1日目昼:運命の天秤*1
「これ、なんだ……?」
バカは一生懸命に目の前の巨大な装置を観察する。
まず、巨大な吊り天秤。その両方の皿の上に行くためのキャットウォークが設置してあることから、あの皿の上に人が乗ることになるのだろうなあ、ということが分かる。
続いて、巨大天秤を支える、巨大な女神像。……この女神像の右手に天秤が握られていて、そして、もう片方の手には、これまた巨大な金貨があった。
また、女神像の手にあるもの以外にも、女神像の横にあるコインケースの中に金貨や銀貨や銅貨……それぞれに巨大なコインが収めてある。下から、銀貨、銅貨、銅貨、金貨、銀貨、銅貨、銅貨、銅貨、銀貨、銅貨、金貨……といった具合だ。
コインケースは立てられた筒のような形で、下から一枚ずつ、コインを引き抜けるようになっているらしい。バカは、歯医者さんの紙コップをなんとなく思い出した。アレ、確か下から1個ずつ出てきたよなあ……と。
……そして、コインケースの一番上……つまり、一番最後に出てくるのであろうコインは、他のコインとは異なる見た目をしていた。
「あっ!あれ、鍵が入ってるっぽいな!」
……そう。一番上のコインは、金でも銀でも銅でもない見た目をしていた。アクリル材なのか、無色透明。そしてそのコインには、蝶番が付いているようだ。恐らく、あれはパカッと開いて、その中に収められた鍵が取り出せるようになっているのだろう。
「えー……なんだこれぇ」
そうして概ねの装置を把握したところで、バカは首を傾げた。
鍵の場所は分かった。だが、あの鍵を取るには、あのコインケースを破壊しなければならないのだろうか。そもそも、この天秤、何なのだろうか。
バカが首を傾げていると、海斗も顎に指をあてつつなにやら考えて……それから、意を決したようにキャットウォークの方へと歩いて行った。
「あっ、待てよぉー」
バカも海斗の後を追いかけてついていく。すると、海斗は天秤の皿の近くまでやってきて、そして、皿の上にあった説明のようなものを読み始めた。
「……なあー、なんて書いてあるんだ?」
バカが話しかけると、海斗は、ちら、とバカの方を見て……それからまた、ふい、と顔を背けて、天秤の皿を指し示した。
「お前はあっちの皿の上に乗れ。同じ説明があるだろうから」
「うん!分かった!」
なのでバカは素直にてけてけと走っていき、海斗が居たのと反対側の皿の上に乗った。
バカが反対側の皿の上に乗ると、そこにはさっき海斗が読んでいたのと同じものであろう説明書きがあったので、バカはそれを読む。
『自分の皿と反対の皿、どちらにコインを載せるかを宣言する。一度に載せられるコインは2枚まで。女神と向かい合って左の皿の宣言が先行となる。』
『両方の皿で宣言が成されるか、片方の皿の宣言から30秒が経過すると、それぞれの宣言通りに皿の上にコインが置かれる。コインが置かれてから30秒間、どちらからも宣言が無かった場合、両方の皿に1枚ずつコインが置かれる』
……早速、バカには意味が分からない!とりあえず、『こっち!』か『あっち!』なのは分かったが。
説明は更に続く。
『コインは金貨、銀貨、銅貨で重さが異なる。銅貨は1枚で100㎏、銀貨は200㎏、金貨は300㎏である。』
バカは『成程!つまり金貨が一番重いんだな!』と頷いた。それは分かった。
『天秤が傾ききった時、上の皿は出口の高さと等しくなり、下の皿は熱湯に沈む。』
バカは『あっ、これ傾くのか!?』とびっくりした。それから、『そっか、出口は上なんだな!』と頷いた。
確かによく見てみると、上の方に出口があるらしいことが分かった。高さの都合で、よくは見えないが。
『尚、どちらかの皿でこの文章が読まれて1分後に、この部屋のキャットウォークは落ち、床の全面が熱湯に沈む。そして、天秤のストッパーが外れ、天秤が傾くようになる。』
「うん?」
『ゲームスタートだ』
バカがぽややん、としていると、不意に、ガチャン、と音がした。
なんだなんだ、とバカが皿の下を覗き込むと……。
「おおー!?風呂が溢れてる!」
なんと!熱湯風呂がどんどん広がっていくではないか!
