とある令嬢の話
「王立学園恒例の年度末のパーティー。そこでライアン第一王子が婚約者である公爵令嬢に婚約破棄を突きつけた、という事件があった。彼の傍らにはサラ・ホワイト男爵令嬢の勝ち誇ったような姿があった」
事件の一週間後、イーディス・ラファティ伯爵令嬢は学園長に父親とともに呼ばれた。
学年一位の成績を持つイーディスがサラに一般教養を教えるよう国王から命じられたというのだ。急な話ではあったが王命ともなれば断るわけにもいかない。
「『私は娘を誇りに思います。手塩をかけた甲斐があった』
浮かれた父親の言葉を隣で聞いて複雑な気持ちだった。
彼は、きちんとこの状況を理解しているのか?それに散々私に小賢しい女は嫌われるから勉強するなと言っていたのに」
最初の授業前日。
イーディスは婚約者と学園の庭を散歩していた。秋薔薇が咲き誇る庭、そしてその薔薇も見納めだ。卒業したら二人は結婚する予定だった。
婚約者も父親と同様に浮かれていた。婚約者の家は政治的には王家派だ。
「婚約者の僕も鼻が高いよ。でもくれぐれも問題を起こさないでくれよ。相手は未来の王妃なんだから、それを忘れずに……」
「またその話」
「何か言ったかい?」
「い、いえ。もちろん頑張りますわ」
教育係になる事が決まってから何度も同じような会話が続き、イーディスは正直うんざりしていた。
婚約者と別れ、図書館に向かったイーディスは気を取り直し明日の準備した。数日前から教科書に書かれている中で重要な部分をまとめた表を作ったり、簡単な問題集を作ったり、質問に対してどう返答するか考えていたのだ。
「不安しかない。サラ様の成績は下から数えたほうが早く、何度か学園で見かけた際の振る舞いは子どもっぽい印象しかない。
本当に国王は次代の王妃にするつもりなのだろうか。
いや、考えるのはやめよう。自分は貴族令嬢、王命を果たすだけだ」
当日、授業が終わるとすぐ約束の空き教室に向かい準備をして待った。何度も資料を見返し、想定される問答を頭のなかで繰り返した。
サラが欠伸をしながら来たのは、約束の時間から十八分を経過した時だった。イーディスは一瞬それを指摘しようと思ったが、飲み込んで立ち上がると挨拶をした。
「イーディス・ラファティと申します。今日からよろしくお願いいたします」
「あー、あんたが……ライアン様が言っていた地味女ね。本当、さえない顔」
思わぬ嘲笑に面を食らう。
気を取り直して授業を始めたが、サラは頬杖をつき欠伸を何度もした。イーディスが質問しても「わかんない」か「知らなーい」、学力を試すための簡易テストの回答はすべて間違っていた。
「ちょっと、何で全部バツなのよ!?」
「回答が間違っているからです」
「仕方ないじゃないの!私は三年前まで平民だったのよ!?」
「では入学してから二年間何を勉強されていたのですか?」
「苛立って思わず言ってしまった。サラ様は泣き出し、教室を出て行った。後を追ったが、わからなくなった。初日の授業は十分も持たずに終わった」
「イーディス・ラファティはいるか!?」
次の日の朝、顔を真っ赤にしたライアンがイーディスのクラスにやって来た。周囲がざわめく中、イーディスはとまどいながらもライアンの前に出る。
「はい、何のご用でしょう?」
「とぼけるな!サラがお前に執拗に叱責されたと私に泣きついてきたんだ!しかも平民生まれである事を馬鹿にしただと!?」
「……そんな事は申しておりません」
「いいか!サラが許すと言ったから今回は不問にするが次にこのような事があれば父上に報告してやるからな。覚悟しろ!大体サラは次期王妃、伯爵家とは立場が……」
ライアンは一方的にまくし立てた。イーディスは重ねた手を握り嵐が過ぎるのを待つだけ。王族に楯突くわけにはいかないのだ。
「申し訳ありませんでした」
イーディスが深々と頭を下げると、気が済んだライアンは大股で教室を出て行く。
ふと気がつくと、生徒たちの冷たい視線やひそひそとした声が突き刺さってきた。
「今の聞いたか?」
「ライアン様かなり怒ってたわね」
「次期王妃を侮辱するなんて信じられないな」
「やだ、こっちに来るわ」
「私の周囲から人が消えた。
挨拶をしても無視。近づくと露骨に避けられる。今は物を破壊されたり怪我をする様な事はないが、完全な腫れ物扱いだ」
