太陽の記憶
宇佐美光が悪魔のデスゲームに参加した理由は至極簡単だ。
『恋人が参加するので』と。ただそれだけの理由である。
それ故に、特段叶えたい願いがある訳でもなかった。もし叶えたい願いがあったとしても……それを叶えるために悪魔の手を借りる必要は無かった。
光は、自分の願いを自分で叶えられる程度には、器用だったのだ。
そして……それ故に退屈であり、それ故に、恋人の存在は光にとって、何物にも代えがたい希望であったのだ。
光は不自由をしたことが無い。何せ、光は幼い頃から器用だった。
小学校では皆の中心だった。賢く、誰とでも打ち解けて仲間の輪に加えることができる。
成績優秀で運動も得意。出来すぎた生徒であった光は、それでも、誰かに疎まれるようなヘマはしなかった。同級生からも教師からも一目置かれる存在であり続けた。
それができる程度に、光は敏く、器用であった。
他者が考えていることは、大体察しがついた。誰が誰を好いていて、誰が誰を嫌っているのか。何が得意で、何が不得意か。この意見に賛成か反対か。
……誰がどの程度の能力を持っていて、どの程度、自分にとって脅威になるのか。
そんなことが概ね分かってしまう光は、誰よりも出来のいい、誰よりも人気者の……誰よりもいけ好かない小学生だっただろう。
そして光自身としては……退屈だった。
全てが、自分の知っていることばかりだったから。
中学校でも、概ねそんな調子で過ごした。
皆に好かれる宇佐美光は、学業でも部活動でも、優れた成績を残し続けた。
定期テストは常に学年1位。成績表を見て驚く両親に、『これくらいは当たり前だよ』と微笑んで見せた時、光は『自分は当たり前ではないのだな』と理解した。
そう。光は、当たり前の存在ではなかったのだ。そのことに、光はようやく気付いたのである。
光は出来が良く……出来が、良すぎた。光と同じくらい成績の良い友達は誰も居なかったし、それ故に話が噛み合わないことにも、中学1年生の内に気づいた。『ああ、だから退屈だったのか』とも、理解できてしまった。
それでも光は皆の中心であり続けたし、自分の周りに居る『皆』に合わせるやり方も、学んでいった。不和など、起こさなかった。実によくできた中学生だったと言える。
そして……更によくできたことに、そんな環境に在りながらも、光は非常に前向きであった。
皆に囲まれていながらどこか感じる孤独を、完全に理解していた。『この孤独も退屈も、狭い世界に居るからこそだろう。多分、もう少し広い世界に出れば、自分と同じような人は大勢居る』と。
自分が特別であることを驕らず、ただ事実として受け止め……そうして光は中学3年の冬、県内随一の進学校に受験して、そして何の心配も無く、するり、と合格してみせたのである。
……高校では、孤独と退屈から解放されるのだろう、と期待して。
だが、結論から言えば、光の生活は然程変わらなかった。
というのも、県内随一の進学校の中においても、光はかなり成績が良かったのである。
高校始まって最初の課題テストでの順位がまた『1位』であったのを見て、光は酷く落胆した。光は、どこかで『自分の鼻っ柱をへし折ってくれる人が居るといいのだけれど』と願っていたのだ。
高校に入って新たに築き上げる人間関係も、光にとっては掌の上の出来事のようだった。誰かに疎まれることも嫌われることもなく、ただ、分かり切ったそれをどこかぼんやりと、薄布越しに見るかのように眺めていた。
……退屈だった。そして、この退屈を共有できる相手は、ここにも居なかった。
だが、高校2年の春。
クラス替えが行われ、また更新される人間関係を容易に掌握しつつ、光は……教室に1人、気になる者を見つけていた。
……駒井つぐみ、という女子生徒である。
彼女はとにかく、目立った。何か皆の前で発言するようなことがある訳でもないのに、とにかく、目立った。
1つには、その容姿が可愛らしかった、ということが挙げられるだろう。さらりとした黒髪も、猫を思わせるようなぱちりとした目も、平均より少々低い身長も、可愛らしくもミステリアスなつぐみの雰囲気を生み出していた。
