第三十三話 プライズ
恵は動き出したのも、千里が城内を探索している時と一緒だ。
いつものように剣術の訓練を行っている頃である。殆どのクラスメイトが訓練場に集まっているが、もうこの訓練も受けて時間も経ったので最初の頃とは変わっている。
特に桜が訓練に出なくなってから教官の数も増えて、今では個別訓練も行われている。中には弓や槍の訓練も行っているクラスメイトもいる。職業によって適した訓練を行うのだ。
だが、恵の職業は薬師だ。薬草の力で病を治す職業であるので、習っているのは他の多くの生徒と同じく剣だ。
クラス内で恵の職業はあまり重要視されておらず、友達も少ない恵は話す相手もあまりいないので元の世界と同じく一人で多かった。
恵も他の者と同意見だが、薬師と言う職業は“聖女”に大きく劣っていると思っている。
聖女は人々を癒しの力で病を治す力があるようだが、薬師は薬草で病を治すのだ。自分一人の力で治すことは出来ず、薬草の力を借りなければならない。だが、恵は薬師になってから薬草を触ったことはない。宮廷魔術師や騎士に頼んだりもしたが、彼らの回答は変わらず「まだ早い」と言われるのだ。
とても残念であったが、めだたないので逆に今ではありがたいと思うようになった。
教官たちが熱心に教えるクラスメイトも、勇者や聖女などの希少で価値のある職業を持つものばかりだからだ。彼らはマンツーマンで授業を受けるのに対し、自分たちは多対一で受ける。その内容も素振りが多く、手を抜いても注意すらされない。疲れたら勝手に休憩を取っていいのだ。
恵の周りの生徒達は既に休憩を取って、メイドや執事から冷たい茶を貰う者が多かった。恵もあと少しだけ剣を振るう“振り”だけしながら周りを観察する。ちらちらと意識が集中していないようにあらゆるところを見るが、その中で恵が最も見ていたのは――神倉昴の姿だった。
恵は額に汗をかき、腕の振りが徐々に遅くなりながらも神倉を何度も視界の中に入れる。
神倉が行っていた訓練も、本質的には恵と違いはなかった。ただ神倉は専属の騎士団長がつき、彼と試合をして、聖剣を扱う訓練をするだけだ。
どうやら神倉は聖剣の扱いにてこずっているようで、時々光が溢れ出す。それが訓練を行っている他のクラスメイトの目を包み、恵の視界も奪った。そんな事が何回も続くと恵は休憩を取るようで、聖剣を鞘にしまって地面へと座った。
タオルで汗を拭いた彼に近しい他のクラスメイト達と談笑しながら、メイド達の入れたお茶を飲んでいる。隣にはお茶菓子も用意してあった。
恵もメイドに頼めば水は用意してくれるだろうが、桜と同じく国の息がかかったメイドから距離を取っていたのでお茶菓子を用意してくれるほど親しくはなかった。扱いに差を感じるが、恵は気にもしていない。
むしろ今を好機だと感じ、メイドから水のみが入ったグラスを受け取ると一気に飲みながら恵は神倉へと近づいた。
出来る限り親し気な笑顔を浮かべて。
「調子はどうだい? 神倉君――」
「あれ、東雲君かい? 調子は……どうだろうね。まだよくないかもしれない」
神倉の反応は上々だった。
全く人を疑ったことのないような屈託のない笑顔を浮かべながら恵を向かい入れた。どうぞこちらへ、と言わんばかりに横を指差して恵を座るように示した。
だが、そんな恵と比べると周りにいる者達の視線はとても冷たかった。
雨宮可憐や萩村朱音を始めとしたクラスメイト達は、クラスの最重要人物となった神倉へとゴマをするお調子者に見えるのだろうか。
騎士やメイド達からはこれまで大人しくしていた自分が急に動き出したことを疑問に思っていたのだろうか。
それらの疑問を飲み込むように恵は嗤うのだ。
「そうかい。僕にはいいように見えたよ。聖剣の扱いも随分とうまくなっている。光を漏れるのも少なくなった」
「そうかい? そう言われるととても嬉しいよ」
神倉は素直に顔を緩ませた。
彼の素直であどけない性格が、人を惹きつけてやまないのかも知れない、と恵は思った。彼の周りにはいつも人で多く、彼に救われた人間の声で賑わっている。それはここにいる時だけではなく、元の世界にいた時から変わらない。川に溺れていた人を救ったことで新聞に乗った事もあるのだ。
