無知で無力な村娘は妹を救いたい 3
窓辺から差し込む、あかね色の光に染まるアリアの部屋。リアナが大切な妹と最後の約束をしているところに現れたリオンは、手になにやら深皿を持っていた。
「……リオン様、それは?」
「これは、アリアちゃんの食事だ」
「食事? えっと……でも……」
リアナは困った顔でアリアを見る。視線を受けたアリアは、ふるふると首を横に振る。
「リオンさん、ごめんなさい。あんまりご飯は食べたくないの。さっき気持ち悪くなったばっかりだし、いま食べてもきっと、また気持ち悪くなるだけだと思うから」
「これはきっと、大丈夫だ。だから、騙されたと思って少しだけ食べてくれないか?」
「……えっと」
アリアが助けを求めるようにリアナを見た。妹を護らなきゃと考えているリアナは、リオンからアリアを隠すように、二人の間へと割って入った。
「あの、リオン様。大丈夫って言うのは、どういう意味なんですか?」
「……これは俺の予想だから、絶対とは言えないんだけど……アリアは食物アレルギー。それも、子供に多い小麦のアレルギーだと思うんだ」
「……食物アレルギーって、なんですか?」
「大雑把に言うと、アリアにとっては小麦を使った料理が毒かもしれないって話だ」
「……毒って、なにを根拠に言っているんですか? 小麦は、リオン様――グランシェス家からご支援いただいた物なんですよ?」
それなのに、小麦が毒だとしたら、グランシェス家が毒入りの小麦を渡してきたと言うことになると、不審の目を向ける。
「小麦自身に問題があると謂ってる訳じゃない。アリアにとっては、毒かもしれないって話だ。他の人には問題のない食べ物が、特定の人には毒になることがあるんだ」
「そ、それが事実だとして、どうして小麦だって思うんですか? 他の料理かもしれないじゃないですか」
「さっき、パンを食べて気持ち悪くなったんだろ? それに、アリアの症状が悪化したのは、リアナがグランシェス家に出向く少し前、なんだろ?」
「それが、どうしたって……あっ」
リアナは唐突に気がついた。
食糧支援があったのは、リアナがグランシェス家に出向く少し前。そして支援された食べ物の大半が、よそから買い付けてきたという小麦だった。
小麦アレルギーなるモノが本当にあるのなら、条件は揃っているように思える。だけど、ことは大切な妹の容態に関わることで、リアナは慎重にならざるを得なかった。
「……リオン様、小麦アレルギーというのは本当にあるんですか? どうして、リオン様はそんなことを知っているんですか? なにを根拠に、そうおっしゃっているんですか?」
立て続けに質問をすると、リオンが目を丸くした。
「……質問ばっかりでごめんなさい。でも、妹のことが心配なんです」
「いや……分かるよ。俺だってリアナの立場なら、同じように根掘り葉掘り聞いたと思うから、気にする必要はない。ただ、そう思う根拠と言われるとな……」
リオンは考えるような素振りを見せる。そしてほどなく「あぁ、そうだ」と頷いた。
「食物アレルギーを知っている理由は説明できない。説明しても信じてもらえるとは思えないからな。だけど……信憑性を増すことは出来る」
「……信憑性、ですか。それはなんですか?」
「数年前、グランシェス伯爵領でインフルエンザと名付けられた伝染病が大流行して、感染者が隔離される騒ぎがあった。そのとき、領主の名で対処療法が流れてきただろ?」
「それは、もちろん覚えてます」
忘れるはずがない。最初は領主の名で広められ、後に長男の知識のおかげだったと知らされた。だから、リアナはずっと、亡くなったグランシェス家の長男に感謝していたのだ。
だけど、リアナは不意に思い出した。
リオンが悪評だらけだったのは、後継者争い的な理由があったから。リオンの悪い噂がすべてデマであるのなら、長男の良い噂が作り話であったとしてもおかしくはない。
いや、それ以前に、ミューレ学園で学ぶ多くの知識は、リオンやアリスティアがもたらしたものだという。だとすれば――
「――まさか」
「ああ、インフルエンザの対処療法を広めるように進言したのは俺だ」
「――っ」