他に挙げられることがあるとすれば、常に成績上位者に名を連ねていたことか。
駒井つぐみは最初の課題テスト以降、光の順位を追い抜いて1位を獲得したことがあったのである。だが、実際のところはつぐみ以外にも光を抜いて1位になる者は居たし、光はそもそも、勉学への興味を失いつつあったのだ。
だが……まあ、さてもとりあえず、それらが全てどうでもよくなるような、そんな目立ち方をしていたのだ。この、駒井つぐみは。
「あー……駒井さん。それ、何?」
「検定のテキスト。上半期に取りたいやつ」
「……全部、取るの?」
「うん」
ある日。光は遂につぐみに話しかけた。
というのも……つぐみの机の上には、漢字検定と英語検定と数学検定、それに加えて日本ワープロ検定にアマチュア無線に色彩検定にウルトラマン……様々な検定のテキストが積み重ねられていたからである。ざっと、20冊ほど。
気になる。流石に、気になる。
「……結構多趣味なんだね」
「うん」
……駒井つぐみは、とにかく、趣味が多いらしかった。
それも、光には全く意味が分からないレベルで。
そう。光にとって、初めて、意味が分からないものが現れた。
それが、駒井つぐみであったのだ。
妙に多趣味な同級生のことが気になり始めてから6か月。
「ねえ、駒井さん。次は何の資格を取るの?」
「うーん、とりあえず小型特殊」
「原付じゃないんだ……」
光は、自分にとっての未知の塊である駒井つぐみに、すっかり夢中になっていた。
彼女は、光が知らないことを知っていた。そして、光が知っていることを知っていたり、知らなかったり、そもそも興味が無かったり。
これが面白い。光は、自分の世界がつぐみによって広がっていくことを感じていたし、それを楽しくも思った。
それから……猫っぽいなあ、と思った。何せつぐみは光の思い通りにならないし、予想通りに動かない。これが最高に、楽しい。好ましい。
そんな、猫のような彼女もまた、光のことを気に入ってくれたのだろう。
気が向いたら光の傍に居て、特に何をするでもなくのんびり過ごしたり、互いに読んだ本の感想を言い合ったり、次に受ける謎の検定の話をしてくれたり。……そして、気が向かない時には光に寄り付かなかった。猫だ。猫である。
また……光が少しばかり、疲れた時。或いは、少し気分が落ち込んだ時。そんな時にはいつの間にやら光の隣にやってきていて、そしてやはり、特に何をするでもなく隣に居た。それに、光はなんとなく、救われていた。
光は、自分と同じ時間、同じ空間、そして同じような知識や感情を共有できる相手を、生まれて初めて見つけたのだ。
唯一の希望だ。唯一の。17歳の少年が、精一杯広げた世界の中、それでもたった1人だけ見つかった相手。それが、とびきり可愛らしくて、とびきり魅力的なのだ!
……気づいたら、そんなつぐみにしっかり惚れ込んでいた。
光は自分自身に大層驚いたものだ。『俺はこんなに1人の人間に夢中になることがあるんだな』と。
……そんな自分が、嬉しかった。
ああ、自分も当たり前に人のことを好きになって、こんな風に動揺することがあるんだな、と……やっと、『当たり前の人間らしさ』を自分の中に見つけたのだ。
告白は光からだった。つぐみはきょとん、としていたが、にや、と笑って、OKをくれた。その時に感極まってつぐみを抱き上げたまま走り出した時には、『俺、何やってるんだろう……?』と思ったものだが、つぐみがけらけら笑って楽しそうだったのでよしとする。した。
高校3年になったら、2人とも同じ大学を志望校として、一緒に勉強するようになった。
1人で勉強しているより、2人で居る方が楽しかった。光はそれを、ようやく知ったのである。
……そうして、2人揃って大学への合格を果たし、キャンパスライフを謳歌する、少々優秀な2人の学生として過ごし……。
そんなある日、つぐみが大学を休んだ。
連絡をしても、碌に返事が来なかった。
光はやきもきしながらつぐみの返事を待っていたが、結局、つぐみから連絡が来たのは1週間後。
