第19話 幕間『騎手シークエス・ディアー』
トトーがトゥリームオに所有する事務所は入り口が一ヶ所、窓が一つ。扉を隔てて給湯室があるだけの非常にこじんまりとした造りだ。
入り口正面の壁に寄せられた棚には、ガガラド竜舎に所属し、賞を取ってきた思い出深い競飛竜達の写し絵が飾られており、事務所を訪れた者を出迎える。
入り口から対角のスペースは木製のパーテーションで区切って応接間代わりにしており、古びたソファが机を挟んで向き合う形で2つ並ぶ。
机の上に置かれているのは横長の薄い鏡を取り付けた魔法道具、映し鏡。ここでレース映像や調教の様子を確認している。
「すみません、俺にハーレーの騎手は無理です」
アオノハーレーの次走について話をするため呼び出した若い騎手は、トトーに伴われ事務所に足を踏み入れてすぐ、深々と頭を下げて切り出した。
「俺アイツの背中に乗るたび、いつまたあの加速を使われるか怖くて生きた心地しなくて。ずっとアイツに殺されるんじゃないか、アイツと心中することになるんじゃないかって思って……すみません、先生。せっかく伯爵様から預かった飛竜に乗せてくださったのに期待に応えられなくて。本当にごめんなさい」
今にも罪悪感で押し潰されそうな表情を浮かべた青年。その口から堰を切ったように溢れた謝罪は辿々しく、だからこそアオノハーレーという競飛竜に抱く恐れが切実に伝わった。
長年、競飛竜に携わって来たトトーですら持て余すような存在だ。
ハーレーの背中で荷物になっているだけでいいとしても、まだまだ若手に分類される青年に任せるには荷が重すぎた。そういうことなのだろう。
「そうかい……トーマ、無理をさせたね」
自身の竜舎所属の騎手とはいえ可哀想なことをしてしまった自覚から、まずは労りの言葉を先にかける。
続けて、それでもこれだけは言っておかなければと思っていたことを口にしようとして。
「だから新竜戦でわざと手を離したって?」
トトーが声を発する先を奪い、刃のように鋭く無遠慮な指摘が割って入った。
驚いた2人が声のした先、背後の入り口へと視線を走らせるとギィと音を立てて事務所の扉が開き、長身痩躯の男が室内に踏み込んできた。
「どうも、お邪魔します」
毛先が紫がかった黒髪をさらりと揺らし、整った顔を傾げて男が貼り付けた笑顔でトトーへ挨拶してくる。
「……シークエス。約束の時間はまだ先のはずだよ」
狙い澄ましたような間の悪さに、トトーは苦虫を噛み潰した気分で言葉に非難を含ませる。
「あれ、まだでした?ンー……ちょっと早いか。いやあ、気持ちが逸っちゃったみたいですみません」
トトーから睨まれ、シークエスは左腕の魔法道具をちらと見て悪びれる様子もなく頭を下げた。
予定では前任騎手にアオノハーレーの鞍上交代を伝えてから、乗り替わりになる後任騎手と打ち合わせをするはずだった。
交代を伝える前に騎手側から降りたい旨を打ち明けられたのは予定外だったが。
とにかく、うっかり鉢合わせてお互いが気まずくならないよう配慮した時刻を伝えたのに。
案の定、前任騎手は既に後任が決まっていたことと、後任があのシークエス・ディアーであると察して複雑な表情をしている。
シークエス・ディアー。
ヒュマールとエルフの間に生まれたエルマール。
300年あまりの寿命を持つ長命種の血を引くため、見た目はヒュマールでいう20代前半に見えるほど若々しい。一方騎手歴は30年を越えるベテランで、ここ数年は常に年間勝利数上位に名を連ねており騎乗技術も非常に高い。
華やかな見た目と、掴みどころのない人を喰ったような性格。
彼についての評価は良きにつけ悪しきにつけ様々だが、騎乗技術だけで言うなら特記事項に『癖のある飛竜の騎乗に強く、本人も好んで乗る』というものがある。
気性に難があったり、扱い辛い競飛竜を乗りこなす技術は恐らく中皇イチと言っても過言では無い。
気性難飛竜を抱えた竜舎が最後に頼るとまで言われている男。
そして新竜戦の直後、自分をアオノハーレーに乗せてくれと自らトトーの元に売り込みをかけてきた男でもある。
*****
もちろんわざとだ。
