5:15「どうか、無事で」
グレィ→グリーゲルと視点が変わります。
「お? 目覚めた?」
「……お嬢」
「おはよ、グレィ」
ここは……屋敷の使用人部屋か。
日の入り具合からして、未だ朝の九時そこそこといったところだろう。
ということは、朝食の時間はもうとっくに過ぎている。
「無事、この世に帰ってこれた……ということか」
「グレィ?」
「いや、なんでもない」
幸い、体に異常は見られない。
ほっとして、安堵のため息が出てしまった。
気丈にふるまって見せても、こうして表に出てしまっている辺り、思っていた以上に不安だったらしい。
「それで、竜仙水は?」
「うん。これ」
そう言ってお嬢がスカートのポケットから取り出したのは、見覚えのある深紅の小ビン。
現物を見て再び大きなため息が漏れそうになってしまったが、そこはぐっと抑え込み、笑顔を作ってごまかした。
「グレィが起きるまでは待ってようと思ってね。これから持っていくよ」
「そうか……」
これから持っていく――持って行って、元の体に戻る。
それを思うと、寂しいという感情が心の底から湧き上がってきた。
転生前の体に戻るために、竜仙水が必要だ。
そうとしか聞かされていないが、転生前の体というのはおそらく男なのだろう。共に生活するようになって、薄々そこには気が付いていた。
一人称が俺であることに加えて、部屋には男物の衣服。家具なんかも女性にしては洒落っ気が無さすぎる。
それに、メロディアはともかくとして、キョウスケはお嬢のことを女性扱いしているように見えなかった。
自身の子ということもあるかもしれないが、彼の態度は娘というよりは息子に向けるそれ……父上が昔、我に向けていた態度に似たものを感じた。
だからだろう。
お嬢が元に戻れば、我の恋路は叶わないモノとなる。
仮に我がそれを良しとしても、お嬢はきっと我を拒むだろう。
世の中とは、そううまくいかないものだ――姫様の時のように。
だが……それがお嬢の望みなら、我が止めることはできない。
主であるからではなく、我個人として、思い人の意思は尊重するべきだと思うからだ。
「グレィ、顔が暗いね? 一緒にどうかなと思ったんだけど……体調良くないならまだ休んでる?」
「ム! い、いや何でもない。平気だ。行かせてもらおう」
「ほんとに大丈夫?」
「ああ」
この思いが叶わなくなる。
ならせめて、今のお嬢と少しでも長く共にいたい。
……それくらいは、願ってもいいのだろうか。
ベッドから体を起こし、頭の片隅でそのようなことを考える。
立ち上がってみると、身を包んでいるシャツに染みひとつついていないことに気が付いた。
死んでいる間に、誰かが着替えまでしてくれていたということだろうか。
まあ、どのみちそのままではベッドに寝かせることはできないが故、当然と言えば当然か
だが、あまりそこに目を逃がしてもいられない。
手早くいつものタキシードを身に着け、待ってくれているお嬢に向かい会う。
「待たせたな。では行こうか」
「うん」
お嬢が椅子から立ち上がるのを確認し、使用人部屋の扉をあけようとドアノブに手をかける。
すると――。
――ぐさり。
「……え?」
違和感と熱を感じた腹部。
そこに目を向けてみると、真っ白だったはずのシャツが真っ赤に染まっていた。
* * * * * * * * * *
仙血の儀。
そう呼ばれているこの儀式には、必ずその代の竜王が立ち会う決まりとなっている。
何故なら竜仙水を生み出すため、王にのみ行使することが許されたある力を使う必要があるからだ。
それゆえ、仙血の儀によって殺められる者は王位を継承することができなかった王の兄弟姉妹が多かった。
我も千年の昔……王位を継いだその日に、弟をこの場で殺めた。
彼の水を躊躇なく使ってしまったのは、その記憶を忘れたいがためでもあるのかもしれない。
「それがまさか……我が子を手にかけることになるとはな……」
グラドーランは今、目の前の玉座で静かな眠りについている。
王にのみ行使することのできる力とは、竜族にのみ作用する強制睡眠(催眠)。
こうして対象者を眠らせることにより、ほとんど痛み無く儀式を進めることができる。
そして竜化したことで玉座が竜仙水を精製するための機能を作動し、上にある小ビンへと生気を注入していくのだ。
竜化したときに現れる角が、玉座を動かすためのカギになっている。人間でいうところの指紋に当たる部分だ。
玉座が作動すると同時に、我は己のカギ爪を立て、グラドーランの指先に小さな傷をつける。
そしてヒトの姿になると、玉座の上に置かれている小ビンを取り、指から流れ落ちる鮮血を注ぎいれた。
後は元の位置に小ビンを戻し、完成するまでじっと祈りを捧げる。
本来は犠牲となる魂を弔うための祈りであるが、今回は無事生還することを願う祈りだ。
「頼む。どうか、どうか無事に戻ってきてくれ……グラドーラン、お前がいなくなったら我は」
【王の声】――その効果により、グラドーランは己の意思で死することさえ許されない。
エィネ殿から話を聞いた時、我は呪いの主を……エルナさんを憎んだ。
元を質せばグラドーランの自業自得。それでも、エィネ殿やエルナさんからしてみれば仕方がなかったとしても、それだけはその感情だけは押さえられなかった。
しかしそののちに、グラドーランがリヴィアと接触したという話を耳にした時。
グラドーランがエルナさんを雑種呼ばわりしたことに、並々ならぬ怒りを露わにしたと聞いた時。
形はどうあれ、今もグラドーランは必死に、己の幸せのために生きているのだと察した。
ただただ呪いにおける主従の関係で、そのように主を想い怒るなど有り得ない。そこには間違いなく、特別な感情が作用しているものなのだと。
エルナさんが回復したときのグラドーランの顔を見て、それは確信に変わった。
今はもう、エルナさんのことを恨んではいない……と言えば、少々嘘になるかもしれない。何せ一度は人間に傾いた息子の心を、今度はどこからともなく現れたエルフが攫って行ってしまったのだから。
だが――そんなことは、正直言ってどうでもいい。
竜族の為、里の為に息子を追放した我には、グラドーランが選んだ道を否定する権利などない。
ただただ、生きてそこにいてくれればいい。
幸せに笑って、この世の何処かにいてくれるのならば。
「どうか……どうか……意思を強く、持っていてくれ」
それから24時間。
竜仙水が完成するまでただひたすらに、息子の無事を祈り、願い続けていた。