それこそ、入り口のすぐ近くまで、熱湯が溢れていくのである!バカは、『あそこに居たら熱かっただろうなー』と思った。尚、バカが好きなお風呂はぬるめのお風呂である。バカはぬるめのお風呂にのんびり浸かるのが大好きなのだ。尚、職場の先輩達は『ぬるいお風呂最高!』派と、『風呂は熱い方がいい!』派が居る。
更に、バカが熱湯風呂を見下ろしていると、キャットウォークがガチャン、と壊れて熱湯風呂へ落ちていった。
ぼちゃん、と水柱が上がり、バカのところにも熱湯が跳ねてくる。ちょっと熱かった!びっくりした!
……そして。
ぎぎ、と重い音がして、ほんの少しだけ、ほんの数センチほど、天秤が動いた。海斗よりバカの方が重いらしい。バカは『鍛えてるからな!』と誰にともなく胸を張った。
そんな時だった。
「宣言する!隣の皿に、1枚のコインを!」
隣の皿の上で、海斗がそう、叫んでいた。
「えっ?えっ?」
バカが戸惑っている間、海斗はじっと前を見据えているばかりだ。少し、呼吸が乱れているのが見て分かる。苦しそうだ。もしかしたら、熱湯風呂の湯気でのぼせているのかもしれない。
「なあー!海斗ー!俺、どうすりゃいいんだー!?」
海斗に呼び掛けてみるのだが、海斗はまるきりバカを無視している。
「なあー!海斗ー!海斗ー!」
「うるさい!自分で考えろ!」
諦めずに呼び掛けていたら、海斗はそう言って、それから、きっ、とバカを睨みつけた。
「このゲームは頭脳戦だ!頭の悪い奴が死ぬ!それだけのことだ!」
それを聞いたバカは……。
「えっ!?つまり俺、死ぬのか!」
大変に、ショックを受けた!
「……頭が悪い自覚があるんだな」
海斗は少しばかり、冷静になったような顔をしていた。が、バカは冷静になるどころではない!
「えー、やだよー、まだ俺、死にたくないよー……ミニストップの期間限定のソフトクリーム、まだ食べてねえんだよー……今度出張行った時に食べる予定だったのに!」
バカが『死にたくない!死にたくない!』とばたばたすると、海斗はいよいよ呆れた顔をする。
「……もうちょっと他に無いのか?」
「あと社員旅行で行ったところの牧場ソフトクリーム美味かったからまた食べたい!」
「ソフトクリーム以外に無いのか!?」
「あっ、たいやき食べたい気分だなあ」
「食べ物!以外に!無いのか!?」
だが、焦るバカの頭に浮かんでくるものは、大体全部食べ物である。社員旅行で食べたニジマスの丸焼き、親方が振る舞ってくれた甘酒、先輩が作ってくれた納豆、皆でコンビニで食べた肉まん……。
……バカがそんなことを考えていたところ。
「うわっ!?なんだ!?」
女神像が動いた。
女神像は、コインケースから1枚のコインを手に取ると……バカの隣に、そっ、と置いた。
「わっ、銀だ!ぴかぴかだ!」
バカが『おお、すげえ』と思って置かれた銀貨を見ていると……ぎぎぎ、と軋みながら、天秤が傾く。
「うわ、うわ、傾いてる」
大変だ、大変だ、とバカがおろおろしながら周囲を見ていると、やがて、ぎぎ、とまた軋みつつ、天秤が止まった。
……バカが乗っている皿は、少し、熱湯風呂に近づいた。ふわふわ上ってくる湯気で、ちょっとあったかい。
「……これで分かったか?」
「えっ?」
海斗が苦い顔で話しかけてきたのを見て、バカは首を傾げる。そう!この期に及んで、バカは何も分かっていないのだ!
