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第37話 聖人


 アタシ、アオノハーレー!ガガラド竜舎に所属する、どこにでもいるごくフツーの牝竜(おんなのこ)

 レースの最中ケガして意識を失っちゃったんだけど目が覚めたらタイヘン!

 死神or暗殺者の2択クイズな格好をした黒尽くめの怪しげな2人組が突然目の前に現れて———?!

 一難去ってまた一難!アタシってばどーなっちゃうの〜?






 ……いやホント、どちら様?









*****







 ———時はアオノハーレーが目醒めるより少し前に遡る。


 クロトーワ競竜場に併設された竜舎。トゥリームオや他の地方から遠征してきた飛竜達が、レース前後に滞在する仮宿とも言える場所。

 その中の一棟は緊迫した空気に包まれていた。


「竜医のホウェン先生はまだかい?!」

「一つ前のレースで負傷した競飛竜(レースドラゴン)がいるらしく、そちらに時間を取られてるようです」

「鎮痛薬投与しました!」


 竜舎の中を慌ただしく行き交う人々の前。飛竜達に与えられた寝床———一般に竜房と呼ばれる———の中、意識を失ったアオノハーレーが敷き詰められた藁の上で、力無く横たわっていた。


 硬く瞳を閉じて長い首を投げ出し、標本箱でピン止めされた蝶のように翼を床に広げている。

 慌ただしい空気の中にあっても、身じろぎ一つしない姿は見ているものに最悪すら予想させる。

 だが翼の生えた背中は規則的に上下しており、生きていることが辛うじて確認できた。


 環境の変化に敏感で繊細な個体の多い飛竜が、騒がしい場所で深く眠ることはまずあり得ない。

 他の競飛竜(レースドラゴン)と比べ、図太いところがあるアオノハーレーと言えども、だ。


 そう、これはただの眠りではない。

 魔法によって体内の魔力を一気に奪われたことによる意識消失、一時的な昏睡状態と言う方が正しい。


 3歳牝竜の二冠目を目標に挑んだG1レース、ケルクス。

 その最終直線でアオノハーレーは失墜。直後、鞍から降りたシークエスによって即座に対飛竜魔法の一つ《泥濘》を施された。


 飛竜は魔力を生み出す生き物であり、魔力無しでは生きられない生き物でもある。

 体内から一度に大量の魔力を失うと飛竜は魔力温存の為に強制的な眠りにつく。

 《泥濘》はこの習性を利用して、対象飛竜の体内から魔力を一定以上奪う事で、強制的に飛竜を昏睡状態にする魔法だ。

 主に怪我や病気の痛みから、暴れる可能性のある飛竜を安静にさせる目的で使用される。今回も魔法をかけた事により、怪我をしたアオノハーレーを迅速に移動させることができたのだが。


 関係者の誰もみな、切羽詰まった様子で安堵は見られない。

 特に担当竜務員のアルルアなどは、目元を真っ赤に腫らしながら、それでも異変があれば見逃すまいとハーレーの傍らに寄り添っている。


 調教師のトトーもまた、横たわるハーレーと竜舎の入り口とを険しい顔で交互に見遣り、落ち着かない様子で、竜医兼月白教の神官でもあるホウェンの到着を待っていた。


 竜舎内にはトトーの部下達以外に、竜主のシフレシカ・デイル・アオノと、彼女に付き従う鎧を身に纏った従者、そして駆けつけたシークエスの姿もあった。

 トトーは、作業の邪魔にならないよう離れた場所で、拳を握りしめたまま立ち尽くしているシークエスへと歩み寄る。


「シークエス、わざわざ来てくれたのかい」

「《泥濘》をかけたのはオレですし、どうしても気になって……すみません、アオノハーレーを無事にお帰しすることができなかった。全てはオレの責任です」

「最後の直線、ハーレーがまた加速しようとしたのを止めてくれたんだろ……危ない目に合わせたね」


 アオノハーレーを心配げに見守るアオノ伯爵の、複雑な胸中を慮ってトトーは、アンタだけでも大事が無くて良かった。という一言を喉の奥に押し込んだ。


 伯爵には共に竜舎へ向かう道すがら、今回の事故が起こったおおよその理由———アオノハーレーが止める騎手と折り合いを欠いて、2度目の加速を使おうと無理をしたからだろうと言うもの———を説明していたが、自身の所有物を壊された事に腹を立てる竜主も珍しくない。

