成績優秀者を目指す無力な女の子 4
成績優秀者になりたければ愛人になれ。そんな脅しをライリーから受け、夕暮れの校庭で静かに泣いていたリアナを見つけたのはソフィアだった。
「ソ、ソフィアちゃん、どうしてここに!?」
「それはソフィアのセリフだよ。リアナお姉ちゃんがふらふらと歩いているのを見かけたから、どうしたのかと思って追いかけてきたんだよぅ」
「そ、そうだったんだ」
「それで、どうかしたの?」
「――っ。べ、別になんでもないよ」
リアナは涙を袖で拭って笑顔を浮かべて見せる。だけど、泣いているのを見られていたのだろう。ソフィアはリアナの手を掴んで「なにかあったの……?」と顔を覗き込んできた。
「な、なにもないよ。ただ……えっと、そう。補習が上手くいかなくて」
ダメ、誤魔化さないと。ソフィアちゃんまで巻き込む訳にはいかないよ! と、リアナは必死に表情を取り繕うとした。だけど――
「リアナお姉ちゃん、ダメだよっ!」
ソフィアが眉をつり上げた。どうして怒られたのか。そもそもソフィアが怒ること自体が驚きで、リアナはぱちくりと目をしぱたたいた。
「ソフィアちゃん、なにを怒ってるの?」
「リアナお姉ちゃんが、ソフィアを巻き込まないようにって考えてるからだよ」
「え、あたし、そんなことしてないよ……?」
腕を掴まれた状態で顔を覗き込まれていては、目をそらすことも出来ない。なけなしの平常心を総動員して視線を受け止め、ソフィアの問いに惚けてみせる。
「むぅ、どうしてそういうこと言うの?」
「いや、どうしてもなにも……」
「ソフィアが困ってたらリアナお姉ちゃんが護ってくれる。その代わり、リアナお姉ちゃんのことはソフィアが護るって約束したよね?」
「それは言ったけど……」
ライリー先生に脅されたなんて打ち明けたら、ソフィアちゃんを巻き込んじゃう――と考えたその瞬間、ソフィアが目を見開いた。
「ライリー先生に脅されてるの?」
「――えっ!?」
どうしてソフィアがそのことを知っているのかと考えたのは一瞬。きっと、カマを掛けられたのだと思って、とっさに表情を取り繕って見せた。
だけど――
「カマを掛けた訳じゃないよ。それより、脅されたって、どういうこと?」
まるで最初から知っていたかのように自信満々に答える。けれど、最初はなにも知らなかったはずだし、いまも詳細は理解していないようだ。
そこから考えられる答えは……
「うん。リアナお姉ちゃんが想像しているとおり。ソフィアは触れている相手が考えている内容を正確に読み取ることが出来るんだよ」
リアナが言葉にするよりも早く、ソフィアがリアナの心の中で浮かべた疑問に答えた。そのことに驚きつつも、そんなことはありえない、他に理由があるはずだと考える。
「……冗談、だよね?」
「ホントだよ。なんだったら、ソフィアが絶対予想できないようなことを思い浮かべてくれても良いよ。ちゃんと当ててあげるから」
「えっと……」
なら――87掛ける67……と、ソフィアが絶対に予想できない。予想したとしても、数値までは決して当てられない。学園で習っていない二桁同士の掛け算を思い浮かべた。
刹那――
「5,829だね」
ソフィアはなんの感慨もなくその数字を口にした。それを聞いたリアナは、自分が思い浮かべた数字とは違う。だから、ソフィアはリアナの思考を予想しているだけで、実際に心を読んでいるのではないと思った。
「リアナお姉ちゃん、違うよ。ソフィアが答えたのは、リアナお姉ちゃんが思い浮かべた数式に対する答えだよ」
「……なにを言ってるの?」
「だから、87掛ける67の答えが、5,829なんだよ」
「……え?」
九九については習い始めているけれど、二桁の掛け算なんて習っていない。ましてや、答えを暗算で一瞬なんて……と、そこまで考えたところで、驚くところが違うことに気がついた。
「いま……87掛ける67って言った?」
「うん、そう言ったよ」
ありえない。たとえ、二桁同士の掛け算にまで当たりを付けたとしても数千通り。勘で言い当てるなんて出来るはずがない。
だとすれば……
「えへへ、ソフィアは恩恵持ちなの」
「そう、なんだ……」
