成績優秀者を目指す無力な女の子 2
グランプ侯爵を誤って公爵と書いていましたので修正しました。
お騒がせしました。正しくはグランプ侯爵です。
「リアナ、大丈夫だった!?」
理事長室から退出して顔を上げた瞬間、ティナが駈け寄ってきた。どうやら廊下でリアナが出てくるのを待ってくれていたようだ。
「心配してくれてありがとう、ひとまずはお咎めなしにしてもらえたよ」
「……ひとまずって、どういうこと?」
「実は――」
リアナは前置きを一つ。詳しい事情の説明は省いて、自分が成績優秀者にならなくてはいけなくなったことを打ち明けた。
「へぇ、そうなんだ」
「そうなんだ……って、もっとこう、大変だ! とか、他に言うことあると思うんだけど」
「なに言ってるの? リアナならきっと余裕だよ」
「いやいや。あたし、このあいだの小テストの成績も、結構ギリギリだったよ?」
「そんなの、あの人に邪魔されてたからでしょ? これからは邪魔もなくなるんだし、あたしやソフィアちゃんが、ちゃんと補習に付き合ってあげるから大丈夫。――だよね?」
ティナがリアナの背後に向かって声をあける。誰かいるのかなと振り返ると、廊下の陰に金色の髪と、制服のスカートが消えていくところだった。
リアナはその主を確認しようと、足音を殺して角に忍び寄る。ほどなく、角からコッソリ顔を覗かせてきたソフィアと間近で目が合った。
「――っ」
びっくり眼のソフィアがとっさに角の向こうへと隠れようとする。だからリアナはソフィアの制服の袖を掴んだ――つもりだったのだが、するりと躱されてしまった。
それどころか、ソフィアは身体を反転。伸ばしきったりアナの腕を掴むと、そのまま軽く捻るように動かした。
そうして気付いたら、リアナは壁に軽く押しつけられていた。
いつもはキラキラと輝いているソフィアの紅い瞳から、ハイライトが消えている。冷たくて深い大粒の瞳がリアナを捕らえていた。
「……ソフィア、ちゃん?」
リアナが戸惑いの声を上げるのとほぼ同時、ソフィアが弾かれたように飛び下がった。
「――ご、ごめんなさいっ!」
焦った様子で深々と頭を下げる。ソフィアの姿はかよわい女の子そのもので、さっき一瞬だけ纏っていた、切り裂くような冷たさは残っていなかった。
そうして呆気に取られているあいだに、ソフィアは逃げ去ってしまった。
「ええっと……あたしがなにか悪いことをした?」
ティナに助けを求める。そんなリアナに対してティナは少し深刻そうな顔をした。
「リアナは悪くないよ。ただ、ソフィアちゃん、今回のことでちょっと責任を感じてるみたい。それに……うぅん、これは私の口から言うことじゃないね」
「……なにかあるの?」
首を傾げてみせるが、なんとなくは想像がついていた。ソフィアは過去に悲しい目に遭ったという話を覚えていたからだ。
「うん。ソフィアちゃんの過去に関わることだから、リアナが自分で聞いてみて」
「あたしが聞いても大丈夫?」
「うん。リアナならきっと大丈夫」
ティナがきっぱりと断言してくれる。そのことに頼もしさを感じつつ、ソフィアを追いかけて事情を聞くことにした。
「それじゃ……ちょっとソフィアちゃんを捜してくるね」
「うん。それが良いよ。私はお勉強の方を準備しておくね」
ティナの優しさがありがたい。リアナはお礼を言って、ソフィアの後を追いかけた。
そうしてやって来たのは、寮にあるソフィアの部屋。ノックをするが返事がない。
「……ソフィアちゃん、あたしだよ」
いないのかなと思いつつも、念のために声を掛けて、もう一度ノックをする。
それからほどなくして、がちゃりと控えめに扉が開いた。そうして出来た隙間から、ソフィアがおずおずと顔を出した。
「リアナ、お姉ちゃん?」
「うんうん、あたしだよ。ソフィアちゃんとお話したいんだけど……ダメかな?」
問いかけると、ソフィアは少し困ったような顔をした。これは無理そうかも。なんてリアナは心配したのだけれど、しばらくして扉が開かれた。
ソフィアが受け入れてくれた。それが嬉しくて、さっそく話をしようと思ったのだが、話す内容を考えていなかったことを思い出す。
そうして、どうしようと思っていると、ソフィアは「ごめんなさい」と頭を下げた。
「えっと……なにを謝ってるの?」
小首をかしげると、ソフィアが頬に手を伸ばしてきた。
「凄く腫れてる。ソフィアのせい、だよね……」
「なんだ、そんな風に思ってたの?」
「だって……あの人が来たのはソフィアが原因だし……」
「原因だったとしても、ソフィアちゃんが悪い訳じゃないよ」
「でも、でもでも! リアナお姉ちゃん、ずっと困ってたのに、ソフィアはなんにも出来なくて。今日もからまれてるって気付いてたのに……っ」
ソフィアはポロポロと泣き出してしまった。
どうやら、自分のせいで編入してきたパトリックが、リアナに嫌がらせを繰り返している状況で、自分がなにも出来ずにいることに対して罪悪感を抱き続けていたらしい。
それを理解したリアナは、ソフィアの小さな身体を自分の腕の中に引き寄せた。そうして、ぎゅうっと抱きしめる。
「リアナ……お姉ちゃん?」
「言ったでしょ、ソフィアちゃんのことは、あたしが護ってあげるって。だから、ソフィアちゃんは、なんにも心配しなくて良いんだよ」