数日後、イーディスが図書館に向かおうと廊下を歩いていると、婚約者と数人の生徒と目が合った。
笑いあっていた婚約者たちの表情は苦々しいものに変わる。挨拶をしたが返事はなく彼女をかわすように端に寄る。イーディスが通り過ぎるとひそひそと話を始めた。
「『僕の家は王家派だ。ライアン殿下やサラ様とあんな風になるなんて……婚約は解消するつもりだ。大体生意気なんだよ、ちょっと頭がいいからって』
彼は友人にそう言っていた」
同日。父親から手紙が来た。そこには娘への批判が便箋三枚にわたって書き綴られていた。
恥ずかしい。我慢が足りない。礼儀がなっていない。弟に恥をかかせる気か。昔からお前は愚図だった。社交界では針のむしろだ。誰に似たんだ。私の立場を考えてくれ。
「優しさや気遣いの言葉は一文字もなかった」
しばらくして定期テストの直前になり、サラの方からイーディスに泣きついてきた。
「次のテストでいい点数を取らないとまた補習なの!嫌よ、遊ぶ時間が減っちゃう!!」
今まで一度も来なかったくせに。
掴まれた腕を振り払ってやろうかと思った。
しかしサラに勉強を教えるのは王命だ。ただの伯爵令嬢には王命を振り払う力はない。だからイーディスは我慢して何とか言葉を絞り出した。
「では、今からでも勉強を始」
「もう時間がないのよ、なんか方法はないの!?」
「方法?」
「簡単に点数取れる方法に決まってるでしょ!試験の先生に見つからないように答えの紙を隠すとかさ、あ、ねぇ、次のテストの問題の答えって予想できない!?」
堂々と不正の手伝いをしろと言う。イーディスは呆れかえった。
「できません」
「はぁ!?あんた学園一位なんでしょ、頭以外に取り柄がないのに、真面目に考えてよ!王命よ王命!どうにかしなさいよ!」
「真面目に答えていますが」
「……何よ、あーもう!じゃあいい!」
サラは空き教室を飛び出すようにして出て行ったが、イーディスは追いかけず、静かに自習を始めた。
「次の日買い物に行くと、サラ様を見かけた。数人の男子生徒といた。その中には婚約者もいた。
美しい男子にちやほやされ、話からすれば宝飾品や甘い物を買ってもらっていたらしい。
今やサラ様はライアン様の真実の愛により庇護された特別な存在で、王妃になるのは確定だと思っている者も少なくない。彼らは好意でサラ様の傍にいるわけではない。ただその先の時間で甘い汁を吸いたいだけなのだ」
定期テストの結果発表。イーディスは学年一位を再び取った。誰も彼女を称える者はいない。
同日に父親から婚約が解消されたという怒りの手紙が来た。便箋は五枚ほどあったが一枚目を読むと後は見ずに捨てた。
「婚約が解消された。
人前を通ると必ずひそひそ話が聞こえる。
私は純粋なサラ様を嫌う悪人らしい」
更に二ヶ月が経過した。
イーディスは今日もサラを待つが、彼女は来ない。そもそも初日と定期テスト前の一回以来サラとは顔を合わせていない。それでも王命である以上自分から約束は破れない。毎日授業の準備をして教室で一人待つしかない。
「ご機嫌ようイーディス様」
勉強をしていたイーディスに話しかけてきたのは侯爵令嬢だ。教室の扉には数人の女生徒がこそこそと覗く。彼女の取り巻きだ。
「ご機嫌よう。ですがここは関係者以外は立ち入り禁止です」
「つれないのね。そんな態度だからライアン様にもサラ様にも、婚約者にも嫌われるのよ。あら失礼元婚約者だったわね」
イーディスを見下ろし鼻で笑うその態度は友好的とは言えない。取り巻きたちもクスクスと笑った。
「可哀想なサラ様。私ならもっと上手くサラ様の隠された能力を引き出せますのに。辞退されたらいかが?あなたには向かないわ」
侯爵令嬢の成績は学年六位。何よりも次期国王と王妃に取り入りたいのだろう。実際彼女はサラに接触して「仲の良い友人」ともなっていた。
「それは国王陛下がお決めになる事。私の一存でどうこうできるものではありません。私は精一杯務めを果たすまでです」
イーディスが冷静に返すと、侯爵令嬢は彼女を睨みバンッという音を立てて片手を机についた。
「成績のわりに賢くないのね。いい?サラ様は次期王妃、私はその親友よ?もう少し立場をわきまえたらどうかしら?たかが弱小の伯爵家の娘のくせに!」
