第三十九話 帰還希望者
桜がいたのは、殺風景な部屋だった。
ランプはついておらず、中は暗い。
ベッド、小さな机、椅子が置かれており、クラスメイトの為に用意された寮の一室である。基本的にクラスメイト達が寝泊まりするこの部屋には最低限の家具しかない。乱れたベッドの皺には生活感があるが、机の中には何も置かれてなかった。まるで先ほどまで人が住んでいたのに、急に人がいなくなったかのような空気がそこにあった。
そんな部屋の中で桜は一人、ベッドに座っていた。
だが、ここは桜の部屋ではない。
千里の部屋だった。
「おい! 妻林はいるかっ!!」
そんな部屋でずっと桜は待っていると、やがて部屋の外から声が――怒声が聞こえた。
だが、それに反応することなくすました顔で待っていると、扉は乱暴に開けられた。
中に入ってきたのは何度か見た顔である男子のクラスメイト三人だ。だが、桜はあまり親しくなかったため名前までは憶えていなかった。
「お前が妻林か?」
三人の中で最も体格のいい男が言った。頭が坊主なのはきっと野球部に所属しているからだろう。
桜の事を千里だと思ったのは、部屋が暗かったため桜のシルエットしか見えなかっただろう。
「この声を聴いて分からないか? 俺は男だよ」
「何だよ、妻林じゃねえのかよ」
坊主の男子は舌打ちをする。
「あ、こいつ、織姫だ。ほら、あの王女様から指輪捜索を依頼された名探偵の」
また別の男子が桜を指差しながら言った。
他の三人よりも明らかに身長が小さく、体も細い男子である。確か彼はサッカー部だったのではないか、という浅い記憶が桜の頭の中で蘇った。
「ああ、あの織姫か。声に記憶がなかったから分からなかった」
最後の男子が言った。彼は三人の中で最も身長が高く、すらっとした体形をしている。確かバスケ部だったと思う。
髪が短くさわやかな男である。
「で、お前はどうしてここにいるんだよ?」
野球部の男が言った。
「元の世界に帰る方法があるんだろう? 面白そうだから聞きに来たんだよ。でも、誰もいなくてね。仕方ないからここで待っているんだよ」
桜はあっけらかんと言った。
「……織姫は元の世界に帰るのか?」
そう聞いてきたのはサッカー部の男だった。
「さあ? まだ考えているところだよ。でも、話を聞くぐらいならいいかなって。君たちも俺と同じ口?」
「違う!」
野球部の男が大きな声で言った。
「じゃあ、何しに来たの?」
「嘘を言って俺たちをたぶらかす妻林を懲らしめに来たんだ!」
野球部の男が憤慨しながら言う。
「お前も仲間だったら一発殴って分からせてやろうと思ったけど、あいつに扇動された哀れな被害者か」
サッカー部の男が桜を見下すような目線で言った。
「そうかも知れない。そんな騙された俺に教えて欲しいんだけど、どうして妻林さんの言葉が嘘だと分かったの?」
桜は下から下から言った。
「簡単だ。そう言っていたからだ」
バスケ部の男が言う。
「誰が?」
「魔術師だよ。この国の宮廷魔術師で、とてもすごい人だ。彼女のことをとても信用しているし、凄くいい人だよ。彼女の言う事だから、元の世界に戻る方法なんて、魔王を倒して神に祈るしかないんだ」
彼女、ね。
そこが桜には引っかかった。
「仲いいの?」
「ん? ああ、“それなり”に仲がいいよ。彼女はとても素敵な人だからね」
暗闇で見えなかったが、バスケ部の男子は照れたように言った。
周りの男子たちも「それなりじゃねえだろうが」、「人に言えない事をやっているんだろうが」と肘でバスケ部の男子をからかい始めた。
なんと分かりやすいのだろうか、と桜は思わず微笑んだ。
「なるほど。君と宮廷魔術師の中はとてもいいみたいだね」
「ち、ちが!」
「そうなんだよ」
「オレらの見ていない処では、言葉にするのもできないぐらいアツアツなんだ」
バスケ部の男子と宮廷魔術師の関係は、桜にはすぐに予想できた。
「なるほど。そんな彼女の言う事だ。とても信用できるな」
桜はあえて彼らに乗ることにした。
仕方がない事なのだ。
肉体関係がある異性がベッドの上で言う事ならば、頭から信じてしまうのが男の悪い性だ。
「そうだろう?」
「でさ、そんな君たちがここに来たのはいいんだけど、今、妻林さんはいないようだよ」
「そうみたいだな。ったく、あいつはどこに行ったんだ?」
野球部の男が苛つきながら言った。
「さあ?」
桜は白々しく首を横に振った。
「織姫、お前はここに残るつもりなのか? あんな詐欺師の言う事は真に受けちゃだめだぞ」
「分かっているよ。でも、元の世界に帰る方法がどんな方法か興味はあるんだよね。君たちは元の世界に帰りたいと言う気持ちはあるの?」
「ないよ」
「ない」
「ねえよ」
桜の聞いた言葉には、三人とも同じ返答をした。
どうやらこの場にいる三人も元の世界に帰るつもりがないようだ。
「そうなんだ。でも、まあ、俺は一応ここに妻林さんが帰ってくるまで待とうと思ってね。もしも君たちが妻林さんを見つけたら教えてくれよ。俺も話が聞きたくてね」
「ふん、あいつに真実を教えた後で良かったらお前にも渡してやるよ。最もその頃には元の世界に帰る方法なんて魔王を倒す事しかない、って言うはずだからな」
「うん。そうかも知れないね。ありがとう」
桜がお礼を言うと、男子たちは鼻を鳴らしながら部屋から出て行った。
扉が閉まった音を聞いてから、桜はため息を吐いた。
あのリビングで秋山と別れてから、桜はずっとこの部屋にいる。全ては元の世界へ同士を募るためだ。帰りたい、という者がいれば喜んで仲間に加えるつもりだった。
桜は懐に入っているスマホを見て、画面を照らす。そこには時間が表示されていた。
既にこの部屋に来てから30分も経つが、残念ながらこの部屋に桜が求める人物は来ていない。
どうやらあのリビングで聞いた通り、他のクラスメイトは元の世界へと戻る気がないらしい。
帰るかどうか迷っている者がいるのなら、舌先三寸でこちらに引き入れるつもりでいたが、迷っている者もいないようだ。
この部屋に来るものと言えば、先ほどのように千里を断罪しようとする者だ。もちろん男子の姿だけではなく、女子の姿もあった。彼らもどうやらこの国の者に千里のいうことが 本当かどうか聞いたようだ。それは騎士だったり、魔術師だったり、また王族のようだ。だが、答えは一緒である。二年二組の生徒を呼び出したのは神なのだから、魔王を倒した後に神が元の世界に帰してくれると、それ以外は偽りであると信じたようだ。
もうこれ以上待っていても、桜の求める者は来ないだろう、と桜は思ったので、この部屋から去ることにした。
桜がこの部屋を出る時、少しだけ寂しそうな顔をした。




