終わった後:資料室
駒井つぐみは恋人である宇佐美光と共に、キューティーラブリーエンジェル建設フローラルムキムキ支部の事務所……の奥の資料室に来ていた。
そして、資料室の奥の卓に着いたつぐみ達の前に、親方がどさり、と分厚いファイルを置いていく。
「ほいよ。こっちがゴールデンワサワサ支部から資料請求した奴。で、こっちがヨガアイシクルマウンテン支部のだ」
「ありがとうございます」
礼もそこそこに、つぐみは早速、ファイルを捲り始めた。光はもう片方のファイルを捲っていく。
……つぐみが探しているのは、かつて悪魔のデスゲームで命を落としたらしい、弟の情報である。
優秀な2人の前には、分厚いファイルも1時間程度の命であった。
「……こっちにも無い、か」
ため息を吐きつつ、光がファイルを閉じる。つぐみは光より5分ほど先にファイルを見終わったところだったので、光の横顔を見つめて一緒にため息を吐く。
「北海道支部……いや、ヨガアイシクルマウンテン支部の方にも、情報は無かったよ」
「こっちゴールデンワサワサ支部はどこだっけ……新潟?」
「うん。新潟って親方さん言ってたね。そっちもダメか」
「うん」
……つぐみは自分があのデスゲームから帰ってきて以来も、弟の情報を手に入れようとしている。
幸いにして、樺島伝いに天使達とのコネクションを手に入れたつぐみは、キューティーラブリーエンジェルネットワークを頼って、方々から『悪魔』に関わる施工の資料を請求してはそれを読み漁っているのだ。
「……あの主催の悪魔が『何も知らないとは言わないが、詳しいことは悪いが何も言えない』って言ってた以上、情報はどこかにはあると思うんだけどね」
つぐみは呟きつつ、武骨なファイルの表紙に視線を落とす。
……弟はあの日、帰ってこなかった。
つぐみの弟は、悪魔のデスゲームに参加したらしい。だから……。
「……もう、食べられちゃったのかな」
弟の魂は、もう、悪魔に食べられてしまってそれきりなのかもしれない。
「主催の悪魔の話を聞く限り、彼自身は食べていないらしいんだけどね」
「うん……誰かが食べた、って話も知らないっぽかった」
天使のコネクションと同時に、デスゲームを主催していた悪魔その人を捕まえてきた訳で、そこからも情報は得られるはずだったのだが……どうも、悪魔というものは仲間内でも契約によって諸々を縛るらしい。主催の悪魔は『つぐみの弟について情報をくれてやることができない』というようなことを言っていた。
同時に、『だが、お前の弟の魂を食った悪魔の話も聞いていないぞ』とも言っていたので……もしかすると、という望みは、まだあるのだ。
「……できることなら、魂を奪い返したいよな」
「……うん」
死んだ、と思っていた弟が、もしかしたらまだ、生きているかもしれないのだ。
だからつぐみはまだ、希望を捨てずにいる。
こうして資料請求を親方にお願いしては、虱潰しに情報を探して……どうにか、弟の痕跡を見つけられないか、と探しているのであった。
「そろそろ休憩にしろ」
そんな2人のところにやって来たのは、天城……『別の世界線の、かつ未来の』光である。
だが、彼は『光が2人いると何かとややこしいだろう。私は今後も天城と名乗る』と言っていたので、つぐみも彼のことは『天城さん』と呼ぶことにしている。
……一応は、彼もつぐみの恋人であるはずなのだが。だが、流石に光2人分を独り占めするわけにもいかない。
というのも……。
かにかにかにかに。
……天城の後ろからやって来たのは、お盆とその上のお茶、そして茶菓子を運ぶ、蟹型ロボ……通称『かにたま』である!
