第二十四話 印
その次の日から、桜ともみじの本格的な調査は始まった。
寮には既に誰もいない。誰もが剣の訓練に行ったからだ。きっと彼らはいつもの場所で汗をかきながら必死に木刀を振っているのだろう。
そう言えば、と桜は少し前に木刀を持ち運べないかメイドや騎士に相談したことを思い出す。危険なので訓練場でしか貸し出されていないらしい。何かの役に立つと思ったのに、真に残念だと思った。
「さて、どこから調査をするかだが――」
桜は玄関から寮の中を見渡して、中の構造を思い出した。
非常にシンプルな造りである。
一階は桜も含めた人が寝泊まりするためのベッドが置かれた部屋が八つほど並び、あとは男女ともに別れたトイレ、キッチン、それに広いリビングにはテーブルと椅子が幾つも置かれてある。水道は通っているようで風呂場はないが、シャワールームだけは管理されていた。
二階や三階は全て寝室用の部屋で、あとはトイレが幾つかあるだけだった。
それ以外には何もなく、怪しい所も特には見つからない。
「私はどこでもいいわよ」
もみじはちらりと外を眺めてから言った。
寮の前では騎士やメイドが自分たちを守るように見張ってあり、メイドに関しては玄関のすぐ傍に立っている。扉が閉まっているため中の姿は見えないが、二人の会話は聞こえるだろう。
また玄関の横にある窓は透明であり、遠くにいる騎士ともみじの視線が合った。
「どこって、しらみつぶしに探すさ。まずは玄関からだな」
桜はそんなメイド達に見えない角度からスマホの画面をもみじだけに見せた。
『王女やメイド達が寮に入らないという理由が気になる』
「分かったわ。私も手伝う。何かあったらすぐに言うわ」
桜はもみじと共に玄関の扉を閉めたまま、その場に屈んで詳しく調べた。
この寮は日本式ではないため、靴を脱ぐための場所はなく、桜達は土足のまま自分たちの部屋へと向かう。寮の入り口からすぐがリビングであり、桜が以前に秋山と会話した場所だった。
手がかりは――すぐに見つかった。
玄関の扉のすぐ横。床に見慣れない小さな模様が刻まれてあった。立っているだけでは見ずらい死角に書かれていて、屈んでようやく認識できるものだった。
稲妻が五芒星を貫いているような模様である。五芒星はところどころ歪んでおり、稲妻はどこか乱暴に刻まれたようにも思える。ずっと見つめていると稲妻の形が歪み、五芒星はどことなく滲んでいるような錯覚に陥る。気を抜けば意識が吸い込まれそうで、目を反らしてまた見ると元の形に戻っていたが、やはり見つめていると空間が歪んでいるように感じて気分が悪くなる。
目の錯覚だろうか。
桜はその模様を手でなぞった。どうやら木を削って作られているようだ。
ふと目を向けるとそれが一つではなく、形やゆがみも全く同じものが扉の両端の床に二つ刻まれてあった。
屈んでいるため二人は外からは見えないと思うので、桜は手招きでもみじを呼んで刻まれた模様を見せる。
見た事のないもの、ともみじは小さな声で呟いた。
桜も同じだった。
意味がない、とは思わなかった。隠すように刻まれてあるのだ。きっと意味はあるのだろう。
『どんな意味があると思う?』
もみじはスマホの画面に打った。
桜は古今東西の印に詳しいわけがなく、この模様がどんなルーツを持っていて何の意味があるのか分からない。似たような印は見た事も聞いた事もなかった。
だが、気になることと言えば、入り口の扉のすぐ傍に刻まれている事。桜の想像が正しければ……その想像が合っているかどうか、もみじへとスマホの画面を通して伝える。
『同じようなマークを探そうぜ。もしかしたら扉や窓の近くにあるかも知れない』
それから桜ともみじは手分けして寮の中を探す。
桜の想像通り、五芒星を貫く稲妻の模様は屋敷のあちこちで見つかった。それも窓の近くや裏口の傍、誰かが出入りする場所に刻まれてあった。
(やはり俺の思った通りだ)
桜の考えた通り、模様は外から人が通りそうな場所に描かれてあった。それも端と端に一つずつ。
もみじはその模様に訝しげであったが、桜はこの情報に思わず笑みがこぼれそうになった。
そしてこの日の調査は数多くの模様、それに他の生徒の部屋に入った事で二枚の英単語が書かれた紙を見つけた事で終わった。二つにはそれぞれ『fish』と『sea』と書かれてあり、意味はそれぞれ魚と海であるが、これも当然のように王女達へと渡したのだった。
◆◆◆
その日の夜。
桜はいつものようにもみじの部屋にいた。
そこにはもみじの他に千里も当然のようにいる。いつも通り三人でたわいのない話を行いながらスマホで話し合う。
『手がかりは見つかったのですか?』