 その怒りが競飛竜(レースドラゴン)を管理する自分達だけでなく、事故の時最も近くに居た者———騎手に一際強く向けられることもまた、珍しいことではない。


 アオノ伯爵が感情的になって怒りの矛先をシークエスに向けるとは、これまでの付き合いから考え難かったが、万が一も有り得る。

 そんな思いから庇うつもりで声を掛けたトトーに、シークエスは普段の感情の読めない笑みを消して力無く首を横に振る。


「最後までアイツのそばに居たのはオレです。アイツのために出来ることがあったはずなのに。そう、もっと何か……」


 悔しげに唇を噛み締めるシークエスの言葉は、竜舎の誰もが抱えた共通の思いだった。

 アオノハーレーには異変の兆候があった。体調自体には問題がなかったとは言え、もっと何かしてあげられなかったのかと誰もが悔やみ続けている。



 その時、竜舎の入り口に影が差した。


 待ちかねた竜医の到着かと、竜舎の面々が肩から力を抜きかけ———強張る。


 入り口には、大小二つの影法師が立っていた。


 影そのものだと錯覚したのも無理はない。

 どちらも頭の先から地面すれすれまで丈のある漆黒のローブに身を包んでいる。神官の証である白いローブを身に纏う竜医とはかけ離れた出立ちだ。

 2人組の内、小柄な方が目深に被っていたフードを払い除けた。


「誰も皆、聖者の前に道を開けよ」


 高く澄んだ声と共に、ローブの下から取り出した錫杖を地面に打ち付けて衆目を集めたのは、水平に突き出た長い耳を持つ、頬にまだまるみの残る少年だった。


 エルフの少年は、幼い見た目に似合わぬ鋭利な眼差しで竜舎の面々を一瞥する。途中、シークエスのところで視線を止めたものの、すぐに視線を剥がすと背後に立つ、もう一つの影に向かって恭しく頭を下げた。


御師様(おしさま)どうぞ、中へ」

「こんばんは、失礼するよ」


 怪しげな見た目からは想像出来ない軽やかな挨拶と共に、上背がある方の影が、男が、竜舎に踏み込んでくる。

 影の胸元で揺れる首飾りを見て、誰かが息を呑んだ。


 神官を代表に、聖職者のみが身につけられる神殿の意匠が彫られた聖なる証。

 この装身具を身につけ、刺繍一つない艶消しの黒いローブを羽織る者は限られている。

 対飛竜魔法の一つにして、最後の魔法《安息》を専門に扱う者達。通称『黒き御手(みて)』。

 そして彼に付き従っている様子の少年が口にした『聖者』という言葉。


「ダリウス・ロン・ナハディ……」


 乾涸びた喉に張り付く声でトトーは、『黒き御手』を統率する者の名を口にした。


 アルアージェ皇国の国教、六罪竜から世界を救った神とその使徒である白の盟主を崇める月白教(げっぱくきょう)。この月白教を説く『白の神殿』から偉大な功績を讃えられ、存命の内に聖人として認定された稀有な人物こそ、ダリウス・ロン・ナハディである。


 彼の名と姓の間に挟まる『ロン』は月白教において聖者を表す唯一無二の称号。白の神殿に所属する全ての神官達を取りまとめる神官白(しんかんはく)や、国王ですら、おいそれと手を出せない最高位を超える番外のような立場を確立している、生きた伝説と称されてもおかしくない人物。


