第34話 君に捧げるケルクス 中編
茜色の空を、レーベネという名の緑の飛竜が先陣を切って進む。
3竜身ほど先を行くその背を追いかける競飛竜達の先団に、カイセイルメイと鞍上のカヤトーは居た。
今日のレースでも、やはり出遅れてしまったカイセイルメイに、すぐさま鞭を振るって発破をかけた。半ば強引に先行集団に着けたのは、調教師でありカヤトーの大叔父ハヴィカからの指示だ。
ゲートに難のあるカイセイルメイが、今まで一度もやってこなかった前目でのレース。
他の先行組の頭上を蓋するように飛びながら、カヤトーはルメイの首元に装着された舵を握り直す。
舵を伝って、飛竜を恐れるルメイの恐怖が這い上ってくるようだ。
罪悪感に胸が潰れそうになりながら、カヤトーはハヴィカとの会話を思い出す。
*****
「次のケルクス、最初に少し無理をしても構いません。先行で行きましょう」
ケルクスに向けての調教を終えたある日。
事務所に呼び出されたカヤトーは、ハヴィカにそう宣言された時、思わず「無理だ」と口にしそうになり、すんでのところで何とか堪えた。
青二才の自分が、調教師の選択に真っ向から意を唱えることなどできないからだ。
それでも竜群を嫌うカイセイルメイが大人しく先行で飛べるイメージはわかない。粗相が見つかって親に言い訳する子どものように、視線を足元の磨かれた床に落とし、歯切れ悪く言い募る。
「……で、ですがルメイは他の飛竜が近くに居るのを嫌いますし、なによりゲートの出遅れ癖があります」
カヤトーの指摘などとっくに織り込み済みだろうハヴィカは、それでも嫌な顔一つせず鷹揚に頷く。
「ええ、今まではルメイの性格とゲート難もあって最後尾からまくるレースをしてきました……けれどアオノハーレーに追いつかれたらルメイの翼が鈍ると判明した今、追いつかれる可能性が高い策は取れません。しかも今度のケルクスは18頭中17頭の外枠。後方待機をしては嫌でも大外を回らないといけなくなる。ケラスースより距離が伸びる今度のコースを、外を回って余計な距離を飛べば、またアオノハーレーに追いつかれかねない」
ハヴィカは一旦言葉を区切ると顔の前でピッ、と右手と左手の人差し指を立て、それぞれの手を離す。
次に右手の人差し指を先にすっと横に滑らせる。やや遅れて左手の人差し指を右手と同じ方向に少し早く滑らせて見せた。
「僕の見立てではアオノハーレーの末翼は持って1マイル前後。あの飛竜が加速を始める前に追いつかれないだけの場所から先に加速するんです。加速力ではアオノハーレーに分がありますが、長い距離持つ末翼ならカイセイルメイに分があります。どんなに急激な加速ができても距離さえあれば追いつかれない。シンプルでしょう?」
「それならいっそ逃げを打った方が……」
逃げであれば周りを飛竜に囲まれることはない。他の飛竜を恐れるルメイとしては先行よりもずっとやりやすいはずだと判断したカヤトーの提案に、しかし、ハヴィカは浅黒い手のひらを突きつけて言葉を遮る。
「———それは良い選択とは思えません。次のレースには逃げを得意とする飛竜レーベネが出ます。あのレーベネとレース序盤から先頭を競り合ったりしたら、他竜を恐れるルメイの性質上、どこまでも無理をしてしまう可能性が高い。レース開始から最後まで無理をして逃げ続けてもあの子の心臓は持つでしょう……ですが翼は?同年齢の競飛竜と比べても小柄で華奢な翼には負荷がかかりすぎる。ルメイの性質と併せて考えれば危険過ぎます」
「それは……確かにそうですが」
ガラスの翼と揶揄されることもある競飛竜の中でも、小柄なカイセイルメイは輪をかけて翼の強度に不安がある。
カイセイルメイが抱える唯一の肉体的不安要素を持ち出され、口籠もったカヤトーを見て、ハヴィカも口惜しげに肩を落とした。
「———ルメイにアリューヌ王国の『黒帝』程とは言わないまでも、せめて並の飛竜と同格の体格や強靭さがあれば良かったのですが……いえ、詮無きことですね」
「……ですが、先生。そうだとしてもオレにはルーが他の飛竜に囲まれて堪えられるとは思えません」
「おや、君はそう思うのですね」
「えっ?」
それではまるでハヴィカはそう思っていないような口振りではないか。
カイセイルメイは飛竜を恐れ、逃げるために全力で飛ぶ。そんな飛竜が、大嫌いな竜群の中で大人しくできるわけがないのに。
柔らかな黒髪を揺らし、怪訝な顔で聞き返したカヤトーに、ハヴィカはブルーグレイの瞳をスッと細める。微笑んでいるようにも、冷たく見下ろしているようにも見える、感情を読み取れない目だ。
