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無知で無力な村娘は、転生領主のもとで成り上がる  作者: 緋色の雨
第二章

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無知で無力な村娘の恩返し 2

 翌日、リアナは久しぶりの授業を受けていた。

「はい、それじゃ今日は傷の手当てについての基礎を教えますね」

 教壇についている教師――ミシェルが宣言する。


 今日はという枕詞に、リアナはホッと息をつく。もし前回の続きだったら、まるで理解できない可能性があったからだ。

 とは言え、休んでいたあいだに教えられたであろう内容も無視は出来ない。学園に留まるか、各村の指導に行くか、決めていない以上は遅れを取り戻す必要がある。

 後で、ソフィアちゃんかティナに教えてもらわなきゃだなぁ……と、ため息をついた。


「さて、今回は消毒という概念について説明します」

 リアナはひとまず、ミシェルの話に耳をかたむける。


 この世界には、ばい菌という概念がなかった。

 リオンが提唱したインフルエンザによって、ようやく目に見えない存在があるらしい。という認識を持ち始めたばかりだ。

 だから、当然消毒という概念も酷くあやふやだ。

 なんのことだろう――と、リアナ達は揃って首を傾ける。


「この世界には、目に見えない菌が存在するとは、以前にも説明しましたね。それらの中には、人間に害を及ぼす菌も存在します」

 ミシェルは黒板に、デフォルメされた人を書き込み、それに襲いかかるばい菌を書き込む。

 子供達は絵の巧さに感心するが、ミシェルはかまわず説明を続ける。


「ばい菌は、たとえば口から、もしくは傷口などから入って、人体に悪影響を及ぼします。それを防ぐために必要なのが、消毒という訳ですね。……ここまででなにか質問は?」

 ミシェルが周囲を見回すと、生徒の一人が手を上げた。


「そのばい菌は見えないのに、どうしてそんなことが分かるんですか?」

「……あぁ、それはいつもの理由です」

 苦笑い混じりにこぼれたミシェルの言葉に、生徒は「あぁ……」と呟いた。


 なぜかは分からないけれど、そういうことだと教えられている。元はアリスティアが持つエルフの知識だとも言われているが真相は不明。

 追及せずに、そういう物だと理解しろという奴である。


「説明を続けますね。消毒には煮沸消毒や、アルコール消毒などがあります。たとえば、包帯を煮沸消毒すれば、傷口が膿んだりするリスクが下がると言うことですね」

 リアナ達にしてみれば、すべてが未知の知識。ミシェルの口からこぼれる知識を聞き逃すまいと、必死にノートに書き留めていく。

 それからしばらくして、ミシェルはようやく説明を終えた。それまで黙々とノートを取っていたリアナは、ホッと一息つく。


「さて、それでは以上のことを踏まえて質問です。転んで膝を擦りむいたとき、正しい対処は次のうちどれだと思いますか?」

 ミシェルが黒板にチョークを走らせる。


 1、きれいな水で傷口を洗い流す。

 2、傷口を洗った後、傷口を消毒する。


「一だと思う人は右手を。二だと思う人は左手を挙げてください」

 ミシェルの言葉に、子供達が一斉に左手を挙げる。

 そんな中でソフィアだけが右手を挙げていた。それを見たリアナは、少し迷った後におずおずと右手を挙げる。

 果たして――


「正解は一、きれいな水で傷口を洗い流す、でした」

 子供達から「え~っ」という声が上がる。


「正解したのは、ソフィアちゃんとリアナだけでしたね」

