時計塔
ついにこの日が来た。クロヴィスはサンドリヨンと目だけで頷き合い、大時計塔へと向かった。
処刑の段取りや大時計塔の警備の配置は、昨日のうちに元同僚を通じて確認済みだ。
元同僚からの情報によると、シビル達が時計塔に向かう時間は公表されておらず、移動手段もわからなかった。どうやらシビルは、王宮から遣わされた兵士以外にも、公爵家の護衛を一人だけ連れてくるという。その青年が『悪魔』だとすぐにわかった。サンドリヨンの言った通り、シビルは何かをひどく警戒しているらしい。
処刑の時間は正午ちょうどだ。中央広場には、簡素な処刑台が既に設置されていた。夜通しの作業が行われていたようだ。広場はもちろん、大時計塔の付近ではすでに大勢の兵士が目を光らせている。まるでそこに重要人物がいますといわんばかりの警戒ぶりだ。
「クロヴィスさん、いけますか?」
「ああ、任せとけ。……っと、しっかり捕まっとけよ」
サンドリヨンを横抱きに抱え、転移の魔法を使用する。転移の魔法で他人を転移させたい場合、術者は相手に触れる必要がある。今回は術者のクロヴィスも転移するため、このほうが効率がよかった。手を繋いだ程度では途中で離してしまうかもしれず、転移に失敗してわりと悲惨なことになるからだ。
転移場所は大時計塔の内部、見張りの兵士がいない場所だ。転移の魔法といえど万能ではない。一度に転移できる位置や高さの制限がある。そこが制限に引っかかるぎりぎりの場所でもあった。
中央広場を見下ろせる、バルコニーつきの広い空間があるちょうど真下の階。螺旋階段の半ばに降り立つ。遥か下に兵士が何人かいたが、彼らは上の様子など見てもいなかった。
螺旋階段を上るクロヴィスとサンドリヨンの足音は、響く時計の針の音に掻き消されていく。やがて踊り場に出た。大きな窓から差し込む陽射しが眩しい。目指す部屋はもうすぐだ。
「……ッ」
だが、そこから先に進めない。クロヴィスは足を止めた。クロヴィス達の行く手を阻むように、ずらりと居並ぶ者達がいる。
「そっちについたか、庭師ども」
とっさにサンドリヨンを背に庇い、忌々しげに元同僚達を睨みつける。転移の魔法で離脱してもいいが、この状況でうかつに動くのは危険だ。
「馬鹿な奴だよ、クロヴィス。僕達は国家の狗であるにもかかわらず、それを履き違えて自分本位な正義に溺れるとは」
「馬鹿はお前のほうだ、フェルディナン。独裁者に鋏なんざ持たせるもんじゃねぇだろうが」
同僚の中でも一番信じていた青年に嘲笑を返す。クロヴィスのこれまでの情報源は、この元同僚であるフェルディナンだ。しかし王家の庭師は体制側を選んだ。フェルディナンから掴んだ情報は、もはや信用に値しない。
「黙れ。お前のたくらみは、僕達が潰す」
「そうかよ。やれるもんならやってみろ」
一瞬、ほんの一瞬だけ、庭師達の姿がぐにゃりと歪む。顔のない真っ白なそれは、まるでできそこないの泥人形のようだ。
クロヴィスは獰猛に笑った。敵の数は十人と少し。そのうち応援も来るだろう。だが、負ける気はしない。
「かつての友へのせめてもの手向けに、僕が直々に葬ってやろう。殿下とシビル様に刃を向けた己の愚かさを悔いて冥府に堕ちろ。それがお前に唯一できる償いだ」
「おいおい、お前まで死は救済とか言いださねぇよな? 電波は一人で十分なんだ」
どこから泳がされていた? フェルディナンは、クロヴィス達の計画をどこまで見抜いている?