 飛竜との絆とも言われ、彼らの翼に触れられる証、逆鱗を持たない身でありながら途方もない研鑽の末、その翼に触れる(すべ)を得た者。

 対飛竜魔法という魔法体系に新たな魔法を発明し、竜医学に多大な進歩を齎す貢献をした者。


 ———そして多くの競飛竜をその手に掛けてきた、鋼の意思を持つ者。


 ダリウスが所属する『黒き御手』とはすなわち、治る見込みのない怪我や病に苦しむ飛竜が、それ以上苦しむことのないよう《安息》という魔法を用いて、苦痛なき死を与える者達だ。

 

 そんな男がハーレーの眠る竜房へと近付こうとしていることに気付いたトトーが、小さな身体を彼の進路に割り込ませる。


「お待ちください!恐れながらアオノハーレーは竜医の到着を待つ身です。御身の手をお借りする状況なのか今しばらくお待ち頂きたい……あっ!」


 ダリウスを止めようとしたトトーを、少年が細身の錫杖を突きつけて押し除ける。


「退け。御師様(おしさま)の邪魔をするな、立場を弁えろ。竜医の診断など待たずとも、同じように診断を下せる御師様が直々に判断すれば良い。御師様であれば鼻薬を嗅がされる心配もない、正しく飛竜の状況を判断して下さる」


 不愉快げに吐き捨てた少年は、意味深に視線をシフレシカに向けた。

 まるで貴族は鼻薬を嗅がせて診断を捏造するとでも言いたげな態度に、シフレシカの隣に立つ黒鎧の騎士がガチャリと身じろぐ。


「生ける聖人にこんな物言いは不敬だと百も承知で申し上げる……どうか竜医の到着を待って頂きたい」


 錫杖を突きつけられながらも懇願を重ねるトトーに、ダリウスは心底困ったように肩をすくめた。


「押し掛けた形になってしまった事はお詫びしよう。けれどこうしている間にもアオノハーレーが苦しんでいるならば、竜医と同じく診断を下せて同等の能力を持つ私が診るべきだと思うが、違うかね?」

「ハーレーを早く『治して』楽にしてやりたいとは皆思ってますよ。ただ貴方に任せて大丈夫なのか不安が大きいんです」


 錫杖で抑え込まれているトトーの背を支えるために手を伸ばし、会話に割って入ったのは、黄緑に輝く瞳を細く眇めたシークエス。


「冴えない血統。零細竜牧場生まれ。それでも中皇競竜を勝ち上がり、ついには重賞すら勝った。青い鱗で、牝竜……何より『アオノ』が竜主。似通った点が多過ぎるんだ、ハーレーは」


 シークエスが、上げ連ねた幾つもの条件。当てはまるのはアオノハーレーと、かつて存在したもう一頭。


「……私が意図的にアオノハーレーを殺す判断をすると?」

「アオノフラックスが貴方の人生を変えたのは、競竜に携わる者の間じゃ有名な話だ……人生を変える程の後悔を晴らすには、うってつけ過ぎると思いますけどね」


 不遜なシークエスの言に、ダリウス本人ではなく付き従う少年が目尻を釣り上げ、威嚇するように錫杖を地面に叩きつけた。


「神殿より聖人の証『ロン』の称号を賜った御師様(おしさま)に対して一介の騎手風情が無礼が過ぎるぞ!」

「人は魔が差す生き物だ……どんなに尊い志を持っていようと、過去が重なる場面に出会せば何が起きるかわからない」

「……貴様、御師様を侮辱する気か『バロールの落とし子』」

「オレはオレの相棒を守りたいだけだ。侮辱ってんならそっちだろ」

「やめなさい、ハルトルード」


 肉が削げ落ち骨が浮き上がる皺だらけの手が、睨み合う2人の間に差し込まれる。

 それまでシークエスを忌々しげに睨んでいたハルトルードと呼ばれた少年は、すぐさま頭を下げて身を引いた。

 言い争いを収めたダリウスは、何かを決意したかのように細く長く息を吐く。


「そうか。君たちの懸念は理解した……———その上で『アオノ』の飛竜なら、やはり私が診ないわけにはいかない。それこそ後悔を繰り返さないために。自らの意志で生きる道を選べない彼らの地獄に底を作ると、そうフラックスに誓ったんだよ、私は」