「東雲君はどうしてここに来たの?」
恵を怪しむようにそう言ったのは、神倉の親友である轟 開斗だ。糸目が特徴的で体が大きくがっちりとした体形だ。神倉と同じくサッカー部に所属しており、ポジションはゴールキーパーのようだ。
また恵の聞いた話では、神倉とは幼いころからの親友らしい。
「どうしてって、たまには神倉君と話したいと思っただけさ。ここに来てから全く話さなかったからね」
「……それが今になって、何故だろう?」
「気が向いたからさ。神倉君はいつも人気だからね。あまり話す機会がなかっただけだよ」
「昴と東雲君って仲が良かったかな?」
「教室では何度か話す機会があったよ。そもそも僕は学級委員長だったからね。そのあたりの話、というのもあるのさ」
恵は曖昧に笑う。
神倉は委員会や生徒会には所属していないものの、生徒会役員の一人である萩村朱音の繋がりからか、生徒会の仕事を手伝う事が多かった。その関係で、一年生の時も学級委員長だった恵も神倉と関わる機会は数多くあったのだ。
そんなことを思えば、神倉に話しかけるのは確かに自分が適任だろう、と桜の指示に感心しそうになった。
「本当に目的はそれだけかい?」
「他に何があると思うんだい?」
恵は何も隠していないよ、と大きく手を広げた。
白々しく笑ったりもする。
だが、そんな恵の耳元に口を寄せる形で轟は神倉に聞こえないように言った。
「例えば――クラスの代表の地位を奪いに来たとかか?」
ああ、なるほど、と恵は笑いたくなった。
そういう考えもあったか、と。
確かにこの世界に来る前は、恵は学級委員長として公にはクラスの代表だった。だが、この世界に来てからは実質的に神倉がクラスの代表の扱いとなっている。この国の人間達も、クラスを纏めているのは神倉と思っているだろう。
「そんな事に興味はないよ。全くね」
恵はせせら笑うように小さな声で言った。
クラスの代表の地位などに興味などなかった。誇りすら抱いていない。
一年生の時に学級院長になったのは、高校入試で最もいい点数を取り新入生代表としてあいさつをしたころから、先生たちの信頼が厚くなったからだ。クラスで学級院長を決める時、当時の担任が「お前しかなれる者はいない」と言いたげに恵をずっと見つめてきたのだ。
恵としては出来ればやりたくなかったが、学級委員長になれば教師からの信頼も上がり、内申点が上がるため仕方なく手を挙げたのだ。先生の圧力に屈したと言う理由もある。
また学級委員長になったといって、いい事はあまりなかった。
プライベートな時間がいたずらに奪われるだけだ。
そんな事に関心があると、この男は本気で言っているのだろうか、と恵は声にあげて笑いたかったがぐっとこらえながら道化を演じた。
「あ、あったよ! 理由がもう一つあるとすれば神倉君が食べているお菓子がおいしそうだからね。僕も貰っていいかな?」
恵は大きな声で言った。
この世界のクラスメイトの地位について、全く興味がないというバカな振りを演じながら。
ああ、そうだ。
自分には関係のない事だと思うのだ。
クラスの地位は、彼らにとっては重要なことなのしれない。
神倉のようにクラスの中心人物となり、王女達からの信頼が増える事で保護も厚くなる。この世界で安全に生きていくためには、彼女たちの庇護の中からは抜け出せない。
「いいよ。沢山食べてね」
神倉からの許可が下りたので、恵はお菓子を手に取って一口で食べた。さくさくとした感触と共に甘い刺激が舌を刺激する。元の世界のお菓子と同じほど美味しい物だった。
だが、恵が食べたいのはこんなお菓子ではないのだ。
(おばあちゃんが作った栗ようかんが食べたい)
あのねとりとした感触を思い出す。恵は大好物を頭の中に浮かべていた。
恵は彼らからの庇護やこの世界での地位など必要ない、と心の底から強く思った。そんな不確かであいまいな物よりも、親からの無償の愛のほうが価値のあるものだと。
クラスメイト同士の政争など自分とは別のところで行ってほしいとも思うのだ。
――もう少しで帰るのだから。
そのために一歩を恵は踏み込んだ。