「宝石や菓子を与え褒めそやすだけの方が親友だというのですか?」
「なっ……」
「知らないとでも?噂は存じています。あなた様にはさぞや沢山の仮初の親友がいらっしゃるのでしょうね」
イーディスの黒い目が侯爵令嬢の青い目とかち合った。冷静で知的なまなざしは、彼女の怒りを買った。
乾いた音が教室に響き、イーディスの左頬に痛みが走る。うつむいた彼女を見て侯爵令嬢は少し溜飲が下がったのか、鼻を鳴らして教室を出て行った。取り巻きたちが慌ててその後を追う。
「痛みには大分慣れた。
噓だ。痛いものは痛い。辛いものは辛い」
学園に衝撃が走った。
ライアンが廃嫡されたのだ。
王太子は国王と年の離れた王弟に決まり、公爵令嬢は彼との婚約が決まった。
「な、何故ですか!?サラに教育係をつけさせたのは、私と結婚させるためじゃなかったのですか!?」
国王は何も答えなかった。
「憶測に過ぎないが時間稼ぎだったのだ。
努力もせず遊んでばかりのライアン様に王の資質がないのは明確なばかりか、婚約破棄という王命を無視した行動に出た。
それでも王弟は順序を違えれば国が乱れると、王太子の座に就くのを拒んでいたようだ。実際聡明な彼よりもライアン様の方が御しやすいという理由で牽制する者たちもいたと聞く。
そこで国王は二人を表向き認める振りをして、水面下で弟を説得し、周囲への根回しを慎重に行ったのだろう。
それに公爵令嬢が陰で動いていたという。国王の弟とは実は恋仲で、彼と結婚あるいは彼を王にするために様々なことを画策していたらしい。
その通りなら私はつまり、いいように使われたのだ。
社交界や学園は混乱している。
ライアン様は学園には来ていない。サラ様の周囲からは人が消えた。二人を持て囃していた者たちは次は誰に寄生すればいいのかと右往左往している。
あれほど批判していたのに、もう一夜にして私の存在は幽霊だ」
「結局、学園長から渡された紙切れ一枚で役目は終わった。
残ったのは無駄になった約三ヶ月の時間、父親の浅はかさ、知りたくもなかった元婚約者の本心、噂で立場が決まる貴族社会への薄ら寒さ。
たった一つの命令が。思惑が。恋が。
私の世界を変えてしまった。
それでも私は変わった世界で生きていかなければいけない」
(これが最後、か)
エヴァ・ラファティは曾祖伯母の日記を見つけた。
偶然だった。ラファティ伯爵の屋敷は老朽化が進み取り壊されることとなった。一度も屋敷に行った事がないエヴァは好奇心から探検したくなったのだ。
そこでエヴァはとある部屋にたどり着いた。そこは調度品はなくがらんとしていた。ただ一つ埃被った机を除いては。
エヴァが引き出しを引いた時、最初は引っかかっていたが経年劣化して鍵が壊れたのか二回目で開いた。
そこにあったのは赤い表紙の日記帳だ。
そっと取り出すと思ったよりも重い。開けていいのか迷った。結局何度か深呼吸した後にエヴァはゆっくり表紙を開いた。裏側には名前があった。
(イーディス・ラファティ……ひいお祖父様のお姉様の名前よね。お祖父様が私によく似てるって話していた……)
パラパラとめくっていただけだったが、だんだんと表情は真剣なものになり、エヴァは文章に引き込まれていた。
(うっわ。想像していたけれどなかなか嫌なものね、貴族って)
女というだけで賢さを小賢しさと言われる辛さ。
爵位による上下、不合理な礼儀作法や決められた相手と結婚する等、貴族特有の窮屈さ。
知らぬ間に周囲や権力者に振り回され傷つけられる理不尽さ。
整然とした字で書かれていたのは当時の貴族令嬢の苦労だけ……ちなみにエヴァがわずかに期待していた華やかな貴族生活の想像も粉々に砕かれた。
時代は変わった。
徐々に国王の権威は失われていき、今や儀礼的な意味しか持たない存在となった。貴族も形骸化が進んでいる。爵位はあるがそれが意味がある場面はもう少ない。
(この日記は……私に見つけて欲しかったの?)
エヴァは小説家だ。数年前に賞を取ったが、女性が国の文学賞を取る事を批判する者も少なくない。その点では時代は変わっていないとも言える。批判に傷ついた彼女は、都会を離れ今は故郷で静養していた。
しばらく日記を眺めていたが、丁寧に鞄に入れると、代わりにエヴァはメモとペンを取り出した。




