5:74「約束の時」★
段々と意識が明確になってくる。
トクン。トクン。と心の鼓動が鳴り響き、体感覚を少しずつ末端へとむけて巡らせて行く。
胴体――腕――脚。
右手――右足――左手――左足。
そしてゆっくりと首を登っていき、頭のてっぺんまで。
「っ――!」
完全に覚醒しきるとほぼ同時。
急な息苦しさを感じ、カッと目が見開いた。
目の前に映ったのは、若干ぼやけた肌色。息苦しさは、口元に感じる圧迫感が原因だと分かった。
映像と感覚。そのぼんやりとした二つの事象が頭に浮かぶと、そこでようやく自分が今置かれている状況に気が付いた。
キスされてるんだ、これ――え? キス?
「んっ!?」
「!!!」
びっくりして吹きかけてしまった。
そしてこの反応で、相手――グレィも体を大きくびくつかせて、ふっと顔を浮かせてしまった。
……もうちょっと堪能したかった。
じゃなくて!
「あ……ご、ごめ――」
「お嬢! 目が覚めたのか!! お嬢!!」
「ふえ! え? あ、うん……」
私の肩をこれでもかとばかりにがっしりと掴み、叫ぶようにに聞いてくるグレィ。
これに私はまたびっくりしてしまい、淡白な返事を返してしまった。
本当は目が覚めた時にグレィが傍にいてくれてすごく嬉しいのに、その言葉さえも出てこない。
全然感情が追い付いていかなくて、私自身どうすればいいのか全然わからなくなっている。
しかしこれだけでは終わらなかった。
私が「うん」と答えた直後、グレィは下唇を噛みしめ、その目をうるうると涙ぐませる。
そしてまたそのすぐ後、もう駄目だと私のお腹めがけて顔を突っ伏してしまった。
「わ! ちょ、ちょっとグレィ!?」
「よかっだ……よがっだ!! よがっ、だ……あ、ああ、あああ……! ああああ……うああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
我慢しきれなっかったグレィが、そのまま大きな声をあげて泣き出してしまった。
誰が見ても……いや、見なくても聞くだけで分かる大泣きだった。
私は私で、どうすればいいのかわからなくてしばらく硬直してしまう。
十秒……二十秒? そのくらいして、ようやく頭の整理が追い付いてきた。
グレィの頭をなでるように、そっと片手を添えてあげた。
顔が見えないのが残念だけれど、それはそれでと、思い人の声を聞きながらできる限り現状を確認してみる。
五畳半くらいの部屋に、最低限の家具を敷き詰めてあるシンプルな部屋。フレド孤児院の一室であることは間違いないようだが、私たちが借りている部屋ではないようだった。
窓が開いていたから、泣き声は外にも駄々洩れだったことだろう。ちょっとかわいそうだけれど、こればかりは仕方がない。
私の服装は、うちから持ってきていたシンプルな赤いパジャマになっている。ということは、誰かが眠っている私を着替えさせてくれていたということになる。
どのくらい眠ってたんだろう?
個人的には普通に眠っていたくらいの感覚でしかないのだけれど、このグレィの乱れようは、結構な時間たっているのだろうか?
そういえば、魔法で染めてくれた髪も元の色に戻っている。となると、少なくとも何日かは経っているってことなのか。
確認しなきゃだ。
そうしているうちに三十分くらいたっていただろうか。
段々と泣く声が小さく、小刻みに短くなっていき、何度かの深呼吸を経たのちに完全に鳴りやんだ。
「もう大丈夫?」
「あ、あぁ……すまない。みっともないところを見せてしまった」
「むしろご褒美です」
「ナニ?」
「なんでもない♪」
個人的にはもうちょっと泣いててくれてもよかったのよ?