リアナは思わず口元を両手で覆った。自分の命を救ってくれた憧れの王子様が、自分の目の前にいたことに気付いてしまったからだ。
「急に言われても信じられないかもしれないけど……」
「いいえ」
リアナはぶんぶんと力一杯首を横に振った。
「リオン様が様々な知識を持っていることは知っています。そして、リオン様はいつだって、平民のことを大切にしてくださっている。だから……信じます」
リアナは意思表明をして、アリアへと視線を向けた。
「アリア、不安だとは思うけど……」
リアナの言葉に、アリアは青い髪をゆったりと揺らしながら首を横に振った。
「リアナお姉ちゃんが信じたのなら、私もリオンさんを信じるよ。……お姉ちゃん、リオンさんが持ってる料理、食べさせて」
「うん、もちろんだよ。それじゃ……頂戴しますね」
リアナはリオンからお皿を受け取った。そうして深皿に視線を向けると、中身はどうやら、野菜を煮込んだスープのようで、とても美味しそうな匂いが漂っている。
「……もしかしてリオン様が作ったんですか?」
「いや、レシピを教えてミリィに作ってもらったから安心しろ」
どうやら、リアナがまだ不安がっていると誤解したらしい。なので、リアナは「とても美味しそうです」と、さり気なく誤解をただしてアリアの元へと歩み寄った。
「まずはスープからで、固形物は無理して食べさせなくてもいい」
「……分かりました。それじゃアリア……あーん」
「……あーん。んっ……凄く美味しい」
スープを一口飲んだアリアが目を見開いた。
「……どう? 気持ち悪くは……ならない?」
「さ、さすがにそんなすぐには分からないよ。でも……凄く美味しい。もっと食べたい」
「アリア……急にいっぱい食べて、後で苦しくなったらどうするの」
「でも……食べたいんだもん」
「……分かったよ。それじゃ、もう一口」
あーんと、リアナが甲斐甲斐しく食べさせていく。
リオンにも最初は少なめで様子を見ようと言われたのだけれど、アリアがもっともっととせがむものだから、結局時間を掛けつつもすべて食べさせてしまった。
「……どうだ、アリアちゃん。体調は大丈夫か?」
「えっと……うん、いまのところ、気持ち悪くなったりはしてないよ」
「そっか……しばらくは様子を見た方が良いな。リアナ、一晩側に付き添ってやると良い」
「はい、もちろんです。それで……リオン様は?」
妹のことを一番に考えて戻ってきたリアナだが、今はもう一度学園に戻りたいと考えている。リオンが帰るつもりなら、自分の想いを伝えなくてはと思ったのだ。
けれど、それはどうやら杞憂だったようだ。
「なんだか歓迎会をしてくれるらしくてな。屋敷には、数日滞在するって遣いを出してあるから心配するな。……リアナがどんな選択をするにしても、帰るときには声を掛けるから」
「リオン様……なにからなにまでありがとうございます」
――と、そんな訳で、リアナは一晩、側でアリアの様子を見守ることにした。
アリアにせがまれて、さっき話さなかったグランシェス家でのあれこれやリオンの正体。そしてリオンに助けられたことなどなど。様々なことを語ってアリアとの時間を過ごした。
そして――翌朝。
窓辺から差し込む朝日を浴びて、ベッドで眠っていたリアナは意識を覚醒させた。姉妹は小さなベッドで身を寄せ合って眠っていたのだが……目の前にいるはずのアリアの姿がない。
慌てて跳ね起きて周囲を見回すが、やはり姿が見えない。慌てて部屋を飛び出して、家の中を探し回る。その途中、玄関が空いていることに気付いて外に出る。
そうして木陰で倒れているアリアの姿を見つけた。
「――アリア、しっかりしなさい!」
慌てて駈け寄ってその身を揺する。すると、アリアはゆっくりと目を開いた。
「リアナ……お姉ちゃん」
「どうしたの、なにがあったのよ?」
「えっと……その。今朝は目覚めが良かったから、お外を歩いてみようかなって……ここまで来たら疲れて倒れちゃった」
「……つ、疲れた? 疲れただけ?」
「うん、疲れただけだよ」
「えっと……なら、その……気持ち悪いとか、は?」
「ん~、いつもよりは良いくらい、かな」
「脅かさないでよぉ~~~っ」
リアナは思わずへたり込んでしまった。
「……なにごとだ?」
