第二十九話 犯人
翌日。
桜は早朝からもみじにかけあって、金と銀の鍵を手に入れる算段を話していた。もみじも日記の魔力から逃れられたのか、昨日ほどの執着はなかった。
桜が本格的に動き出したのは午後からだった。
犯人だけに分かるようにこんな手紙を出した。
――話があるから自分の部屋に来てほしい、と。
「全く誰なのよ、こんな手紙を出したのは――」
悪態をつきながら部屋に入ってきた女性は、この世界特有の煌びやかなドレスを着ていた。赤を基調としており、様々な装飾がそのドレスにはなされてある。桜達勇者への贈り物の一つであり、クラスメイトの女子の間では着ている者も多い服装だった。
だが、髪は後ろで一纏めにしているだけだった。女生徒の中にはメイド達に紙を結ってもらっている者も多かったが、彼女はそうではなかった。また装飾品もほぼ付けていなかった。女生徒たちは貴族の男たちから指輪やネックレスなどを貰う事が多いのだが、彼女は両耳に銀色のシンプルなピアスをつけているだけだ。
彼女は勝気な顔をしながら桜を睨みつけるようにこう言った。
「で、あんたが私を呼んだの?」
桜が呼び出したのは、摩那崎礼香だった。
礼香はベッドに座っている桜と、机の前で佇んでいるもみじを交互に眺めながら言う。
「ああ。話があるんだよ。あんたが盗んだ“王女様のもの”についてな」
桜が涼しい顔で礼香を見つめると、彼女はもみじを見てから強く睨んだ。
「……あんたもこんな奴の酔狂に付き合っているわけ?」
「私は桜の推理を聞いていないから知らないわ。でも、彼の事は信じているから」
「つまらない女ね」
「で、どうだ? 俺の予想ではあんたが犯人なんだけど、あっているだろう?」
「何言ってんの? そんなわけないでしょうが。ていうか、勝手に人のベッドの上に座らないでくれる。気持ち悪いんだけど」
桜はそう言われるとやれやれとベットから立ち上がって、木の椅子に座る。もちろん礼香にはベッドへと座るように指示しながら。
桜と礼香はお互いの正面へと座る事になった。
「で、俺の推理を認めないと?」
「ええ。当然認めるわけないでしょ。そんな当てずっぽうみたいな予想で認めるわけがないじゃない。どうせ単なる勘でしょ?」
「いいや、勘じゃない」
「ふうん。なら聞かせてもらいましょうか。あなたの推理を。もちろん全部分かっているんでしょ? あたしが犯人だって言うならどうやって盗んで、どうして私が犯人なのか、そして指輪がどこにあるのかを? 納得できなかったらすぐに神倉君やこの国の人にあんたの事を糾弾しに行くわ」
「いいぜ。まあ、聞いてもらおうか」
それから桜は自分の推理を話し出した。
「事の始まりはシンプルだ。あんたは王女様と一緒に更衣室に入った。間違いないな?」
「そうよ」
「で、王女様にこう進めた。温泉にアクセサリーをしたまま入ると錆びる恐れがあるから外した方がいいと。ここまでは間違いないな?」
「そうよ! ゾラ様はどれも大切なものだって言っていたから、それなら外した方がいいんじゃないかってえな子が言ったの。あたしも同意しただけよ。そもそもあたしもピアスを外したわよ」
「で、王女様と一緒に入って、先に上がって王女様のものを盗んだと。まあ隠す場所なら卓さなったと思う。例えば服の中だな。それだけで見つからないし、口の中なんかもいいと思う」
まるで礼香を犯人だと決めつけた桜に、礼香は眉を吊り上げた。
「盗んでないわよ! そもそも証拠はどうなの? まさか証拠がないって言うんじゃないでしょうね?」
礼香は大きな声で否定した。
そしてふふん、と足を組みながら勝気な顔をする。
だが、証拠を求められても桜に焦った様子はなく、腕を組んで両目を閉じてから目をぱちりと開けた。
「そうだな。じゃあ、証拠があればいいんだな?」
「その通りよ」
「あんたの部屋に指輪があったとしたら、それは証拠だよな? だってこの部屋にはあんたしかいなかったんだから、わざわざ誰かがあんたに罪をかぶせる為に置いた、という可能性も考えられるが、それはないと思っていいな?」
「…………そうね。あるんなら見つけてみなさいよ。でも、きっとないわよ」
自信満々な顔をする礼香。
だが、桜はそんな礼香の顔を見つめてから、立ち上がると視線をもみじへと移した。正確に言うともみじの後ろにある机へと。もみじへとそこを退くように言ってから、机の中を開ける。