かにたまは、かにかにかに、と元気にやってくると、卓の上にお盆を置いた。つぐみは礼を言ってお茶とお菓子を頂く。
……今日のお菓子は、紅茶のシフォンケーキだ。天城とかにたまは毎度、こうしてお茶とおやつ、または軽食などを用意してくれる。いつもありがたいことだ。
「さて……その顔を見る限り、またハズレだったようだな」
「ええ……。まあ、そんなところです」
天城も、光とつぐみの向かいのソファに腰かける。そして、床の上をかにかにしていたかにたまを抱き上げて、そっと、自分の隣の席に乗せた。
「まあ、悪魔のデスゲーム自体、資料がほとんど残っていないらしい。今回のように、依頼者がデスゲームの解体を依頼しない限り、天使達が介入することも難しいらしいからな」
天城もまた、つぐみを手伝って資料探しをしてくれている。
天城とかにたまは、キューティーラブリー建設フローラルムキムキ支部の事務員として働きつつ、それぞれ天城は設計、かにたまは重機の係も務めている。その合間を縫って資料探しをしてくれているのだから、本当に頭が上がらない。
……だが。
「だから、探すなら……ん、どうした」
天城の横で、かにたまが天城の太腿あたりを、つんつん、とハサミの先でつついていた。天城がかにたまの方を向くと、かにたまはまた、かにかにかに、と何か主張し始める。
「成程。こっちか」
そして天城は、苦笑しながらかにたまをそっと抱き上げ……自分の膝の上に乗せた。かにたまは満足気に、かに、と頷いた。
……かにたまはそうして天城の膝の上に鎮座すると、ハサミの手を伸ばして、卓の上のシフォンケーキの皿とフォークをそっと引き寄せ……かにかに、とシフォンケーキを食べ始めた。
かにたまはシフォンケーキをつつきつつ、つぐみと光にも『どうぞ』とばかり、かに、かに、とハサミを振る。
「……そうだね。折角のケーキだし。いただきます」
そんな気分でもないような、休憩したいような、そんな微妙な気分の中、つぐみはフォークを手に取ってシフォンケーキをつつき始める。
……そして一口食べてみれば、不思議なことに、『あっ、これは全力で休憩しなきゃ』という気分にさせられる。
つまり……とても美味しいのだ!
つぐみがシフォンケーキの虜になりつつあるのを、かにたまは何やら満足気に見守って、かに、かに、と頷いていた。そしてかにたまもまた、小さなフォークを器用にもハサミでつまんで、かにかに、とシフォンケーキを食べ進めていく。非常にご機嫌な様子に見えるが……。
「ああ、好きな味だったんだな。……ミナさんが焼いたケーキらしいぞ。彼女はまた腕を上げたんじゃないか?」
かにたまを見つめていた天城が微笑みながらそう言えば、かにたまは、かにかにかに!と元気に頷いた。
つぐみとしても、このシフォンケーキは大変美味しいと思うので、かにたまに対して『やっぱり私だもんね』とアイコンタクトを取る。するとかにたまもまた、かに、と小さく頷いた。おお、同志よ。
「ミナさん、何でも上手だなあ……すごいね」
「うん。これからもたくさん作ってほしい」
つぐみはミナに心からの感謝と尊敬を捧げつつ、思い出す。
以前、ミナは『シフォンケーキには100戦100勝できる自信があります!』と言っていた。とても勇ましかったのでよく覚えている。
尚、つぐみはシフォンケーキを作ろうとしてがんもどきのような物体を作ったことがある。光は苦笑しながら食べてくれた。まあ、がんもどきもどきはがんもどきもどきで、それなりには美味しかった。特に、一緒に食べてくれる恋人が居たので。
つぐみはシフォンケーキとお茶を楽しんでいるのだが、光はまだ少し、落ち着かなげにファイルへ目をやっている。
……光に直接関係がある話でもないのに、光はこうして、つぐみの弟の情報探しをしてくれる。世界中探したって、デスゲームにまでついてきてくれる恋人は中々居ないだろう。つぐみの自慢の恋人であり……自慢の相棒だ。
「光。とりあえず、休憩しようよ。ケーキ、美味しいよ」
だからつぐみは、光の袖をついついと引っ張ってそう主張する。つぐみ自身より真面目なこの恋人を連れ戻してやれるのはつぐみだけなのだ。
「……うん。そうだね」
光はまだ少し落ち着かない様子だったが、ファイルからシフォンケーキへと視線を移した。これでよし。
「そうだな。まあ、気長にやろう。牡牛の悪魔も言っていたが、『今、この時点で魂が食われていないならば、まだまだ当分は食われないだろう』ということだ。それがどういう意味なのかは分からんが……まあ、焦らないと間に合わない、ということは無さそうだ」
つぐみは天城の言葉に頷く。……つぐみも馬鹿ではない。『焦らないと間に合わない、ということはない』ということは即ち、『時間の猶予がある』という状況、或いは『もうどう足掻いても間に合わない』……そのどちらかだ。
……つぐみは、後者の覚悟もしている。
「そうだね。……ありがとう、天城さん。私もちょっと落ち着いた」
「何、年の功、というやつだ」
天城は笑ってそう言うと、膝の上のかにたまを撫で始める。
……かにたまは、かに、かに、と心地よさそうに揺れている。つぐみは、『未来の私、結構あまえんぼだな……』と思うと同時に、『私もあれくらいの方がいいのかな』と、ちょっぴり思わないでもない!