恩恵とはごく限られた者だけが持つ特殊能力の総称。恩恵には様々な能力があるので、相手の心を読む能力があってもおかしくはない。
そして、いまにして思えば、ソフィアはそれらしい言動を何度かしていた。だとすれば、ソフィアは本当に恩恵持ちなのだろう。ここまで来たら疑う余地はないと理解した。
そして、そんなリアナに対して、ソフィアは穏やかな微笑みを浮かべる。
「リアナお姉ちゃんは、ソフィアの秘密を知っても怖がったりしないんだね」
「え? あ、あぁ……そうだね」
心を読まれると言うことは、どんな隠し事も出来ない。それにソフィアにたびたび抱きつかれていたことを考えると、普段から心を読まれていた可能性が高い。
普通に考えれば、怖がったりするはずなのだが……リアナは恐いとは思わなかった。
それどころか、誰にも言えないと思っていた秘密をソフィアに知られたと知って、リアナは心のどこかでホッとしていた。
もちろん、ソフィアを巻き込んでしまったことは申し訳ないと思っているのだけれど。
「リアナお姉ちゃんはソフィアが護るから。……だから、そんなこと心配しなくて良いよ。それより、詳しい話を教えて」
「えっと……うん、分かった。ソフィアちゃんに全部話すね」
リアナより五つも年下で儚げ。護ってあげなきゃいけないと思っていたのに、いまは凄く頼りがいがあるように感じる。
ソフィアなら、きっと凄い打開策を考えてくれるような気がして、「実は……」と、リアナは自習室でのやりとりを打ち明けた。
そして――
「よし、殺そう」
「えぇぇえっ!?」
話を終えた直後、ソフィアの口から物騒なセリフがこぼれ落ちたので仰天した。
「ダ、ダメだよ、ソフィアちゃん、そんな物騒なことを言ったら」
「え? でも、リアナお姉ちゃんを泣かしたんだよ? もう、殺すしかないよね?」
「いやいやいや。なに言ってるの、ソフィアちゃん」
このままじゃ無邪気なソフィアちゃんが闇堕ちしちゃう。あたしがちゃんとしないと――と、リアナは必死にソフィアを説得した。
「リアナお姉ちゃん、リオンお兄ちゃんと同じこと言ってる」
「でしょ? だからダメなんだよ!」
ソフィアの説得に必死なリアナは、リオンがどうして、ソフィアに向かってそんなセリフを言ったのかを考えなかった。
そして――
「ん~。それなら、殺さない方向で、リアナお姉ちゃんを泣かせた罰として、生まれてきたことを後悔させようか」
「いや、だから、ね? 先生のことを訴えると、リオン様に迷惑が掛かるんだってば」
「大丈夫だよ」
「大丈夫じゃなくてっ」
おかしい。ちゃんと説明もしたし、ソフィアちゃんはあたしの心を読めて、頭も良い女の子のはずなのに、どうして話が通じないの!? と、リアナは焦る。
けれど、そんなリアナを、ソフィアの紅い瞳がまっすぐに射貫いた。
「ソフィアはね、リアナお姉ちゃんが殴られたとき、なにも出来なかった。……うぅん、なにもしなかった。それを後悔してるの。だから、今度は絶対にリアナお姉ちゃんを護るよ」
「……ソフィアちゃん。気持ちは嬉しいけど……」
ソフィアを巻き込む訳にはいかないし、リオンやクレアリディルに迷惑を掛ける訳にもいかない。だから――と、そんな風に考えるリアナの手を、ソフィアが引っ張った。
「ダメだよ、そんな風に考えたら。ソフィアが、絶対になんとかしてあげるから、行くよ!」
「え、行くって……どこに?」
「決まってるじゃない。ライリー先生のところだよ」
「え、いや、それは……え?」
混乱しているリアナは、そのままソフィアに引きずるように連れて行かれてしまった。
――そうしてあれよあれよと連れてこられたのは、街の片隅にある小さなお屋敷。リアナが止めるまもなく、ソフィアが扉を叩いて姿を現した執事に取り次ぎをお願いしてしまった。
執事は少々お待ちくださいと引っ込んでいく。
「ね、ねぇ、ソフィアちゃん。ここって、もしかして……」
「ライリー先生のお屋敷だよ」
「やっぱりいいいぃ」
リアナは情けない悲鳴を上げる。この場から逃げ出したくなるが、ソフィアに手を繋がれたまま。そもそも、ソフィアを置いて逃げるなんて出来ない。
