終わった後:事務室
かにかにかに。
かにかにかにかに。
……キューティーラブリーエンジェル建設フローラルムキムキ支部の事務室では、猫くらいのサイズの蟹ロボが、かにかにと働いている。
これはかにたま。先月、キューティーラブリーエンジェル建設の社員となったロボであり、また、そのロボの中の魂である!
「つぐみ。このファイルはこちらで借りるぞ」
かにたまの横のデスクで仕事をしているのは、同じくキューティーラブリーエンジェル建設フローラルムキムキ支部の社員となった宇佐美光……『天城』と名乗ることに決めたその人である。
かにたまは、かにかに、と頷いて、ついでに蟹の鋏のつるりとした面で、そっと天城の手を撫でる。
すると、天城は少し驚いた顔をして、それから、優しい笑みを浮かべてかにたまの甲羅をそっと撫で返してくれるのだ。
年老いても恋人同士。天城とかにたまは、今日も仲良くやっている。
「それから、今日の昼休みに少し付き合ってほしい。新しいボディの調整をしたい」
撫で合いの途中、天城はそう言って笑った。かにたまは少々の期待を胸に(胸がこのカニカニボディのどこなのかは、かにたまのみぞ知るところである)、かにかに、と頷いた。
……そう。かにたまはこの蟹ロボの中に魂が入って以来、自由にボディを替えられるようになったのだ。
そしてその能力を生かして……今、かにたまは、『事務員兼重機』として、このキューティーラブリーエンジェル建設で働いているのである!
さて。
その日の昼休み、天城とかにたまは事務所の裏手にある倉庫へやってきた。
事務所の中くらいならそうではないが、屋外へ出るような移動の時は、天城がかにたまを抱えて歩いてくれる。かにたまは天城の腕に抱かれて散歩するのが中々のお気に入りだ。
天城はおじいちゃんになってしまったが、それでも大切な愛しい恋人であることには変わりがない。今も、天城と交わす言葉やちょっとした触れ合いに、愛おしさを感じてやまない、恋するかにたまである。
「さて……では早速、試してみてくれ」
やがて、倉庫に到着した天城はかにたまをそっと地面に下ろす。かにたまは、かにかに、と数歩歩いて……今回の『ボディ』を見上げた。
「身長が一気に伸びるからな、気を付けてほしい」
……天城の言う通り、今回のボディは大層、身長が高い。
まあ、つまり、クレーン車である!
そうして数分後。
「おお、もう慣れたのか!流石だな、つぐみ!」
天城が歓声を上げる目の前で、クレーン車……否、クレーン付き蟹ロボは、かにかにかに、と自由に歩き回っていた。
クレーンの伸縮も操作もお手の物。自由自在に体を動かして、かにたまは、かにかに、と満足して頷いた。……うっかり頷くと、ガションガションとクレーン部分が揺れてしまうので、このボディはちょっと不便かもしれない。
そうしてしばらくの間、クレーンかにたまとして動き回って、諸々のテストを行った後は、また猫サイズの蟹ロボに魂を移して、天城と共にかにかにと事務所へ戻る。
「人間型のボディももうじき完成するそうだ。随分と苦労させてしまっているが……すまない、私がもう少し上手くやれていれば、こんなことにはならなかったのだろうが……」
天城はかにたまを抱きかかえて歩きながら、そんなことを言う。
なのでかにたまは、かに、かに、と首と鋏を横に振る。
苦労をさせてしまったのは、こちらの方だ。かにたまはそう思っている。そのせいで、愛する人の時間を40年も無駄に使わせてしまった。
……だが同時に、40年も無駄にしてくれた、というところに恋人からの愛を感じる。かにたまは、恋人からの愛の重さが案外、嫌いではない。
かにたまはちょっと姿勢を変えて、かにっ、と、天城の胸に体重を預けた。すり、と蟹ロボボディで頬ずりしてみれば、痩せてしまった胸の奥、とく、とく、と動く心臓の音が聞こえる。
……心地よい。かにたまは満足して、かにかに、と頷いた。
ついでに、鋏をチョキチョキ、と動かして、天城との会話を試みる。
天城との会話は、モールス信号だ。鋏のチョキチョキでトンとツーを表現すれば、優秀な恋人はちゃんとかにたまのメッセージを受け取ってくれるのだ。
「何何……『ぎゆつと……』ほう。こうかな?」
天城はくつくつ笑いながら、かにたまを、ぎゅっ、と抱きしめてくれた。これまた、心地よい。かにたまは満足して、かにかに、と頷いた。天城はまたくつくつ笑いながら、『全く、つぐみにはかなわないな』と少しばかり元気を取り戻してくれた様子である。
……40年。その時間が自分達には必要だったんだろう。かにたまは、そう納得している。
普通の恋人達のように家庭を築き、ありふれた幸福を手に入れることはできなかったが……今のこれでも、十分に心地よい。
かにかに、と頷けば、天城は『もっと沢山喋りたいからな、早く人間型のボディが完成するといいんだが』と楽しそうに話してくれる。
今の、蟹ロボボディのままでもそれなりに楽しい。だがやはり、かにたまとしても、恋人とモールス信号や筆談以外でお喋りしたい。
人間型ロボを作ってくれている天使達に『よろしく』と祈りつつ、かにたまは天城に抱えられ、事務所までの道のりをかにかにと楽しむのであった。
翌日のかにたまは、出張であった。
……そう!かにたまのボディNo.5こと……カニドーザーが火を噴く日である!
