歪む前へと巻き戻り、現在
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「では、これより判決を下す。主文、被告セバスチャン・ディアモンを反逆罪および王室侮辱罪、ならびに他十七の罪状によって極刑に処す」
裁判官の判決を聞き、傍聴席にいた魔法士クロヴィス・エキャルラットは小さく笑う。国中のあらゆる犯罪を裏で糸引くディアモン公爵を表舞台に引きずり出したのは、他ならないクロヴィスだ。あの悪徳公爵家を長年追ってきたかいがあった。だが、油断はできない。国家転覆をもくろむ巨悪が裁きを受けたところで、正義と秩序を守る戦いはまだ続くのだから。
ディアモン家の処分も言い渡されて裁判が終わる。共にディアモン公爵を追っていた同僚のフェルディナン達と健闘を称えていると、王子アドリアンがやってきた。
跪いて家臣の礼を取るクロヴィス達に、アドリアンは鷹揚に返して顔を上げるよう告げる。そして周囲に人の目がないことを確認して、深く頭を下げた。
「王太子殿下、貴方様はそう軽々しく頭を下げていいお方ではないでしょう」
「言うなクロヴィス。此度のお前達の働き、大変みごとだった。どうか私からも礼を言わせてくれ。ディアモン家の罪を暴いたことで、宮廷の勢力図は乱れるだろう。だが、おかげで風通しがよくなった。乱れた場所は、王家がしっかり手綱を握るさ。陛下の補佐は任せておけ」
アドリアンは朗らかに笑う。この方なら大丈夫だと、執行官達は相好を崩した。
「それはなにより。俺達も、殿下のご成婚の前に大きな仕事が片付いて安堵していたところです。コリンヌ様と、末永くお幸せに。どうか愛しさのあまり、これ以上の奇行に走らないでくださいね?」
「そっ、それは、うむ」
からかうようにクロヴィスが笑うと、アドリアンは顔を真っ赤にしてしどろもどろに頷く。
幼いころから想い合っていたアドリアンとエメロー家のコリンヌの熱愛は、宮廷人の誰もが知るところだ。王太子と名門公爵家の令嬢の婚約はとんとん拍子に決まった。もしもエメロー家と同格の家柄の令嬢……たとえばディアモン家に娘がいればまた話は違ったかもしれないが、ディアモン公爵夫妻に子供はいない。
もしも我が子がいたのなら、ディアモン公爵もあそこまで悪事に手を染めることはなかったのだろうか。クロヴィスは仮定の未来に思いを馳せるが、今となっては詮なきことだ。
「案ずるな。コリンヌとともに、私はこの国をしかと守ってよりよい国にする。私達の代でも、どうかその鋏をもって国の秩序を守ってくれ」
『御意、王太子殿下』
二歳年下のアドリアンは、クロヴィスにとっては弟のようなものだ。不敬にあたるかもしれないが、クロヴィスはアドリアンのことをそのように見ていたし、アドリアンもクロヴィスを慕ってくれている。他の庭師達もまた、アドリアンを親しみ深い青年と思いながらも次の君主と定めて忠誠を捧げていた。
いつもこうならもっと威厳も出るのに、とクロヴィスは頭を垂れながらも苦笑する。アドリアンは普段こそ聡明なのだが、最愛の婚約者のことになると周りが見えなくなるのが玉に瑕だった。
特に数年前のコリンヌの誕生日、各地の名産地から買い付けてきた大量の薔薇をエメロー家あてに贈り、コリンヌがそれを装飾品やら小物やらに再利用したのは市井でも広まっている有名な話だ。おかげで王室御用達の花屋や農家がいくつも生まれた。
以来、国内ではとにかく薔薇が熱い。観光名所としての薔薇園が栄えてコンテストまで開催され、薔薇をモチーフにした何かを贈り合うという恋人達の新しい流行りまでできたらしい。王子の奇行と令嬢の機転で国が潤った例は他にもいくつかある。
最近では、自国の姫君を輿入れさせたい近隣諸国からの横槍があまりに多すぎてうんざりしたアドリアンが、彼らに渡すために使者団に持たせた土産の中に自分達二人の肖像画をいくつも混ぜた。もうどうにでもなれと言いたげなコリンヌが、諦め気味に使者達を見送っていたのが印象的だった。
そのあまりの熱愛ぶりに、他国の有力者達も逆に何も言えなくなってしまったらしい。現在、国内ではアドリアンとコリンヌをかたどったカメオが恋のお守りとして飛ぶように売れている。
司法院を出て剪定鋏の本部に戻ると、クロヴィスの補佐官であるジルベールが小走りでやってきた。
「兄さんっ!」
「どうしたジル、何かあったか?」
この青年は、クロヴィスが初の大仕事で摘発した非合法の奴隷市場の『商品』だ。奴隷達はみな解放されて自由の身となり、帰る場所がある者達はそこに帰っていった。しかし全員が全員そうだというわけでもない。帰る場所のない奴隷達は国から生活や就職の支援を受けた。ジルベールもその一人だ。
奴隷市場を潰したクロヴィスを英雄視でもしているのか、ジルベールはやけにクロヴィスに懐いていた。そこで、なし崩し的にクロヴィスが面倒を見ることになった。よって今の彼はジルベール・エキャルラット、扱いとしてはクロヴィスの義理の弟だ。
