1日目昼:運命の天秤*2
「お前はバカか!?」
「だからバカなんだってぇ!何だ!?なんか俺間違えたのかぁ!?」
「何もかも間違っているが!?」
そうして海斗は『もう訳が分からない!』とばかりに取り乱し始めた。バカは困っているばかりである。
「今のお前の最適解は『銅貨一枚を相手側に』だったんだ!その後の手順で僕は銀貨と銅貨1枚ずつをお前の方に載せて、それからお前は金貨と銅貨を1枚ずつ僕の方に載せて、イーブンにするべきところだった!」
「イーブイ!?イーブイになるのか!?俺、ブースターが好きなんだけど!ん!?イーブイって進化前じゃん!イーブイになるって何だ!?新種!?新種のポケモン!?」
「勝手にポケモンの話にするな!このバカが!」
バカは『ブースターかわいいよな。ふわふわしてて……』と思いながら、ふと、天秤が傾き始めたのを感じる。
ぎぎぎぎぎ、と軋みながら傾いていく天秤。そして、その傾きと同時に、バカは強まっていく熱を感じる。
「なんかあちぃ!」
「だ、だから……!そのままその天秤は熱湯に突っ込むんだ!知らなかった訳無いだろう!?」
「あっ!?そういうことかぁ!そっか!今分かった!うわ、うわ、どうしよ!」
あち、あち、とバカはコインの上でタップダンスを踊ることになる。積まれたコインの上にまではまだ、熱湯は届いていない。だが、金属製のコインのことだ。これが100度近くに熱せられるまでに、そう時間はかかるまい。
「ああ……いや、これで、これでいいんだ。これで……ああ、くそ……」
そして、海斗はそんなバカを見下ろして、只々、青ざめていた。
そうこうしている間に、海斗の天秤皿はゴールの足場に近づいた。海斗は震えながら、そっと、天秤皿から足を踏み出す。
だが、その脚もがくがくと震えていて、まともに動いていない。
……そのせいだったのだろう。
「あ」
海斗は脚を踏み外して、落ちた。
海斗の手が、なんとか天秤皿の縁を掴む。
だが、ぶら下がった状態でそう長くは持たないだろう。バカにはそれが分かる。
「海斗ぉ!」
なので、バカはすぐさま動いた。どうしたらいいのか分からない時には動けないバカだが、どうしなければいけないか分かりさえすれば、行動が速い。
安全第一。人命最優先。労災撲滅。今日も元気に朗らかに!そんな社訓を叩きこまれたバカは……。
ばひゅん。
……バカは、海斗に向って跳躍したのである!
風を切って跳んで、壁を蹴って跳んで、そうして反対側の天秤皿の近く、ゴールの足場の上まで跳んだバカは、そこから海斗を見下ろす。
目が合った瞬間、海斗の目には恐怖の色が走った。
が。
「よっこいしょ」
天秤皿にぶら下がっていた海斗に手を伸ばして、海斗を、ひょい、と抱え上げた。
そのまま、ひょい、とゴールの足場上に下ろした。
海斗は、ぽかんとしていた。バカは、『ふう、危なかった!高所転落防止!ヨシ!』と、にこにこしていた。
しばらく、2人とも床に座ったまま、黙っていた。
海斗はがくがくと震えながら、ただ床に視線を落として、力を失った体をなんとか支えるので精いっぱいだったし、バカはバカで、そんな海斗を見ながらどうしていいか分からなかったのだ。
……だが。
「……なあ、海斗。一個、聞きてえことあるんだけどさ……」
バカは1つ、思いついて海斗に言葉を向ける。
海斗が、恐る恐る、顔を上げる。
すっかり血の気を失っている海斗の顔を見つめて……バカは、問いかけた。
「お前、イーブイ何に進化させた?」
「他に!聞くべきことがあるだろう!?」
急に海斗は元気を取り戻した。否、つい先ほどまでべったりと貼り付いていた様々な恐怖が吹き飛ぶほどの衝撃を受けたというだけで、別に元気になったわけではない。が、バカは『ちょっと海斗が元気になった!』と勘違いして、ちょっと喜んでいる!