「えー、それでは本日もご安全に!」
ご健康に!と凄まじい声量で返す天使達の中に混ざって、かにたまも鋏をチョキチョキさせて『ご健康に!』をやってみた。
天使達の中にはモールスが分かる者も居るので、そうした天使達はかにたまに笑顔を向けてくれた。この、妙ちきりんで面白い、気の良い連中がかにたまは中々お気に入りである。……お気に入りの天使といえば、樺島剛が筆頭だが。何せ彼は、見ていて相当に面白いので……。
かにたまは早速、現場の指示に従って、かにかにかに!と猛烈に働く。
天使達が『俺達の筋肉よりもかにたまさんの方が瓦礫処理早いもんなあ……』と、尊敬と畏怖、そして『カニボディ、かっこいい!』という憧れの目を向けてくる。かにたまは、ふふん、と胸を張った。憧れられるのはまあ、悪い気分ではない。
そして何より、このカニドーザー。中々のパワフルボディなのだ。
こうした重機を作っている天使も居るのだが、そうした天使達が『中に魂が入って動かす重機!?作りたい作りたい!でっかいの作りたい!カッコイイの作りたい!』『カニダム作ろうぜカニダム!』『いやカニレイバー作ろうぜカニレイバー!』『カニンガーZ!』と盛り上がりながら作ってくれたこのボディ、性能が良い。
……正直なところ、主催の悪魔が作った蟹ロボボディより、天使達が作った蟹ロボボディの方が、性能がいい。そう告げたら、主催の悪魔を泣かせてしまったが。まあ仕方がない。真実だもの。かにかに。
そうしてカニドーザーが頑張った結果、業務であった瓦礫の撤去はすぐに終わった。
お昼休憩を挟んでから点検作業などが行われるのだが、その間、かにたまは少し暇になってしまう。……なので、お気に入りこと樺島剛……通称バカにちょっかいを掛けにいくことにした。
「かにたまー!今日もなんかかっこいいなあ!すげえなあ!脚6本あるブルドーザーってかっこいいよなあ!」
かにたまがかにかにと近づいていけば、バカは目を輝かせて飛んできた。文字通り、飛んできた。最近のバカは、飛び回るのがマイブームであるらしい。まあ、羽を貰ってすぐの天使は皆、こうなるらしい。先輩天使達が『若いなあ……』と暖かい目でバカを見ている。
「そういやクレーン車の蟹もできたんだって!?そっちも早く見てえ!」
バカは元気に、『あと人間ボディももうじきできるって聞いた!どんなのだろうな!やっぱ40メートルぐらいあんのかな!』と話し続けている。
……かにたまとしては、人間型ボディは本来の自分と同じ、155㎝くらいに収めてほしいところだが、あの天使達ならやりかねない。カニダムだのカニレイバーだのカニンガーZだの作りたがっていた天使達なら……。
その後は、バカが勝手に喋るのをのんびり聞く。
バカのところには最近、海斗がよく遊びに来ているようだ。一緒にポケモンをやったり、海斗が課題をやる横でバカも資格の勉強を頑張ったり、バカが筋トレする横で海斗も頑張って腕立て伏せしてみたり……なんだかんだ、楽しくやっているようだ。
それから、ヒバナも時々、バカの部屋に遊びに来るらしい。……ヒバナとビーナスも社員寮に入っているのだが、ヒバナはビーナスから離れてコツコツ資格の勉強をしたい時などにバカの部屋を使うらしい。バカは『別に、勉強してるのバレたっていいんじゃねえのかなあ、なんかダメなのかなあ』と不思議がっていた。
まあ、ヒバナはビーナスに頑張って見栄を張りたいのだろうから、かにたまは、かにかに、と頷きつつ、バカの頭をもすもす、と撫でておいた。バカは分かっているのかいないのか、『すっげえー!鋏の制御完璧じゃん!今年のブルドーザー制御大会、かにたま優勝できるんじゃねえかなあ!』と興奮していた。
……一応、キューティーラブリーエンジェル建設には、重機を操縦する大会があるのだ。制御の精密さを競うものなのだが、毎年恒例の行事となっているらしく、それに挑もうとしている天使達も何人か見ている。
