2日目夜:
「……しょうせつの、しょう?」
バカが、こて、と首を傾げると、途端、海斗は言い訳のように言葉をつらつらと紡ぎ始める。
「小説を書いているんだ。趣味で。趣味だから、小説で大成する気なんて、全く、無いが。僕に期待される役割は、それではないと、分かっては、いるが……しかも、そのために人を殺すだなんてバカげていると思うだろう?実際、僕だってこのゲームに参加してみて全く実にバカげていると思い直したさ。だから今は、願いを叶えるために人を殺す気はもう、無いとも。ああ。だが」
「小説!?すげえーっ!」
……だが、海斗の言い訳は、バカの歓声に掻き消されてしまった。こういう時、バカは人の話を聞いていないのである!
「すげえ!すげえ!やっぱ海斗って頭いいんだなあ!なあ、なあ、どういうの書いてるんだ?」
「半ば私小説めいたものを……いや、でも、純文学を気取る程度の体裁は整えていて……」
「ししょーせつ!?じゅんぶんがく!?よく分かんねえけどすげえー!」
「……だろうな。まあ、お前には理解が難しい類の文学だよ」
バカがあまりにもはしゃぐので、海斗は気まずく思っているのがバカらしくなってきたらしい。はあ、とため息を吐くと、芝生の上にころり、と寝転んで、話し始めた。
「樺島。お前は僕に、『将来、社長になるのか』と聞いてきたな」
「え?うん」
そういえばそうだった、とバカが頷くと、海斗は苦い顔をした。
「アレに答えるならば……『何もしなければそうなるだろう』と、答えることになる。生憎……その、生まれが、社長令息だったものでね」
「えっ!?社長の息子!?なんかすげえ!」
バカはまた目を輝かせて海斗を見つめる。
それと同時に、キューティーラブリーエンジェル建設の社長のことを思い出していた。社長には子供が居ないが、子供が居たら海斗のようなかんじだったのかもしれない。
「父は、僕に会社を継がせたがっている。だが……期待に応えられるとは、思えないな。向いていないんだ。人の上に立つのは。自分の器ぐらい、この年になればもう、自分で分かる。そして生憎、僕は挑戦的でもなければ、楽観的でもない」
バカは、『器、そんなに小さくないんじゃないかなあ』とも思ったのだが、それを言えるほど無遠慮ではなかった。なのでただ黙って、海斗の話を聞く。
「……本当は、経営学ではなく文学を学びたかった。だが、そういう訳にもいかなかった。その割に、どうにも、息苦しくて……違う生き方をしたい、なんて思って……それで、小説を書き始めたんだ」
海斗は、ふ、と薄く笑うと、幾分楽しそうに芝生の上でころり、と寝返りを打った。バカもそれに合わせて、ころ、と寝返りを打ってみる。
「ずっとこれだけやって生きていられたら、と思うよ。会社経営なんて荷の重い仕事は他の誰かにやってもらって、僕はひたすら、自分の世界を文字に書き表し続けていたい」
寝返りを打った海斗は向こうを向いてしまったので、その表情は分からない。バカはただ、海斗の背中を見つめることになる。
「……でも、まあ、そういうわけには、いかないから。経営学を学んで、大学卒業と共に父の会社に入って、いずれ、社長業を継ぐことになる。それできっと、親の七光りだの、無能の二代目だの、色々と陰口を叩かれながら、会社を衰退させていくことになるんだろうな」
「……そっかあ」
辛そうだなあ、と思った。声に滲み出るものが、なんとも、辛そうだった。『俺に助けられたらよかったのになあ』と思うが、社長のことも文学のことも、生憎バカには分からない。
「だから小説を書くのは楽しい。現実とは違うことをいくらでも書けるし、現実を忘れていられるし……まあ、言ってしまえば逃避だ。何の役にも立たないものに打ち込んで、いずれ迫りくる壁も、それを待つだけの虚しさも、なんとか忘れようと惨めに足掻いているだけだ」
壁ならいくらでも俺が壊してやるのになあ、とバカは思った。だが、多分、海斗の前にある壁は、バカには壊せない壁なのだろう。
「でも……認められたかったのは、確かなんだ。小説に対して、後ろ向きなだけじゃなかった。認められたかった。まあ……それも錯覚だったのかもしれないが」
海斗はそう言うと、ふう、と息を吐いて、一度、言葉を途切れさせた。こういう時、この隙間に何か気の利いた言葉でも挟み込めればいいのだが、生憎、バカにはそんなことはできなかった。
「まあ、そんな時に、悪魔が現れてね。このデスゲームへの参加を唆されて……僕はまんまとそれに乗った。ああ、あの時は本当にどうかしてたんだ。本当に……」
「えっ、悪魔、直接来たのか!」
海斗が嘆く横で、バカは『悪魔って直接来るんだぁ……』と感心していた。
「ああ。他の人達のことは分からないが……ああ、お前は『気づいたらいつの間にかここに居た』んだったな?」
「うん……俺、悪魔と話したことねえよぉ、多分……」
「なんてこった……いや、お前のことだから、悪魔が悪魔だと気づいていなかったとか、そういうこともあり得るんじゃないか……?」
海斗は呆れ返っていたが、バカは『悪魔に誘われてないのに来ちゃった……怒られるかなあ』と心配していた!バカにとっては大事な問題なのである!
