1日目昼:運命の天秤*3
「じゃあ、まずはしばらく待て。とりあえず、次に女神像が動くまでは待機だ」
「うん!待つ!」
最初にバカに下された命令は『待て』であった。
バカは待てるバカなので、ちゃんと海斗の傍で体育座りをして背筋を伸ばし、待った。
「……暇だなあ」
「そうだな」
そして、海斗もバカの隣で座りつつ、じっとコインケースと女神の動きとを見ていた。
「……よし。動き終わったな」
それから女神像が動いたのを見て、海斗はバカに次の指示を出す。
「じゃあ、今、上になっている方の天秤の皿に乗れ」
「分かった!」
「確認だが、お前は跳躍するだけであの天秤皿からここまで戻ってこられるな?」
「ん?おう!戻ってくるだけなら、ジャンプしてもいいしー、壁登ってもいいしー……目的が分かってりゃ何とでもできるぜ!」
バカは元気に返事をすると、『れっつごー!』と元気に天秤皿の上へ戻る。
バカが飛び乗った瞬間、天秤皿がガクンと揺れたが、まあ、特に問題は無い。バカは鍛えられた体幹でバランスを取り、難なく姿勢を落ち着けた。
「よし!ならそこで宣言しろ!コイン2枚を反対の皿へ!」
「分かった!コイン2枚を反対の皿へ!」
そうして宣言から30秒で、2枚のコインが反対側に置かれた。天秤はかくん、とまた少し傾いた。
「次だ!また、コイン2枚を向こう側へ!」
「復唱ー!コイン2枚を向こう側へー!」
海斗の言葉を復唱して再びコインを動かせば、今度はほとんど、天秤は動かなかった。限界のところまで傾いているらしい。
……そうしてコインを動かしていけば、コインはみるみる反対側の皿に積み上げられていくことになる。
バカが何度も海斗の宣言を復唱し、すっかりコインのタワーが出来上がった頃。
「これで最後だ!コイン1枚を右に!1枚は左に!」
「コイン1枚を右に!1枚は左に!」
いよいよ、最後のコインが動く。最初に、バカの反対の皿に金貨が載せられ、それからバカの皿に透明なコインが置かれる。
透明なコインは、案の定、パカッと開く形になっていた。そしてその中には、きちんと鍵が収めてある。バカは、『この入れ物かっこいいな!』と思わず瞳を輝かせる。
……そう。
バカは、思ってしまったのだ。
『この入れ物、かっこいいなあ……ほしいなあ……』と。
「鍵を取ったんだな!?よくやった!さあ、戻ってこい!」
海斗の呼びかけを聞きつつ、バカは悩んだ。
「……樺島?何をしている!戻ってこい!」
そして、海斗がちょっと焦った声を発し始めたあたりで、バカは、思い切った。
「うん!持って帰ろ!」
バカ満面の笑みでそう言うと、ひょい、と。……その場にあったアクリル製のコイン型ケースと、ついでに、巨大金貨を、持ち上げた。
「……は?」
「これ!お土産にする!」
バカはにこにこしながら、そのまま、びょん、と跳び上がった。反動で天秤がものすごく揺れた。が、その時にはもうバカは宙に居たので関係が無い。
そうして宙を舞ったバカは、巨大金貨とアクリル硬貨とを抱えたまま、海斗の隣に着地した。
「ただいま!これ、鍵!あと、こっちは俺がお土産にするやつ!」
……海斗は、目玉が跳び出さんばかりに目を見開いて、只々、バカの蛮行を見つめていた。
「……確かに、これが本当に金なら、とてつもない価値だろうが……」
「でかくて金ぴか!これ、職場に飾りてえ!あっ、これ、うまくやったらテーブルとかにできねえかなあ!皆でメシ食うところのテーブル、もう1個あるといいな、って話してたんだよ!」
バカはにこにことご機嫌である。このでっかい金貨とかっこいい透明なコイン型収納を持って帰ったら、職場の先輩達も喜んでくれる気がする。
「いや!いや、おかしいだろう!?それ、何㎏あるんだ!?」
が、海斗がここでようやく我に返った。海斗も案外、バカに流されやすい性分なのかもしれない。どんぶらこ、どんぶらこ。
「えっ、わかんね」
「金貨は300㎏だ、と書いてあったが……嘘だったのか!?あっ嘘じゃないな……」
海斗はバカが下ろしたばかりの金貨を持ち上げようとして、1秒で断念した。まあ、人には得意不得意があるのだ。
「……お前、コインを持ち上げることができたなら、どうして自分の皿からコインを落とす、という方法を取らなかったんだ……?」
「えっ?コイン落とすとなんかあったのか?あっ、ご利益あるのか!?」
「成程な。バカだから、と……そういうことか……」
海斗は何やら納得していたが、バカにはよく分からない。が、バカはお土産を手に入れたことでにこにこご機嫌なので、あんまり気にしていないのだった!