「モルゴとロラーン。この2人に人間好きのルメイがなつかない理由をカヤトー、君は知っていますか?」
突然挙げられた名前は、セイゲツ竜舎に所属する竜務員のものだ。
セイゲツ竜舎は他の竜舎と違い、競飛竜の面倒をみる竜務員は担当制ではない。在籍する全ての競飛竜を持ち回りで世話するローテーション制を採用している。
多くの人間と接する事で飛竜は人に慣れ、扱いやすくなる。
また複数の目で観察することにより、飛竜の体調変化や、異変の見落としが生まれないようにするという考えからだ。
しかし特例として名前の挙がった2名はカイセイルメイの持ち回りから外されている。
理由は単純で、カイセイルメイがこの2人をあからさまに嫌がるから。
しかしなぜルメイが嫌っているのかは、竜舎所属騎手のカヤトーも把握していない。
問いかけに答えられないカヤトーに、ハヴィカは静かに告げる。
「———わらったんですよ、あの2人は。ルメイが初めて竜舎に来た日……竜舎のボス格だったヤジールアヤタルに威嚇されて、怯え立ち竦んだあの子を見てね」
勿論、竜務員2人に何らかの悪意があったわけではなく、少し威嚇されただけで滑稽なほど怯えてしまっていましたから……つい吹き出してしまった。本当にただそれだけなんでしょうけれど、ルメイは気付いていたんでしょうね。と感情の乗らない声でハヴィカが続ける。
「カイセイルメイは人をよく見ている。生まれ育った環境のせいでしょうか。飛竜との交流は出来ずとも人の感情の機微には特別聡い子です……彼らの言葉や態度から覗いたわずかな侮蔑を正確に読み取ってしまった」
「確かにアオノハーレーとの出来事を思えばあり得なくはないですが……竜舎に入ったばかりで周りの人間の区別もつかない頃にあった些細なことを覚えていると?」
カヤトーもその場にいたが、あの2人は露骨に大笑いをしたわけでも、声を出して揶揄ったわけでもなかったはずだ。
そんなことをしていたら周りの誰かか、竜舎を統括するハヴィカから厳しく叱責されただろう。
せいぜい陰で小さく笑った程度だったはず。
そんなカヤトーの疑問に、ハヴィカはにっこりと微笑んでみせた。
「その疑問に答える前に。ルメイがどうして甲斐甲斐しく世話をする竜務員たちより、騎手の君に一番懐いているのかわかりますか?」
それはカヤトー自身が常に感じていた疑問でもあった。
ヤジールアヤタルや、竜舎所属の他の飛竜から庇ったことも多々あるが、それが常態化するよりも以前からルメイはカヤトーによく懐いていた。
他の飛竜が多く居るレースも好きではないはずなのに、そのレースで鞭を振るう騎手を一番に慕っているのだ。普通なら嫌われてもおかしくないはずなのに。
問いへの答えを持たないカヤトーへと、ハヴィカは手を伸ばして、心臓の真上に指を突きつける。
「……ルメイが初めて竜舎に来た時。君が誰よりも早くヤジールアヤタルからルメイをその背に庇ったからです。君にとって些細なことでもルメイにとってはそうではないんですよ」
「そん、な……」
カヤトーは自分が一番に庇ったかどうかなど覚えていない。
———なのにルメイは、そんな些細な出来事を宝物のように抱えて、ずっとカヤトーを慕ってきたという。
飛竜という生き物の、カイセイルメイという飛竜の、あまりのいじましさに眩暈がした。
「カイセイルメイという飛竜は、君のことを誰よりも信頼している。君が望むなら、君が居てくれるなら、恐ろしい竜群の中ですら彼女は耐えてみせると僕は考えます。逆を言えば……君で無理なら彼女が安全に、確実にアオノハーレーに勝つ道はない」
だからこそ。と言葉を区切ったハヴィカの視線がカヤトーを射抜く。
「僕は君とルメイの絆に賭けたい」
「絆、オレとルーの……」
「ええ、絆。美しい言葉です。語源の意味は『木に家畜を繋ぐこと』ですがね。カヤトー。君が絆の力でルメイを操り、アオノハーレーに勝つんです……相手はルメイを負かしたケラスース優勝飛竜。失礼があってはいけません。全力で、完膚なきまでに、絶望を突きつけてきなさい」
丁寧な言葉の端々に、先のレースで苦渋を舐めさせられた名調教師の勝負師としての冷酷さを潜ませて、ハヴィカが命じる。
アオノハーレーに勝つためにルメイの献身を利用しろと言われている。
健気な愛竜の思いを突きつけられたばかりで動揺するカヤトーが考えもまとまらないまま、開こうとした口を、ハヴィカが冷たく見据えて塞ぐ。