彼らと敵対する可能性は常に視野に入れていたため、クロヴィスはフェルディナンにすら目的を話していない。それでも、クロヴィスがやたらと今日の処刑を気にしていたことから多少の推測はできるだろう。シビル経由で何かを聞かされていれば、そこからより明確な妨害計画を立てることも可能だ。
クロヴィスは目を閉じる――――こうやって思案をめぐらせていると、フェルディナンは信じ切っているに違いない。
「吠えるじゃないか。単身で乗り込んできて、」
「サンドリヨン! 後はお前に任せた、行ってこいッ!」
「仕方ありませんね。ここのことは、あなたに託します。どうか神のご加護を」
「お前の神の加護なんていらねぇよ!」
微笑を浮かべたサンドリヨンの姿が消える。クロヴィスの転移の魔法で、サンドリヨンだけ上の階に飛ばしたのだ。
背中を預けた元仲間達に裏切られたことなどお見通しだった。伊達に十年近く執行官などやっていない。会うたびにフェルディナンの様子がおかしくなって、かつ本人にその自覚がないのなら、彼もまた世界の歪みに巻き込まれたと思うのが当然だろう。剪定鋏はクロヴィスの信頼に値する組織だったが、それゆえ悪魔によって狂わされてしまったのだ。
だから罠を仕掛けた。何も知らないクロヴィス達が何の策も打たずのこのこ大時計塔に来るのだと、敵に思ってもらえるように。
事前に大時計塔の下見をし、その警備を確認する。それは、剪定鋏とシビル達に対する撒き餌だ。精鋭の庭師達を待ち伏せさせ、実際にクロヴィスが大時計塔に侵入したことで、シビルは大なり小なり油断していることだろう。
だが、クロヴィスは一人ではない。剪定鋏には、今回の協力者であるサンドリヨンのことも、クロヴィスの居場所のことも話していなかった。どうせ処刑の日に大時計塔に飛び込んでくるクロヴィスの居場所など、彼らにとっては探すまでもない些事だ。その日に潰せばいいのだから。その慢心が、その怠惰が、サンドリヨンという尖兵の存在に対する懸念を失わせた。
クロヴィスの役割は、最初から見張りの足止めだ。逃走経路というのはおもにサンドリヨン一人のためのものだった。クロヴィスは転移の魔法が使えるのだから。
あとはせいぜい、合流地点を決める程度しかしていない。そのサンドリヨンも、大時計塔から出る算段はついているらしい。確認が必要なのは街中ぐらいのものだった。
クロヴィスが執行官や兵士達を足止めしている間、サンドリヨンが単身でシビル達の元に向かう。提案したのはサンドリヨンだ。
御前で乱闘になるのを防ぐため、クロヴィス達を迎え撃つ配置はどうしたってシビル達が控える部屋の外になる。転移の魔法を使えるクロヴィスが大時計塔のどこに転移するか、シビルも把握はできるだろう。フェルディナンをはじめとした元同僚達には、クロヴィスの手のうちは割れている。だからこの広い踊り場で待ち伏せしようとすることは容易に想像できた。
この役割分担を決めた際、サンドリヨンはこう付け加えた。「無関係の人を巻き込まないよう、クロヴィスさんにはできるだけ派手に暴れていただきたいんです」と。シビルの傍には悪魔がいるのだから、人間の戦力など必要ない。割いたとしても、本命の戦力は踊り場に集中しているはずだ。
それに、階下から応援が来るとしても、この踊り場でせき止めることができる。シビル達がどれだけ応援を呼ぼうと、クロヴィスがいる限り通れないのだ。だからクロヴィスも二手に分かれることを承諾した。サンドリヨンが何をする気かは知らないが、邪魔は少ないほうがいい。
「そういや、俺に『死神』ってあだ名をつけたのはお前だったな、フェルディナン。お前が勝手にそう呼ぶから、すっかり定着しちまったじゃねぇか」
正気を失い、偽聖女と悪魔の傀儡にされてしまった友と向き合う。