こうなったら仕方ない。いまの自分に出来ることをするだけ。最低でもソフィアだけは逃がそうと、リアナは覚悟を決めた。
ほどなく、さきほどの執事が現れて、ライリー様の元へ案内すると。リアナ達はそんな執事の後に続いて、屋敷の中へと足を踏み入れた。
そして案内されたのは、小さな応接間。
「ふむ……ミューレ学園の生徒が二人と聞いていたが、なるほど。どうやら、約束を破って、ほかの者に話してしまったようだな、リアナ」
「そ、それは、その……っ」
咎めるような口調を向けられたリアナは謝りそうになってしまう。けれど、その寸前、ソフィアが二人のあいだに割って入った。
「ソフィアが、強引にリアナお姉ちゃんから聞き出したの。だから、リアナお姉ちゃんは悪くないんだよ?」
「……ふむ。ソフィア……お前はたしか、リオン様の義妹になった娘だったな。一体なにをしにここに来たのだ?」
ライリーは探るような眼差しをソフィアに向けている。願わくば、リオン様の義妹という地位が、ライリー先生の暴挙を抑えられますように――と、リアナは祈りを捧げる。
だけど――
「ソフィアは、リアナお姉ちゃんを泣かせた悪党を始末しに来たんだよ?」
愛らしい金髪幼女の口から、信じられないくらい物騒なセリフがこぼれた。その言葉が予想外すぎて、ライリーがぎょっとした顔でソフィアを見つめる。
そして物騒な発言を聞くのが二回目のリアナは思わず頭を抱えた。
「リアナお姉ちゃん、どうしたの?」
「ど、どうしたのじゃなくて、人を始末するとか言ったらダメなんだってば!」
始末というのは別に殺すと同義ではない。けれど、どう考えてもそうとしか聞こえない。それになにより、ライリーを挑発するのは不味いと焦る。
だが、その忠告は少し遅かったようだ。
「ソフィア……学園に最初からいるリオン様のお気に入り。勉強は出来るようだが、駆け引きはまるで分かっていないようだな。リアナから聞いていないのか? 俺と事を構えると言うことは、リオン様に多大な迷惑を掛けると言うことだぞ? それでも良いのか?」
「リオンお兄ちゃんに迷惑を掛けるのは良くないよ?」
あっさり、信じられないくらい、あっさり答えるソフィアに対して、ライリーは拍子抜けするような表情を浮かべた。だけど――
「だから、リオンお兄ちゃんにバレないように始末しちゃうんだよ?」
小首をかしげて可愛らしく紡いだセリフは……やっぱり物騒だった。そして、それに対してライリーがくくくと喉の奥で笑った。
「なるほどなるほど。俺がリアナを脅しているのがハッタリだと見破り、逆に脅して手打ちにさせようという訳か」
「……え、ハッタリ?」
横で話を聞いていたリアナがきょとんとする。
「なんだ、お前はまだ気付いていなかったのか。たしかに、俺を訴えれば、リオン様に多大な迷惑が掛かるのは事実だ。だが、俺は自滅するつもりはないからな」
だから、リオンと心中するつもりはないと意味。
「な、なら、あたしが突っぱねてたら……」
「俺は諦めていたかもしれないな」
それを聞いたリアナは「凄いよ、ソフィアちゃん!」と、これで解決だと思ってソフィアの背中に抱きついた。だけど、そんなリアナに対して、ソフィアは静かに首を横に振る。
「……まだだよ、リアナお姉ちゃん」
「え、まだって……どういうこと?」
戸惑いつつも、ソフィアから身を離す。そうして覗き込んだソフィアの紅い瞳は、冷たく輝いていた。その言い知れぬ迫力に、リアナは思わず息を呑む。
「リアナお姉ちゃんが突っぱねてたら、口封じになにかされてたと思う」
「――くくっ、正解だ。だが、そこまで分かっていて、なぜここに来たかが分からんな」
ライリーが合図を送るように手を上げた。それをどこかで見ていたのだろう。リアナの背後にあった入り口が開き、傭兵のような恰好をした男が二人、部屋に入ってきた。
「二人を捕まえろ。見えるような場所に傷は負わせるなよ」
「へいっ、任せてくだせぇ」
一人は入り口を塞ぐように立ち、もう一人が近寄ってくる。それを見たリアナはとっさに両手を広げ、男の前に立ちはだかった。
「ソ、ソフィアちゃん。あたしは良いから逃げてっ」