 ミシェルが口にした瞬間、クラスメイトから凄いという声が上がる――が、ソフィアの答えを真似ただけのリアナは、なんだかいたたまれなくなってしまう。

 しかも――


「ではリアナ。貴方がどうして一だと思ったのか、みんなに教えてあげてください」

 ミシェルから追い打ちが掛かった。

 リアナは無言で、だらだらと冷や汗を流し始めた。


「どうしました?」

「いや、その、あたしはただ、ソフィアちゃんが右手を挙げてたから、きっとそうだと思っただけで……その、理由までは……」

 分からないとの言葉は恥ずかしくて言葉にならなかった。

 それと同時、周囲から笑い声が上がり、本気で穴に入りたい気分になった。


「はい、皆さんお静かに」

 ミシェルが手を打ち合わせて場を静めた。

「リアナ。あの状況で周囲をうかがって、ソフィアちゃんの判断を信じた。その行動は決して悪いことじゃありません。むしろよく見ていたと褒めましょう」

「あ、ありがとうございます」

 怒られると身構えていたので、戸惑いながら感謝の言葉を口にするが――


「ただし、自身で考える授業に対する態度という意味ではダメです。ダメダメです」

「ですよねぇ……」

 あげた後にすぐに落とされ、リアナはすみませんと項垂れた。


「それじゃ、ソフィアちゃん。貴方を信じたリアナや他のみんなに、どうして消毒をしないのか説明をしてあげてください」

「はーい」

 ソフィアは立ち上がって、可愛らしい声を上げる。

 その姿は愛らしい幼女――まるでお人形さんのよう。だけど、先日の一件では、セクハラ教師のアレを蹴りで潰している。

 ティナもリオンの前ではおしとやかなフリをしているし、リオン様の周囲にいる女の子って、みんな裏表激しいよね……と、リアナはあらためて実感した。


 なお、傷口の消毒をおこなわない理由は、ばい菌と一緒に傷を治すためのモノまでやっつけてしまうから。不必要な消毒をすると、逆に傷の治りが遅くなってしまうからだそうだ。

 消毒という概念すら知らず、傷の正しい対処なんて考えたこともなかったリアナには、まさしく未知の知識で、その恩恵は計り知れない。

 今後も専門的な知識を学びたいと、あらためて思った。



 放課後。

 ミシェルに呼び出されたリアナは、自習室に顔を出す。

「お、お待たせいたしました、ミシェル先生」

「あぁ、来たわね。……って、そんなに硬くならなくて良いですよ?」

「す、すみません」

 びくりと身を震わせる。


「……ああ、例の件はここで起きたんでしたね。すみません、配慮が足りませんでした」

「いっ、いえ、謝らないでください。あたしがちょっと過剰になってるだけで、そんなに気を使ってもらうようなことはありませんから!」

 リアナは、大丈夫だと見せるために、ぱたぱたと両手を振る。


「他人への気遣いでトラウマを乗り越えますか。……まったく、貴方という人は」

「ふえ?」

 どうして呆れられたんだろうと目をしばたたいた。


「こっちの話です。それより、本題に入りましょう。今日呼び出したのは、貴方が休んでいるあいだにおこなった授業の内容についてです」

 パサッと紙の束を手渡される。さっと目を通すと、授業の内容が書き込まれていた。


「これは、誰かのノートですか?」

「私達が作りました」

「ミシェル先生達、ですか?」

 もしかして、わざわざ作ってくれたんだろうか? それだったら申し訳ないと思う。


「ご安心を。これは教科書を作るために書いたものですから」

「教科書……ですか?」

「ええ。以前、貴方が書き纏めていたノートを目にして、リオン様が思いついたそうです。ついでに言えばそれは写しですので、そのうち書き写して返してくれれば問題ありません」