「……まあ、お前があまりにイレギュラーだという話はさておき、僕の願いについては以上だ。だから、もう今更、人を殺して願いを叶えようとは思っていない。……とはいえ、願いを叶えられるなら、是非、小説で生きていきたいと思うがな」
「そっかぁ……」
だがひとまず、これで海斗の話は終わりだ。バカは少しションボリしながら話を聞き終えて……それから、思うのだ。
「でも、俺、海斗が書いた小説、読んでみてえなあ」
「……お前、文字が読めるのか?」
「ば、バカにすんなよぉ!俺だって文字ぐらい読めるよぉ!苦手だけど!」
「苦手なのか……。だとすると、僕が書くものは間違いなくお前には難しすぎるぞ」
呆れた様子の海斗を見て、バカはまたちょっぴり悔しくなる。仲良しが書いた小説がこの世にあるらしいことは分かったのに、バカがバカなあまり、それを読むことが叶わないとは!
「ええー……でも、頑張ったら分かるようにならねえかなあ。俺、海斗が書いた小説、読んでみてえよぉ。悔しいよぉ……」
バカは素直に悔しがり、そして、ごろろん、ごろろん、と芝生の上を転がった。バカは草まみれになった。羊達が遠巻きにバカを見て、怯えていた。
「……そういうことなら」
が、上体を起こした海斗がバカの頭上からそう声を掛けてきたので、バカは、ぴたり、とローリングを停止して海斗を見る。
「……いつか、お前が僕にポケモンを貸してくれたら、その時にはお前にも分かるような、簡単な短いやつを書いてやるよ」
……そして、海斗はそう言って、随分と屈託なく笑うのだった。
なのでバカは、大喜びした。『海斗が俺の為に簡単で短い小説書いてくれる!』と大喜びして、ごろんごろんごろん、と部屋の端から端まで回転していった。羊は逃げ出した。
それを見て、海斗はけらけらと笑っていた。バカも、笑っていた。
そうしてバカは帰ってきた。すっかり草まみれになった。最早、草刈り機と言っても過言ではない。
「……話が逸れたな。お前がやるべきことの2つ目は、天城の死の真相の解明だ。彼がどうして、ヒバナを連れてゲームの部屋へ入ったのか。それを確かめてくれ」
そんなバカを見てちょっと遠い目をしつつ、海斗はそう、指示を出した。これはバカにも分かる。そして、バカも、天城のことは気になっているのだ。
「分かった!天城のじいさんのこと、調べる!」
「それから3つ目は……陽とたまのことだ。あいつら2人は、手放しに信用するには危険に思える」
「えっ」
……が、続いた海斗の言葉に、バカは戸惑う。
「えっ、でも、たまも陽も、いい奴だし……」
「そう思えたとしても、だ。実際、あいつらは怪しいぞ。土屋にも聞かれたくない事を2人で話していたようだしな。そもそも、いい奴だと言ったって、ほんの数時間一緒に居ただけの人間だろう?そこまで手放しに信用していいのか?」
海斗がそう言うのを聞いて、バカはしょんぼりする。『そんなこと言われても、俺、たまと陽のこと信じてるし……』とバカがしょんぼりしていると、流石に海斗も気まずげな顔をし始めた。
「……まあ、それを言ってしまうと、僕も相当、怪しいわけだが……いや、でも、僕はお前に異能を晒したし、1人で、手を組んでいる相手が居るわけでもないし……」
「うん!俺、海斗のこと信頼してるからな!」
「……それはそれで心配なんだが」
海斗は結局、バカを説得することは諦めたらしい。『案外、それで上手くいくのかもな』と言って、ため息を吐いた。
「まあ、いい。とにかくお前は次の周で、『他の奴の願いの調査』『天城とヒバナの死の真相調査』『陽とたまの警戒』を行え。いいな?」
「うん!がんばる!」
「それで、忘れるなよ?お前は首輪を投げ捨てるな!千切ってもいいが、持っていけ!あと、金庫をちゃんと破れ!それから……」
「真っ先に海斗に会いに行く!分かってる!」
バカは満面の笑みで、海斗に頷いてみせた。海斗は『心配だ……』というような顔をしていたが、そんな心配、バカに対しては全くの無駄である。
何せ、バカはバカ。できる時はできるし、できない時はできない。そして、そこそこの頻度で皆の想像の斜め上や斜め下のことをやらかす!それがこの樺島剛なのだ!
