3日目昼:羊達の晩餐*2
解毒装置に、光が1つも無い。
そして木星さんの、『先に解毒させてもらった』という言葉。
……それらを合わせれば、バカにも状況が理解できてしまった。
「……木星さん、1人で、4人分、使い切ったのか……?」
バカが、『そんなバカな』と思いながらも恐々問いかける。
すると。
「あ、ああ!そうだよ!先に、先に僕が使っておいてあげたんだ!」
木星さんは、にたり、と笑った。
「つ、つまり、君達の分の解毒剤は、もう、無い!無いんだよ!」
木星さんの言葉に、バカは唖然とした。
何のために、そんなことを。……バカにはまるで、木星さんの考えが理解できない。
だが……バカでも、1つは分かることがある。
解毒剤が無くなってしまった以上、もう、陽とたまと天城の死が確定してしまった、ということだ。
「……なんで、こんなことしたんだよ」
バカは、もう無意味だと知りながらもそう問いかける。そうでもしなければ、もっと別のことをしてしまいそうだったから。
「な、なんで?なんでだって?そんなの、当たり前の、分かり切ったことじゃないか?」
木星さんが笑う。その笑い声に、バカは……どことなく、聞き覚えがある気がした。
それは……アナウンスだ。
前回、蟹ロボが出てくる前に聞こえていたアナウンス。あのアナウンスで聞こえた、狂ったような笑い声。あれが、木星さんから、発されている。
「殺して、魂で願いを叶えるためだよ!そのために、殺すために、僕はこうしたんだ!」
「……ねえ、そこまでして叶えたい願いって、何?」
木星さんの答えを聞く前に、バカはなんとなく、木星さんの願いが分かってしまった。分かってしまったからこそ、バカは必死に、耐える。
「ね、願い?……簡単だ!『悪魔のデスゲームを開いてください』!そう、『願った』だけだ!そしてこれからまた『願う』だけ!くだらない願いを抱えた人間が、僕の掌の上でどんどん死んでいくから、これが、これが楽しいから!」
「『願った』……?つまり、『2回目』の……!」
たまの表情から、血の気が失せた。
それは、恐怖故などではなく……ただ、怒りによって。
「に、2回?いや!もう、何回目になるかな……!」
木星さんはそんなたまを見ても何も気づかないのか、更に言葉を続けていく。
「そ、そう!そうだ!何より……その、そういう顔が、見たかったんだよ!これから死ぬって決まった惨めな奴らの、そういう顔が!」
そうして木星さんは、また狂ったように笑い出した。
……それを聞いて、遂に。
ぷつん、とバカの中で何かが切れたような感覚があった。
「っるせええええええええ!」
バカは、木星さんに迫った。
ドア程度は簡単に破壊するタックルは、まるで巨大な壁のように木星さんへと迫る。
だが木星さんも、すぐさま部屋の壁へと逃げていく。そう。木星さんはバカが襲ってきても壁に逃げ込めるように、壁際に陣取っていたのだ。
「か、樺島!と、隣の部屋で、ま、待ってるからな!お前だけは、い、生き残れるだろうから!そこで、会おうじゃないか!は、ははははは!」
さっきバカに捕まりそうになった経験をちゃんと生かして、バカが間に合わないくらいの距離で、バカが間に合わないくらいの早さで、木星さんは壁へと逃げていく。
……だが、バカは速かった。
さっきよりも、ずっと、速かった。
何せ、怒りと悲しみに満ち、我を忘れたバカである。理性のタガが外れた分、段違いに、速い。
バカはそのまま木星さんへ追いつくと、ただ何も考えず、木星さんの後ろからタックルをかました。
その時、木星さんに不思議なことが起こった。
「うっ……!?」
なんと、木星さんはバカのタックルをすり抜けたのである!