時間を確かめるふりで腕に着けた刻知計をちらりと見て、形だけの謝罪をしたシークエスは視線を、驚き固まっている若手騎手に向ける。
トトーの事務所に呼び出された時から、ついでに会っておかなければと思っていたのだ。
約束の時間まで迷ったふりをしながら事務所周辺を探すかと思っていたのだが運がいい。探す手間が省けたことに満足しつつ、大股で2人——正確には立ち尽くしたままの若いヒュマールの騎手に近付くと、笑顔の形で細めていた目を見開いてじっと見下ろす。
毒々しい燐光を孕んだライムグリーンに冷たく睥睨され、若い騎手の肩がびくりと痙攣した。
「——で、君は乗りこなせない競飛竜にビビって勝負を捨てて逃げたんだろ?」
目の前の青年とは初対面だが挨拶をする気もなく、さっさと本題を突きつける。
「な、何を突然言い出すんですか……!」
雇い主の前で何を言われるのか。苛立ちと戸惑いと焦り。複雑に入り混じった感情で顔を歪める相手を意に介さず、シークエスは続ける。
「オレさあ、この間の新竜戦何度も観たんだよ。繰り返し繰り返し何度も。アオノハーレーに乗りたくてさ」
あの新竜戦、1着を取った競飛竜の背にシークエスはいた。
騎乗した競飛竜のコンディションは完璧で能力を十全に発揮していたし、レース運びもシークエスが思い描いた通りに進んだ。
面白みには欠けるが理想的なレース展開だった。
ただひとつ。
全くの意識外から斬り込んできた青い競飛竜。
彼女に圧倒的スピードで抜き去られたことを除いて。
レース的に言えば鞍上を落としてゴールしたアオノハーレーは競走資格を失って失格となり、着順から除外された。
シークエスが乗る競飛竜を追い抜いていようがシークエスが1着を取った結果は揺るがない。
だがしかし。
シークエスの真横を、蒼い軌跡が凄まじい速さで通り過ぎた時からずっと。青白い魔力の光がシークエスの脳裏を焼いて離れない。
驚愕に目を見開いたシークエスに目もくれず、一瞬で抜き去ったハーレーの何も乗せていない背中を見ながら。1着でゴールしながら。
勝利を飾って喜ばしいはずなのに、ゴールを突き抜けたあと戸惑ったように減速して辺りを見回す青い競飛竜の姿を目で追っていた。
レースを終えた騎手が集まる控室。ざわめきから離れた場所に腰を下ろし、ぼうっと己の右手を見下ろしていると、どうしてあの背に自分は乗っていなかったのだろうという思いが漠然と胸の内を支配した。
———透明度の高い、澄み切った湖の輝きを思わせる青。物心ついた頃から一番長く見つめてきた色。彼女こそが自分の———
だから、なりふり構わず自らトトーに売り込みをかけた。
調教師が自身の竜舎所属の騎手を当てがっているのに横から声を掛けるなどマナー違反だという自覚は一応あった。けれどこのタイミングなら自分にお鉢が回る可能性が高いとも思っていた。
自分が乗っていたならどうしたか。何度もあのレース映像を見返して考えた。映像を確認する内に、割と速い段階で鞍上の不自然な動きにも気付いた。
「振り落とされたんじゃないだろアレ。ビビって自分から手を離したんだ」
折り合いつかない状態からの加速でバランスを崩したにしちゃ落ちるタイミングが遅いよ。
続いたシークエスの言葉に指摘された騎手の顔色が悪くなり、はくはくと陸に打ち上げられた魚の様に口を戦慄かせる。
シークエスの指摘が間違いで無いことは明らかだった。
彼はアオノハーレーの加速に耐え切れずに振り落とされたのでは無い。
彼はアオノハーレーの加速の恐怖に耐え切れず、わざと手を離したのだ。
あの日、アオノハーレーは間違いなく勝とうとしていた。
置物と化した鞍上から指示をもらえないまま、それでもひとりでレースを進め、拙いながら勝ち筋を描いていた。
それなのに騎手はお荷物になるだけならまだしも、勝利を目前にした最悪のタイミングでハーレーの努力を裏切った。
「お前さあ……」
意図せずシークエスの喉奥から地を這う低い声が出る。
「一戦一戦が命懸けの競飛竜にとって一勝がどれだけ重いものかわかっててやったのか?命を賭けて飛んでる競飛竜の背に乗りながら自分は命が惜しいですなんて……よく言えたよなあ」
「で、でもッ!あの加速は本当にし、死ぬかも知れなくて——!」