さて。
「で、鍵だよな!ここ開けるんでいいか!?」
「まあ……好きにしてくれ」
「分かった!気になるから開ける!えい!」
海斗が諦めの境地に達している中、バカは元気に鍵を使った。
鍵に刻んであるマークは、『♀』のマーク。金星だ。ということは……。
「あっ!やっぱりビーナスだ!」
「は!?な、何が入っていたんだ!?おい!」
海斗が覗き込んでくるところで、バカはそっと、その人形を見せた。
「ほら!金星の、ビーナスの人形だ!」
……バカの手の中にあるのは、ビーナス人形。前回、バカ達が見つけた海斗人形や陽人形と同じような……身代わり人形なのかもしれない、その類の人形であった。
「ふむ……人形か……」
「あっ!いじめたらダメだぞ!これいじめたらビーナスが痛いかもしれないんだからな!」
「ん?ああ、ブードゥー人形の知識はあるのか。まあ、バカとはいえ、そのくらいは知っていてもおかしくないな」
覗き込んだ海斗は、合点がいったように頷いた。
「そうだ。恐らく、この人形はブードゥー人形と呼ばれる類のものだろう。憎い相手に見立てた人形に針を刺す……イギリスで生まれた文化らしいが、日本の藁人形然り、西洋の蝋人形然り、世界中あらゆる地域に似たような習俗があるのは実に興味深いね」
「へー……?」
海斗の蘊蓄に、バカは首を傾げた。そして、『そっか、海外にも藁人形みたいなのあるのか。ということは、海外でも納豆作ってんのかな……』と思った。
「……で、その人形をどうするつもりだ?」
「え?」
海斗の探るような目を見つめ返して、バカは首を傾げる。が、ちょっと考えれば結論は出てきた。
「えーと、えーと……本人に返す!」
そう。確か、この人形は本人が持っているのがいい、というようなことを陽が前回言っていたような気がする。じゃないと、たまがやったように、人形をくすぐられてくすぐったい思いをすることになっちゃうかもしれないのだ!
「……実に良心的だな、お前は」
海斗は半ば呆れたような、半ば安心したような顔をしてため息を吐いた。
「やろうと思えば、それを使ってビーナスを殺すことができるのかもしれないんだぞ」
「えっ!?大変だ!じゃあ俺がこれ持ってたら危ないかなあ!?うっかり握りつぶしちゃったりしたら大変だよなあ!?」
「ああ、実に想像通りの反応をありがとう」
バカがわたわたしていたら、海斗はいよいよ呆れ返ったように『やれやれ』とため息を吐き、それから、透明なコインを指差した。
「心配ならそれに入れておいたらどうだ」
「海斗お前、頭いいなあ!」
「お前よりはな」
そう。鍵が入っていた透明なコイン。あれにビーナス人形を入れておけば、ひとまず安心だろう。流石のバカも、うっかりではアクリルを粉砕することは無い。多分。
ということで、ビーナス人形は無事、透明なアクリル製のコインの中にしまわれることになった。同時に、バカはそのコインと巨大金貨とを持って、海斗と共に奥の部屋へ向かう。
「……本来ならこれを使って解毒する、ということか」
「なー、海斗ぉ。椅子あったから座ろうぜー!」
さて。奥の部屋は、前回同様の構造であった。解毒装置があって、ガラクタがある。概ねそんなところである。
なので、バカは前回同様、椅子を適当に用意して海斗に勧めた。
時計を見る限り、まだあと30分以上ある。その間、ただ突っ立っているのも馬鹿らしいと思ったのだろう。海斗は大人しく、バカが勧めた椅子に座った。
「海斗ー。なんか話そうぜ!」
「まあ、暇潰しにはなるか……」
そして、海斗はバカに付き合って話してくれるらしい!大きな進歩である!バカは大いに喜んだ!
