土星の記憶
安藤正は、警察官である。そして、それ故に悪魔のデスゲームに参加した。
悪魔のデスゲームを調べ、数々の不審死の正体を暴き、そして、無辜の民に降りかかる悲劇を1つでも減らすために。
……そして、自分自身の生きる意味を、見出し続けるために。
安藤には、警察官として働き、悪を滅し、無辜を守る……それ以外に、生きている意味が特に無いのである。
特に、何をしたわけでもない。何をしたわけでもないからこそ、こうなった。
安藤の毎日は、非常に安定している。
眠って、起きて、身支度して、食事を摂り、出勤し、後輩達の面倒を見ながら自分の仕事を進め、昼休みには食事に出て、戻ってきたらまた働き、定時を過ぎてからももう少々働き……そして、帰宅して、家事を済ませ、食事を摂り、眠る。
それだけだ。それだけの日々を、ただ毎日繰り返している。
仕事以外に打ち込むものも特にない。
上司に連れ出される内に趣味になった魚釣りと、1人で暮らす内に身に付いた料理は、趣味と呼べるものかもしれない。だが、捨てろと言われれば捨てられる程度のものでしかない。
家族も無い。両親は数年前に逝去した。妻とは上手くいかなくて別れて、結局それきりだ。
だから特に気にしなければならないことも無く、気にされることも無い。
安藤の日々は、そんな調子の……ある種、無味乾燥としたものであった。
だが、そんな日々に不満があったかというと、そうでもない。
独り身の生活は気楽なものだったし、同じことの繰り返しでしかないような毎日も、仕事に打ち込んでいればそれなりに楽しいものだった。
なので、不満は無かった。……むしろ、この仕事は打ち込むにあたって、趣味や家族が枷になることもある仕事だ。これでいいのだろう、と思いつつ、日々をそれなりに有意義なものとして過ごしていたのだ。
そんな安藤が、『悪魔のデスゲーム』について知ったのは、当然のことだったかもしれない。
失踪事件や不審死が相次いだ後、その周辺に聞き込みを行えば、自然と『悪魔のデスゲーム』についての情報が集まっていった。
そしてそれらを追っていけば、警察官である安藤には概ね、その『悪魔のデスゲーム』というものが何なのか、分かっていったのである。
……警察官であるからこそ、安藤は恐らく、誰よりも『悪魔のデスゲーム』について知った。
金に困っていた若者が、『悪魔のデスゲーム』とやらに参加すると周囲に言いふらして、そしてその一週間後、死体になって発見されただとか。
どうしても殺したい奴が居ると言っていた少女が『悪魔のデスゲーム』とやらについて日記に記したその数日後、『殺したい奴』であったらしい同級生の少女1名と、その少女本人がそれぞれ別所で不審死していただとか。
『悪魔のデスゲーム』を生き残ったという者に話を聞くこともできた。彼は、『かつての不名誉を消し去ることができた』と晴れ晴れした顔をしていたが、その『不名誉』について調べてみても、全く見つからなかった。つまりそんなものは元から存在しないか……『ありえないことに』全ての記録が消えてしまったのか、どちらかだ。
不審なことは、いくらでも見つかった。死人についても『不審死』と有体に言ってしまえばそれきりだが、あまりにも不審であった。
密室で死んでいた者もあったし、往来の真ん中に、突如として現れた死体もあった。
……そして、『悪魔のデスゲーム』を勝ち抜いたと思しき者達が、やはりあまりにも『ありえない』ことを引き起こしていた。世界中から特定の物事について、記録も記憶も消し去るだとか。どんなに調べてもどこから来たのか分からない金を手に入れているだとか。
安藤はそれらについて調べていくにつれ、『悪魔』というものの存在を強く認識するようになる。
即ち……『ありえない』ことを引き起こせる存在。
……それの存在を知り、そして、それに巻き込まれて命を落としている人々の存在を知って、安藤はすぐさま、それらに立ち向かうことを決めた。
決意は至極当然のことだった。何せ、安藤にはそれしか無い。
職務を全うすることが安藤の生きる意味であって……それ以外には、何も無い。
何も無いから、安藤は特に何か迷うことも無く、『悪魔のデスゲームに潜入してきますよ』と、あっさり決定してしまえたのだ。
そうして安藤は、あっさりと『悪魔のデスゲーム』へ参加するためのチケットを手に入れた。
チケットには、ただ、デスゲームが開催される日時だけが書いてあって、それ以外には何も情報が無かった。だが、このチケットを持っていれば、この日時に、唐突に……悪魔のデスゲームに参加することになるらしい。そこまでは、今までの調べで分かっているのだ。
悪魔のデスゲーム開催数時間前。
安藤はチケットを眺めながら、1人暮らしの部屋を片付けていた。