入り口を塞がれている以上は、目の前の男の動きを止めても逃げるのは難しい。けれど、他に道はない。自分がどんな目にあっても、ソフィアだけは助けると覚悟を決めたのだが――
リアナの広げた腕の下をなにかが通り過ぎた。それがリアナの護ろうとしたソフィアだと気付いた瞬間、ソフィアは男に躍りかかっていた。
ミューレ学園のスカートを翻し、そこから二振りの短剣を引き抜き――とっさに反応した男の顎先を回し蹴りで蹴り抜いた。
「……いや、短剣はどうしたのよ?」
なんて、リアナは場違いなツッコミを入れてしまう。しかし、そうして呆気にとられているあいだにも、ソフィアはもう一人の男も撃退してしまった。
「リアナお姉ちゃん、動かないでね」
ソフィアが振り向きざまに呟いた。
その意味を問うより早く、ソフィアがリアナの側を駆け抜け――
「ぎゃあああああっ!?」
ライリーの絶叫が響く。なにごとと振り返ると、ソフィアの足下に、足のあいだに両腕を挟み込んで転げ回るライリーの姿があった。
「えっと……なにが?」
「リアナお姉ちゃんを泣かそうとした悪は二つとも潰れたよ」
困惑気味に問いかけるリアナに、ソフィアが天使のような微笑みを浮かべた。そのセリフがいまいち良く分からなくて、リアナは「えっと……うん? うん」と戸惑う。
「――って、そうじゃなくて。他の人が来る前に逃げないと!」
このサイズのお屋敷にそんなに多く人がいるとは思わないけれど、倒れている者達が起き上がってくる可能性もあると、ソフィアの腕を掴んで引っ張ったのだが……びくともしない。
「ソ、ソフィアちゃん?」
「ちゃんと始末するから、もう少し待っててね」
「いや、えっと……始末って?」
なにするつもり? と、もう何度目か分からない疑問を抱いていると、ソフィアがどこからか取り出したヒモで、ライリーや傭兵風の男達を縛り付けてしまった。
しかし、意識のない男二人と違って、ライリーは罵声を浴びせてくる。
ソフィアは、そんなライリーの猿ぐつわをして黙らせてしまったのだが――騒ぎを聞きつけたのか、さきほどの執事が姿を現した。
「……これは、なんの騒ぎですかな?」
「――うっ、ううううっ!」
猿ぐつわをされたライリーがなにかを言っているが、もちろん声にはならない。それを確認した執事は、どこか落ち着いた態度でソフィアへと視線を向けた。
「ソフィア様、説明していただけますかな?」
「ソフィアの大好きなお姉ちゃんが泣かされたんだよ?」
「お姉ちゃんというと……そちらのお嬢さんですか?」
執事に見られ、リアナは困った顔でその視線を受け止めた。そのあいだも、ライリーはうーうー唸っているのだが、執事はあまり気にしているようには見えない。
「成績を不正に評価して、正当な成績を盾に、リアナお姉ちゃんに関係を迫ったんだよ」
「なんとっ!?」
目を見開く。執事はライリーに仕えているはずで、ソフィアの言葉を頭から信じるかは分からない。それどころか、敵対する可能性だってあったはずなのだが……
「では、わたくしはなにをすればよろしいですか? なんなりとご命令ください」
執事は胸に手を当てて頭を下げ、ソフィアに恭順を示した。猿ぐつわをされて唸っていたライリーが目を見開くが、それすらも無視。
一体どういうことなんだろう――と、リアナはソフィアを見る。ソフィア自身も、少しだけ意外そうな顔をしていた。
「執事さんは、この人に仕えているんじゃないの?」
「わたくしがお仕えするのはグランシェス家です。ゆえに、ライリー様が……いえ、ライリーがグランシェス家に不利益となるおこないをしたのなら、わたくしが従う理由はありません」
「ソフィアが、嘘をついているとは思わないの?」
「わたくしは、貴方のことを存じておりますから」
どういうことなのか、リアナには分からなかった。けれどソフィアはそれで信じたのか「なら、クレアお姉ちゃんを呼んできて」と微笑みを浮かべた。
「クレアリディル様ですね。かしこまりました。至急使いの者を出しましょう」
「――その必要はないわよ」
執事の後ろから凜とした声が響く。驚いた執事が横に退くと、そこにアリスティアを伴ったクレアリディルの姿があった。





