3日目昼:羊達の晩餐*1
悲しいことがあったって、美味しいものは美味しい。世界の真理である。
……ついでに、悲しい時にはおひさまの匂いのするふかふかに埋もれてのんびりするのも悪くない。これもまた、世界の真理であろう。
「……本当に鍋がある」
「羊……羊だね」
陽とたまは、この闇鍋会場にびっくりしていたが、バカは真っ先に羊へと向かっていき、そして、ふわふわふわふわ!と羊に埋もれた。
「うわーい!ふわふわあああああ!」
「わ、わあああああああああああ!」
……尚、当然のように木星さんを抱えたまま羊の群れの中に入ったので、木星さんも羊の中でふわふわすることになった。状況に追いつけないらしい木星さんは、悲鳴を上げていた。バカは気にせず羊を堪能してしまったので、誰も木星さんを救助しなかった!
「ひ、酷い目に遭った……」
そうして2分後。羊を堪能したバカは木星さんを担いで戻ってきた。同時に、こちらもバカに続いて、慎ましやかでありつつもしっかり羊を触ったたまも、どこかほくほくと満足げに戻って来た。木星さんだけは、『酷い目に遭った!』という認識らしいが。
「……満足か」
「うん!」
呆れ返った顔の天城に問われて、バカは裏表無しの笑みを浮かべた。
「たまも羊、触ったんだな!ふわふわだったよな!」
「うん。羊、かわいいね。ふわふわで」
そして、たまも静かににこにこしていたのだが……そんなたまを見る天城と陽を見て、バカは、おや、と思う。
天城と陽は、にこにこ顔のたまを見て、何とも満足気であった。
陽は分かる。自分の恋人が嬉しそうだから嬉しいのだろう。だが、天城も陽と同じように、穏やかな笑みを浮かべていたものだから、バカには少し、不思議に思えた。
……まあ、天城はバカが見つめていたら、すぐに顰め面に戻って『さっさと中央へ行くぞ』と言い出したのだが。
バカは、『見間違えかなあ』と思いつつ、だが、穏やかに笑う天城がなんとも印象深くて、少しの間、頭の上に?マークを浮かべていたのだった。
……それからバカ達は、『チキチキ!羊の闇鍋チキンレース!』の説明を読んだ。
そこからはいつも通りである。バカが牧羊犬になって、陽とたまと天城と木星さんが食材カードを仕分けするのだ。
……だが、今回のカードの仕分けは、少し変わっていた。
というのも、分担するのではなく2人1組になって、一緒に札を見ていたのである。
陽と木星さん、天城とたま、という組み合わせで食材カードを仕分けていく様子を見て、バカは『いつの間にか皆で一緒にやるようになってる!仲良くなってる!俺だけ置いてけぼりな気がする!』と思い、わおーん、と遠吠えした。バカも仲間に入りたい!
「えーと……牛薄切り肉200g、は多いかな」
「え、ええ、ど、どうだろう……」
「陽。食材、多めに入れても樺島君が食べると思う。こっちも白菜4分の1入れちゃった」
「……こちらのフグ1匹は除くぞ。どう考えても本当に丸ごと一匹入れられるだろうからな……」
……なんだか、本当に向こうは楽しそうである!バカは羊の群れを大人しくさせるべく、ぐるぐると羊達の周りを回っては、わおーん!と遠吠えするのだった!
そうして食材カードの仕分けが終わった。
陽とたまと天城がものすごく手早かったため、時間はむしろ、余った。よって、現在のバカは『ふかふか!』と羊に埋もれているところである。
ついでにたまもやってきて、『ふわふわ……』と羊に埋もれ始めた。それを見ていた陽も、『ふわふわだね』と羊に埋もれた。
が、天城と木星さんは羊に埋もれないらしい!それは勿体ない!
「おーい!天城のじいさんも木星さんも、こっち来いよぉー!ふっかふかだぞー!」
ということで、羊の群れの中から2人を呼んでみた。……だが、天城も木星さんも、こっちに来る気は無いらしい。
「天城のじいさん、ふかふか嫌いか?」
「いや……私はここから見ているくらいで丁度いい」
どうやら、天城は羊は触るより見る方が好きらしい。こちらを見る目が先程同様、どことなく穏やかだ。バカは、『まあ、羊、見てるだけでも可愛いもんな!』と納得した。
その一方で、天城は木星さんを警戒してもいるようだったが。……バカは、『天城、どういう考えなんだろうなあ』と首を傾げた。
「じゃあ木星さんはー!?」
「ぼ、僕は動物は嫌いなんだ。臭いし……」
そして木星さんは、そもそも動物嫌いだったらしい!バカは『そういう人も居るんだなあ』と納得した。
「ええー、ここの羊、なんかいい匂いするばっかりだけどなあ……」
ついでに、すんすんすん、とやってみるが、羊からは獣臭さではなく、おひさまの匂いがするばかりだ。もうちょっと別の匂いの羊居ねえかな、と探してみると、焼き立てパンっぽい匂いの羊や、ケーキを焼いている時の匂いの羊も居た。バカはお腹が空いてきた!
