5:71「キミと伴にあるために 2」★
「もう、怯えなくていいんだよ」
めいっぱいの愛情と覚悟を込めて、俺はグレィを抱き寄せた。
目の前の黒コートも同じグレィなら、俺は後ろに居るタキシードのグレィと平等に愛を示す。
不公平とかそういうんじゃなく、グレィの表も裏も、彼の全部を好きになりたいから。消えなくてもいいんだよと、なんと言われようと、俺は貴方の味方だからと知ってほしいから。
「……まだ媚びる気か」
「え――う゛ッ!!」
脇腹がちぎれるかのような、そんな錯覚を催すほどの激痛が走った。
実際にはただ殴られただけなのだが、流石は闘争本能の塊と言ったところか。容赦がない……いや、体勢的にこれが全力なわけはないか。
でもここで俺が手を離すわけにはいかない。
ここで離してしまえば、俺の誠意なんか絶対伝わらないから。
痛みに歪んだ顔を歯を食いしばるにとどめ、崩れそうになる体をなんとか踏ん張らせる。
「鬱陶しい……あまり苛つかせるなよ なあ! おい!」
「ウぐッ……! ヴッ ん゛ッ!! がはっ!」
何度も 何度も 何度も 何度も。
そろそろ中身がでてきちゃうんじゃないかと思っても、グレィは俺を殴り続けた。
俺はそれでも、グレィを抱く手を緩めない。
何度も 何度も。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
殴られるたびに気を失いそうになった。
いつの間にか血反吐を吐いていた。
感覚がマヒしてきて、痛みもあまり感じなくなってくる。
それでも俺は、この手を絶対に緩めない。
「なんなんだよさっきからア!! 何でくたばりやがらない!」
「好き……だから」
「はあ!? 貴様が好きなのは我じゃないだろう! あっちの――」
「ううん……あってる、よ……」
やっと口をきいてくれた。
若干意識がもうろうとする中で、ただそれだけに安心して、抱きしめる体をもっと寄せていった。
「ねえ、覚えて、る……? 深い……深い、闇の底で……言って、くれたよね。俺の全部を受け入れて……隣にいてくれるって」
「だからそれは――……!」
「よかった……覚えててくれたんだぁ……ね、だから、俺も……グレィの全部を……貴方のことも全部受け止めて、ずっと一緒にいたいの」
――だから貴方は消えない。
――もう怯えなくていいんだよ。
――何があっても、俺は……私は、貴方の味方だから。
「っ……!」
「だから、ね。かえろう? 一緒に」
「我は貴様など!」
「ほんとに、そう……かな」
「当り前だろう!」
「じゃあ……なんで、俺……まだ、生きてるの?」
「……それは」
呪いを解かせるため。
グレィはきっとそう言おうとして口を開きかけた。でも実際に口にすることは無く、少しの間静寂の時が過ぎた。
殺そうと思えばいつでも殺せたはずだった。
今だってわざわざ殴ったりせず、ひと思いに串刺してしまえばよかった。
殺すしかないと、そう判断したのは彼自身なんだから。
でも彼はそれをしなかった。
できなかった。
闘争本能が元になった人格だから力でねじ伏せようとしていたけれど、一歩踏み出すことができなかった。
それはなぜか。
此処はグレィの世界。嘘偽りは許されない、王との謁見の間。
きっと、俺の本心は最初から筒抜けだったはずだ。
心の奥底では分かっていたから、殺せなかったんだ。
「俺は、貴方を否定しない……それ、に……いくら愛していても、喧嘩だって……するかもしれない。その時、貴方が居なかったら……張り合い、ないじゃん……」
まあ、本当に喧嘩になんてなったら俺なんて瞬殺されそうだけど。
「…………」
「……ね」
「……フン」
瞬殺されそうと心で思ったとき、少しグレィの頬が緩んだ気がした。
それからまた数秒の間が空き、いい加減俺も意識を保つのが辛くなってくる。
一瞬ふらりとしたところを支えてくれたのは、さっきまでぶっきら棒だった……今の今まで、俺が抱きしめていた彼だった。
「引き分けだ」
「え……?」
改心してくれたのかと思ったところにそんなことを言われて、俺は思わずきょとんとしてしまった。