「海斗って何歳だ?俺、20歳!」
「……19だ。慶應大学に通っている」
「へー!大学行ってんのかあ!すげーな!やっぱ頭いいんだな!」
バカは早速、海斗のことを聞いてにこにこ喜ぶ。ついでに『俺の方がお兄ちゃんだった!』とも喜んだ。また、海斗が若干誇らしげな様子を見て、『誇れるものがあるのはいいことだ!』と嬉しくなった。
「なー、大学ってどういうこと勉強するんだ?俺、高校出てすぐ就職したからさー、大学知らねーんだよなあ」
「僕に関して言えば、経営学を学んでいるが……まあ、一般教養の類はどの大学生も学ぶだろうな。英語だとか、第二外国語……ドイツ語だとか」
「ドイツ語!?なんだそれ!?」
「ドイツの言語だ!」
バカは、『ドイツ……ドイツって、どいつ?』と頭の上に?マークをいっぱい浮かべていたが、見かねた海斗が『ビールとソーセージとジャガイモ料理で有名な国だ』と教えてくれたので、『あっ!そういえばドイツ料理って食ったことあった気がする!』とピンときた。バカにも食べ物のことは分かるのだ。
「で、えーと、けいえい?って、なんだ?」
「主に企業の運営について学ぶ。規模は様々だが……そもそもお前も就職しているなら、会社を経営する誰かが居るだろう?」
「うん!社長!……あっ!?つまり、社長学か!」
「……もうそれでいい」
呆れた様子の海斗であったが、バカは『そっか!つまり海斗は頭がいい!』と喜んでいる。
……そして。
「じゃあ、海斗も大きくなったら社長になるのか!?」
バカはそう、聞いてみたのだが。
「……海斗?」
海斗は、黙ったまま、視線を彷徨わせている。
何か、言いにくいことを隠そうとしているような、少し傷ついたような、けれどそんな素振りを見せないように振る舞おうとしているような……そんな様子に見えた。
「お、俺、何かまずいこと聞いたか……?」
「いや……」
結局、海斗はちらりとバカを見て、ふう、とため息を吐くと、『やれやれ』というような顔で椅子の背もたれに体重を預け、脚を組んだ。
「経営学を学んだ者が全員起業するわけではないからな。当たり前のことだが」
「そ、そっかぁ。当たり前のことなのかぁ……」
バカは、『当たり前のことを聞いてしまったらしい!』と慌てつつ、ふぇー、と息を吐いた。
「俺、あんまり勉強得意じゃなかったからなー……」
「だろうな」
この世界には、バカが知らないことがたくさんある。バカは改めてそれを思う。
「あっ、でも体育は得意だったぞ!」
「だろうな……いや、待て。逆にお前の規格でよく体育の授業に参加できたな……?」
海斗は何かに気づいたような顔をして慄いていたが、バカは特に気にせず問いかける。
「海斗は何の授業が好きだった?」
「……現代文」
「あっ!俺も国語好きだったぞ!ごんぎつねとか!あと、『そうか、君はそういうやつなんだな』ってやつとかやったよなー」
「ああ、ヘルマン・ヘッセの『少年の日の思い出』か。あれは確かに中学国語の教科書に載せるべき名作だな。虚栄心に劣等感、取り返しのつかない罪……全ての中学生が読むべき題材と言える。僕としては専ら、エーミールの方に感情移入してしまうが……」
……つらつらと淀みなく話していた海斗は、ふと、目を輝かせるバカを見つけて言葉を止めた。
「……なんだ、その顔は」
「いや、海斗が楽しそうだから、なんか嬉しくってさあ!」
そう。バカは嬉しい。『近づくな!』とまで言っていた海斗が、目の前で楽し気に話してくれている。それがとっても嬉しいのだ!
「……僕は話しすぎたようだな」
だが、海斗は苦り切った顔でそんなことを言って話を止めてしまう。
「えっ!?そんなことないぞ!いっぱい話してくれていいんだぞ!?」
バカは悲しい!折角なんだか仲良くなれたような気がしたのに!海斗はバカとは話したくないのだろうか!
「……僕ばかり喋らされるのも癪だ。次は僕から聞かせてもらおうか」
が、海斗はそう言ってくれたので、バカは途端にまた、ぱっ、と表情を明るくした。どうやら海斗は、まだバカとおしゃべりしてくれるらしい!
「お前は、何を望んでここへ来たんだ?……あるんだろう?人を殺してでも叶えたい願いが、お前にも」
だが唐突な問いに、バカは困惑するのであった!




