追放された死神・再
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「国王陛下のサインはここに。陛下の名代として、この私が判決を下す――魔法士クロヴィス・エキャルラット、今日をもって貴様を罷免する!」
美しい女の肩を抱き、毅然として宣言する凛々しい貴公子。彼らと対峙する自分はさながら悪の魔法使いだと、クロヴィスは諦め気味に天を――――
「ん?」
何か、既視感があるような。クロヴィスは首をひねったが、既視感の正体は掴めなかった。
「聖女シビルを貶めた罪は何より重い。しかしシビルは、慈悲深くも貴様への罰の軽減を願った。忘れるな、貴様の首が今もまだ胴と繋がっているのはシビルの慈愛あってのものだということを!」
以下省略。
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「ようこそクロヴィスさん。客室は掃除してありますし夕食の用意も済んでいます。ほら、ぼさっとしていないで早く中に入ってください」
「な、何怒ってんだ?」
住所不定無職となったクロヴィスが頼ったのは、知人の修道女が運営する教会だ。
クロヴィスを出迎えた修道女サンドリヨンはいつも通りの微笑を浮かべていたが、星空のような不思議な色合いの瞳は怒気を孕んでいた。彼女とはかれこれ四年ほどの付き合いになるが、怒ったところはあまり見たことがない。妙な気分だった。
「あなたに対してではないのでご安心を。胸に手を当てて考えてみたところで、どうせ思い当たる節はないでしょう?」
教会の中に入り、サンドリヨンは「これで因果がはっきりしたので別に構わないのですが」「これだから神の愛を理解できない者は」などとぶつぶつ呟きながらさっさと二階に行ってしまう。クロヴィスも慌ててその後を追った。
言葉通り、食堂ではすでに夕食の支度ができている。美味しそうな家庭料理の数々は、まるでクロヴィスがこの時間帯に来ることがわかっていたかのように出来立てだった。
「さて。あなたの事情は知っているので話さなくて結構です。というわけで、わたしから話をさせていただきますね。実は先ほど、神から啓示が降りたのですが、」
「待て待て待て」
食事もそこそこに、電波がゆんゆん飛んできた。
「お前の神は、お前がでっちあげた邪神だろ? 邪神がどんな啓示を下してくれるっていうんだよ」
「端的に言えば、この世界の理についてです。この世界は、とある一人の人物にとってとても都合のいいように捻じ曲げられているんですよ」
「へぇ……」
生暖かい目をサンドリヨンに向け、クロヴィスは野菜たっぷりのポトフを口に運ぶ。美味い。
サンドリヨンは筋金入りの狂信者だった。そのせいで、やれ神の愛がどうの、やれ死という救済がどうのとたまにネジの飛んだ発言をしてくることがある。クロヴィスはとうに慣れていた。嫌な慣れだ。
「わたしは神の代理人。ですから、わたしにその歪みは一切効きませんし、歪んだことを認知することもできます。この四年間はすべての真実を知るべく神との交信に費やしていたのですが……さすがに、看過するわけにもいかなくなってきました。歪みをもたらすものを排除せよと、神は仰せです」
「そりゃ大変だな」
「あなたにとっても他人事ではありませんよ、クロヴィスさん」
じとりと睨まれる。電波を飛ばすのは自由だが、巻き込まないでほしい。
「シビルさんが今の立場を手に入れられたのは、この世界がおかしいからです」
「なんだって?」
「王子達が篭絡されたのも、公爵家の暗躍を止められないのも、あなたが追放されたのも――リーズさんが、忘れられてしまったのも」
「ッ!」
「リーズさんは、この国の法に照らして有罪判決が下されたのでしょう? ですから、断罪されたうえで極刑という判決が出たこと自体に異論はありません。ですがそれはそれとして、あなたが無意味に罪の意識を抱いているリーズさんの消失は、世界の歪みのせいで引き起こされたものです」
「……一言余計だ。無意味かどうかは俺が決める」
リーズ・ラピス。もはや声も顔も思い出せない彼女の存在は、その消失から四年が経った今もクロヴィスの心に焼きついていた。
四年前、次代の聖女と目されていたのはシビルではない。リーズという、まったく別の少女だ。
しかしリーズは何かの罪を犯した。その罪を暴いたのはシビルで、リーズの罪は死に値するもので。だからリーズは、極刑に処された。
けれどリーズは、何故か死ななかった。そしてリーズは、肉体的な死の代わりに社会的な死を――――リーズ・ラピスという人物が生きていた痕跡のすべてを消し去られるという、前代未聞の罰を与えられた。
生きていた痕跡とは、他者の記憶も含んでいる。いくら限定的な記憶とはいえ、大多数の認識に作用する大規模なその魔法を行使できる魔法使いは限られていた。その刑罰を執行したのは、クロヴィスだ。
執行者だったクロヴィスだけは、今もまだかろうじてリーズのことを覚えている。だが、リーズという少女がいたことも、クロヴィスが人々から彼女にまつわるすべての記憶を奪ったことも、誰一人として覚えていない。
クロヴィスが覚えているのも、彼女の名前と疑似的な処刑に至るまでのおぼろげな経緯だけだ。彼女がこれまで生きた証は世界のどこにも残っていないし、次代の聖女の最有力者がシビル以外にいたことを覚えている者もいないだろう。