 フードに隠れたダリウスの顔が、ハルトルードへと向けられる。

 これを合図と受けとって、少年は無言で頷くと錫杖を両手で握り、頭上へと掲げる。錫杖の先端に付いた魔導石に魔力が宿り———。


「———皆、ロン・ナハディを通してほしい」


 何らかの魔法が発動しかけ、場の空気が一気に張り詰めた瞬間、玲瓏とした声が響く。

 その場の人間達の注目が、それまで事の成り行きを見守っていたシフレシカ・デイル・アオノへと集まる。


「……は、伯爵、よろしいのですか?」


 戸惑うトトーに、シフレシカはダリウスを見据えたまま「ええ」と短く返す。


「トトー先生。あなた方がハーレーを心配してくれていることは十分理解しています。けれど竜医の到着を待つ間もハーレーの苦しみが続いているのは、ロン・ナハディの仰る通りだと思うのです」


 言葉を区切り、ダリウスの前へと進み出たシフレシカを、ダリウスはフードの奥から見つめ返す。


「君が当代の……」

「シフレシカ・デイル・アオノと申します。黒き御手ロン・ナハディ、貴方は《安息》以外にも飛竜の怪我を唯一回復させる魔法《回生》を発明された方だと聞き及んでおります。どうか苦しむハーレーを正しくお救い下さい」


 







*****







「さて、アオノハーレー。怪我の具合を確認させて貰うよ」

「御師様、暴れないようにまた眠らせますか?」


 怪しい二人組の大きい方が、見た目の胡散臭さに反して優しく語りかけてきた。対して小さい少年からは、何だか物騒な言葉が飛び出す。

 暴れないようにって何するつもりだよ。

 痛む右翼を庇いながら警戒するジブンの様子に大きい方が、いや、と否定する。


「何度も魔力を奪って意識を失わせたら、それこそ体の負担になる。幸いアオノハーレーは落ち着いているからこのまま施術しよう。ハルトルード、一応暴れた時のために準備だけ頼むよ」

「はい!お任せください」


 会話の内容的にお医者さんなの?その死神みたいな見た目で?

 竜房の中に入り込んできた2人組のうち、小さい少年の方は大粒の魔導石が付いた杖を両手で握ると、距離を取って竜房の端に寄った。


 背の高いフードを被った方は、ジブンを怯えさせないためかそっと近付くと、集中力を高めるためだろう数回深呼吸をして、おもむろに右手の人差し指をローブの裾から突き出した。

 枯れ枝のように細い、今にも折れそうな指先がジブンに向けられる。


 何をするつもりだろう?不安に勝る好奇心から、動向をまじまじと観察する。


 ローブに包まれた身体の中で、循環していた魔力が指先に集まるのが見える。

 身体全体を包み込み、広がっていた魔力が、集められ束ねられて、指先の一点へ。

 指先に集まった魔力は大きく渦を巻いて、その波長を変えていく。

 驚くべきことに、人間ごとに個別に存在するはずの色の匂いこと魔力が、揺らめきながらその色合いを変化させている。


 ええっ、そんなことできるの?!


