1:16「だかれて だいて かたらって」★
「……親父、しつこいようだが何度でもいうぞ」
「んー? なんだー?」
「俺の布団に潜り込むな」
騒動の翌朝。
目が覚めると親父が帰ってきていて、俺の目の前で同じ布団をかぶっていた。
そろそろいいよね、殴るね。
ボフッ
―――普通に片手で受け止められました。
わかっちゃいたけどなんかものすごく悔しい。
「おいおい起きていきなりそれはないぜーエルナー」
「そっくりそのまま返すよクソ親父」
親父を見る限り、恐らくだが帰ってきてからそれほど時間が経っていないように見える……ちょっと汗臭いし。
全く、前世ではこんなこと精々幼稚園児くらいまでだったのになぁ。
こっちに来てからというものの、ことあるごとにひっついてきやがる。
いい加減鬱陶しいと思っているのだが、中々そうハッキリと言い出すこともできない……ほんと、どうしたものか。
「……つか、いい加減手放してくれないか」
「なんだよー、お前から殴りかかってきたんじゃないか」
「そりゃそうだけど! 親父が悪いんだろ! ほら、放せって このッ――」
引けども引けども、俺の小さく白い拳は親父の武骨で大きな手の平から放れそうもない。
本当、文字通りビクともしない……いっそ笑いがこみあげてきそうだ。
「……恵月」
親父の表情が急に変わった。
先程までのおちゃらけた中年親父の表情とは違う、大真面目な――何か大事なことを伝えるような表情になった。
俺はあまりに急な変化に戸惑いながらも、真意を聞き出そうと答えた。
手が掴まれたままなのだがまあ、今は置いておくとしよう。
「な……なんだよ、改まって」
「……抱いてもいいか」
「……は?…………ハァ!!??」
ばっかじゃねえの!?
何言いだすかと思ったらこのクソ親父!!
徹夜して頭おかしくなったんじゃないのか!!??
「ふざけんなよ! 実の息子にそんなマネ!!」
「――あ! す、すまん……変な意味じゃないんだ……すまん」
「っ―――……?」
様子がおかしい。
なんだって急にそんなことを言い出すのか。
徹夜明けで疲れて……なんてレベルじゃない、明らかに何かがあったのだろう。
昨日の……思い出せない何かと関係があるのだろうか。
俺は肩の力を落とし、軽くため息をついてから、ベッドの上に座るようにして起き上がる。
「……いいよ。今だけは」
「え、恵月……本当に、いいのか?」
「早くしろよ! その、よくわかんないけど……大変なのは伝わって――おわぁっ!?」
言い終わる前に、親父が勢いよく抱き着いてきた。
もう放さないとばかりにぎゅっと抱きしめてくる力に押し倒されないように、結構頑張って踏ん張ってみせる。
「すまねぇ……!! 本当にすまねえ!!!!! オレが……オレがもっとしっかりしてればこんなことには……!!!!!」
声を乱しながら、何度も何度もすまないと言い続ける親父。
一応、なんか辛そうにしているのは伝わってくるので、俺も抱き返すように親父の大きな背中に腕を回してみる。
「なんだよホントに……昨日、何があったって言うんだ……?」
「……? 恵月……お前……」
「だからなんだよ、何度も名前呼ぶなって……なんか、恥ずかしい」
「いや、その……お前もしかして……『覚えてない』のか?」
覚えていない……一瞬何かと思った。
恐らくはそのことなのだろう。
まあ、嘘をついても仕方がないし……何か思い出せるかもしれない。
ここは正直に。
「うん。生憎だけど、母さんと町に出かけて帰って来て……そこから昨日馬車で目が覚めるまでの間は全然、何があったのかさっぱりだ」
「そ……そうか……」
「だから親父がなんでそんなに謝ってるのかはわかんないけど……いいよ、別に」
「…………そうか……すまん……」
「あー、でも一つだけ気になることはあるかな」
「なんだ、気になることって」
「うん。全然覚えてないって言ったけど……帰っていたときにさ、一つだけ思い出したんだよね」
「……言ってみろ」
親父が一瞬だけ答えるのを躊躇したような気がした。
……その時のコト、やっぱり親父の過去と何か関係あったりするのだろうか。
「なんかさ、ホントに断片的でよくわかんないんだけど……『英雄様』って言葉だけ思い出してさ……親父、何かわかる?」