……そしてバカは木星さんより速かった。よって、バカは、びたん!と壁にぶつかった。
続いて、木星さんがバカの背中にびたん!と顔面からぶつかって、そしてそのまま床に倒れる。不思議なことに、今回はすり抜けなかったらしい。
「な、な……何が!?何が、起きたんだ!?」
木星さんはバカにぶつかった時に鼻の骨でも折ったのかもしれない。夥しい鼻血を出しながら、必死の形相でバカと壁とを何度も見比べていた。一方のバカはノーダメージである。壁とバカは大体同じ硬さなのだ。多分。
「くそ……こ、こうなったらあ!」
だが、木星さんは鼻血を流しながら、ポケットに入れていた何かを勢いよく床に投げつけた。
ぱりん、と何かが割れる音がする。……見れば、床の上で薬瓶が2つ、割れ砕けていた。
じわり、と床に広がった液体同士が混じり合い、そして、煙のようなものがもわりと立ち上る。
「こ、これでお前ら全員、全員終わりだ!全員……!」
狂気じみた表情で木星さんはそう叫び……。
「全く、愚かな……」
……そして、天城がぼやきながら、床の上の何かに液体を振りかけていた。
途端、立ち上っていた煙のようなものは消え失せる。
「……水瓶座の部屋から、いつの間にやら持ち出していたようだな」
そう。木星さんが床に投げたものは、バカと天城が水瓶の部屋で見た、あの薬瓶だったのである。
そして天城が今、そこに混ぜたものもまた、水瓶の部屋の薬だった。
「大方、隣の部屋でこれを使っておいて樺島を待ち構え、そして殺すつもりだったのだろうな」
「ど、どうして……!?」
木星さんが慄き震える横で、天城がにやりと笑った。
「だが、貴様があの部屋の薬を持ち出すことは私にはもう分かっていた。対策させてもらったよ。薬の種類を全て覚えていれば、何が持ち出されたか分かる。そしてそれを無毒化する組み合わせも分かるというわけだ」
天城の言葉を聞いて、木星さんは『ありえない』と呟き、口をパクパクさせ……それから、バン、と壁に突進してぶち当たった。
それも、一度ではなく、何度も。何度も。
「く、くそ!なんで!なんでだ!なんで使えない!?」
狂ったように壁へ突撃する木星さんの横に、するり、とたまがやってくる。そしてたまは、す、と木星さんの肩を掴んだ。
「……成程ね」
その瞬間、目には見えず、音も聞こえなかったが、たまの異能が作動したのである。つまり……『コピー』の異能が。
「何、何を、した……?」
何かされたらしい、ということだけ察したらしい木星さんは壁への激突をやめ、怯えた目でたまを見る。たまはしばらく、コピーした異能の内容を把握するためか、黙っていたが……やがて、くす、と笑い出し、そしてじきに、声を上げて笑い出した。
「何だ!?な、何がおかしい!?何が!何が!」
「うるせえ!黙ってろ!」
たまの笑い声を聞いた木星さんは怯えたように声を上げたが、バカが落とした拳骨によって黙った。……バカは、タックルがすり抜けた時にちょっと冷静さを取り戻していたので、拳骨は木星さんの頭蓋骨に罅を入れるのみに留まった!
……そして。
「あなたの異能は『壁抜け』。1日に3回、壁をすり抜けることができる」
たまはまだ笑いの残る顔でそう言って、にや、と笑った。
「……どうやら、樺島君は『壁』扱いだったみたいだね」
木星さんの異能が、『壁抜け』なのだとしたら……木星さんは今日、2度、それをバカに使っている。
バカが木星さんを捕まえそこなった時に1回。そして、たった今、もう1回。
それぞれにバカをすり抜けていたが、あれは……なんと!バカが木星さんの異能に、『これは壁!』と判定されてしまったが故の、誤作動だったらしい!
そう!バカが筋肉ウォールであったせいで!木星さんの目論見は、見事、潰えてしまったのである!