そんな質問する千里に、桜は本日見つけたものを報告した。単語が書かれた二枚の紙は勿論の事、屋敷のあちこち刻まれてあった印まで。
その事を告げると、『凄いですねー』と千里は二人を褒めていた。
『で、これが手がかりなの? 』
もみじは屋敷内で見つけた怪しげな模様が、元の世界に帰る為の手掛かりになるとは思っていない。
『ああ』
『どんな手がかりなの?』
『あの模様が刻まれていた場所は扉や窓の付近。それも必ず二つ刻まれてあった』
『そうね』
『一つなら誰かの落書きという可能性もあるが、これだけ大量に、それも決められた場所に描かれているとなるとそうは言ってられない。きっと何らかの意図があって描いている筈』
『そうかも知れないわね』
『で、書かれている場所が窓や扉だ。どちらも外に通じる場所だ。で、ここで王女たちの“魔術”の話を思い出せばいい。魔術の中には模様を描くことで効果を発揮するものがあるという。これがその魔術だとしたらどうだ?』
『これがどんな効果を生むと言うのよ? まさかこの屋敷を守っているの? こんな木造のおんぼろな寮を?』
もみじは鼻で笑っていた。
魔族はおろか魔物すら訪れない城の近くで、そもそもが高い城壁に囲まれている王都で何から身を守るというのか、と。
『そのまさかさ。ここで一つ思い出して欲しい。王女たちはこの寮に入らない。メイド達も同様に。これまで俺はそれを前にこの世界に来た人たちとの約束だと、王女達に説明されて、信じていたが、違うとしたら? 例えばこの模様のおかげで王女たちが入れないとしたらどうだろうか? この模様は王女たちのような異世界人から寮を守る為に刻まれたって考えると、納得がいかないか?』
『……なるほど』
『確証はない。単なる仮説だ。だが、もしもこの仮説が正しいのなら、一つ疑問が残る』
『疑問って何でしょうか?』
千里は様々な事を思い浮かぶが、疑問などうまれなかった。
『印の主が異世界人と対立していたとしたら、そいつはどこに行った? 元の世界に戻ったのか? それともこの王都の外まで逃げ出したのか? または――この寮にいるのか?』
『王女たちの話では、過去に呼び出された人は元の世界に戻されたと聞いたけど、対立していたとしたその可能性は薄いわね』
もみじは顎を摩りながら思案する。
『王都の外に逃げたと考える事もできますが、塀はとても高いです。逃げるのは困難でしょう』
千里は上を向いていた。きっと町の様子を思い浮かべているのだろう。
桜も城から見た町の様子を思い出すが、城下町も含めて高い塀に囲まれてあった。とても乗り越えられる高さではない。鍵縄などを使わない限り難しいだろう。城門も幾つかあるようだが、きっとそこには門番がいる。抜け出すのも大変だろう。
『だとすればこの寮にいると考えるのも一つだな――』
『いない筈よ。だって誰も見ていないわ。隠れられそうな場所もないわ。私たちだけではなく、クラスメイトの多くが例の紙を探すのに寮を調べている筈よ』
もみじは桜の言葉を否定した。
人が元々いた痕跡は殆どなかった。この寮に入った時はどの部屋も者が殆どなく、部屋の隅々まで埃が被っていた。生活感がまるで感じられなかった。
『そうかもな。ただ一つの可能性を上げるとするならば、数々の模様、それぞれの部屋に置かれた紙、これから見ても、他の痕跡がある可能性が高い』
ある、とは桜も言い切れなかった。
あくまで可能性の話であり、具体的な証拠や確証は何一つとしてないが、状況証拠から見て他に何もないというのは考えずらい。
『どこにあるのよ?』
『人がいるとするなら、生活するとするなら広い空間がいるのに、どの部屋にも生活感はなかった』
『だからいないのよ』
『いる可能性があるとすれば一つだけだ――』
桜は下を指差した。
『地下ですね!』
答えが分かったかのような嬉しそうな顔をしていた。
『ああ、そうだ。もしも人がいるという仮説をして、それなりの空間が必要だとすれば地下しかない。外から見て中の内部構造を考えると寮の中に、隠し部屋があるとは考えにくい。天井裏にもそんなスペースは殆どない。だとすればあとは地下しかないだろう』
『あるの?』
『さあ、どれも証拠はない。けど、探す価値はあると思うぞ。どこに入り口があるかは分からないけどな』
無責任な桜の声に、もみじはため息をついた。
地下への入り口を探したとしても徒労に終わる可能性も十分にある。だが、桜の言う通り探してみる価値があるのも確かであった。
こうして明日の桜たちの予定は決まった。
桜はこのあともみじの部屋を離れて東雲の部屋へと急ぐ。今日得た情報を共有するためだ。彼も仲間の一人なのだから。




