表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死神は葬送の聖女を殺せない  作者: ほねのあるくらげ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/12

修道女の受難

 月の淡い光が水面を照らす。月夜の中で泉に浸かる乙女の姿は、一種の神々しささえ纏っていた。クロヴィスは微動だにできないまま、沐浴するサンドリヨンをじっと見つめていた。

 と言っても、別にクロヴィスが覗き魔なわけでも、少女の裸体を見て興奮する性癖(タチ)なわけでもない。夜の森に果実を採りに行ったサンドリヨンの帰りが遅かったので探しに行ったら、サンドリヨンが果実採りのついでに水浴びをしていた場に居合わせてしまっただけだ。

 幸い、サンドリヨンはクロヴィスに気づいていない。気づかれる前に立ち去って、何も見なかったことにするべきだ。それでもクロヴィスの足が動かなかった理由は二つある。

 一つ目は、視界の悪い中で少しでも動けば余計な音を立ててサンドリヨンに気づかれてしまいそうだったこと。そして二つ目は、サンドリヨンの全身に残る無数の傷跡のせいだ。

 思えばサンドリヨンは、この四年間で顔以外の素肌を晒したことはほとんどない。熱かろうが寒かろうが、すっぽりと全身を覆う修道服をいつだってきっちり着こんでいる。曲がりなりにも修道女を名乗っているのだから、それがおかしいと思ったことはなかった。 

 一糸纏わぬ姿のサンドリヨンには、月光に照らされているだけでもわかるほどの深くおびただしい傷跡がある。いずれもまるで最近負ったばかりのように生々しく、けれど同時に古傷のような馴染みを感じさせた。

 クロヴィスには、経験からくるひとつの嫌な予感があった――――あれは、拷問の痕ではないだろうか。

 たとえば両手首。貫通するほどの太い杭で貫かれれば、傷口が塞がったとしてもいびつな痕が残る。たとえば背中。少々特異な娼館で用いられるような見掛け倒しの鞭ではなく、本物の鞭を振るわれればあれほど派手な裂傷もつくだろう。致死性のない、けれど途方もない苦痛を伴うであろう傷跡ばかりがサンドリヨンの蒼白な肢体に刻まれていた。

 これまで、サンドリヨンのことはよく知っていると思っていた。街外れの教会に一人で住んで邪神信仰を説く、自称神の代理人。意外と家庭的で料理上手の、人嫌いな世捨て人。自らを【万物の葬送者】などとのたまう、悪趣味な電波系修道女。食べ物の好みや得意料理、趣味や休日の過ごし方だって知っている。しかし裏を返せば、クロヴィスはそれしかサンドリヨンのことを知らない。

 四年間も付き合いがあって、彼女の過去も家族構成も、何もわからないのだ。当然、あれほど凄惨な傷跡を負った経緯もわからない。

 それは剪定鋏(ジャルディニエ)の執行官としてクロヴィスが行ったサンドリヨンの素行調査で何も出てこなかったからだし、サンドリヨンもクロヴィスもわざわざそういったことを話題に出さなかったからだった。サンドリヨンだって、クロヴィスが裕福な商家の次男だったこととか、押し入ってきた強盗団によって家族や使用人が殺されたこととか、十四歳で剪定鋏(ジャルディニエ)の執行官になって最年少記録を更新したことなんて知らないだろう。

 サンドリヨンのことは、彼女と過ごした四年間のことならわかっている。だが、それより前の彼女を知らない。

 四年前といえば、リーズが消失したのもその頃だった。

 四年前に存在を消された少女。四年前に現れた、過去のない少女。この二人は同一人物である――――ありえないとは、言い切れない。

 だが、そんなわけがないだろう。サンドリヨンの素性が不確かだったのは、クロヴィスの調査が甘かったから。いくら友人といえど、年齢差―果たしてどれだけのものかは不明だが―のある異性を相手に込み入った暗い過去は話さない。サンドリヨンは四年前にたまたま単身で王都に引っ越してきただけなのかもしれないし、それなら過去が紐づいていないのも納得できる。

 サンドリヨンのことを知らなくても、なんらおかしいことではないのだ。だからこれまでクロヴィスは、リーズがサンドリヨンである可能性など頭をよぎるたびに一笑に付していた。今も、クロヴィスは乾いた笑いでそれを否定する。