「な、なんだと!?そ、そんな、そんなバカな!?」
「おう。俺はバカだ。知らなかったのか?」
バカは堂々と、木星さんの前に立つ。その姿は、正に『壁』であった。
「あ、ありえない。僕は、僕は、『壁やドアなどをすり抜けられる異能』を、悪魔に注文して……!」
「悪魔が素直に人間の言うことを聞くはずがないよね。『壁っぽいものは全て壁』っていうことにして異能に穴を空けるくらいは、私だって考えるよ」
「それで、『人間を掌の上で踊らせてる』と思ってる人間を踊らせて楽しんでいるんだろうね、悪魔は。今も、大笑いしてるんじゃないかな」
「そ、そんな……!」
木星さんはたまと陽の言葉を聞いて怯え、震えて……バカを見上げていた。
バカは、木星さんをじっと見下ろしている。ただ、その瞳に怒りの炎を燃やして。
「……海斗と土屋のおっさん殺したのは、お前か」
「そ、そうだと言ったら!?な、何が悪い!?これはデスゲームだ!僕の、ぼ、僕のための!デスゲームなのに!」
「俺、お前のこと、許せそうにねえよ」
バカは木星さんを見下ろして、そう、静かに言った。
怒りと悲しみで、バカはどうにかなってしまいそうだった。否、もう、どうにかなってしまっているのかもしれない。だが、それでもバカは、今にも手を伸ばして木星さんの首をへし折ってやりたいような気持ちを必死に抑えて、言葉を紡ぐ。
「人を傷つけて楽しむなんて、許せねえ。悪魔と手ェ組んでたのも、許せねえ」
伝えなくてはならない。ただ殴ってただ殺すのではいけない。こいつが今まで踏み躙ってきたものの分くらいは後悔させたい。……彼の魂のためにも。
バカはそう思って、必死に吠える。
「何より!皆の願いをバカにしたのが許せねえ!」
……そうだ。
バカは何よりも、皆の願いを『くだらない願い』とバカにされたことが、許せなかった。
「だ、だったら、な、なんだっていうんだ!?僕を殺すっていうなら、こ、こ、殺せばいいだろう!?」
木星さんには、バカの言葉が届いているのだろうか。
……届いていない気がする。多分、駄目なのだ。バカはバカだから、木星さんに本当の反省を促すことはできない。それをやるには、技量も知能も、足りないのだろう。
バカは、自分を情けなく思う。悲しく、悔しくも思う。『親方だったら、この野郎のこと、ちゃんと反省させられたのかな』と思う。自分がバカなばっかりにそれができないことを、心底悔やむ。
……そうしてバカが沈んでいると。
「ごめん、樺島君。こいつは私にやらせて」
たまが、横からそっと進み出た。
バカは、『いいのかな』と、陽と天城を見る。
……だが、陽も天城も、同じような顔で、そっと頷いた。2人とも、たまを止めたくないらしい。
ならば、バカもそうする。バカに足りない分を、たまが埋められれば……そうすることでたまが少しでも救われるのなら、バカは、そうするのだ。
バカがそっと場所を譲ると、たまは座り込んだままの木星さんの前で、その手に握ったもの……ぎらり、と光るナイフを、掲げて見せた。
「この部屋、いいもの落ちてるね」
たまの、色の無い表情を見て、ナイフを見て……ようやく、木星さんは自分に迫った『死』を自覚したのかもしれない。
「来るな!来るなぁああああ!」
木星さんが後ずさる先には、壁がある。だが、もう彼は壁をすり抜けることはできない。
バカをすり抜け、解毒室への壁をすり抜け、そして事故でまたバカをすり抜けてしまった木星さんは、もう、今日の分の壁抜けは全て使い切ってしまった。
つまり……もう、彼は逃げられないのだ。
「あなたの魂、絶対に、悪魔に食わせてやるから……だから!死んだ後も、震えてろ!」
たまが振り下ろしたナイフは、木星さんの首筋を……そして命を、見事、切り捨てたのだった。




