第19話 告知と依頼
東京大迷宮にやってきて二十日。
三度目の検査のために背脂研究所を訪れた私は、手土産として群馬聖のホールケーキと、デビルオマールを使ったカレーパン、グラタン、それとメレンゲクッキーやマドレーヌ、キャラメルナッツタルトなどを持って行きました。
ケーキのほうは群馬ダークからドンレミ農場の顧客に群馬聖のケーキを販売したいという相談を受けて焼いたものです。
食事効果の関係でかなりの高額ケーキになっていたのですが、売れ行きは好調、追加生産の要望も来ているそうです。
残念ながら材料の群馬聖がもうないので、今年度分は生産終了ということになりましたが。
その他の焼き菓子は個人で練習のために作ってバザールで売っているものとなります。最後のキャラメルタルトだけは特殊で、二度目の検査日にグレーターグリフォンにもらったグリフォンナッツという木の実にドライフルーツを加え、砂糖とバター、生クリームとはちみつでキャラメリゼしたフィリングをタルト生地に乗せて焼き上げたものになります。
食品鑑定のデータは、
獅子王樹のキャラメルナッツタルト(1/6)
レアリティ:エピック
品質:最高
食事効果:バイタル全回復
メンタル全回復
プロテクション (大・24時間)
レジスト (大・24時間)
リヴァイブ (大・24時間)
エンデュランス (大・24時間)
属性攻撃耐性 (大・24時間)
ステータス異常耐性(大・24時間)
バイタル自動回復 (大・24時間)
グリフォンナッツという食材がレアの中でも入手難度の高い稀少食材だったせいか、エピックが出て異様な食事効果がついてしまいました。
プロテクションが物理防御力アップ、レジストが魔法防御アップ、リヴァイブがブラックアウト時の自動回復、エンデュランスがバイタルゲージの拡張、あとは属性攻撃とステータス異常をほぼ無効化しバイタルが自動回復するという、徹底的に防御耐久に偏った効果となっています。
推奨販売価格も異常なことになっていたのですが、グリフォンナッツが10キロ以上あったので十二ピースぶんだけ追加で焼いてバザールに出したところ瞬く間に売れてしまいました。
背脂所長とスラコン、そして研究所の窓に顔を押しつけてきたアークシャークとグレーターグリフォンにパンやお菓子を渡してから、採血などの検査を受けます。
一通りの検査が終わったところで、
「告知しなければならんことがある」
デビルオマールのカレーパンを食いちぎり、背脂所長が言いました。
レアリティの高いパンで、群馬ダークに食べさせたところ「宇宙と猫が見えるにゃー」となどと呟いて放心してしまっていたのと同じものですが、そういったリアクションがありません。
私もそうですが、味覚耐性というスキルを高ランクで保持しているとのことです。私の場合は自分で作った食べ物に自分自身が依存症になったりしないための安全装置としてのスキルですが、背脂所長の場合は、より効率的に最大速度でカロリーや栄養を摂取、最大効率、最大速度で脳活動を行う為のスキルだそうです。
「なんでしょう」
アンデッド因子感染症の再発でも告知されるのかと緊張しましたが。
「君の身体にはアンデッド因子に対する完璧な抗体ができあがっている。もう君は二度とアンデッド因子感染症に感染することはない」
想像と逆方向の告知をされてしまいました。
「だが、そこまで強力な抗体があるとなると、タチの悪い研究者に実験材料として狙われる危険がある。不用意な情報開示は避けたほうがいいだろう」
「はい」
悪質な企業にでも知られたら拉致される危険がありそうです。
「だが、私自身もアンデッド因子感染症の研究者のひとりだ。月に一度のサイクルでここに来て採血と検査を続けさせてもらいたい。相応の報酬は支払おう」
「お返事はいつまでに?」
背脂先生の研究のテーマはアンデッド因子感染症の治療と予防根絶。
問題のあるテーマではありませんし、東京大迷宮の運営を経由した紹介ですので信用できないわけではありませんが、即決していい話でもない気がします。
「来週の血液検査までに頼みたい。検討材料としてウチの研究所の資料を送っておく。あの羊どもと相談するなり裏を取るなりして判断してくれ」
スラコンが資料ファイルを送ってくれたようです。メッセージの受信を告げるウィンドウが表示されました。
「わかりました」
「それと、いくつか作ってほしいものがある」
「なんでしょうか」
「ひとつはパン作りに使う酵母だ。君が作るパンにアンデッド因子感染症を完全治癒させる効果があるなら、君が作った酵母を利用すれば、アンデッド因子感染症に効果のあるパンを安定生産できるかも知れない」
「そう都合よく行くでしょうか?」
「やってみなければわからんが、やってみる価値はあるはずだ。技術料として五千万PP、狙い通りの酵母が作れれば十億PP出そう」
「そんなに資金があるんですか?」
さすがに数字が大きすぎないでしょうか。