かにたまとしては、そこに自分が出場したらズルっこなのではないかと思うのだが、天使達には『決勝戦で会おうぜ!』と複数名から言われているので、どうも、かにたまも出場してよさそうである。
……かにたまは、自分が重機の大会で優勝したら、恋人はどんな顔をするだろう、とちょっと想像して、なんだか嬉しくなってきて、かにかにと頷くのだった。
点検が終わって異常なしが確認されたので、天使達と一緒にかにたまもキューティーラブリーエンジェル建設フローラルムキムキ支部へ帰る。天使達の羽でふわふわやられると、いつの間にか帰社できているのでとても便利だ。
尚、海斗がバカの部屋に遊びに来る時は、バカが海斗に渡したバカの羽をふりふりやって、同じようにワープしてきているらしい。便利だ。
かにたまは帰社したらまず、倉庫へとかにかに向かっていって、そこでお着換え……もとい、ボディの交換を行う。
No.2こと猫サイズの蟹ロボボディの中に入ったら、かにかにかに、と一生懸命移動していく。向かう先は事務所だ。そこに天城が居るはずなので。
……だが、蟹のボディは、安定感こそあるものの、スピードはあんまり無い。特に、猫サイズだと、一生懸命かにかにしていても、かにかにと前に進むばかりで、あんまり速くないのである!
が、そこに救いの手が差し伸べられた。
「あっ、かにたまさん!お帰りなさい!」
やってきたのは、ミナである。社員食堂のアルバイトのために丁度やってきたところらしい。手にしている羽は、ミナの先輩の羽……夕方の雲か、麦わらか、といった淡い黄金色の羽である。
ミナは羽を大切そうにパスケースにしまうと、かにたまの前でしゃがんで……。
「よっこいしょ、と!ええと、事務所までですか?お運びしますよ!」
かにたまを抱き上げて、ミナはてくてくと事務所へ歩き出してくれた!かにたまは『ありがとう』のモールスを送ってみるが、ミナはモールス信号が分からない人である。それでも、かにたまの気持ちは通じたのか、『困ったときはお互い様ですからね!』と、にっこり笑いかけてくれた。
そうしてミナによって運んでもらったかにたまは、事務所の前で下ろしてもらって、そこでミナと別れた。ミナは『中までお送りしないんでしたよね?』とにこにこ笑って、ちゃんとドアの前に下ろしてくれたのだ。
……そう。かにたまは、帰社した時のこれを、楽しみにしているのである。
まず、かにかに、と事務所のドアをノックする。すると、すぐに事務所の中で物音がして……からり、と引き戸が開いた。
「ああ、つぐみ。お帰り」
出迎えてくれたのは、愛しい恋人である。やっぱり、真っ先に彼が反応して、かにたまを出迎えてくれるのだ!
かにたまは天城の腕に抱き上げられて、満足する。
……そう。かにたまが、事務所のドアの前で下ろしてもらう理由。それは……愛しい恋人が出迎えてくれるのが、なんだか嬉しいから、なのだ!
かにたまは今日はもう上がりなのだが、天城が仕事をしているので、その横で仕事を手伝った。
事務仕事をする時、PC画面をのぞき込む天城は、眼鏡をかけている。老眼鏡だ。
真剣な顔で仕事を進める恋人の横顔を見て、その老いを感じる。……同時に、かにたまは、『中々いい具合に熟したなあ』とも、思うのだ。
……そう。恋人は、中々いい男になった。元々いい男だったが、老いて渋みが増した姿も中々悪くない。
かにたまはそう、しみじみと思いつつ、かにかに、と頷いた。天城は『ん?』とかにたまの方を見てきたが、かにたまは『なんでもないよ』ということで、かに、かに、と鋏を横に振った。
だが。
「……さては、見とれていたかな?」
天城がにやり、と笑うものだから、かにたまは鋏の先っぽで、天城の腕をつんつんつついてやった。天城は『図星か』と笑っていたので、かにたまはまた、かにかに!と天城をつつくしかない!
つくづく、この恋人は中々に賢しく、ちょっと意地悪で……そして、つくづくいい男なのである!