1週間後……ようやく会えたつぐみは、憔悴しきった顔で、こう言った。
「弟が、死んだの。多分」
光が『悪魔のデスゲーム』について知ったのは、その時だった。
話を聞くと、どうやら、つぐみの弟は『悪魔のデスゲーム』に参加し……そしてそのまま、帰ってこなかったらしい。
彼が何を願ったのかは、知らない。つぐみも『心当たりがないわけじゃないけれど、確証はどれもあやふや』と首を横に振っていた。
だが、それでもつぐみは諦めなかった。
興味も意欲も人の数十倍はあるつぐみなので、『悪魔のデスゲーム』について徹底的に調べ始めた。それこそ、警察や探偵もかくや、といった勢いで。
……光も、当然、それを手伝った。
それは、『悪魔のデスゲーム』への興味故、ではない。
……この頃にはもう、光は退屈なんてとうに失っていた。だって、つぐみが隣に居たから。
そう。光が『悪魔のデスゲーム』について調べたのも、その先で参加を決めたのも……全て、つぐみのためだった。
つぐみは、光にとって何物にも代えがたい、唯一無二の人であったから。
……そうして参加したデスゲームだった。
デスゲーム。調べたところによれば、自分の命を賭けたゲームに臨み、勝てば悪魔が願いを叶える、という。
……つぐみは、弟の死の真相を知りたがっていた。そして、弟を取り戻そうとしていた。
つぐみ曰く、『私が光と違って人生に退屈していなかったのは、弟が居たからだから』とのことだった。……やはり、つぐみの弟は姉に似て、優秀であったらしい。
ならば、光も彼を取り戻すために動く動機がある。光にとってのつぐみが、つぐみにとっての弟であったというのならば……きっと、光はつぐみの弟とも仲良くやれるだろう。
そして何より、愛しい恋人の願いだ。叶えたかった。
……光は今までの人生において、自分で叶えられないような願いを抱くことなく生きてきた。
願いは全て、自分で叶えられた。人1人にできることの範囲を知っていて、その内側で、退屈に生きてきたのだ。
そんな光が生まれて初めて願ったのは、自分のことではなく、恋人のことだった。
……そんな自分を、おかしく思う。中学生ぐらいの自分が今の自分を見たらどう思うだろう、と。
だが、誇らしくも、思う。
「無事か、つぐみ」
そうして光は、見たことの無いつぐみの表情を見ていた。
そうだ。初めて見る顔だ。ああ、この子はこういう顔もするのか、と、光は少しばかり嬉しく思う。
彼女について……否、そればかりでなく、世界にはまだまだ、知らないことばかりだ。もっと沢山、知らないことがあるはず。
……それを知らずに死ぬのは、少し悔しい。ましてや、つぐみのことなら、猶更。
だが……これでよかった、とも、思うのだ。
少なくとも、自分がこのデスゲームに参加した意味はあった。世界で一番大切な者を、生き延びさせることができたのだから。
つぐみは強い。そして賢い。それこそ、光などより、余程。
だから、彼女は大丈夫だろう。ああ、きっと、狭い路地裏をするすると進んでいく黒猫か何かのように、このデスゲームを潜り抜けてくれるに違いない。
……それを見たかったな、とは、ちら、と思う。
彼女には自由であってほしい。だからどうか、自分の死でなんか、立ち止まってほしくはない。
そう思って、光はつぐみに笑いかけた。
満足しているのだ。悔いが無いわけではないし、まだまだつぐみの傍に居たかった。
だが、光は、満足している。……自分の人生の意味が、やっと分かったから。
……天城、と名乗った男から聞かされた真実を思い出して、光は笑みを深めた。
宇佐美光は、駒井つぐみを愛するために生きてきたのだ。
……そうして途切れた意識は、やがて再び元の場所へと還る。
光がそれを知ることは無い。だが……何度繰り返しても、光はつぐみを愛し続けるだろう。
己の身を盾にしてでも、愛する人を守るだろう。
……このデスゲームが終わっても。何十年経っても。必ず。
4月25日(金)に書籍が発売されます。もしよろしければそちらもどうぞ。