騒ぎを聞きつけたのだろう。家の中からリオンが姿を現した。どうやら、歓迎の宴が終わった後、この村長の家に泊まっていたらしい。
「おはようございます、リオン様!」
リアナは立ち上がって、リオンの前へと駈け寄った。
「あぁ……お、おはよう」
リオンは頬を掻いて、なぜか視線を逸らしてしまう。なにか、嫌われるようなことをしただろうかと、リアナは少し不安になった。
「……リオン様?」
「あぁ、いや。それで、なにごとなんだ?」
「聞いてください! アリアが朝起きたらいなくて、びっくりして探したら、そこで倒れてたんです。それで驚いて話しかけたら、久しぶりに歩きたくなって歩いたら疲れちゃったって」
「あぁ、なるほど。それは驚くとは思うけれど……リアナ、そろそろ気付いてくれ」
「……ふえ、気付くって……」
リオンが困った顔で、ちょんちょんと、リアナのお腹の辺りを指差した。それで、どうしたんだろうと自分の姿を見下ろしたリアナは――ピシリと固まった。
昨日は着の身着のまま、制服姿でレジック村へとやって来た。
そして、リアナの数少ない服は、ミューレの街の学生寮においてある。つまり、さんさんと降り注ぐ日の光りの下、リアナは下着姿をさらしていたのだ。
「ひゃああぁあっ!?」
リアナは両手で胸と下腹部を隠して、ぺたんと草むらにへたり込んでしまう。
ちなみに、この時代の平民はちゃんとした下着を着用していない。せいぜいが、身体を冷やさないように、ワンピースの下にカボチャパンツを穿いているとかそれくらいが一般的だ。
しかし、ミューレの街にはアリスブランドという、洗練されたデザインの洋服を扱うお店があり、ブラとショーツも取り扱っている。
そして、ミューレ学園の生徒達はそのお店から洋服を支給されており、デザインもある程度自分で選ぶことが出来るのだが……彼女達の洋服のセンスはミューレ学園、特にアリスティア達によって教え込まれたものでしかない。つまり、なにが言いたいかというと……
リアナが身に着けているのは今回も、わりとエッチな黒い下着だった。
もちろん、リアナ自身は最新のオシャレな下着。それも普通のデザインと思い込んでいるのだが……それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。
ミューレ学園に通うようになり、リアナはすっかり乙女になっていた。そうして真っ赤になって縮こまる。そんなリアナの肩に、リオンが自分の着ていた上着を掛けてくれる。
「えっと……リオン様?」
肩越しに見上げると、リオンはやはり明後日の報告を向いていた。
「それで身体を隠して、早く家の中に戻った方が良い」
「あ、す、すみません、貧相な姿を見せてしまって」
超絶美少女なアリスティアに、銀髪お姉さんなクレアリディル。そして天使のように愛らしいくせに胸の大きいソフィアに、爆乳お姉さんのミリィ。
リオンのまわりには、様々な美少女が揃っているので、目をそらしているのは見るに堪えないと思われていると思い込んだのだ。
けれど――
「リアナは貧相なんかじゃないぞ。だからこそ、他の男には見せたくないんだ。さっきの悲鳴を聞きつけて誰かが来るかもしれないから、早く部屋に戻れ」
「~~~~~~っ」
思ってもいないことを言われて、リアナは真っ赤になって身悶えた。顔どころか耳、そしてむき出しの胸もとまで真っ赤になってしまう。
「ほら、早く行った行った」
「は、はい……それじゃ……っと、その前に。アリア、本当にもう大丈夫なのね?」
「うん。少なくとも、この数ヶ月で一番気持ちの良い朝だよ」
「……そっか」
まだ油断は出来ないけれど、それでもきっと大丈夫。そんな予感を抱いた。
「ほら、リアナ。アリアとは後でいくらでも話せるだろ。まずは服を着てこい」
「はい、行ってきます」
リアナは身を翻して家へと走る。だけど扉の前でクルリと振り返った。
「――リオン様、妹のこと助けてくれてありがとうございます。それに、村やあたしのことも助けてくださってありがとうございます!」
天真爛漫な笑みをリオンに向け、リアナは今度こそ家の中へ走り去った。
この後、20時にエピローグをアップします。