天城の仕事が終わったら、一緒に社員食堂へ向かう。ミナや主催の悪魔がバイトしているそこで、天城は『今日の日替わり』を頼むことが多い。……時々、『今日の日替わり!メガ盛りMAXタワーかつ丼!』といった、老体……否、人間に厳しいメニューが出てくることがあるので、そういった時には別のものを頼むが。
今日の日替わりは生姜焼き定食だったので、平和にそれを頼んで、食べる。……尚、かにたまのこのミニ蟹ロボボディは人間の食べ物を消化できる謎の技術を搭載しているため、天城の分をちょっと分けてもらって食べている!
生姜焼きに添えてあったポテトサラダをかにかにと食べ、サラダのプチトマトを貰い、そしてご飯についてくる梅干しは率先して貰う。……天城は、紫蘇が苦手である。なので梅干しもあんまり好きではない。よって、梅干しはかにたまの担当なのだ!
食事を終えたら、社員寮へ帰る。
……天城とかにたまは同室だ。気を利かせてくれた親方が、『夫婦用の部屋が空いてたからそこ使え』と融通してくれたのである。
「さて、今日も一日よく働いてしまったな……」
天城はソファにどっしりと腰を下ろして、少々疲れたように息を吐く。
その腕の中には、かにたまが居る。当然のように抱きかかえられて、一緒にソファに座ることになるのが常だ。
「……こんな日が来るとは、思わなかったよ」
そして天城はそう言って、穏やかに笑う。疲れてはいても、心地よい疲れ方なのだろう。かにたまもそうだ。今日は一日、よく働いて、心地よく疲れた。
かにたまは、鋏モールスで『こういうのもわるくないよね』と送る。
「そうだな。こういうのも中々、悪くない」
天城も笑って頷いてくれて、それからそのまま、2人でしばらく雑談する。片方がモールス信号であっても、会話がきちんと成立するものだからやはり、かにたまの恋人は優秀なのだ。
そうしている内に、オルゴールアレンジされたキューティーラブリーエンジェル建設社歌のサビが流れる。……お風呂が沸いた時のお知らせ音がコレなのである。社員寮は全てコレらしい。
「おお、沸いたか」
天城は『よいしょ』と立ち上がって……それから、かにたまの方を振り返った。
「……一緒に入るか?」
かにかに!と頷いて、かにたまは天城の後をついて風呂場へ向かう。
このミニ蟹ロボボディは防水性もバッチリなので、恋人とお風呂に入ることも可能なのである!また、現場に出て少々砂ぼこりを被ったボディは、やっぱりお風呂に浸かって綺麗にしたいのだ。かにたまも女の子なので!
そうして風呂でのんびり話しながら温まって、寛いだところで……就寝だ。
社員寮のベッドは、でっかい。……天使達にムキムキが多いからであろうか。ムキムキじゃない天使も居るので、天使は全員ムキムキ、というわけではないはずなのだが……。
「ほら、もうちょっとそっち寄ってくれないか……」
かにたまは、かにっ!とベッドのど真ん中に陣取ってから、天城にそっと脇へ寄せられるのが常である。こうやって脇に寄せてもらうのが、ちょっと好きなのだ。
かにたまを脇へ寄せながら、天城ももそもそとベッドに入ってくる。そうして天城が完全にベッドの中へ納まったら、かにたまは、かにかに、と天城の方へ寄っていって、天城の顔の横、或いは首と肩の間あたりに陣取る。そうしてかにたまが落ち着くと、天城は笑いつつ、部屋の電灯をリモコンで消した。
「じゃあ、おやすみ」
そうして部屋を暗くしてから、天城が挨拶してくれたのを聞いて……かにたまは、かに、と動いて、天城の頬にそっとキスするのだ。蟹のキスなのでなんとも不思議な光景だが。
そして、かにたまがまた元の位置に戻ると、天城もそっと、同じようにしてくれる。かにたまは、この瞬間が愛おしくてたまらない。
……こうして、かにたまの一日は終わるのだが、この一日の終わりには、『人間型のボディ、欲しいな』と思わされるのだ。何故って……蟹のお口は硬いので!
……そして。
会社から支給された目覚まし時計がキューティーラブリーエンジェル建設社歌を元気に流す。
そのアラームをカニカニチョップで止めたら、かにたまも天城もベッドから起き出すのだ。
「おはよう、つぐみ」
かにたまは鋏をちょきちょきやって『おはよう、ひかる』と伝えたら、早速、身支度を整えて朝食を摂りに、社員食堂へ向かうのだ。
……さあ、今日もまた、一日が始まる!おお、キューティーラブリーエンジェル建設!ああ、キューティーラブリーエンジェル建設!