 指先を除く他の部分に残った魔力に変化はない。指先だけだ。指先に集まる魔力だけが変化している。何の為か分からないけれど、一点に集めた魔力の一部だけを操作して変化させているんだ。


 魔力を変化させた黒いお医者さん(多分)は、変化させた魔力で覆った指先を痛む右翼に当てた。

 そのまま翼や背中を中心に、指先があちこちを滑る。

 触れてくる指先は決して強い力ではないので、触られたことによる新たな痛みはない。

 診察しているような動きなので、邪魔しないように先程見た不思議な光景へと意識を逸らす。


 色の匂い———魔力をわざわざ変化させたのはどういう意図があるのかさっぱりだけど、魔力の流れを操るところはジブンのロケット加速と似ているかもしれないな。

 このお医者さん(仮)の場合は指先一点に集めた魔力の一部だけを操作してるみたいだけど。





 一点に集めた魔力。

 一部だけを操作……。







 ……って、——————あ。




 こ れ だ 。


 稲妻の速さで天啓が降ってきた。

 湧き上がる興奮で鱗がぶわ、と開く。


 竜房の隅で事の成り行きを見守っていた少年エルフくんがジブンの変化に驚いて、とっさに杖を構えるのが視界の端に写る。けれど、今はそれどころじゃない。


 これだ、これだよ!カイセイルメイに勝つ糸口!!


「……うん?痛み———いや違う、興奮?」


 指先を突きつけたまま戸惑う様子のローブの人に顔を寄せる。


 ああ、この感謝と喜びをあなたに伝えたい!

 よし、いつもは特別親しい人———ミュゼとかにしかやらないし、ここまで熱烈にはしたことないけど大盤振る舞いだ。

 

 溢れんばかりの感謝を込めて!!ハーレー、いっきまーす!!


「どうし、おっぷ……!」 


 あ、そーれぺろぺろ。ありがとうぺろぺろ。感謝のキスならぬ感謝のぺろぺろ。経験上、飛竜が好きな人でコレやられて喜ばない人はいないからね。お医者さん志すくらいなんだから飛竜大好きなんでしょ、OKわかってる皆まで言うな。賢くて可愛い牝竜チャンが特大サービスしてあげちゃうヨ!ぺろぺろちゅっちゅっ!


 あ、鼻先に引っかかってフード取れた。

 フードの下からは、枯れ枝みたいな手の感じから想像できていたけど、真っ白な頭髪の痩せたおじいちゃんが現れた。

 身に纏う嫌な空気からは想像出来ない、いかにも優しそうな顔立ちだ。


「お、御師様!?大丈夫っ……です、か……?」


 困惑しきりなエルフの少年を尻目に、固まってしまったおじいちゃんの顔をまだべろべろ舐めていると、枯れ枝のような手が伸びてきて鼻先をぐいと押される。


「こら、こら。やめないか……あぁ———まったく、困ったやつだな」


 シワだらけの顔の中に埋もれた黒い瞳がジブンを映し、じんわりと潤みながら眇められる。

 ジブンを通じてどこか遠くを見る、とても優しくて———悲しい目。


 泣かないで。そんな思いを込めて今度はそっと頬を舐めると、戸惑った様子で折れそうに細い手が頬を撫でた。


「普通の飛竜は、私にまとわりつく死の気配を恐れるのだけれど。アオノハーレー、変わった子だね……」


 おじいちゃんが消え入るような声で呟いた「ありがとう」は、果たして何に対してだったんだろう。








*****







「———そうだ、そこの騎手くん。アオノハーレーが墜落する直前、君はハーレーの背中で何かしていたね?何をしたのか聞いてもいいかな」 


 ダリウスがハーレーの翼の状態を確認し終えた後。

 徒弟のハルトルードが差し出したハンカチで舐め回された頬を拭ったダリウスが、竜房の外で待機していたシークエスへと問うた。

 問いかけられたシークエスは、当時の事を思い出して眉間に皺を寄せる。


「……ハーレーが無理に再度加速しようとする兆候があったので、止めようと左翼の魔力の流れに介入しました」

「そうか、それで……」


 得心がいったとばかりに独りごちたダリウスは、竜房の中を覗き込む人達へと向き直る。


「アオノハーレーの右飛翼上翼骨は折れています」


 下された診断結果に周囲の空気が一気に温度を失って重く、沈む。


 回復魔法の《回生》は飛竜が本来持つ自己治癒力を強化する魔法で、骨折が治療不可能な程酷い場合———複数箇所の骨折や粉砕骨折、開放骨折など———は使用しても殆ど効果がない。