「知っていると思うが、この研究所の運営母体は大宮の武装冒険企業シュバリエだ。ついでにいうと私はシュバリエの創業者一族の出でな。アンデッド因子感染症の特効薬となれば、十億では安すぎるが、私個人の裁量で確約できるのはまずは十億が限度だ」
シュバリエは東京大迷宮直近の都市、大宮の企業という地の利を活かして最も早く大規模な調査団を派遣、莫大な先行者利益を得た大手武装冒険企業です。現在擁している企業冒険者団、シュバリエ・ワークスは東京大迷宮最古参にして最大規模の冒険者団のひとつに数えられています。
アンデッド因子感染症の特効薬があれば、他の武装冒険企業に対しても強力なアドバンテージを握ることになりますので、十億PP程度は高くないということでしょう。
逆にいうと、シュバリエにアンデッド因子感染症の特効薬を独占させていいかどうか、という判断が必要になるのかも知れません。
話が大きすぎて今ひとつ現実味がありませんが。
「その酵母というのはどれくらい、何種類くらい作ればいいんでしょうか?」
作り方はわかりますが、一回作ってそれで五千万PP、という話ではないはずです。
「まずはこちらで用意した素材の組み合わせで百パターン試してもらいたい。月に十パターンずつ試してもらって十ヶ月」
スキルなしで酵母を作るにはだいたい一週間の熟成期間が必要ですが、同時に十パターン仕込んでしまえば一週間で月のノルマは達成できる計算になります。
実際は発酵用のアイテムボックスがありますので百パターンでも数日でやれてしまいそうですが。
「わかりました。検討しておきます」
作業そのものは簡単そうですが、背脂所長やシュバリエという組織とどこまで協調していくか、という判断になりそうです。
「もうひとつは完全にプライベートの依頼だ」
背脂所長は、一枚のウィンドウを空中に浮かべます。
コックパッドの画面のようです。
見慣れない料理の写真とレシピが表示されていました。
「……チミチャンガ、ですか」
トルティーヤで具材を巻き、油で揚げたメキシコ料理。
ベーカークラス取得時に手に入れた知識があるのでどういうものかはわかりますが、本物に接したことはありません。
「そうだ。子供の頃に屋敷の料理人が作ってくれていたが、東京大迷宮に来てからは口にする機会が無くてな。君ならば、私の舌を唸らせるものを作ることができると思ってな」
背脂所長を暴食の悪魔にしてしまったのはその料理人なのかもしれません。
「作ること自体はできると思います。期限はありますか?」
「来週の検査の時に持ってくることは?」
「大丈夫だと思います」
「ではそれで頼む。前金と材料費として十万PP入れておく、成功の暁にはもう二〇万PP支払おう」
「高額すぎませんか?」
「天井額を決めるためだ。君の料理は油断するとすぐ一〇万二十万の価格帯を超えてしまうからな」
「わかりました、レシピはこちらを使えば?」
こちらの仕事は安請け合いして問題なさそうです。
「君に任せる。当時のレシピがあればそれがベストだったが、資料が残っていない」
「わかりました。こちらでも考えて見ます」
そう請け負って引き上げようとすると、
シャー!
グリー!
アークシャークとグレーターグリフォンがやってきて、ヘビのような胴体に短い四肢の生えた青いドラゴンと、体長五メートルはある白いイノシシの死体を一体ずつ、私の前に置きました。
言葉はわかりませんが「調理しろ」「食わせろ」という圧力ははっきりと感じられました。
来たときにデビルオマールのカレーパンやグラタン、それと獅子王樹のキャラメルナッツタルトを渡しておいたのですが、まだ足りなかったようです。
とりあえずアイテムボックスを利用して収容、扱いやすいよう解体ボタンで処理をして、揚げ物にしてゆきます。
サメーサメー!
グリーグリー!
山のように積み上げたドラゴンのフライと白イノシシのカツレツを、二匹は凄まじい勢いで平らげてゆきます。
アチメェ (ドラゴンフライ、ではトンボになるか)
アチチメェ (フライドドラゴン、フライドラゴンでも良さそうだな)
アチアチメェ(まぁ名前など些末なことではあるが)
いつの間にか揚げ物を確保したバロメッツたちがそんな話をしていました。
白イノシシのほうは見た目の通り豚のような肉、青いドラゴンのほうは白身魚に似た肉でした。
とんかつソースや作り置きしていたタルタルソースを使うと良く合いました。
サメー。
グリー。
満足したらしいアークシャークとグレーターグリフォンは、今度は青い珊瑚の枝らしいものと、金色に光る木の枝を一本ずつ出してきました。
鑑定しないと詳細はわからないようですが、私の鑑定スキルは食材専用です。
「なんに使うんでしょうか」
どちらも高く売れそうですが、なにも考えずに手放していいものではなさそうです。
メェ (我々ではわからないな)
メエェ(プロフェッサー背脂ならわかるかも知れないが)
メメェ(鑑定だけのために戻るのもな)
「来週来たとき相談してみましょう」
青い珊瑚の枝と木の枝をアイテムボックスに入れ、アークシャークとグレーターグリフォンに別れを告げると、今日も山道を歩いて生産村の方向に向かいます。