 そもそもサンドリヨンがリーズなら、偽名など使わず名乗り出ているはずだろう。クロヴィスは、たとえ名前だけでもリーズのことを覚えているのだから。

 ぱしゃり、水が撥ねる音がする。どうやらサンドリヨンがそろそろ泉から上がるらしい。その音に紛れるようにして、クロヴィスはできるだけ静かにその場を立ち去った。


* * *


 森で採れた果実を貯蔵庫にしまい、サンドリヨンは小さくあくびをする。すっかり夜も更けてしまった。教会全体はとても静かだし、クロヴィスももう眠っていることだろう。

 クロヴィスがこの教会にやってきて、二度目となる(・・・・・・)五日目の夜。処刑の日は三日後に迫っている。一般市民には当日までその処刑のことは知らされていなかったが、一度目の記憶を持つサンドリヨンはそのことをきちんと覚えていた。クロヴィスが処刑に乱入し、王子アドリアンと聖女シビルを殺したからだ。

 結果として世界の時間は巻き戻り、アドリアンとシビルの死はなかったことになった。だが、サンドリヨンにはそれがどうしても許せない。死すべきさだめの者である以上、訪れた死は受け入れるべきではないだろうか。

 世界を巻き戻してまで彼らの―恐らく主目的はシビルの―死をなかったことにする『悪魔』は、サンドリヨンにとっては滅ぼすべき敵だった。この四年間はシビルのことも『悪魔』のことも静観していたサンドリヨンだが、あの瞬間によって彼女は明確に『悪魔』のことを敵とみなしたのだ。


(クロヴィスさんではありませんが……わたしにも、貫かなければいけない信念がありますから)


 それはサンドリヨンの存在理由。【万物の葬送者】として生まれついたがゆえのもの。すなわち、生きとし生けるすべての生命に永遠の安息を。己の意味を知ってから、サンドリヨンの決意と覚悟はより鮮明になった。

 クロヴィスにはやれ電波だやれ狂信者だと茶々を入れられるが、サンドリヨンはいつだって本気だし、真実しか話していない。もっとも、それを信じてもらえるとは思っていないし、聞き流されようとも別に構わないのだが。

 サンドリヨンは、厳密に言えば人間ではない。いや、初めは人間として生まれていたはずだが、もともと素質自体はあったのだろう。サンドリヨンは、言葉通りの意味で(・・・・・・・・)神の代理人――――世界(ほし)の導き手と呼ばれるモノだった。

 人の身でありながら、領域の外側に辿り着いた者。世界に触れた第四の摂理、慈悲を示す【万物の葬送者】。それが今のサンドリヨンだった。彼女の言う『神』は彼女自身の内なる声なのだが、そもそも彼女は正真正銘の女神なのだ。もちろんそれは領域の外側においての話であり、この世界にそのような概念は存在しないのだが。

 サンドリヨンが不死身なのは、【万物の葬送者】だからだ。慈悲をもって生命に死をもたらす【万物の葬送者】は、死の概念そのものであるがゆえに自身の死を知らない。彼女はあくまで送る側、送られる側にはなりえないのだから。

 少女のまま年を取らなくなったのは、十六歳で【万物の葬送者】に覚醒したからだった。もしも覚醒することがなければ、普通に年を取って老衰しただろう。年相応に成長できていれば、クロヴィスからもただの友人ではなく恋愛対象として見られることもあったのかもしれない。

 世界が一つではないことも、あらゆる世界を俯瞰できる別の次元が存在することも、そしてその別の次元から飛来した外来種(・・・)が人間の世界を好き勝手に観察していることも、サンドリヨンは知覚している。サンドリヨンが『悪魔』と呼んだ存在こそ、その外来種だった。

 『悪魔』は本来、観測者と呼ばれている種だ。観測者は様々な世界の住人(にんげん)を好き勝手に分類化して、名前をつけている。世界(ほし)の導き手のことは、確か“重なり合う者”と呼称していた。