ジルベールは地頭がよく、とても優秀だった。見つけた当時はろくに文字も読めなかったが、今では複雑怪奇な数式を自在にそらんじるし大抵の暗号も解読できる。近隣諸国の言葉も流ちょうに話せた。間違いなくクロヴィスより頭がいい。学者になるか仕官して文官になるかすればいいのに、剪定鋏に入って補佐官なんぞをしている物好きな奴だ。クロヴィスの上司は、ジルベールがよそに引き抜かれないよう他の組織と水面下で攻防しているとか。
「ご指名だよ。祓聖庁から」
「……げ」
ジルベールが苦笑交じりにそう告げると、クロヴィスは盛大に顔をしかめた。祓聖庁からのご指名なんて、心当たりは一つしかない。
「これから枢機卿と聖女様が来るんだって。第三応接室を取ったから、そこを使って」
「ずいぶん急だな。緊急の案件か」
これも仕事だ、仕方ない。歩きながら詳細を問う。ジルベールは頷き、祓聖庁からの用件を伝えた。
いわく、国内で穢霊による襲撃事件が連続して発生しているという。被害は辺境を中心にしているため、その事実は中央まで広まっていない。事件は当該地域の聖職者から支部へ応援要請があって発覚した。要請を出した聖職者とはそれ以来音信不通だという。その後、周辺地域の支部から派遣された聖職者達も消息を絶ったことで、中央の本部に火急の連絡がいったらしい。
支部からの調査報告では、被害があった地域には異端信仰の共同体が確認されたという。贄を無残に殺害しては穢霊に転じさせ、人を襲わせている疑いがあるとか。それが事実ならば、剪定鋏としても見過ごせない。
事態を重く見た祓聖庁本部は、ちまちま増援をよこすのではなく最大戦力をぶつけることに決めた。それが聖女だ。当代の聖女なら、並の聖職者が束になっても敵わないような穢霊を一瞬で祓うことができる。
応接室に辿り着く。さして時間を置かず、深いしわを刻んだ老爺とダークブラウンの髪の女性が入ってきた。挨拶もそこそこに本題に入る。今は時間が惜しい。
「事情は補佐官から聞いています。聖女様が行う巡礼の旅、俺も同行しましょう」
「ご協力感謝いたします、クロヴィス殿。これ以上の被害が生まれる前に、なにとぞ解決してください」
枢機卿は深く頭を下げ、道程の説明を始める。その間、聖女は何を考えているかわからない微笑を浮かべていた。神聖さを醸し出す美女だが、同時に人間離れしていて若干近寄りがたい。
クロヴィスとこの女は、切っても切れない仲にある。というか、お前が一度背負ったんだから最後まで世話をしろ、と周囲から面倒を押しつけられた。クロヴィスとしても、彼女を野放しにしたくはないので異議はないが。
女の名前はリーズ・ラピス。半月ほど前に聖女に任じられた、懲役七十五年の囚人だ。もちろん聖女サマが罪人であることは公にされていないが、基本的に祓聖庁の最奥で軟禁生活を送っている。彼女が外を出歩き他者と接触する機会はごく限られている。数少ない特例として許されているのが、クロヴィスが同伴する時だった。
リーズは過去に九件の殺人を犯した。何故そんな罪人が聖女に選ばれたかといえば、それだけリーズが持つ祓いの力が強すぎたからだ。
リーズがまだ聖女候補だった時、別の候補者を推す一派によってリーズの罪が暴かれた。極刑もやむなしと思われたリーズの事件を徹底的に調べ上げ、情状酌量をもぎ取ったのがクロヴィスだ。
当代どころか歴代随一と言っても過言ではないリーズの祓いの力を惜しんだ祓聖庁を味方につけ、クロヴィスは無事にリーズを救った。当時のリーズは十五歳、クロヴィスは十九歳だ。以来五年間、クロヴィスはリーズのお目付け役として扱われている。
元々リーズに下された判決は懲役百四十年、事実上の終身刑だった。祓聖庁が課した指令をこなせばこなすほど、彼女の刑期は短くなるらしい。リーズに与えられる指令とは、強力な穢霊を祓ったり厄介な異教徒を改宗させたり、あとはとにかく人命を救助することだ。リーズがそれらをこなそうとするたび、クロヴィスも何かと付き合わされていた。
どうせ聖女の任は生涯続く。刑期が短くなったところで何かが劇的に変わるわけでもないだろうが、死ぬまで軟禁生活を送らなくてもよくなるはずだ。自由の身になれば、結婚なんかもできるのかもしれない。刑期の途中で死ねば別だが、この女はそうそうくたばるタマではないとクロヴィスは睨んでいる。
「よろしくお願いします、クロヴィスさん。共に迷える魂を神の御許に導きましょうね」
「あーはいはい。穢霊のことはお前に任せるからな。狂信者どもは俺が潰す」
澄み渡る深い藍色の瞳がクロヴィスを映す。思わずその目に吸い込まれそうになって、クロヴィスは慌てて目をそらした。
この事件を解決すれば、リーズの刑期もぐっと短くなるはずだ。リーズはどんな指令も真面目にこなしているから、いずれ必ず釈放されるに違いない。言いたいことは、それから言おう。