 そうなると《安息》を用いた安楽処分という最終手段しかないわけだが。


「———大丈夫、比較的軽度で骨同士のズレもない。これなら《回生》による治療が可能だよ。確約はできないが競走能力を失うこともないだろう」


 顔色をなくしたトトーやシフレシカ、涙を浮かべるアルルアに気付いたダリウスは彼女達を安心させるように、言葉を続けると次いでシークエスに向けて微笑みかける。


「恐らく、君が加速を止めたことで左翼は折れずに済み、左右で発生させる魔力のバランスを崩した事で加速も不完全になったのだろうね。止めていなかったら……両翼ともこの程度では済まなかったはずだ。貴方のエルマール(ハーフエルフ)としての魔力の扱い、騎手としての判断力が優れていたおかげだ」


 聖人から手放しの賛辞を受けたシークエスは、しかし、苦い表情で拳を握り締める。


「オレが本当に優れていたなら———……いえ、当然のことをしたまでです」


 この間、渦中のアオノハーレーは会話の内容を分かっているわけではないはずだが、長い首をもたげてシークエスを見つめていた。


「良い騎手に巡り会えたね。彼は君の命の恩人だよ。彼のおかげで私も君を救えるんだ」


 語りかけられ不思議そうに首を傾げるアオノハーレーへ、ダリウスは再び細い指先を突きつける。

 そして聖者はその称号に相応しい、慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。


「おやすみ、アオノハーレー。次に目覚めた時は痛みから解放されるはずだから、もう2度と私に会う事のないように———健やかに生きるんだよ」








 無事に治療が終わり、再び眠りについたアオノハーレーの竜房からダリウスと徒弟が退出すると、竜舎に詰めていた人間の中からシフレシカが最初に近付き、頭を下げた。

 その後にトトーやシークエス、竜舎の面が続く。


「ロン・ナハディ、ハーレーを救ってくださり、心より感謝申し上げる」

「———救える飛竜は必ず救う。助からないのならば安らかに送る。私は私のするべき事を全うしたまでですから頭を上げてください」


 ダリウスの言葉をうけて、他の面々がぱらぱらと顔を上げていく中で1人、シフレシカだけは微動だにせず頭を下げ続けていた。


「……勝手ながら、貴方と我が家の事を調べさせていただきました。祖父のしたこととはいえ、あまりに人道を失した行いで言葉もありません。先先代に代わり謝罪します」 


 シフレシカの謝罪を受けて、長い年月雨風に晒された巌のように揺るがない瞳をゆっくりと瞬かせたダリウスは、静かに口を開いた。

 

「———謝らないでください。それは貴女の罪ではないのです。……そしてフラックスが、あの子が苦しみの中で命を落とした事実もまた、変わらないのですから」


 顔を上げたシフレシカの薄氷色の瞳と、ダリウスの怒りも憎しみも無い凪いだ瞳が交わる。


「欲望に目が眩めば人は簡単に道を踏み外す……。貴女にアオノフラックスの一生を哀れと思う心があるのなら、どうかそのままでいてください。そして貴女が所有する命の重さにどうか、鈍感にならないでください」


 ローブを翻し、宵闇の中へと消えたダリウスの言葉に、竜舎の誰もが動けないでいる。


 アオノハーレーが立てる健やかな寝息だけが動けない人間たちの間に波紋のように広がり、そして消えていった。


私生活がバタついて更新遅くなりました、申し訳ありません。ひとまず落ち着いたのでまた更新再開していきます。次回は閑話でダリウスの過去のお話を挟む予定です。



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競竜界のドクターキリコ……?
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