リアナは上半身を離してソフィアの顔を覗き込む。ソフィアの紅い瞳が揺らいでいた。
「ソフィア、みんなに護られてばっかりで……」
「うぅん、ソフィアちゃんは可愛いからね。護ってあげたくなっちゃうんじゃないかな。かくいうあたしも妹と重ねて見ちゃって、護ってあげたくなっちゃったんだよね」
だから、気にしなくて良いんだよと言ったつもりだったのだが、ソフィアはちょっぴり寂しそうな顔をした。リアナには、その反応に少しだけ心当たりがあった。
妹のアリアも、同じような反応をしたことがあったからだ。
「ソフィアちゃんは、護られるだけなの……嫌?」
どうやらリアナの予想は正解だったようで、ソフィアはこくんと頷いた。
「ソフィアもみんなを護りたい。だけど……ソフィア、前に失敗しちゃったことがあるの」
「……失敗? 失敗ならあたしもしたところだけど、ソフィアちゃんはなにを失敗したの?」
「それは……えっと」
ソフィアが視線を彷徨わせる。
「あ、言いたくなければ、無理に言わなくても良いよ」
ソフィアの悲しい過去に直結する内容だと察して、リアナはとっさにそう口にする。だけどソフィアはふるふると首を横に振った。
「えっと……話してくれるってこと?」
今度はこくこくと頷く、ソフィアが小動物みたいで可愛い。リアナはそんなことを考えながら、ソフィアの話に耳をかたむけた。
「ソフィアのお父さんが、リオンお兄ちゃんの家族に酷いことをしたの。ソフィア、それが許せなくて、お父さんに手を上げちゃった」
「……それが、後悔してること?」
いくら理由があっても、自分の親に手を上げたらショックを受けるだろう。そう思って問いかけたのだけれど、ソフィアは首を横に振った。
「リオンお兄ちゃんが凄く悲しそうに、ソフィアのしたことはいけないことだから、もう二度としちゃいけないよって」
優しいソフィアが親に暴力を振るったのは、間違いなくリオンのためだろう。
だから――
「ソフィアちゃんは悪くないよ」
リアナは安心させるように微笑んだ。
もしもこのとき、ソフィアの打ち明けた話の全貌をリアナが知っていれば、決してソフィアの行動を肯定したりはしなかっただろう。
だけどリアナは知らなくて、ソフィアの行動を肯定した。肯定……してしまった。それがどのような結果を生むことになるのか、リアナが知るのはもう少しだけ先の話である。
「でも、リオンお兄ちゃんにダメだって言われたんだよ?」
「それはきっと、ソフィアちゃんのことが心配だったからだよ」
「……どういうこと?」
「二人の立場が逆なら、リオン様はきっと自分の父親を止めたと思うんだよね」
「でも、リオンお兄ちゃんは、ソフィアのしたことはいけないことだって言ったんだよ?」
「うん。それは、ソフィアちゃんに傷ついて欲しくないから。でもリオン様はソフィアちゃんを傷つけたくないから、自分が傷ついてでもソフィアちゃんを助けようとすると思うの」
リアナは、リオンの心理を理解することが出来た。なぜならリアナ自身、妹のアリアを護るために、自分の身をグランシェス家に差し出したからだ。
だけど、アリアが同じことをしようとすれば、リアナは絶対に怒って止める。リオンもきっと、同じような気持ちだったのだろうと推測できた。
「じゃあ……リオンお兄ちゃんがソフィアのことを叱ったのは、ソフィアのことを護ろうとしているから?」
「そうだと思うよ。ソフィアちゃんに、辛いことはさせたくないんだと思う」
「……そっか、そうだったんだ」
ぽつりと呟く。ソフィアの顔はどこか寂しげにも見えた。
「ソフィアちゃんはまだ子供なんだし、気にする必要なんてないと思うよ」
リアナの言葉に、けれどソフィアは金髪を横に揺らした。
「ソフィア、ね。お兄ちゃんにダメだって言われたとき、凄くショックだった。でも……怒られるのが恐くて、リアナお姉ちゃんが殴られるのを見てただけの自分は嫌い」
ソフィアは護られるだけの自分が嫌で、大人になろうとしている。妹のアリアはもちろん、五年前の自分もこんなにしっかりしてなかったと感心してしまう。
まだ無理をすることはないと思いつつも、頑張るソフィアを応援してあげたい。そう思ったリアナは、ソフィアの背中を少しだけ押すことにする。
「じゃあ……あたしと一緒に助け合お?」
「リアナお姉ちゃんと?」
「そうだよ。ソフィアちゃんが困ってることがあれば、あたしが助けてあげる。だから……」
「分かった! リアナお姉ちゃんがピンチのときは、ソフィアが敵を排除してあげるね!」
「えっと……うん。お願いね」
さすがに、愛らしいソフィアにそんなことは求めていない。勉強を教えて欲しかっただけなのだけれど、ソフィアをがっかりさせたくないリアナはにっこりと微笑んだ。
このときの何気ない選択が、後々にとんでもない事態を引き起こすことになるとは……いまのリアナは夢にも思っていなかった。
それはともかく、リアナの邪魔をしまくっていたパトリックはいなくなった。
学園には平和が戻り、授業に集中することが出来るようになった。更には個人授業と、ソフィア達とのお勉強会はそのままで、リアナは成績優秀者を目指して必死に勉強を続けた。
そうして数週間。
満を持して受けたテストで――リアナは不合格を言い渡された。