「なっ、そこは!?」
焦った声出す礼香。
だが、桜はそんな礼香に気遣う様子はなく、引き出しに入っているものをすべて出した。あまり物はない。化粧ポーチ、簡素なノート、それに布製の筆箱だ。
「そんな場所に指輪があるわけないでしょ」
だが、礼香は落ち着いたように一息ついた。
この小物の中にないことを桜は知っている。
何故なら礼香を部屋に呼び出す前に、桜ともみじは一足先にこの部屋にいたからだ。犯人が礼香だと決めつけた桜は、午前間は部屋を漁ることに費やした。もちろんこれらの小物の中は調べている。それだけではなく部屋の隅から隅まで漁っていたのだ。
もしかして犯人も肌に身に着けているかと思ったが、その可能性は低いと思った。
王女たちは常に誰かが持っていないか怪しんでおり、桜も何度かボディチェックを受けた。怪しい物は何も持っていなかったので助かったが、おそらく犯人も同じことは知っている筈。そんな状況で身に着けるなんてリスクを冒すはずがないのだ。
まだ王女たちは指輪を見つけていない。
見つけている筈がない。
だとすれば、どこかに犯人は隠している筈。
「ここにないのは知っているさ――」
桜は机の下に潜り込んだ。
「なっ、待って――――」
そして机の裏側、壁との接地面に手をやる。
礼香は桜を止めようとするが、それをもみじが止めた。二人の体格にはあまり差がないので、武術を嗜んでいるもみじなら簡単にベッドの上に礼香を転がすことが出来た。
桜は机の下から出ると、右手で“何か”を弾いた。
空中で“金”と“銀”が混じる。
桜は落ちてくるそれを掴んで、手のひらを広げた。
そこにあったのは金と銀の指輪だった。
「――あんたが盗んだんだろう?」
桜はつまらなそうに言った。
「……どうしてわかったのよ?」
一方の礼香は声が震えていた。
絶対に見つからないと思っていた場所なのだろう。
実際に桜も午前中に探した時には気づかなかった。まさか机の上にテープで張り付けられているなんて、夢にも思わなかった。
「あんたの反応だよ――」
「私の反応?」
「ああ、指輪についての話題を出した時、あんたはこの机を見た。もみじの後ろにある机だ。すぐにもみじを見ていると誤魔化したようだが、そのぐらいの機微を見分けられないと名探偵は務まらないらしい」
「……厄介な男ね」
「だろう?」
最も桜にこんな人間観察の能力があるわけがない全ては嘘である
人並外れた観察能力があるゾラならば似たような事ができるのかも知れない。
相手の些細な動き全てを把握し、肩の動き、目線、足幅、些細な手の動き、呼吸など、相手の反応に敏感になればできるのだろう。
そして――先日のゾラとの会話では相手の思惑にまんまと引っかかったが、あれと同じことが一朝一夕で出来るのなら桜も苦労はしなかった。
だから事前に犯人だと目星をつけた礼香の部屋をくまなく探し、指輪は見つけてもそのままにしておいたのだ。彼女より有利な立場を得るために。
「どうしてあたしが犯人だと思ったのか、ついでに教えてくれる?」
「簡単だよ。王女は色々な指輪を身に着けていた」
「そうね。沢山あったわ」
桜の知る限り、王女は金の指輪や銀の指輪も付けていた。
「でも、俺の記憶ではこの指輪を普段から身に付けている記憶はない。でも、どうやら王女は普段から指輪を身に着けていたらしい」
桜は金と銀の指輪を眺めた。
この世界に来た時から、王女様がこの指輪を見た事はなかった。見たのはあの時だけ。教室の一瞬だけだ。
「……」
「で、俺があんたに指輪の事について聞いた時だ。でもあんたはこう言った。
――盗まれた王女様のものは私が外したから覚えているけど、わざわざ盗むわけないでしょ? と。これは覚えているな?」
「覚えているわよ」
「でも、あんたの発言が引っかかったんだ。どうして盗まれた物をあんたが外したんだってな」
「……」
「普通は他人の指輪を外す機会なんてないはずなんだ。手から抜くことぐらいなら一人でもできるからな。俺は最初、あんたは言葉で王女様から外させたと思ったんだけど、それを言ったのは別の女子のようだ。でも、あんたがは確かに“王女から外した”と言ったんだ。指に付けていない指輪を、あんたが外す。こんな矛盾した状況を説明する状況は考えた結果、一つしか生まれなかった」