「えっ!?あっ、最初のポケモン、3匹から何選んだか聞く方が先だよな!?ごめん!」
「一旦お前はポケモンから離れろ!」
海斗に怒られて、『ええと、じゃあ、何聞こう……好きなコンビニ?俺、ミニストップだけど……』などと思いつつ、首を傾げる。
……すると。
「……僕は、お前を殺そうとしたんだぞ」
海斗は、ふ、とまた視線を床に落として、そう言った。
「えっ!?そうなのか!?」
「ああ、そうだ!お前はバカで気づいていないらしいがな!僕はお前を殺して、自分だけ助かろうとしたんだ!その方が、有利だから、と……」
吐き捨てるようにそう言う海斗の言葉を聞いて、バカは、『そっかー』と首を傾げて……。
「そっかー……じゃあ、どっちも助かってよかったなあ……」
そう、感想を漏らしたのだった。
「……本気で、そんなことを思っているのか?」
「え?うん……うん?思ってないことって言えないだろ?」
「いや、言えるが……」
「えっ……やっぱりお前、頭いいんだなあ……俺、思ってからじゃないと話せねえよ……」
バカは只々、『やっぱ海斗って頭いいんだ!』とびっくりしている。そういえば、たまと陽の次に大広間に到着したのは海斗だったなあ、と思い出した。つまり、まあ、やっぱり海斗は頭がいいのだ。
「……さっきも言ったが、僕はお前を殺そうとしたんだ。つまり、今、お前は僕を警戒すべきなんだよ。隙があれば、殺しておいた方がいい」
「えっ!?」
そんな頭のいい海斗の話が、バカにはよく分からない。驚きつつ、意味が分からず首を傾げるばかりだ。
「えっ、えっ……俺、お前のこと殺したくねえよお……」
「だが、僕はお前を殺そうとしたんだぞ?」
「ええー……ほんとにぃ?」
そう。バカは、困惑していた。
だって、海斗の言っていることが、どうにも、本当のことに思えないのだ。
「だってお前、俺がどうしようどうしよう、って時に、一緒にどうしようどうしよう、ってやっててくれたし……」
「……は?」
「俺のこと心配してくれたじゃねえか!な?」
バカには、どうにも海斗が悪い奴に思えなかった。
だって、バカが熱湯に沈みそうになっていたら青ざめて慌てていたし、慌てるあまり、自分の安全を確保することも怠って足を踏み外すおっちょこちょいだ。
それに、本当にバカをさっさと沈める気があったなら、一回、海斗の方にもコインを置く必要は無かったはず。あの時、さっさと『バカの方へ金貨と銀貨1枚ずつを載せる』と宣言してしまえば、バカはもっと早く沈んでいたはずなのだ。
「な?お前、俺を殺そうとしてたなんて嘘だろ?俺には分かるぜ!バカだけど人を見る目は確かだ、って親方に褒められたし!」
だからバカは、堂々と海斗に笑いかける。
……そして。
「あっ!先に聞くべきこと、分かった!」
バカは唐突に、思い付くのだ。
そう。バカが聞くべきことは、まず、これだろう。
「お前、最初にやったポケモン、どれ?俺、ブラック!」
深々と、海斗は溜息を吐いた。
ただ、青ざめていた顔に少しだけ血の気が戻ってきていたし、乱れていた呼吸も少し、落ち着いてきている様子だった。
そんな様子で、海斗は改めて床に座り直して楽な姿勢になると、またため息を吐いて……。
「……ポケモンはやったことが無いんだ。小さい頃、クラスメイトがやっているのを聞いたことがあるだけでね」
そう、答えたのだった。
そっぽを向いて、実に、不本意そうに。……だが、随分と、誠実に。
「ええー……そっかぁー。あっ、じゃあ、今度貸してやるよ!な!」
バカは、海斗とポケモンの話ができないことにちょっぴりしょんぼりしたが、解決策は分かりやすい。やったことが無いならやればいいのだから。バカは満面の笑みで海斗の肩をぽふぽふ叩いた。
「……お前は本当にバカだな」
「うん、だからそうだってぇ……」
いい加減に分かってくれよぉ、とバカは嘆いた。バカはバカがバカであることに気付いてもらえないと、色々大変なのだ!