ちら、と光の様子を見てみると……光は光で、『未来の俺、結構甘えんぼだな……』と思っていそうな顔をしていた。
……まあ、若いとはこういうことなのだろう。つぐみは若い側の立場でありつつ、そう結論を出して1人頷いた。かにたまはそれを見て何を思ったか、かに、と頷いて嬉しそうにしていた。
お茶休憩の間に近況報告がてら、雑談する。
つぐみは弟の情報探しをしているが、つぐみの人生はそれだけではないのだから。
「そこのダックワースが美味しかったから、今度持ってくるね。ケーキのお礼と布教も兼ねて、ミナさんにもあげようかな」
「ミナさんなら、美味しいものをプレゼントされたらそれを作ろうとしてくれそうだね」
「ね。おいしいダックワースが増える」
つぐみと光が話すのを、天城は幸せそうに聞いていた。そしてかにたまもまた、天城の膝の上でかにかにと楽しそうに聞いている。
「……最近、天城さんとかにたまの方はどう?何か美味しいもの、食べた?」
「まあ、美味しいもの、というと……毎日、美味しいものを食べていることになるか。社員食堂は中々悪くないのでな」
「ああ、そうだったなあ。ねえ、つぐみ。俺達も今日はここで食べていこう」
「そうするといい。今日のメニューは何だったかな……?」
天城が、ちら、とかにたまを見ると、かにたまはハサミでチョキチョキやりつつ、モールス信号の要領で『ささみ大葉チーズカツ定食』と伝えてきた。……この場に居る者は光以外の3人がモールス信号を使いこなせるので、特に問題はない。光にしても、『えーと、ささみ、までしか分からなかったな……』とやっているので、モールス会話ができるのもそう遠くないことになりそうだ。
「む、大葉か……」
「俺と天城さんは別メニューだね」
『齢をとっても、シソが苦手』
『やっぱりそうなんだ』
……つぐみもかにたまに合わせて、指2本をちょきちょきやってモールス会話をしてみる。光1人だけ置いてけぼりである。恋人がちょっぴり可哀想でかわいい。つぐみはご機嫌である。
『あと、こっちの光はセロリも嫌い』
『それは齢をとって改善された模様』
『そっか。なら今の内に恋人のセロリ嫌いを楽しみます』
『そうされたし。健闘を祈る』
つぐみは未来の自分との会話を楽しんでいる。……つぐみ自身、自分は中々いい性格をしているな、と思うのだが、未来でも自分はこうらしい。つぐみとしては、それがちょっと嬉しい。
「あの、つぐみ?何か楽しい話でも?」
「うん」
光は『俺のことじゃないだろうな』と苦笑しているが、まあ、光のことである。つぐみはかにたまと顔を見合わせて、にっ、と笑うのだった。
……それから少しした頃、樺島がどすどすどす、とやってきて、『たまー!これさっきスウィートパイナポー支部から届いたぞ!レターパックで!』と大きな声で告げ、レターパックごと資料を渡してくれた。
なのでそれを手分けして皆で調べ……またもや成果なし、という結果に終わった。
だが、つぐみは諦めない。絶望もしない。
『たま』としてデスゲームを乗り越えてきた中で、つぐみは確実に成長した。心強い仲間もできた。
だから……きっと、弟の魂の手がかりは、いつか、掴める。そう信じている。
夕方になったら、つぐみと光、そして天城とかにたまの4人で社員食堂へ向かう。
成果は無かったが、社食のご飯は楽しみだ。特にあの社員食堂ではカツの類がとても美味しいので。
……ということで、つぐみは『ささみ大葉チーズカツ定食』の『キューティー盛り』を頼み、それをかにたまにちょっと分けつつ食べることにした。
尚、シソが嫌いな光と天城は、『ささみチーズカツ定食(※大葉抜きだぞ!よかったな!)』を注文している。親切な社食である。
「はあ……成果は少ないけど、気長にやろう」
「そうだね」
つぐみは光に頷きつつ、美味しいカツを齧っていく。
ジューシーでサクサクのカツは、成果の出ない作業の慰めだ。これもあることだし、また次も頑張れる。大丈夫だ。
……そしてやっぱり、ここにくると、つぐみは思うのだ。
つぐみの人生の全てが弟探しに終わるわけではないのだ、と。
というのも……今、つぐみの隣では、光が何とも言えない顔でサラダを見ている。
……今日のサラダには、セロリが入っていた。
ならば、と見てみると、天城は……涼しい顔でサラダを食べているが、まあ、遅い!
つぐみは思わず笑ってしまいつつ、かにたまと目くばせした。かにたまは、かにかに、と満足気に頷いていた。
「……ま、気長にやろうね」
「え?あ、うん……つぐみ、セロリ、いる?」
「半分は引き受けてあげるね」
……未来は明るい。
そんな気分で、つぐみは恋人の皿からセロリを貰っていくのだった。