「さて。そういう訳で、樺島。そろそろ、やり直しの時間じゃないか?」
「えっ?今、もうやり直しちゃっていいのか?」
「お前がいいなら。……正直なところ、僕もこんな状況は好ましくないんでね。やり直すならさっさとやり直してしまえ」
海斗がそう言うのを聞いて、バカは『やっぱり海斗っていい奴なんだよなあ!信じてるぜ!』とにっこりした。
そして。
「あー……一応、たまと陽に言ってからやり直すよ。挨拶しておきてえし」
そう言って、海斗を怪訝な顔にしてしまった。
が、バカは親方からキッチリと『挨拶は大事だぞ!』と教え込まれているのである。挨拶は大事。挨拶は大事なのだ!黙ってさようなら、なんてのは、よくないのである!
「……あっ、それに、そういえば、陽が『天城について調べる』って言ってたし!なんか、陽なら分かってるかもしれねえし!」
「成程な……。まあ、そういうことなら、手に入れられる情報を全て手に入れた後でやり直した方が、効率はいいのだろうがな」
海斗はそんなことを言うと、羊の部屋から出ていくべく、歩き出した。バカもそのまま付いていきかけたが、『とりあえず草まみれだとよくないよな!』と、自分の体に付着した草を、ぺぺぺぺぺぺ、と払い落として粗方綺麗にしていく。が、頭のてっぺんと背中の草はノータッチである。手が届かないし、見えていないのだ!
……だが。
「樺島!こっちへ来るな!」
解毒装置の部屋の方……つまり、大広間へと繋がる出口の方から、海斗の声が、聞こえてきた。
「今すぐ……やり直っ……」
……そして、海斗の声が、途絶えた。
バカは、一瞬迷った。
だが、結局は、海斗の方に向かって、バカは走り出していた。
……そうして。
「……海斗!」
出口付近で血を吐いて倒れている海斗の姿が、そこにあったのである。
「海斗!」
一瞬、立ち竦んだバカだったが、すぐさま海斗へ駆け寄ろうとする。
……だが。
その瞬間に立ち上った海色の光が人の形を作っていく。それは、本当についさっきのものであろう、海斗の姿。
海斗の影は、血を吐きながらもバカの方を見ていた。
そして、手で口を塞いでみせている。
その姿は、避難訓練の時、煙を吸わないようにする姿勢に似ていた。
海斗の影は、必死にバカの方……羊の部屋の方へ、『息を止めろ』とアピールして……そして、『早く行け』と、バカの元来た方を、何度も指差してみせた。
……そして血を吐いて、倒れて、動かなくなった。
これが何なのかは、バカにも分かった。
海斗が、動けなくなる前にバカの為に遺した、異能によるメッセージだ。
ふと、バカは、目に刺激を感じる。
ぴり、としたそれを感じた途端、バカの目に涙があふれ始める。バカはそれを感じてすぐ、『あ、これ、よくないガスだ』と察した。
バカは海斗の教え通り、瞬時に息を止め、そして、じりじり、と後退していく。
よくないガスは広がってきているのか、バカの目からはどんどん涙があふれてくる。
まるで、玉ねぎをたくさんみじん切りにした時のようだ。このままでは、危ない。
バカは、倒れたままの海斗を置き去りにして、羊の部屋へと駆け戻る。
……最後に、ちら、と振り返って見た海斗は、どこか満足気な顔をしているように見えた。
そうしてバカは、やり直す。
こんなこと、やり直さなきゃいけない。海斗が死ぬなんて、あってはならない。もう二度と、あんな目には遭わせない!
それで……それで。
「次は一緒にポケモンやるんだからなぁーッ!」
バカは泣きながらそう叫んで、そして、ぽや、と光りはじめ……90秒後、バカの意識は、ぱっ、と途切れたのであった。
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