……と、そうして楽しく過ごしていると。
「おい!待て!」
天城の声が聞こえた。
なんだなんだ、とバカはそちらを見て……びっくりした。
なんと!木星さんが、走っている!走って、羊の群れおよびバカ達から離れていくのだ!そんなに羊が嫌だったのだろうか!
「樺島!奴を捕まえろ!急げ!」
「へっ!?あ、うん!」
だが、天城の声が聞こえてすぐ、バカは猛然と走り出した。
芝生の床を力強く踏みしめて、蹴って、進む。その様子は牧羊犬というよりは一頭の狼、もしくは競走馬か何かのようであった。
バカはバカらしく木星さんに向かって真っ直ぐ距離を詰めていき……そして、走る木星さんの前に立ちはだかって、その鍛え上げられた胸と腕で木星さんを怪我無く受け止めようと構えた。
だが。
「あれっ」
するり。
そんな効果音が相応しいだろうか。
木星さんは、バカの胸を『すり抜けた』のである!
「えっ!?か、壁判定……!?」
だが、それに木星さん自身も驚いている様子であった。よく分からないことを言いつつ、しかし、そのまま脚を止めることなく走っていく。
「樺島!あと2回止めろ!」
「えっ、あっ、うん!?」
バカは『すり抜けられた』というどう考えてもおかしな状況を前に固まっていたが、天城の言葉に叩き起こされるようにして、また動き始める。
……だが。
「木星さん……!」
バカが手を伸ばした先……木星さんは、するり、と、壁をすり抜けていってしまった。
……そう。
木星さんは、壁を、すり抜けたのだ!
「き、消えちゃった……」
バカは、木星さんの消えた壁を見つめて、ぽかん、としていた。だって、人が壁をすり抜けてしまったのだ!びっくりしないわけがない!バカ、びっくり!
「今のは……異能、なんだろうね」
「『壁をすり抜ける異能』かな。……樺島君をすり抜けてたから、『物質透過』とかなのかも」
陽とたまも険しい表情である。そして誰よりも……。
「……くそ、しくじったか……!」
天城が、だん、と壁に拳を叩きつけていた。その表情は憎悪と焦燥に満ちている。
バカは、天城がこんなにも感情をむき出しにしているところを初めて見た。『このじいさん、こういう顔もするんだなあ』と、なんだか不思議な気分になった。
「あ、あああっ!天城のじいさん!血!血ぃ出てる!」
そしてバカは、そんな天城の腕から血が流れているのを見つけた!見つけてすぐ、『止血!止血!』と慌てたが、天城は自分でハンカチを取り出して止血し始めていた。手慣れたものである。
「天城さん。その傷は……」
「……木星の男にやられた。咄嗟に捕まえようとしたら、切り付けられた。それで奴を取り逃がした、というわけだ」
たまが尋ねると、天城は苦い顔でそう言って、ため息を吐いた。
「えええ……ひでえよ、木星さん、何考えてんだよぉ……」
バカは、天城の傷を見て、それから木星さんがすり抜けていった壁……出口のドアの横を見て、どうしていいのか分からずおろおろする。
「何考えてる、か。奴の狙いは……いや、今は言うまい。どうせ、もうじき分かることだ……」
だが、天城は1人、そう言って苦い顔をしている。
「今は……鍋を、どうにかしなければな」
そして、ちら、と視線を動かした先で……『着席せよ!』と表示されたモニターが見えた。
……ということで、バカ達は鍋を食べた。
とはいえ、陽もたまも天城も、食欲がまるで無いらしく、鍋のほとんど全てをバカが食べることになった。
鍋は美味しかったのだが、美味しくない。……バカは、鍋を食べるなら、どうせなら、皆で楽しく食べたかったのに。こんなに沈鬱な空気の中で鍋パしても楽しくないし、美味しくもないのだ!
それでもキッチリミッチリ、腹の中に鍋を詰め込んだバカであった。鍋は綺麗に空っぽになった。完食だ。完食である。
「鍵……これは」
「あ、それならここの鍵だぞ」
ついでに、鍋の底にあった鍵を使って、ヒバナ人形を取り出す。……バカは、少し考えてから、『多分、たまが持ってるのが一番いいから!俺だとうっかり潰しそうだから!』とたまに人形を預けた。たまはヒバナ人形を見て何かを察したのか、こくりと頷いて、人形をポケットにしまってくれた。
「では……行くか。まあ、もう手遅れだろうがな……」
そして、天城に促されてバカ達は開いた扉へと向かう。
その先は、解毒室だ。解毒剤が4つ装填された解毒装置があるはずの、その部屋へ、バカ達は緊張しながら踏み入って……。
「あ、ああ、遅かったね」
そこで、木星さんがぎこちなく笑っていた。やはり、彼は本当に壁をすり抜けていたらしい。
……そして。
「遅かったから……先に、解毒させてもらったよ」
木星さんの後ろ、解毒装置は……。
……既に、光を失っていた。