いつかリーズ・ラピスの名前すらも自分の中から消えてしまうかもしれない。そう思うと怖かった。そうなれば、彼女のすべてが霧散して――――彼女が本当に死んでしまうような気がして。おかしなものだ。これまで王命とはいえさんざん人を手にかけてきたというのに、リーズ一人の死に対して怯えるなんて。
「待てよ。俺が魔法で世界中の人間からリーズを忘れさせたんじゃなくて……世界が歪んだから、リーズは消えたのか?」
「恐らくは。そんな大掛かりな魔法、ただの人間が使えるわけがありませんから。もし使えるとすれば、そのこと自体がすでに歪みの証です。あなたがそのような刑を執行したというのも、唯一記憶の残ったあなたに対する帳尻合わせの可能性があります。……あなたは、誰かにとって都合のいい現実を作り出すために利用されたにすぎないんですよ」
サンドリヨンは憐憫に満ちた眼差しをクロヴィスに向けた。だが、もしもサンドリヨンが言う通り、クロヴィスの手によるリーズの忘却が偽りの記憶だったとしても、罪悪感は拭えない。
「……聖女候補の最有力だったリーズは、シビルにとっては邪魔だった?」
リーズがどんな罪を犯したのか、今となっては思い出せない。しかし罪はどうあれ罪人として裁かれれば、もうシビルの脅威にはならないはずだ。
だが、リーズは何をしても死なない女だった。聖女候補の最有力者で、人の手では殺せない娘。彼女が死なないのは神の加護を賜っているからだ、彼女こそ次代の聖女にふさわしくその身は潔白に違いない、という主張は必ずどこからか出るだろう。その果てに追及されるのは、リーズを断罪したシビルに違いない。
だからシビルは、面倒事が起きる前にリーズの存在そのものを否定しようとしたのだろうか。尋ねると、サンドリヨンはあっさりと首肯した。
「その通りです。シビルさんは世界を歪めて、不穏分子のリーズさんを根本から抹消しようとしたんですよ。そうやって世界そのものが改竄されたにもかかわらず、あなただけは中途半端に記憶が残ってしまっているようですが。不完全とはいえリーズさんを認知できているなんて、不思議ですね」
サンドリヨンは他人事のように微笑む。実際彼女にとっては他人事だ。クロヴィスからすれば笑えない話だが。
「もし俺までリーズを忘れてたら、リーズなんて人間はこの世界に存在しないことになってたのか?」
「人の認識という観点から言うのであれば。誰の記憶にも残っておらず、今の姿を誰からも正しく認知してもらえなければ、それはいないものと同じですから。どれだけ世界を歪めたところでリーズさんの存在を消滅させることはできませんが、それならリーズさんの存在を証明するものを奪ってしまえばいいでしょう?」
リーズは透明人間と同じだと、サンドリヨンは歌うように続けた。クロヴィスは目を閉じて、リーズの姿を思い描こうとする。浮んだのは、ぐちゃぐちゃの影だけだった。これなら子供の落書きのほうがマシだろう。
「お前の言ってることが本当だとして、だ。世界の歪みとやらが元に戻れば、歪みのせいで起きたことは全部なかったことになるのかよ?」
「そこまではわかりません。ですが、これ以上事態が悪化するのを防ぐことはできます」
「……人でなしのくせに、やけに真剣じゃねぇか」
だが、悪くない。電波がもたらす妄言だろうと構わなかった。どうせクロヴィスは、失うものも何もない身だ。なら、せめて自分の正義ぐらいは最後まで貫きたいじゃないか。
お前の話に乗ってやるよ――――そう言おうとしたクロヴィスだが、その言葉は他ならないサンドリヨンによって封じられた。
「わたし、死してなお神の御許に向かわず生者の世界に居座る者が大嫌いでして。だってそれは、神より賜りし死の安らぎを否定するのと同じでしょう?」
「は?」
「安易に安息を求めず、神に縋らないことは別に構わないのです。そのような者も神はお赦しになりますし、生という受難には必ずや終わりがありますから。無垢で無力な人の子らが死という終焉を畏れるのは仕方のないことだとも思います。ですが、天命を受け入れずにさだめを覆すとは何事ですか?」
サンドリヨンは早口で怪電波を垂れ流し始めた。
「救済を望まず、あえて受難の道に挑み続けることは称賛に値します。そのように志の高い者達は、まだ望んでいないにもかかわらずに死んでしまったことを嘆くのでしょう。ですが、安息は安息です。神はもう休んでもよいと仰せなのですから、受け入れるべきでしょう?」
「悪い、急に何言ってるかわからなくなったんだが」
「ですから、葬送の神の代理人、【万物の葬送者】としては、世界を歪めてまで自分の死をなかったことにする輩は許せないのです! それは神への冒涜でしょう! そのような背信行為、見過ごすわけにはいきません!」
「そもそも、お前が言う神のほうが世間的には異端なんだけどな? 入ってもない邪神信仰に、冒涜だ背信だって言われる筋合いはないぞ?」
「ふふ、たとえ信じずとも神はそこにおわすのですよ。神は常に人に寄り添っています。死の恐怖を受け止め、迷える子羊を導き、神の御許に辿り着けるよう道を示すことも、わたしの役目です。いつかきっとクロヴィスさんも、神の慈悲を理解することでしょう」
そういえばこの女が穢霊を祓うのも同じような理由からだったな、とこの四年間を振り返る。どうやら彼女の中には妙な線引きがあるらしい。狂信者の思考回路など理解したくもないが。
しかし、そんな狂人のもとに身を寄せたのはクロヴィス自身だった。他に選択肢がなかったとはいえ、ちょっと早まったかなと思わなくもない。