「そう言えば――神倉君、参考までに聞きたいんだけど、聖剣ってどんな感じなの?」
「どんな感じ? うーん、なんといっていいか分からないけど、じゃじゃ馬って感じかな。取り扱いにはとても苦労するよ。まだうまくは扱えないし、暴走だってする。でも絶対に使いこなせて、この世界の人たちを救ってみせるよ!」
神倉の空気は変わらない。いつもと同じく前向きで、強い意思が感じられる。恵を疑うつもりなど全くないようだ。
だが、轟は違う。恵を強く睨んだ。
「東雲君、君は知らないのかも知れないが、聖剣は誰にでも扱えるものではない。それは特別な人しか使えないものだ。君には使えないよ」
それは轟からの忠告だった。これ以上踏み込めばどうなるか分からない、と言いたげだった。
おそらく轟は、自分がクラスメイトの代表を狙っていると考えているのだろう。その為に力のある聖剣を狙っていると。
だが、恵はそれを嗤って受け流しながら言った。
「知っているよ。使うつもりもないよ。轟君は知らないのかい? 僕の職業は薬師だ。勇者じゃない。聖剣なんて、剣なんてとても使えないよ」
恵は手の平を轟と神倉に見せた。
その手は幾つものタコが潰れて赤く染まっていた。先ほどまでずっと剣を振っていた影響だ。小さい頃から運動をしたことのない恵にとって、たこが出来るまで運動をする事なんてなかった。
剣なんて扱えるような体じゃない。
それは恵自身が一番よく分かっている。
「そうかも知れないが……」
轟は戸惑いながら言った。
「なら東雲君は何のために聖剣の扱い方が知りたいのかな?」
「簡単だよ。王女様は言っていただろう? 別のプライズがあったらくれる、って。その時に僕に似合うプライズがあれば、是非とも手を挙げたいんだよ」
「なるほど。それでオレの聖剣の事が知りたかったのか?」
「うん。そうだね。その聖剣を持とうなんて思う事は全くないけど、聖剣については知りたいかな。教えてくれる?」
「いいよ」
二つ返事で神倉は頷いた。
恵が思うに、神倉は全ての情報を恵へと提供してくれた。どのように扱うか、また騎士や魔術師からどんな風に扱えばうまく使えるのかを。恵は熱心な生徒の振りをしながら、神倉が与えてくれる情報を全て手帳へと書き込んだ。
その中で驚いたことと言えば、聖剣は抜くだけで発動条件が満たされるようだ。しかしそれだけでは弱い力を発することしか出来ず、魔族を倒すほど強力な力を使いたければより強い感情で聖剣を振るわないといけないらしい。感情の強さによって、剣の力が変わる不思議な武器のようだ。
「ありがとう。助かるよ」
恵は素直に神倉へとお礼を言って、両手で彼の手を握った。そのままぶんぶんと大きく振った。神倉は照れたように笑っていた。
「もしも東雲君がプライズを手に入れるならどんなものがいいの?」
「そうだね。もしもあるとするなら“アスクレピオスの杖”がいいかな。これから先、怪我が出る人も増えるから、僕はそう言った人を治せればいいと思うよ。」
恵はふざけながら言う。
アスクレピオスの杖とは、ギリシャ神話に登場する治療の神であるアスクレピオスが持っていた杖だ。蛇が巻き付いていたと言われている。彼はどんな病気をも治すと言われており、WHOなど医の象徴としてのマークに使われる事も多い。
医者の息子であり、薬師である恵にとっては相応しい物だと思うのだ。
「なるほど。それはいいね。もしも似たようなものがあれば、君の手元に行くようにゾラ様に頼んでみるよ」
「ありがとう。今日はいい話が聞けたよ」
「いいよ。また聞きたいことがあったら来てね。いつでも話すし、君の力になる」
「分かった。ありがとう」
恵はそれだけ言って神倉たちの元から去ろうとするが、轟から肩を掴まれて止められた。強い力だった。思わず恵の顔が苦痛に歪むほど。恵はその手を払おうとするが、轟の大きな手はあまりにも力が強く、抵抗も出来なかった。
そのまま耳元で、強い声で囁かれた。
「俺は、東雲が昴を狙うのなら容赦しない――」
恵はもう興味がなくなったかのような目で言った。
「――その心配はないよ」
全てを神倉から聞いたので、彼の持つ全てが恵にはどうでもよかった