「じゃ、俺、戻った方がいいか?」
そうして、バカは次の指示を貰うべく、海斗に尋ねる。『何すりゃいいか分かんなかったらとりあえず聞け!』とは親方の教えである。
「……は?」
「いや、どうすりゃいいか分かんねえから、とりあえず持ち場に戻っとくかな、って……」
海斗が困惑していることに困惑しつつ、バカはそう言って、自分が乗っていた天秤皿の方を指差した。
「……持ち場?ま、まさか……お前、また、天秤皿に、戻ろうと……?」
「え、うん……結局、何をどうすりゃいいのか分かんねえんだよぉ……これ、何がどうなったら完成なんだ?」
愕然とする海斗の前で、バカは『ずっと俺はバカだって言ってるのに!』とちょっぴり不満げな顔をしてみる。
すると、海斗は益々愕然とし、バカの顔を見つめ、天秤皿を見つめ……そして。
「こ、こいつ……!真のバカだ!」
……海斗はがっくりと項垂れ、いよいよ力を失ったのだった。
バカは、『なんかやっと分かってもらえた気がする!』と、喜んだ。
「なーなー海斗ぉー、俺、どうすりゃいいんだよぉ。なんかコインの一番上に鍵あるしさあー、あれ取らないと先、進めねえんじゃねえのかよおー……」
バカは海斗をせっついてみた。時間はまだまだあるだろうが、バカとしてはちょっぴり急ぎたい気分だ。急いで仕事を終わらせれば休憩が長くなる。バカはそうやって長くなった休憩を楽しむタイプのバカなのだ。
「鍵?……いや、この先はもう、出口の方のように見えるが……だが、鍵、は、確かにある、ようだな……?」
海斗も、一周回って頭が冷えてきたのか、きょろ、と周りを見て、それから首を傾げる。
海斗の言う通り、よく見てみたら奥の部屋へ続く通路に扉は無い。先を覗いてみれば、もうそこに解毒装置があった。つまり、コインケースの最後のコインの中に入っているらしい鍵は、取らなくてもいい鍵、ということなのだろう。ということは、水槽の底の海斗人形のように、誰かの人形を取るための鍵、なのだろうか。
「……うーん」
海斗は少しばかり考え、それから、女神像の背中を眺める。
女神像は、相変わらず天秤を吊り下げていて、もう片方の手は、コインを積み上げているところだった。……どうやら、『両者の宣言が無いまま30秒経過』の判定に引っかかっているところらしい。
「あっ、鍵穴だ!やっぱりここになんか入ってるんだ!」
「は?鍵穴?……本当に鍵穴だな」
更に、女神像の背中側に、鍵穴を見つけてしまった。恐らく、透明なコインの中身の鍵で、ここが開くのだろう。
バカは、『どうすりゃいいんだろうなあ』と首を傾げつつ、また女神像とコインと天秤とを眺めてみるのだが……。
「その……樺島」
「うん?なんだ?」
海斗が、緊張気味に、そっと話しかけてきた。一方のバカは、特に何も気負うことなく返事をする。むしろ、海斗に話しかけてもらえて嬉しいバカは、にこにこと嬉しそうな笑顔になってさえいる。
そんなバカを見て、海斗は何か、勇気を貰ったような顔で、言った。
「……僕の指示した通りに、動けるか?」
「おう!任せろ!」
そしてバカはいよいよ満面の笑みになって、海斗の指示に従うべく準備体操を始めるのだった!
尚、バカの準備運動は、『地面をめり込ませる屈伸!』から始まる。バカの力強い屈伸運動によって床がメコメコと凹み始めたところで、海斗がバカを止めた。
海斗は、天井を仰いで頭の痛そうな顔をしていた。バカは?マークを頭の上にいっぱい浮かべつつ、次の『伸脚20回/秒』のために脚をシャカシャカ動かすのだった。