「……」
「王女はこの指輪を首に付けていたんだ。ネックレスとして。そう考えれば服の中に隠せるし、あんたが外したとしてもおかしくはない。首の後ろって見にくいからな」
「そうね。あたしは王女様のネックレスを外したわ。それは確かにその指輪だった。でもそれだけだったら私が犯人だと言うには少し根拠がないんじゃない?」
「女は普段から王女は沢山の指輪を指に付けていた。そうだろう?」
「そうよ!」
「そもそもな、王女はそもそも公の場で、どんな指輪なのかは言っていなかった。だから指輪の色が何色で、どのような形だったのか、分からない筈だ。だから王女様が盗まれた指輪なんて、特定できない筈なんだ」
金と銀、二つの色をした指輪だという事を知っているのは、直接ゾラから指輪の特徴を聞いた自分ともみじだけの筈だ、と桜は思っている。
もしかしたら神倉など、彼女に近しい人間は知っているかも知れないが、それは桜の把握しているところではない。
「でもあたしはまんまと間抜けに自分で王女様が首に付けていた指輪、と言ってしまったわけね」
礼香は茫然自失になっていた。
目の焦点が合わず、はははは、と力のない笑いを浮かべる。
「その通りだ」
「でもその推理、欠陥があるわよ。もしも王女様が二つの指輪をネックレスにしていたら、破綻している」
負け惜しみのように言う礼香だが、その目に以前のような勝ち気な力はなかった。顔はしょぼくれており、この部屋に入ってきた時より随分と老けたように見える。
「……そうかもな。でも、結果的にうまく行った。その時点で俺の勝ちだ」
桜は遠い目をした。
一つだけ言っていないことがあるとすれば、王女が身に着けていた指輪の正確な数を桜は知っているのだ。
――あの教室に入ってきた時、王女は“三つ”の指輪を付けていた。そして異世界にくると二つに減っていた。きっと最も大切な指輪は胸の中に隠していたのだろう。決してなくさないように。
もしかしたら他の二つの指輪は、最も大切なこの指輪を隠すためのカモフラージュなのかも知れない。
もし礼香の部屋から見つからなかったら、他の容疑者の部屋を探していたのだろう。どこかにあると期待しながら。
「いいわよ。で、どうするの? あたしを王女様にチクるわけ? それであんたは英雄ってわけ? ふん。いいご身分ね。ああ、こうしましょうか? 今からあたしが出頭する。勿論、あんたの事もいうわよ。織姫桜は立派な名探偵でしたってね!! みな――」
礼香は虚ろな目で窓を開けて、身を乗り出そうとした。そして叫ぼうとまでしたのだが、その時にはもう桜は動いていた。すぐに顔を飛び出した礼香の口を塞いで体を羽交い絞めにして、体を入れ替える。礼香は口を塞がれたまま体が柔らかいベッドに沈んだ。髪をくくっていたゴムは桜の体に引っかかって取れて、綺麗な黒髪がベッドに広がる。赤いドレスは重力に負けて、礼香の肌に張り付いた。
そんな彼女の細い腰の上に桜は馬乗りになって、ベッドに押さえつける。手慣れたものだった。
礼香は両手を暴れさせて桜を退けようとしたが、桜の左腕によって素早く両手を掴まれた。礼香はなんとか桜の拘束から逃れようとするが、男の重さと力に勝てるわけがなく真っ赤な顔でもがき苦しむだけだった。
礼香の口の端から声にならない声が漏れる。玉のような汗が開いた胸元に浮かんだ。彼女の豊かな胸元は呼吸によって大きく脈動し、足をこすり合わせるように戦場的に動いた。
桜はそんな礼香の耳元に口を寄せてそっと囁いた。
「まあ、そう暴れるなよ。建設的な話をしようぜ――」
桜の声が耳に当たってくすぐったいのか、礼香は肉付きのいい体をよじった。顔を余計に真っ赤にしながら桜の言葉に礼香は大きく何度も頷いた。
それを見てから桜は少しずつ手を放す。
礼香は口から手が離されても声を出すことはなく、ぼーっと自分の上にいる桜を見つめている。桜は両手を手放したまま礼香を見下ろした。
「ちょっとは落ち着いたか?」
桜は馬乗りをしたまま優しく撫でるように言った。
「う、うん」
しおらしく礼香は頷いた。
二人はしばらくの間、見つめ合う。
「傍から見ていると危ない光景ね。桜、もうそんな事をしちゃ駄目よ――」
もみじは桜を戒めるように言うのだった。




