2日目夜:大広間*2
「……翔也」
誰も動かない中、動いたのはビーナスだった。
ビーナスは、泣いていた。涙を流しながらも、ミナに救われたばかりのヒバナの胸倉を掴み……ヒバナの横面を引っ叩いていた!
すぱしん、といい音がしてヒバナが引っ叩かれる。だが……。
「あんたがケジメつけるっていうんなら、私だって、そうでしょう……!」
ビーナスはそのまま力を失ったように、掴んでいたヒバナの胸倉に顔を埋めて、その場に座り込んでしまう。バカはいよいよ、おろおろするしかない!
「いや……お嬢は違ぇよ」
皆がおろおろする中、ヒバナは諭すようにビーナスに話しかける。
「……どんな悪人だって、誰かに救いの手を差し伸べたことがあったんなら、蜘蛛の糸が垂れてくるもんだって……そういうもんじゃ、ねえんですか、お嬢」
蜘蛛の糸、の話はバカも知っている。
大悪党が、かつて蜘蛛を一匹助けたことで、地獄に落ちてからお釈迦様に蜘蛛の糸を垂らしてもらえる……という話だったと思う。それ以来、バカは職場によく出る蜘蛛やムカデやダンゴムシを、ちゃんと逃がしてやるようにしている。
「お嬢は俺に救いの手を差し伸べてくれた。だったら、今度は俺がその恩義に報いる番だ。お嬢に蜘蛛の糸を垂らしてくれって、あの世でお釈迦様に頭下げんのが俺の役目だ」
「だったらあんたが!」
「俺はいい。俺はずっとチンピラだ。碌な人生は送ってこなかった。学がある訳でもねえし、今更ツブシも効かねえ。けど、お嬢はそうじゃあねえ。あんたはまだ間に合う!」
ヒバナは声を荒らげてビーナスの肩を掴むと、ビーナスの顔をじっと見つめた。メンチを切るような勢いだったが、そこにあるのは優しさと諦めだけだ。
「幸せになってくれよ、瞳さん。な?それが俺の願いだ」
ゆるり、とヒバナが立ち上がる。取り残されたビーナスは、はっとしてヒバナを見上げるが、ヒバナの手には、既に炎でできた短刀があった。
「……死ぬんなら今だろ。カンテラの炎の更新があるのは、夜の鐘が鳴った時だろ?ってこたぁ、最悪の場合、いざ願いを叶える、って時になって死んだんじゃ間に合わねえ!」
だが、ヒバナが短刀を自らの喉に向けた瞬間。
「翔也!見なさい!あんた、抜け駆けするつもり!?」
ビーナスの手には……いつの間にか、拳銃が握られている!どうやら、ヤギの部屋で拾って隠していたらしい!
バカ達が『銃!?』とびっくりする中、ビーナスは自分自身の頭に拳銃を向けながら、涙の残る顔で微笑んでいた。
「……お嬢、俺は」
「抜け駆けは許さないわよ。だったら、私も付き合うわ。元々、そういう約束でしょ」
ビーナスはヒバナにも笑いかけて……それから、少し気まずげに、全員の方へ向き直った。
「悪いけど、まあ、こういうことなの。……私達、元々、心中するつもりだったのよ。だからどうか、もう、止めないで」
「しんじゅ……?」
「……共同自殺、という意味だ」
バカが首を傾げていたら、海斗がそっと教えてくれた。バカは『それは大変だ!』とようやく意味を理解した。
「ええと……2人は仲が悪かったわけじゃ、ない、ってことかな?」
「ええ。それは全部演技よ。その方が油断させられると思ったのよね」
ビーナスが少々呆れた顔で陽を見やると、陽は『そ、そうだったのか……』と何とも言えない顔をした!
「……心中するつもりで、どうしてこのゲームに?」
「どうせ死ぬなら、いっそ殺そうか、って。そう思ったのよね」
続いて、たまが問いかければビーナスは笑ってそう答えた。
「そう。もし殺しが上手く行ったらその時は、罪を重ねて、汚れに汚れて、他者を踏み躙って自分達だけ笑って生きる根っからの悪党として生きていこう、って。そう思ってたわ。それが駄目なら誰かに踏み躙られて死ぬだけよ。お似合いでしょ?……まあつまり、半分半分の賭けみたいな気分よね」
ビーナスはそう説明して……それから、ふ、と睫毛を伏せる。
「……勝手でしょ」
誰も、何も答えない。何も言えない。
「身勝手な私達に逃げ場なんて無いわ。きっと、地獄にだってね。なら、悪魔に魂食べてもらった方がいいんじゃない?」
ビーナスはそう言って……だが、その手にあった拳銃が、弾き飛ばされる。
拳銃を弾き飛ばしたのは、ヒバナだ。ヒバナが生み出した炎の矢が、真っ直ぐにビーナスの拳銃にぶつかって、拳銃が床を滑っていく。
「それでも俺は!俺はな、瞳さん!あんたには、あんたには生きて、幸せになってもらいてえんだよ!」
ヒバナはさらに動いて、またその手に短刀を生み出していた!