フェルディナンだけではない。見知ったいくつもの顔が、敵意のこもった目をクロヴィスに向けていた。
「その『死神』がどれだけ強かったか、名付け親のお前が忘れるわけがねぇよなぁ?」
それでも魔法使いはひるまない。一人だって、サンドリヨンの後は追わせるわけにはいかないのだから。
* * *
「これはこれは。皆さん、すでにお揃いでしたか」
もともとは時計技師達の休憩室なのだろう、ゆったりとくつろげるスペースには六人ばかりの男女がいる。彼らを見回し、窓を背にしたサンドリヨンは優雅に微笑んだ。
王子アドリアンの両脇に立つ二人の青年は、未来の騎士団長と宰相と目されていた人物だ。すでに爵位を継いだ身らしいので、オパール公爵とライユ伯爵と呼べばいいのだろうか。
いかんせん四年前にちらりと見かけたことがある程度なので、顔自体はうろ覚えだ。自分の妻がこれから処刑されようというのに、彼らはそれが何もおかしいことではないかのように公爵令嬢シビルに向けて相好を崩していた。いっそ彼らがオパール公爵とライユ伯爵だというのは、サンドリヨンの記憶違いだと思ったほうがいいかもしれない。
「そういえば……シビルさん以外の方と、正式にご挨拶したことはありませんでしたね。なにぶん、わたしのような者が用もないのに高貴なお方に声をかけてはいけないと思っていましたので。失礼いたしました」
アドリアンも、他二人の青年達も、そしてシビルも。現れたサンドリヨンには一瞥もくれない。声をかけたのに素知らぬ顔だ。メイドの女性が給仕をして回っている中、楽しげに談笑している。時にはメイドもその会話の輪に入ることを許されているが、かなり気安い仲のようだ。学園に通っていた頃、シビルの傍によく控えていたメイドがいたが、よく見れば彼女の面影がある。
日常の風景。サンドリヨンがいなくても世界は回っている。この空間にサンドリヨンは不要で、誰もサンドリヨンをいないものとして扱っている――――けれど。
「リーズ・ラピス……!?」
シビルの背後に立つ六人目の青年だけが、サンドリヨンに気づいた。
「まさか君が今さら現れるとはね! つくづく君は、ボクの予想を外してくれる……!」
忌々しげに歪められた緑の瞳には驚愕が浮かんでいる。そんな彼を見上げ、シビルは不思議そうに口を開いた。他の四人も、怪訝そうな様子で青年を見ていた。
「ジャッド、急にどうしたの? 今、一体なんと言ったのかしら?」
「ふふ。あなたはわたしが見えるのですね。元々あなたはこの世界の理の外からやってきたひとです。この世界に歪みをもたらしたあなたなら、自分がかけた呪いの影響は受けませんか」
この場で唯一、見覚えがない緑の瞳の青年。ジャッドと呼ばれた彼こそが、サンドリヨンにとっての許されざる悪。死を冒涜し、神を嘲弄した、罪深い観測者だ。
「くそっ……! シビル、そこに悪魔が来ているんだ! 前に話しただろう、君を恨むあの女が、そこに!」
「いやですね、シビルさんを恨んでなどいませんよ? だってシビルさんのおかげで、わたしは自らの使命を知ることができましたから。わたしが果たせなかった聖女の役目も、シビルさんが果たしてくださるのでしょう? シビルさんには感謝すらしたいぐらいです」
ですが、とサンドリヨンは言葉を区切る。
わななくシビルやアドリアン達が「そこには何もないじゃない!」「いや待て、よく見ると白いもやのようなものがあるぞ!」「穢霊とは違うようですが……聖女様、今こそ貴女のお力で祓い清めてください!」などと叫んでいるが、それに構わずサンドリヨンは再び言葉を紡いだ。
「――神より賜った死を、否定することだけは赦しません」
死とはすなわち、神が人に与えたもうた最大の慈悲。『死神』によって殺された命があるなら、サンドリヨンはそれを葬り見送るだけだ。
* * *