……悪魔のデスゲームとやらの情報は、ある程度は仕入れられた。どんなゲームがあるのか、細かなところまでは分かっていないが、人の生き死にが関わるゲームだということだけは分かっている。
つまり、安藤は、死ぬかもしれない。ならば、誰かこの部屋を片付ける羽目になるかもしれない者に、然程迷惑を掛けずに済むようにしておきたかったのだ。
……そういうことを考えて動ける程度には、安藤は落ち着いていた。職場には、『こういう訳で有休を使います』ときちんと有給の申請をしておいたし、『チケットにある時刻には自宅に居る予定だ』ときちんと伝えてある。『真面目だねえ』と呆れられ、『有休使ってまで、そんな危険なことしなくたって』と心配されもしたが。
部屋を片付けて、安藤は1人、ソファに座ってチケットを眺めた。
もうじき、安藤はこのチケットによって『悪魔のデスゲーム』に参加することになる訳だが……。
……このチケットを手に入れるにあたって、安藤は悪魔を呼び出した。そして『願いは何だ』と聞かれて、『永遠の若さ』と、そつのないことを言って適当に済ませた。
悪魔は、そんな安藤を少々不審に思ったらしかったが、それでも最後には笑って、安藤の参加を認めた。もしかしたら、安藤以外にも、『デスゲームについて探るため』という理由でデスゲームに参加する者が居るのかもしれない。
となると、実際のデスゲーム中には、そうした目的の者と共闘することもあるだろうか。
……そう考えて、安藤は、ふと、思う。
もし、自分が本当に悪魔に何かを願うとしたら……一体、何を願ったのだろうな、と。
欲しいものは特に無い。人知を超えた何かを成し遂げることができたとして、何かしてみたいと思うことも無い。
悪魔に形だけでも願った手前、『永遠の若さ』について考えないでもなかったが……別に、無くてもいい。あったらいいな、とは思うが、願うほどのものではない。
強いて言うなら、正しい者が正しくあれる世であれ、と願うばかりで……それは悪魔に願う類のものではないだろう。未解決事件を悪魔の力で処理したらどうだ、と考えないでもなかったが……人が人の法に従って生きている中で悪魔の力を使うことは、人間が真摯に築き上げてきたものへの冒涜であるような気がする。
……そこまで考えて、安藤はため息を吐いた。
そう。安藤は特に、願いたいものが無い。
悪魔に願いたいものが無いことは、別に悪いことではないだろう。むしろ、幸福なことではないだろうか、とも思う。今の自分自身の生活に満足していて、目標には自力で辿り着くのだと決意があって、そして……そして、身軽だ。
……少々、寂しい人生かもしれない。だが、安藤自身は満足している。
ただ、警察官としての誇りと信念とを胸に刻み直して、安藤は目を閉じる。
自分が死んだとしても、それが1つの情報になる。
少なくとも、今までの例を見ていても、悪魔のデスゲームの参加者の死体が発見されていることは間違いない。となると、安藤が死んだとして、その死体はまた、この場か……或いはどこかまた別の場所で、発見され、そして、警察官達が動くための標となるのだ。
だから、死んだとして悔いは無い……かというと、それもどうやら、違ったらしい。
安藤は、銃弾を腹に受けて、『ああ、これは助からないな』とすぐさま悟った。そして……『悔しいな』と、そう、思ったのである。
そう思った自分自身に、少々驚いた。驚くと同時に、『ああ、そういえば』と、様々なことが脳裏を巡った。
職場の後輩を美味いとんかつ屋に連れて行ってやる約束をしていたことを今、思い出した。
上司に『あの磯はよく釣れるから行ってみるといい』と教えてもらっていた釣りスポットに、まだ行っていなかった。
気になっていた料理のレシピを試してみることもしていなかったし、それから、別れた妻の近況を聞いておいてもよかったのかもしれない。彼女と最後に会ったのは、1年弱は前のことだったから。
そして何より……今。この場に残してしまっている若者達。彼らのことが、心配だった。
同じ組になった、ビーナスと、ミナと、海斗。彼らはそれぞれに、どこか悩みを抱えているように見えたし、どこか危ういような、そんな気配も感じさせていた。
そんな彼らを最後まで守ってやれないことを、悔しく思う。
自分を撃ったあいつを、捕まえられなかった。それを、心底、悔しく思う。
……やはり、やり残したことは、あったのだ。
それらを悔しく思うと同時に、やはり、自分の人生は空虚なものではなかったな、とも思う。
『願い事など無い』などと思っていたが、それでも。それでも自分の中には、願いがあった。
……それに気づけたことを、嬉しく思う。
願わくば、自分の後に続く者が、どうか、真実に辿り着き……この事態を引き起こした犯人を捕まえてくれたら、と。そう、願う。
……悪魔にではなく、何かに。
自分自身か。はたまた人の善性か。はたまた……神、というのは大仰に過ぎるから……天使か何かに、か。