「バカ君!ヒバナを止めなさい!」
「えっ!?」
バカはびっくりした!突然言われるとは思っていなかった!
「バカ島!お嬢を止めろ!」
「どっちぃ!?」
更にヒバナにも言われてバカは余計にびっくりした!両方から言われるなんて、もっと思っていなかった!
……が!
「あ、どっちもか!」
バカは、こういう時、ちょっとだけ賢いのである!
「えっ」
「な、何しやがる!離せ!或いは殺せ!」
ぎゅ、と、バカは両者を抱きしめた。双子の乙女の首を絞めた時と同じ要領でバカの筋肉トライアングルが輝く。
だが、あくまでも優しく!包み込むように!バカの筋肉トライアングルは、そうしてヒバナとビーナスをしっかり抱き留めた!
……そして!
「ちょっとお前は退いててくれ!ごめんな!」
バカは両腕が塞がっても、足がある。
丁度、ビーナスが生み出したらしい大理石の彫像を蹴り飛ばすと、大理石の彫像はそれだけで吹き飛んで壊れた。これでヨシ!
……が、バカにできるのはここまでである。
「助けてー!助けてー!俺もうどうしていいか分かんねえよお!」
バカはヘルプを求めた!
自分の手には余る!これは筋肉で解決できない!バカは己の無力さを嘆いた!
「あー……ええと、とりあえずヒバナもビーナスも、落ち着きなさい。互いに互いを思いやっているのは分かるが、だからこそ、止めないわけにはいかない」
助けてくれたのは土屋だった。土屋はそっとヒバナとビーナスの前に出ていくと、ヒバナの手から炎の短剣を奪い取ってくれた。
「何より……悪魔よりも誰よりも、君達の罪を知っている人が、ここに居るからな。悪魔やお釈迦様に直談判するより先に、そちらが先ではないかと思うがね」
「え?」
「ど、どういうことだ……?」
土屋は何とも気まずげに、『これでよかっただろうか』というような顔で、ミナの様子を窺った。
ミナは座り込んでいたが、1つ頷くと、目元を拭って立ち上がる。そのまま、バカの筋肉に囚われたままのヒバナとビーナスへ近づいてきて……そして、2人の前に立つ。
「お二人は、蛇原会の方、ですよね?」
ミナの静かな声に、ヒバナもビーナスも、それこそ地獄の沙汰を待つような顔で頷いた。それを見てミナは少し微笑んだ。
「……私の先輩は、蛇原会と三上会の抗争に巻き込まれて亡くなったんです」
「そ、れは……!」
ヒバナもビーナスも、ミナの言葉を聞いた瞬間に青ざめた。そして。
「バカ君!放して!」
「へっ!?」
ビーナスが、バカの不意を突いてバカトライアングルから抜け出した!ビーナスは細い分、バカトライアングルから抜け出しやすかったらしい!盲点!