 領域の外側から飛来した悪魔による呪いは、領域の外側を識り世界を背負うサンドリヨンには直接効かない。ゆえに、悪魔がもたらした歪みはサンドリヨンにとって少々いびつな形で彼女を蝕んでいる。それは、傍にいてくれた魔法使いにも影響を及ぼしていた。


(思えばこの街にも、長居しすぎました。いくらここに家があるとはいえ、クロヴィスさんがいなければまた旅に出ていたかもしれませんね)


 この廃教会は、正真正銘サンドリヨンの生家だ。父はこの教会を預る聖職者だった。教会というのは聖職者個人やその後援者の貴族あるいは商人によって自由に建てられる場合が多く、祓聖庁が支部として持つ建物や自治体が建てた公共施設でない限りは私有地扱いだ。この教会も、父の権利下にあった。父亡き後は伯父のものとなり、そして今はサンドリヨンが一人で暮らしている。

 ここにサンドリヨンがいることなんて、伯父は気づいてもいないだろう。名義だけは持っていても、彼はここに一度も足を運んだことはなかったし、様子を見るため遣いをよこすこともない。伯父にとってこの教会は、あまりいい思い出のある場所ではないからだ。

 それでも手放さないのは、伯父なりに(ちち)を想っているからだろう。伯父は決して悪い人ではないが、とても弱くて……けれど、優しい人だ。

 七歳で父を亡くした後、伯父に引き取られたサンドリヨンは祓聖庁が運営する学び舎で学力と祓いの力を磨いた。祓いについては、もともと強い適性と才能があったのだ。そのため、十二歳から十四歳の間は、地方を荒らす強力な穢霊達を祓うため巡礼の旅として各地を回っていた。

 俗世のことを学ぶために王都に戻るよう祓聖庁と伯父から要請を受けたサンドリヨンは、二年でなんとか教養と常識の基礎を身につけた。そして無事祓聖庁の外の学校に通うことになったのだ。その学園生活は一年ももたなかったが。

 どうやら自分は、一ヶ所に留まるより各地を転々とするほうが性に合うらしい。巡礼の旅の間、サンドリヨンはそれを自覚した。あちこちを回っていたほうが神の教えを広められるし、人々の祈りの声を拾うことができるからだ。安らかな死を乞うて祈る者が一人でもいれば、あるいは神の御許に辿り着けず彷徨う哀れな魂がひとりでもいれば、そこがサンドリヨンの居場所だった。

 けれど今、サンドリヨンは生まれ育った我が家に腰を落ち着けている。どこへなりとも行ける身ではあったのだが、それでも旅立たなかったのはクロヴィスがいたからだった。

 リーズ・ラピスがクロヴィスにとってどういう存在だったのか、サンドリヨンにはよくわからない。気にかけるのが先だったのか、忘れてしまったのが先だったのか、それすらはっきりしないのだ。

 まさかあそこまでリーズのことに責任を感じているなど思いもよらなかった。お人好しというかなんというか、義理堅すぎるのも考えものだ。

 どうしてクロヴィスがそこまでリーズのことを気にするのか、当時のことを忘れてしまった彼に訊いても正しい答えは返ってこないだろう。けれど、クロヴィスだけがリーズ・ラピスのことを覚えている理由なら、ひとつだけ心当たりがあった。

 リーズがたったひとつ、『死神』に祈った戯れの願い事。魔法使いにねだった奇跡。きっとあの言葉のせいで、クロヴィスは望まぬままにリーズのことを忘れらなくなったのだ。

 クロヴィスの罪悪感をなくすことは、サンドリヨンにはできない。たとえばサンドリヨンが「忘れてしまったあなたは気づかなかったでしょうが、わたしこそあなたが忘れてしまった人なんですよ」と言ったとしても、くだらない嘘をつくなと彼は鼻で笑うだろう。

 だからと言って、「その苦しみから解放してさしあげます」と救済を示しても、クロヴィスはサンドリヨンの手を取らないのだろう。死んでしまえば、心は悲鳴を上げずに済むにもかかわらず。

 クロヴィスが罪の意識に溺れて崩れ落ちるか、それとも過去と別れ前を向いて生き直すのか。自分には、それを見定める義務がある。クロヴィスを救いたくとも救えず、むしろ苦しめてしまったのは他ならない自分の罪なのだから。

 

* * *

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