しかったとしても、その混乱を生むことまで正しいとは思えない。


「じゃ、あとは時計塔の中からどう逃げ出すかだな。あの中は確か、ほとんど螺旋階段しかなかったはずだ。どうしたって駆け下りるしかねぇ。技士の部屋か、歯車の陰にでも隠れて追っ手をやり過ごすか……?」


 転移の魔法は、数ある魔法の中でもかなりの難度を誇っていた。それを使えるクロヴィスが、わざわざ逃走経路を確認している。その意味をわからないサンドリヨンでもないだろう。すべては、サンドリヨン一人が無事に逃げおおせるためだ。


「ああ、それについてはご心配なく。必要とあればバルコニーからも飛び降りますし」

「……お前、浮遊の魔法でも使えたのか?」


 サンドリヨンは答えずに、ない胸を張っている。

 呆れ気味に空を仰ぐ。大時計塔は忌々しいほど堂々とそびえたっていた。時計の針はもうすぐ正午を指そうとしている。そろそろ鐘が鳴り響くだろう。腹も減ってきた。


「サンドリヨン、なんか食ってから帰ろうぜ」

「いえ、わたしは、」


 くぅ、と小さな音が鳴る。サンドリヨンの腹の虫だ。サンドリヨンはぱっと顔を赤らめた。この女にも羞恥という概念があるらしい。


「今日ぐらい別にいいだろ。どこか店にでも入るか? それとも屋台のほうがいいか?」

「……屋台でお願いします」

「了解。適当に買ってくるから、どこか座れるところでも、」

「わたしに場所取りができるとお思いですか?」

「威張るところじゃねぇからな」


 仕方ないのでサンドリヨンをひっつけたまま、軽食を扱う屋台を探す。時間が時間なのでよりどりみどりだ。


「クロックムッシュと……ふかし芋を二つずつ頼む。それからカフェオレも二人分」


 一瞬だけメニュー表に視線をやり、クロヴィスは屋台のおやじに声をかけて金を払う。「なんだ兄ちゃん、いい食いっぷりだな!」おやじは人好きのする笑みを浮かべながら手早く注文の品を用意し、順番にクロヴィスに渡していく。

 もちろんいっぺんには持てないので、サンドリヨンの分は彼女に渡した。サンドリヨンは礼を言って受け取るが、視線はふかし芋に釘付けだった。じゃがいもはサンドリヨンの好物だ。あつあつのじゃがいもにはバターと塩がたっぷりかかっている。見るからにうまそうだった。


「おい兄ちゃん何やってんだ!? 危ねぇ……どうなってんだ、それ? 魔法か何かか?」

「なんのことだ?」

「だって今あんた、メシを手放しただろ? したらよぉ、メシが消えたじゃねぇか。落ちてねぇならいいんだけどよ」

「はぁ?」


 おやじは身を乗り出して不思議そうに地面を見ている。屋台側からではクロヴィスの背後のサンドリヨンが見えなかったのだろう。クロヴィスはそれなりに背が高いから、サンドリヨンのような小柄な少女をすっぽり覆ってしまえるのだ。

 たまたま空いていたベンチに腰掛けて食事をとる。「美味いな、アタリの屋台だ。覚えとくか」「罪深い味がします……」かりっとしたトーストとほくほくのじゃがいもで舌を火傷しないよう気をつけながら、クロヴィス達は昼食に舌鼓を打った。


「あの、隣に座ってもいいですかぁ?」


 突然女性の二人組がクロヴィスに声をかけてくる。だが、このベンチは三人掛けだ。クロヴィスの左隣はまだ空いているが、右隣にはサンドリヨンがいる。一人分のスペースに彼女達が二人で腰掛けられるようにはとても思えなかった。周囲を見渡すが、他に空いているベンチはいくつかある。わざわざ好んで狭い場所に座ろうとしなくてもいいだろうに。


「ベンチなら向こうが空いてるぞ」

「やだ、お兄さん面白いー。そういうことじゃなくってですね」


 ならどういうことだ、と内心で首をひねる。ここは彼女達のお気に入りスポットか何かなのだろうか。サンドリヨンに助けを求めるが、サンドリヨンは素知らぬ顔で食後のカフェオレを飲んでいた。

 人嫌いのこの修道女はクロヴィス以外の人間には自分から話しかけないし、クロヴィスが誰かを紹介しようとしても何かと理由をつけて会おうとしない。それはいつものことだ。だが、まさか目の前で困っているクロヴィスを見捨てるとは。そこまで他人のふりをしたいか。薄情な奴だ。

 まあ、やや特異な体勢を取りたがる知らない人と同じベンチに座るのはサンドリヨンにとっても好ましくはないだろう。ここで押し問答をしていてもらちが明かない。クロックムッシュの残りを口に詰め込んで手を払う。「待たせたな。行くぞ、サンドリヨン」声をかけると、サンドリヨンは複雑そうな顔で立ち上がった。


「え、お兄さん、どうしたんです? もう行っちゃうの?」

「じゃあいい午後を、お嬢さんがた」


 ごみを捨て、クロヴィス達は帰路につく。今の彼の頭の中は、二日後のことでいっぱいだった。

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