……だが、抜け出したビーナスは、そのまま逃げるでもなく、ただミナの前で……膝をつき、深々と頭を下げたのだった。
「おいバカ、放せ」
それを見たヒバナも、すぐさまバカの腕から抜け出した。バカはぽかんとしていて、ヒバナをそのまま逃がしてしまう。
そしてヒバナもビーナスの横で、勢いよく土下座していた。
ミナはそれを見てぽかんとしていたし、他の皆もぽかんとしていた。バカはなんとなく、土下座する2人の背後に立っているのが申し訳ない気分になってきて、そっとその場に正座した。
「謝って済む問題じゃないけれど……ごめんなさい。私達が、あなたの大切な人を奪ってしまった」
ビーナスは頭を上げないままそう言って、より一層、額を床に押し当てた。
「止められなかった、なんて、言い訳よね。でも……幸い、まだ私達には償う方法が残されてる。ここで私達が死ねば、その魂で」
「いいえ、駄目です」
ミナはビーナスの言葉を遮ってしゃがみこむと、それから、よいしょ、よいしょ、とビーナスとヒバナの肩をぐいぐい持ち上げようと頑張り始めた。
「あの、ビーナスさん、ヒバナさん。頭を上げてください。私、お二人のこと、見てお話ししたいです」
流石に、そこまでされてはヒバナもビーナスも顔を上げざるを得なかったらしい。そのまま3人(と、その後ろに居る無関係なバカ)は全員床の上に座ったまま、話を進めることになる。
「思い出したんです。……あの日、火事の現場の近くの路地裏で、『どうして火ィ点けたんだ!カタギに迷惑かけんなってお嬢にも言われてただろうが!蛇原の名前に泥塗るつもりか!』って……声が聞こえたのを」
ミナがそう話し始めた途端、ヒバナがぎょっとしたような顔をする。
「私、それで『蛇原会』が犯人だって、分かりました。でも……」
ミナはそんなヒバナを見て、ふにゃ、と笑った。
「……ヒバナさんとお話していて、気づきました。あの時の声、ヒバナさんの声、でした。そう、ですよね?」
「……そうだったかもしれねえけどな、そんなのもう、覚えちゃいねえよ」
ヒバナはがりがりと後頭部を掻いて、それから、ミナと目を合わせないように床を見つめて、吐き捨てるように言う。
「結局俺は、止められなかったんだ。それに、あんたが苦しんだことに変わりはねえ」
「はい。辛いです。苦しいです。どうして取り戻せないんだろうって、何度も何度も、考えました。これからもずっと苦しむくらいなら、悪魔のデスゲームに参加しようって思うくらいに」
ミナはそんなヒバナへ、合わない視線を向け続けた。
「……でも、苦しんでいるのは私だけじゃない。あなた達も、苦しかったんですね」
ビーナスは真っ直ぐにミナを見ていた。そしてヒバナの視線も、そろり、と動いて、ミナへ向く。
「ヒバナさん。ビーナスさん。私、あなた達のことが分かっただけでも……このゲームに参加してよかった。そう、思っています」
2人の視線の先で、ミナは笑っていた。無理矢理に作ったような笑顔だったが、それでもミナは、笑ってそう言ったのである。
「……土屋さん」
やがて、ビーナスが濡れた瞳で土屋を見上げた。その表情には強い意思が宿っていて、少なくとも、これから心中しようとしている人の顔ではない。
「あなた、警察官なら協力してくれるかしら。私、父を……皆を、告発するわ。証拠の提供も、できると思う。私達が正しく司法で裁かれるように、助けてほしいの」
そしてビーナスが発した言葉に、土屋は少し驚いた素振りを見せたが、すぐ、笑顔で頷いた。
「ああ、勿論協力しよう。ついでに、少々司法取引にも応じよう。そして、君達の身の安全は全力で守る!」
土屋がそう宣言すると、ビーナスもヒバナも、少々慌てた。
「いや、そんなこたあしなくていいんだ。俺達にそんなもんは……」
「『蜘蛛の糸』の話を先程、していたな」
ヒバナが土屋に何か言おうとしたところに、土屋は言葉を遮って話し始めた。その表情は優しく、そして少々、寂しげである。
「私はな、『蜘蛛の糸』はあったっていいと思う。千の悪行を積み重ねていたとしても、一の善行には意味がある。やってもやらなくても変わらないなんてことは、無いと信じたい」
土屋自身、何か思うところがあるのかもしれない。土屋もミナの隣にそっとしゃがみこんで、ヒバナとビーナスをそれぞれに見つめた。
「我々はお釈迦様じゃあないが……だが、君達を助けたいと望んでいる。勿論、私が垂らせる糸なんて、それこそ蜘蛛の糸一本分か、それ以下だろう。だが……他にも協力してくれる人が居れば、蜘蛛の糸数本分にはなるだろう」
ヒバナとビーナスの後ろで正座して話を聞いていたバカは、『それなら俺も!俺も!』と頑張って手を挙げる。蜘蛛の糸と言わず、ワイヤーロープぐらい垂らしたい。そういう気持ちはしっかりある!
「だからどうか、掴んでくれ」
……そして、土屋とミナが手を差し出せば、ヒバナとビーナスは、それを掴んでくれたのだった!
「やったあああああ!これで解決だ!やったあああああああ!」
バカは喜んだ。喜んで、喜んで、飛び跳ねた。ついでに喜びの余り、床と壁と天井を駆け回った。ミナが『わあ』とびっくりしていた!
……だが。
「まあ、問題は出所後だな。だが、職場には樺島君が心当たりのあるようなことを言っていたような気が……」
土屋が話を向けてくれたところで……バカは思い出したのだ!
そういえば、『キューティーラブリーエンジェル建設フローラルムキムキ支部』の名前を出しても、ヒバナとビーナスは嫌がらずに入社してくれるだろうか!と!