可愛かったし。
そんなちょっぴり不純な感情を、笑顔に乗せてごまかしておく。
「それよりさ、お……私、どのくらい眠ってたの?」
「む。ああ、そうか……一週間だよ」
一週間か……グレィの反応を見てもっと経ってるのかと思った。
でも以前、グレィが生き返るのを待っていた時のことを考えたら、私も同じ反応をしていたはずだ。たった一日でもあんなになってたんだから、もっとひどいかもしれない。
でも、それでも一週間……きっとみんな心配してるだろう。あ、子供たちの顔も見たいな。
「起きたって、皆に伝えなきゃだ」
「そうだな……手貸そうか」
「ん、お願い」
グレィに手を回してもらって、私はベッドから立ち上がった。
そうしてゆっくりと、二人で一緒に部屋からでてみると、そこにはたむろする子供たちと、それをなだめているシスターマレンがいた。
十中八九グレィの泣き声につられてきたんだろう。
私は子供たちの海に飛び込みたい衝動を必死の努力で抑え込み、まずはシスターに起きたことを報告した。
どうやら私が寝ていた部屋はシスターの私室だったようで、この一週間、彼女は私の両親たちと同じ部屋で寝ていたらしい(と子供たちが言っていた)。
それを聞いた私はシスターに深くお詫びと感謝を申し上げ、次いで他の皆のところにも順番に回っていった。
大体予想はついていたが、母さんはグレィと同じくらい泣きじきゃくり抱き着きまくり、親父ですらも「よかった……!」と言いがっしりと抱き寄せてきた。
親父の胸板は頼もしいんだけど、ちょっと暑苦しいし微妙に加齢臭がしたので、今後は勘弁してほしい。
ミァさんもまあ、大体グレィや母さんと同じ感じだった。違うのは、両手を掴んでぶんぶんと思いっきり振られまくったことだ。腕がちぎれるかと思った。
〝普通〟に復活を祝ってくれたのはシスターとファルだけで、その対応になんだか安心してしまったのは、日ごろの気疲れのせいだろうか。うん、そういうことにしておこう。
あ、そうそう。
腕と言えば、親父の左手はやはり再生するのが難しいらしく、これから世界有数の技師にでも頼んで超高性能の義手を作るとか何とか言っていた。
手がなくなったからって舐められないようにするために、むしろパワーアップしてやろうって腹積もりらしい。
その後は簡単に着替えてファメールまで行ってアリィに挨拶したり、一応ラメールにも伝えたりして、その日の夜は大げさながら復活記念パーティが行われた。
驚くべきは、どこから聞きつけたのか、エィネとシーナさん(とラメール)が乱入してきたことである。あとちゃっかりアリィも。
まあ、大方ラメールがエィネたちにも例のカードを渡していて、連絡を入れたら【転移】の魔法ですっ飛んできたってとこだろう。
孤児院にいる人だけで行われるはずの宴が、ずいぶんと賑やかになってしまったものだ。
本当、私個人的にはかなり大げさな気がするんだけど……でもまあ、みんなが喜んでくれるのは悪い気分じゃない。
そんなこんなでどんちゃん騒ぎになっている中で、私も楽しい気分を味わっていた頃。
「お嬢……ちょっと外にでないか」
「ん。いいよ? どしたの?」
「それはその……とりあえず、行こう」
なんだろう?
いつものグレィらしくないような。
ちょっぴりとした疑問を持ちつつも、断る理由もないし、二人きりになれるならと思って、彼の背中に黙ってついていく。
大講堂を出てすぐ。
鉄格子で出来た門の前に立ち止まると、グレィは私に振り返る。
その様子はなんだか落ち着かないというか、かなり緊張しているようにも見えた。
「……グレィ?」
「お嬢……――いや、エルナ!」
「ひゃっ、ひゃいっ!」
急な名前呼びの叫びに、私の体がビクンと跳ね上がる。
そのまま立ちすくんでしまった私に一歩近づいて、グレィは何かタキシードのポケットへと手を突っ込む。
少しして出てきた手には、手のひらサイズの小箱が握られていた。
私はその手を見て、ある光景が目に浮かんだ。まさかと思い、彼の手の動きを追っていく。
グレィは小箱の上蓋をもう片方の手で握り、数拍置いた後、ゆっくり……ゆっくりと、中身を私にむけて――。
「っ……!!」
月の光が、キラリとその中身を照らし出した。
見紛うこともない……銀色に輝くリングが、そこにはめ込まれていた。
「エルナ……愛している! これからの時をずっと、ずっと我と共に歩んでほしい」
「ーーっ! ーーーーーっっっ!!」
感極まって、言葉が出てこなかった。
体の芯から涙と感情がこみあげてきて……こみあげすぎて、それどころではなくなってしまった。
ああ、どれだけこの時を待ち望んでいたことか。
グレィが好きだと気が付いたあの時からおおよそ40日。
たった40日。
でも私にとっては、何年もの時間にも感じた、長い長い40日。
満点の星空の下、誰もいない、二人っきりのこの場所で、最高の告白をしてくれた。
最高の形で、『あの約束』を果たしてくれた。
本当に、本当に……嬉しすぎて、涙が止まらない。
だからこそ、ちゃんと返事を返さなくちゃ。この最高のプロポーズを、最高の形で締めくくらなければ。
私はずびずびと、鼻をすすりしゃくりあげつつも、とにかくその一言を言おうと、グレィの目をしっかりとこの目に映す。
短い間だけ、ほんの一瞬だけ息を整え、精一杯喉を震わせる。
心の底からの、大好きな人への合言葉を口に――。
「はい…………!!」
次回でChapter5完結です。
まだもうちょっとだけあるまするよ!