だがそんなグレィの顔には、もう焦りも怒りも感じられない。ただ穏やかな表情を俺に向けていた。
「まさか、今にもぶっ倒れそうな顔をして勝ったなどとは言うまい? 力では我、口ではお嬢。これで引き分けだ。これ以上は譲らん」
「は、ははは……そ、そう……だね」
こういうところは闘争本能が元になっているだけはあるって感じだ。
でもあまりに拍子抜けな発言だったせいか、体中の力が抜けてしまった。
そうしてすとんと膝を落としそうになったところを、黒コートのグレィは再び支えてくれる。
「あ……ありがとう」
「全くそそっかしい。まだ倒れるには早いだろう」
俺に苦言を言いながら、グレィは玉座のほうを指さした。
そこにはまだタキシードの、本体であるグレィの精神が気を失ったままになっており。その姿は依然として半透明のままだった。
いや、半透明なんて生半可なものではない……本当にもう消えそうになっている。
「我はもう、グラドーランという人格の一部へと戻る。我を……我の命を救えるのは、お嬢だけだ。人格が一つに戻っても、不足した生命力までは補えない」
「そん、な……!」
黒コートのグレィも、その姿を徐々に薄めつつあった。
この精神空間での生死は、実際の命に直結している。そしてここにいる二人のグレィが同時に消えようとしているということは、本当に生命の危機に瀕しているということだ。
一応死んでも生き返ることはできるが、ここにいる俺がどうなってしまうのかわからないし、生き返ること自体のリスクが高すぎる。
なんとしても、俺がこの場で救わなくてはならない。
でも俺は回復魔法なんて使えないし、どうすればいいのか……!
残された時間は本当にわずか。
それでいてどうすればいいのか全く思いつかないときて、一気に焦りを覚えてきた。
「どうすれば……――むぐっ!」
本気であせって、どうしようか頭を巡らせていた時に、消えかけの黒コートが俺の唇に指を押し当ててきた。
「こんな時に何するのさ!! このままじゃ本当に手遅れになっちゃうよ!?」
一体何をふざけているのか!
自分の命が危ないって時に人を茶化すようなこと――――ん?
……唇?
「あ……そう、か」
「方法は……分かってるな」
闘争本能が元とは思えないほど穏やかな笑みを見せて、黒コートのグレィはそう言った。
徐々に……本体のグレィよりもかなりの速さで消えていく黒コートの、精一杯の助言だったんだろう。しゃべるとエネルギーを消費してしまうから。
唇――キスだ。
レーラ姫を救ったあの夜、そして三週間前、ヤマダと戦った時の、あれを再現するんだ。
呪いと唇を通じて、俺の生命力をグレィの中に!
黒コートに感謝の代わりに頷いて見せると、彼は消えかかった体を光の粒子へと変えて、タキシードのグレィの中に戻っていった。
支えが失われて、また一瞬体がふらついてしまう。
それでも足に力を入れて踏ん張りを見せると、俺は体を振り返らせて、前倒しになっているグレィの肩を持つ。
そっと体を起こしてあげて、俺は彼の唇に目をやった。
モノクロな世界であるが故色はわからないが、水分が不足していて、カサカサとしている。
そういえば、自分からするのは初めてだった。
一番最初の時は自分からいこうとしたけれど、あの時はまだ恋心なんて抱いてなかったし、身長届かなかったし……あれ、意識し始めたらなんか緊張して……見られてないはずなのに、ちょっと恥ずかしい。
心臓がどんどん鼓動を強くして、顔が一気に上気する感覚に見舞われた。
でも今はそれどころじゃない。
今の俺は魂の状態。
生命力を分け与えるということは、俺自身の魂を削って分け与えるということなのだから、力の制御をしないといけない。
レーラ姫の時は予期せぬ事態だったから大きく動きすぎてしまったが、ヤマダの時は、グレィがそうやって俺から吸い取る力の量を調整していた。
ということは、俺にもある程度のコントロールはできるはず。
気を確かに持たなければ。
俺はそう自分に言い聞かせ、大きく三回の深呼吸をする。
そして――
「グレィ……待たせてごめんね。今、助けるから」
今できる最大限の集中力を以って、俺は唇を重ねた。