「ありがとうございます、お借りしますね」

 紙の束には、ミシェルの受け持つ科目以外のモノも揃っている。それらの内容を記憶すれば、この一週間の遅れを取り戻せるだろう。


「それじゃ、さっそく補習を開始しましょう。最初は私が受け持っている、医療全般の授業から始めますね。まずは、一枚目に書かれている内容――」

 そんな感じで、補習の授業が始まった。


 ノートがあり、生徒もリアナ一人。ということで、サラサラ授業は進んでいく。ある程度の説明をするから、後は自分で確認しろというスタンスのようだ。

 だけど、それでも、一週間分のあらゆる授業の分量は多い。


 ようやく一日分の触りが終わったところで、今日の補習は終了となった。

 後で復習しなければいけないことも考えると、一週間の遅れを取り戻すのに、早くても数週間はかかるだろうとリアナは考える。



「……ミシェル先生は、どうして先生になったんですか?」

 リアナは筆記用具を片付けたりしながら問いかけた。


「教えてもかまいませんが、あまり面白い話ではないと思いますよ?」

「実はあたし、各村の指導に向かうか、学園でもっと色々な知識を集めるかで迷ってて」

「なるほど。それで、私が先生を選んだ理由を知りたいという訳ですね」

「ええ、そんな感じです」

「そうですね……数年前に、インフルエンザが大流行したことは覚えていますね?」

「ええ、もちろんです」


 当時は死に至る危険な伝染病として恐れられていた。それこそ、ほかの者を護るために、感染者を殺すのが正義だと誰もが信じるほどに。

 リアナ自身、死へと至る伝染病のキャリアとして殺されるところだった。あの一件は、リアナにとって決して忘れられるようなことではない。


「実はあのとき、私もインフルエンザに感染したんです」

「それは、もしかして……?」

「ええ。油を染みこませた藁の上、薪が敷き詰められた壇上に集められました」

「そ、それは、なんと言うか……間一髪でしたね」

 まさに焼き殺される寸前。一体どれだけの恐怖を味わったのか想像もつかない。


「本当に。あのときは、完全に死を覚悟しました」

 それはそうだろうなと思ったリアナだが、あまりに話が重すぎて言葉が出ない。それに気付いたのか、ミシェルが「ところで――」と、口を開く。


「インフルエンザの対策を打ち出したのがリオン様であることはご存じですか?」

「あ、それは先日聞きました」

「そうですか。リオン様は当時、次男であることなどを理由に、自分の能力を隠すようになさっていました。それを曲げたのは、私が切っ掛けだったんです」

「ミシェル先生を護るため、ですか?」

 リオンの女ったらし説が再浮上して、リアナは無意識に目を細める。


「私のためと言うよりは、お嬢様のためですね」

「……えっと?」

「私は、クレアお嬢様の育ての親代わりだったんです。それで、お嬢様がリオン様に泣き付いた結果、というのがことの真相です」

「そんなことが……」

 クレアリディルがリオンに甘いのは、その辺りが理由なのかなと思う。


「そんな訳で、私は二人に心から感謝しているんです。それで恩返しがしたくて。先生を選んだのはなんとなくですが……たぶん、そのときのことが引っかかっていたんでしょうね」

「なるほど……」

「貴方が迷っているのは、リオン様とお嬢様の意見が割れているからですか?」

「……え?」


 どうして知っているんだろうと考えたリアナは、ミシェルがクレアリディルの育ての親代わりだと言っていたことを思いだした。


「そっか、クレア様から聞いていたんですね」

「ええ。その通りです。それで、悩んでいるのは、二人の意見が分かれているからですか?」

「そう、ですね。あたしは、二人ともに恩を返したいと思っていますから」

「なるほど……たしかに、どちらかを選ぶと、もう片方が出来なくなりますからね。悩むのは無理もないでしょう。と言うか、二人の意見が割れること自体、珍しいですから」

「……そう、なんですか?」

「大抵は二人で話し合って、どちらかに統一するんです。それをせずに、相手の選択にゆだねるのは珍しいと思います。それだけ、二人が貴方に期待しているんでしょう」

「そ、そう、なんですか……」


 リアナは嬉しいと思う反面、どちらかの期待にしか答えられない事実に胸を痛める。


「すみません、余計に悩ませてしまいましたか? ですが、どちらかを選んだとしても、もう片方の期待を裏切ることになるとは思わないので、そこまで悩まなくても良いと思いますよ」

「そう、だとは思うんですけど……」

 二人の掲げる目標は一緒。であれば、どちらを選んでも……というのは分かる。分かるのだけど……と、リアナはやっぱり考え込んでしまう。


「時間はもう少しだけあります。ゆっくり考えてみてください」

「……そう、ですね。しっかり考えてみます」

 

 

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