「このゲームは、お互いどちらを先に熱湯に沈めるかの勝負だ」
「えっ?えっ?」
バカが困惑していると、海斗はまた正面を向いて、青ざめた顔で宣言した。
「僕は次の宣言を行うからな。……次は、一枚だ。一枚、隣の皿へ!」
海斗の呼吸は、離れて見ていても分かるほどに荒い。緊張によって衰弱しているような、そんな印象を受ける。
バカはそんな海斗を見て益々困惑しつつ……。
「えっ……えっ、じゃあ、俺も、こっちの皿に一枚……?」
そう、宣言したのだった。
「は?」
海斗が、ぽかん、とした。が、バカは頭の上に?マークをいっぱい浮かべているばかりである!
女神像が動いた。
コインが2枚、バカの隣に積み上げられる。今度は両方、銅貨だ。
「わっ、また傾いた!」
当然、天秤が傾く。バカの皿はより一層下がって、熱湯がいよいよ近づいてきた。流石にこうなると、サウナである。
「……なー、海斗ぉ。なんかあちいよぉ」
「だろうな!お前はバカか!?」
海斗はバカの上の方から身を乗り出して、バカの方にものすごい形相を向けていた。
「何故、自分の方にコインを載せた!?」
「えっ、とりあえず海斗の真似しとくかあ、って……」
「バカだ!お前はバカだ!」
「知ってるよぉ……」
バカは、湯気にほかほか蒸されて暑くなってきた。へふ、と息を吐いて、バカはよじよじとコインの上に這い上がった。コインは10㎝位の厚みがある。3枚積み重なったコインの上に乗っかれば、多少、熱湯から遠ざかって涼しいような気がした。
「いいか!?次のコインを見ろ!」
「ん?」
海斗に言われるまま、バカはコインケースを見上げる。……一番下、つまり次に出てくるコインは金貨で、その次は銀貨のようだ。
「分かったか!?つまり、次の宣言で僕はお前の皿に500㎏分の錘を載せることができるんだぞ!?」
「えっ!?そうなのか!」
「そうだ!ルールを読め!」
バカは改めてルールを読んでみる。が、よく分からない。バカは『安全第一!』より長い文章を読むのは苦手なのである。
「だから……だから、お前は、もう、終わりなんだ。お前の宣言がどうであろうとも、左の皿である僕が先行なんだからな……」
海斗はそう言うと、ひゅ、と息を吸い込む。コインの宣言をするつもりらしい。
……だが、海斗の顎は震えていて、声が発される気配が無い。そのまま、バカはぽかんとしながら海斗を見上げていたが……。
……宣言前に、30秒が経過した。よって、女神像は動いて、両者の皿にコインを積む。
「ああ……くそ!」
積まれるコインは、海斗の側が金貨、バカの方が銀貨だ。少しだけ、海斗の方に天秤が傾いた。
「あれ?俺、死んでない!」
バカはまた、頭の上に?マークをいっぱい浮かべて状況をよく見る。……そして、『あっ、成程!金貨の方が銀貨より重いから、金貨が積まれた海斗の方がちょっと傾いたんだ!』と推理した。バカにしては名推理である。大分遅いが。
「く、くそ……今度は……うう」
そして、海斗が何か悩んでいるらしいことが分かったバカであったが、何故悩んでいるのかは分からない。
さっき海斗が促していた通りにもう一度コインケースを見てみると、銅貨、銅貨、銅貨、銀貨、銅貨、金貨、銅貨……という並びであることが分かったが、バカはバカなのでこの並びを見ても『つまりどうすればいいんだろうなあ』となるばかりである。
「僕は……くそ、コイン2枚を、向こうの天秤に!」
そうして、悩みに悩んだ海斗は、そう宣言する。バカは『そっかー』と頷きつつ、俺も何か言った方がいいのかなあ、と悩みつつ……。
「え、じゃあ、俺もコイン2枚を、こっちの天秤に……?」
……そう、宣言したのであった!