「やりたくない、とは言わないでくださいね。勝負の世界ではどんな手段も使えるのなら大事な手札です」
ハヴィカの、カヤトーと同じ灰色がかった青い瞳に炎が揺れている。
「きみとルメイの『絆』を信じていますよ」
*****
レースは大きな変化もなく、楕円型をしたコースの第二コーナーを曲がり終え、次のコーナーへ続く長い直線に入った。
カイセイルメイはハヴィカが信じた通り、他の飛竜を恐れながらもカヤトーと折り合いを欠くことなく、じっと耐えてくれている。
距離が多少あるとは言え、本来なら足元に群れる飛竜達から一刻も早く離れたいはずなのに。
———無力だった。
ルメイの恐怖を拭えないまま、献身を利用する事でしか勝ち筋を見出せない自身の力の無さを、まざまざと思い知らされている。
それでも。どれだけ自分の未熟を突きつけられようと、負けることだけはできない。
カイセイルメイはカヤトーにとって特別な飛竜だ。
初めてG1勝利を与えてくれただけではない。ここまで自分に懐き、恐怖を抑え込んで、信じて委ねてくれる。
こんな飛竜、きっともう出会えない。
新米の分際で、たいして競飛竜に乗っていないくせに何を言うのかと、他人は笑うだろう。
———けれどカヤトーには、カイセイルメイが『特別』だと断言できる。
舵を握りしめる自身の、指抜きグローブに覆われた右手をちらと確認する。
昔からまことしやかに言い伝えられている迷信のたぐい。
逆鱗持ちは生まれてくる前、神様の御許で一頭の飛竜から鱗を分けて貰う。だから逆鱗持ちには鱗を分けてくれた『運命の飛竜』がこの世の何処かにいるというのだ。
騎手の中にはこの迷信を信じている者も多い。普通なら断るような騎乗依頼も、鱗の色次第で受ける騎手もいる程に。
カヤトーもそこまで露骨な熱意はないものの、ぼんやりと「いつか出会えたらいいな」と思って生きてきた。
———カイセイルメイと出会うまでは。
カヤトーの浅黒い手の甲に生えた逆鱗。乳白色に虹色を帯びて輝く鱗の連なり。
きっとルメイこそがカヤトーの運命の飛竜だ。
いつかルメイは競飛竜を引退する。その時までに少しでも多くの賞を獲らせたい。
それはカイセイルメイに乗って自分が大きな賞を勝ちたいという思いよりもずっとずっと強かった。
引退する時に沢山の賞を持たせてやれたなら、彼女の価値は大きくあがる。価値が高まれば多くの人間から手厚く、大事にして貰えるはずだ。
同胞に馴染めないこの哀れな飛竜が、せめて優しい人々に囲まれ、大事にされ寂しい思いをしない未来のために。
そのために。
夕日がほの赤く染める光線帯は直線の半ばを過ぎた。
カヤトーはおもむろに鞭を振り上げる。
沢山のものをくれる飛竜に鞭を振るうことしかできない己を恥じながら。
身勝手な思いと知りながら。それでも。
カヤトーにできることは彼女に残りふたつの女王の冠を、そしてその後に挑むだろう全てのレースで勝利を捧げて華々しく送り出す事だけ。
声に出さず、口の中で呟く。
『ルー。恐怖に屈しないお前にこそ、女王の冠は相応しい』
振り上げた鞭がしなる。食いしばった歯の隙間から、胸の奥底を這い上がって唸り声が漏れ出た。
「ルー、行けぇッ!」
竜鞭が魔力を帯び、鱗の上で弾けた。
騎手の仕掛けに呼応するかのように、舵から伝わる感情が恐怖から気迫に変わる。
カイセイルメイが大きく、大きく、息をした。
小さな白い翼が力強く翻る。
カヤトーの早じかけに、カイセイルメイの下を飛ぶ先行組は気付かない。否、まだ気付けない。
魔力を満たしたカイセイルメイの翼が数回、大きく羽ばたいただけで先頭を行く緑竜の背を捉え、追い抜いた。
緑竜の鞍上が、翳った視界に気付いて追いすがろうと鞭を振る。だが並の飛竜でカイセイルメイに追いつけるはずがない。
先頭に立ったカイセイルメイはみるみるうちに後続を引き離す。
遠ざかる竜群を意識しながら、カヤトーは自らの愛竜の様子を確認する。
今も変わらず恐れの感情はあるだろう。けれど恐怖に駆られて、闇雲に逃げようとはしていない。
加速しながらも、常に鞍上のカヤトーを気にしてくれている。意識が向いていることがわかった。
行ける。カヤトーが手応えを感じて舵を強く握り直した、その時。
———ゴッ。
空を突き破る鈍い音が後方から聞こえた。
カイセイルメイは小さな機体にモンスターエンジンを搭載しているイメージです。
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