「ははは……英雄様……か……」
苦笑いにも似た声。
この時上目に見た親父の顔はどこか切ないというか……まるで何か……そう、トラウマでもあるかのような、そんな暗い表情をしていた。
カーテンの隙間からこぼれでる朝日が、更に切なさを強調させている。
しかしそんな表情もつかの間――親父はすぐに開き直ったかのようにその顔を緩ませて、小さく鼻で笑った後に答えた。
「―――さあな。力になれなくて……ホント、すまん」
「そっか」
これ以上突っ込むのは今はやめておこう。
安易に聞いてはいけない……親父にとっての過去話は、そんなデリケートな側面を数多く持っているのだろう。
『英雄』が何なのか、答えを見いだせる日はきっと来る……しかし、それは今じゃなかったということだ。
(それにしても……ほんと、大きいな。親父の背中って、こんなに頼もしかったっけ)
実際抱き合ってみると感覚が全然違う。
子供のころに抱いてもらったのともまた違う、明らかな体格の差というものを感じさせられる。
鍛え上げられた親父の体は、俺の華奢で柔らかい肌とは全く異なる……本当に頼もしい背中だった。
土木時代も含めて40年以上……一体どんな人生を送ってきたのか。尋常ではない、年季の入った男の迫力というものを、その背中は確実に物語っていた。
「きょっ……キョウスケ様、これはまたどういった事態で?」
「「――!!!」」
そんなところに、扉の方から戸惑いの声が聞こえてくる。
向くとそこにはミァさんが立っており、戸惑いを見せながらも、不純は許さないとばかりに目だけは鋭くこちらをにらみつけていた。
親父は慌てて俺から離れると、先ほどまでの哀愁がウソのように吹き飛び、それはもう言い訳をする怪しいおっさんそのものという動きでもって弁明を始める。
「ミ……ミァ!! いや、これはその! 別にやましいことなんてこれっぽっちもだな……その……」
「そうですよミァさん!! 変なコトなんて何もありませんから!!」
一応俺もフォローに入ってみたが……余計に怪しかったかもしれない。
アニメか何かで似たような展開を何度も目の当たりにしている気がする……まあ、この場合真っ先に矛先を向けられるのは親父なのだろうが。
「はぁ……左様でございますか。朝食の準備が整いましたので、食堂へお越しください。失礼します」
「え! あ、ああ!」
しかし何が起こることもなく……ミァさんは腑に落ちないという様子ではあったものの、それ以上の詮索はせずに要件だけを伝えて去っていった。
それがメイドだからという立場の上での行動なのか、一応信じてくれたのかどうかはわからないが、ひとまずは助かった……と言ったところだろう。
まあ、本当にやましいことなんてないのだから、変に気にする必要はないのだが……。
「……もうそんな時間になっちまってたか……すまないな恵月、付き合わせちまって」
「ふふっ……いいって言ってるじゃん。一体何回謝るのさ、もう」
思わず変な笑いが漏れてしまった。
「はははは……こいつは手厳しいな」
俺につられてか、親父も苦笑いをしながらそう答える。
時計を見ると時刻は8時15分。
朝食の定刻をすでに15分も上回っていた。
ごぎゅるるるるるるるるるるる……。
「……そういや何も食ってない気がする」
昨日はものすごく疲れていて、食欲もなかったからずっと部屋にこもっていた。
そう考えるともうどのくらいだろうか。
記憶のない間に何か口にしていなかったのならば、少なくとも丸一日……いや、それ以上何も口にしていないことになる。
疲れる以前に、よくぶっ倒れずに済んだな俺。
「はっはっは! そいつは一大事だ。―――行くか!」
「うn……おう!」
そうとなれば善は急げ、これから頑張ってエルフ文字も覚えないといけないんだ。
腹が減っては戦はできぬなんてことわざもあるんだし、十分に英気を養って、先に待ち受ける戦に備えなければ。
こうして俺は、何食ぶりかの食事に一秒でも早くありつこうと、半ば駆け足気味に部屋を後にするのだった。
(……そういえば、ミァさんについても何か大事なコトを忘れてるような……ま、いっか)