「死ねよ」
青年の反論を、しかし、至極当然のことの様にシークエスは冷たく切り捨てる。
「…………は?」
「競飛竜が死ぬ気で飛ぶなら騎手も死ぬ気で乗る。それができないでなにが騎手だ。勝負師だ。命を預かってるならお前の命も飛竜に預けろよ」
剣呑な光を帯びるライムグリーンの瞳を細めたシークエスには、呆気に取られた青年の心が手に取るようにわかる。
主戦騎手を任されながら投げ出した後ろめたさがあること。任された競飛竜を御し切れず騎手としての自信を失いかけていること。
崖っぷちでふらつくその背を、突き飛ばすなど簡単だ。
「全体的に判断が遅いんだよ君。命が惜しくて手を離すなら加速直後の後方でやるべきだった。あんな競り合ってるとこで手を離すなんて運が悪けりゃ他の競飛竜と事故って多方面にゴメーワクだわ。……そもそも無理だと思ったらレース前に土下座でもして降りろって話だけど。判断遅いし、ミスは致命的だし、そのミスは誤魔化そうとするし。はっきり言って——」
最後のひと押し。突き落とす決定打を正確に選び、投げつけようとして。
「そこまでだよ!」
尻を思いっきり平手打ちされた。
「あッでっ!!」
肉付きの薄い臀部を襲った衝撃と遅れて来たジンジンとした痛みに思わず腰を折ったシークエスと、キャリアも歳も上の騎手の狂気に晒され、額に脂汗を滲ませる若手騎手の間にトトーが小さな身体を捩じ込んで仁王立ちする。
「あれは折り合いが上手くいかなくて振り落とされた『不幸な事故』だ。アオノ伯爵もそれで納得されてる。いくらアンタがハーレーの鞍上に名乗りをあげてくれたとは言え、これ以上口出しするのは許さないよ」
トトーの気迫に押されたわけではない。そんな可愛い心臓を、シークエスは生憎もちあわせていない。
しかし、せっかく手に入れたハーレーの主戦騎手の座を失う可能性を考慮し、浮かべた笑みを深めて大人しく噤むことにした。
*****
顔の両脇に手をあげて降参のポーズを取ったシークエスを睨んだまま、トトーは後ろに庇った騎手へと片手をささっと振る。
「もう行っていいよトーマ、悪かったね」
挨拶もそこそこに逃げるように事務所を去った青年を見送って、肩から力を抜いたトトーは咎める様にシークエスを見た。
「いい歳してひよっこの後輩を苛めるんじゃあないよ……ありゃまだ若いんだ、間違うことだってある。アンタが出しゃばらなくてもアタシから釘を刺そうと思ってたんだ」
「トトー先生はお優しいから。厳しい先輩からちょっと強めに言われた方が身に沁みません?……あとオレはまだまだ若い方です」
「これは驚いた。先輩から厳しく言われて身に沁みた経験がアンタにもあったとはね……それでも若手の心を折ろうとするのはやりすぎだよ」
「あの程度で折れるなら騎手向いてないんじゃないですか。飛竜に乗りたいだけなら小さい町や村を飛び回る飛竜付きの巡行神官にでもなればいいんですよ」
何を言われてもどこ吹く風で、のらりくらり躱そうとするシークエスに、トトーの目がすわる。
「……シークエス。どうやらハーレーには乗りたくないようだね」
変化は劇的だった。
「トトー先生の面目を潰してすみませんでした以後気をつけますお気がすまないのであれば土下座もします!」
言うや否や膝を折って本当に頭を床に擦り付けようとするので、トトーは慌ててシークエスの襟首を引っ掴んだ。
「やめなやめな!ああもう、どうしてそう極端なんだい!」
「アオノハーレーの鞍上を任せてもらえるなら、なんだってしますよオレ」
襟首を掴まれたまま、ぐりんと顔を捻って見上げてくるシークエスを、心底嫌そうに一瞥してトトーが重々しく頷く。
「……アンタ以外に頼める奴なんていやしないよ」
若く美しい伸び盛りの、これからもっと面白くなるだろう飛竜に乗れる。ゴールだけを一心に見据える忘れ難い横顔を思い出し、シークエスは期待に胸を高鳴らせ、笑った。
トーマくんはまあ悪いんですけど。シークエスはイカれてるし人に優しくないので暴論ぶつけられて可哀想ですね。
次話の更新は明日12時です。
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