4:32「隣海の夏と旧知の竜 5」
「なッ!」
「グレィ!?」
「グレ君!?」
「執事さん!?」
突然リヴィアに殴りかかったグレィを前に、俺たちは思わずたじろいでしまった。
確かに急に俺を見下したような態度に変え、雑種などと言ったことは気持ちのいいこととは言えない。
しかしまさかグレィが血相を変えて、しかも暴行に出るなどとは思いもよらなかった。
不意の一撃に体勢を崩しかけるリヴィアだが、何とか重心の乗った右脚を踏ん張らせ踏みとどまる。
その表情には俺たちとはまた別種の驚愕を浮かべ、グレィに向かい直した。
「……痛いじゃないかグラドーラァン? オレは何も間違ったことは言ってないだぐぼぉ!!」
「黙れっつってんだろ」
何故殴ったと、そう言いたげなリヴィアに、容赦のない追撃が襲い掛かった。
グレィはグレィで、激昂のあまりか言葉遣いがかなり荒くなっている。
背中を見るだけでもわかる。
今のグレィは本気でキレている。それも、今まで……ラメールに突っかかっていった時なんて比にならないくらい、本気で。
「ちょっ、ぐ、グレィ……」
いつもなら叫びをあげてでも「落ち着け」と言うところだが、今回に限ってはどうしたらいいのか分からず、かなり戸惑いの方が前に出てしまっている。
仮にリヴィアの言っていたことが事実だとするのなら、行動を制限させようとしても振り切られてしまうかもしれない。
しかし今まではそんなこと一度もなかった。
少なくともグレィがうちに来てから今まで、俺に逆らうようなそぶりは一瞬たりとも見せたことがない。
ただえさえ不安定な精神状態な上に、ここに至って出てきた不確定要素。
色々な状況や感情がひしめき合い、明確な判断を下すことができなくなっていた。
「お嬢、下がってろ」
「で、でも……」
「さっきも言った、こいつの言うことに耳を貸すな。こいつは――『敵』だ」
「…………」
敵だと、ただ一言そう告げたグレィ。
せめてなぜ敵なのか一言欲しいところであるのだが、今の彼はどうにか理性を保っているというような状態。
そこまでしている余裕もない……か。
再び体制を崩したリヴィアがグレィと、後ろにいる俺を睨みつける。
そこには先ほどまでと違い、明らかな敵意が感じ取れたが、リヴィアがそれ以上口を開く気配はない。
殴られると分かっているからだろうが、それだけではないようにも見える。
よく見てみると、汗もかいてるような?
――しかし、その直後。
「―――ッ!!」
リヴィアの頬から一滴の汗が落ち、瞼がピクリと動いた瞬間。
まばたき一つ挟んだすぐ後に目に飛び込んできた光景に、俺は目を見開いた。
そこにはリヴィアの懐に迫り、紫色の魔力刃を心臓がある左胸に突き立てているグレィの姿があったのだ。
辛うじてその物騒なものを握る手はリヴィアの手で防がれてはいる。が、その手は今もプルプルと震えており、グレィが刃を引っ込める様子はかけらもない。
本気でリヴィアを殺そうとしていると、そう言わざるを得ない光景。
「グレィ! 流石にそれは!」
「いい加減にせんか」
流石にそこまで行ってはやり過ぎだと、俺が思い切って声をあげる。
それと同時に、後ろから今日一番多く聞いているであろう老賢者の声が聞こえてきた。
そして――
「ふんっ」
「ごはっ!?」
「ひでぶっ!!」
老賢者――シーナさんの、少し力んだかのような声を耳にしたと思ったら、次の瞬間グレィとリヴィアがまるで何かに押しつぶされるかのように、勢いよくその場に突っ伏した。
「な!?」
「ふぇっ!?」
海岸の、潮水に濡らされた砂浜を大きくめり込ませ倒れ込む二人に唖然とさせられる中、シーナさんがすたすたと俺の横を通り過ぎて行き、ピクリとも動かなくなった二人の元へ歩み寄る。
「全く、やりすぎじゃアホウ」
「し、シーナさん!? 何を!」
「本当は静観しているつもりじゃったがな。竜族の殺し合いはシャレにならんから気絶させたんじゃよ」
「い、いやそうじゃなくて……そうだけど……」
止めてくれたのはまあいい。
確かにこのまま放っておいたら大変なことになりそうな雰囲気ではあった。
でも、それはそれとしてどうしてシーナさんが……
「こんなところで騒ぎでも起こしてみい。わしらは今不法入国しとるんじゃ、誰の首が飛ぶと思っておる!」
「え、エェ……」
そこ!?
つーか勝手にここを選んだのもあなたなんですが、それは。
「ほれ、話はあとじゃ。先にこのアホウ二人をどうにかするぞい」
「……はぁ」
何と言うか、事が事なだけにこう言った形で締められると調子が狂う。
しかし今は複雑な心境をどうにか押し殺し、俺たちは気絶した二人を移動させることにしたのだった。
* * * * * * * * * *
リヴィアは岩柱の影にシーナさんとアリィ、それからリリェさんが一緒に縛り付け、グレィは俺たちの目に届く範囲で、しかし同じようにぐるぐる巻きに縛り付けておいた。
縛るのに使った紐はシーナさんが魔法で精製したもので、数時間もすれば溶けて無くなるそうだが、その間ならドラゴンと言えども絶対に逃げることはできないらしい。
目が覚めた時にリヴィアがどう出るかは気になるものの、下手にこれ以上手を出すわけにもいかないが故、ひとまずは人目に付かない影に置いておくということに。
「さて、気になることはあるじゃろうが……まずはおぬしに言っておかねばならんな、エルナよ」
「……え?」
「おぬしの記憶を覗いた限りじゃが、確かにあの竜王の男は縛られておる。仮に抵抗できるとて、今のあやつにそれをする意はなかろう」
「そ……そう、か」
「釈然としないといった顔じゃの」
「…………」
釈然としない……と言われれば、そうなのだろう。
確かにシーナさんの言う通り、グレィにその意は無いように思えるし、そんな意思があったら俺を雑種呼ばわりしたことで怒ったりはしないだろう。
だがそうではなく、なんというか……言葉にできない、漠然としたモヤモヤが心の内に残ているのだ。
自分がどう在りたいのかという悩みとはまた別の、胸の奥に突き刺さるような突っかかり……とでも、言うべきだろうか。
「グラドーラン、じゃったか。こやつはおぬしに一度忠誠を誓っておる。気になるのであれば、直接聞いてみればよかろう」
「うん。そう……だね」
「うむ。リヴィアとかいう小僧には、下手に手出しせんよう後ほどわしが言っておく。まあ、もとよりこのような場所に住まう時点で一族としては末席じゃろうし、そこまで心配する必要はないと思うがの。そこのグラドーラン然り、群れを離れた竜族はそんなもんじゃ。言うてしまえば、リヴィアは威勢だけいいガキンチョじゃな――して」
シーナさんはそこまで言い終わると、親父と母さんの元へ歩み寄り、二人のことをじっと睨みつけた。
「おぬしら、エルナの両親じゃろう」
「えっ?」
「あ、あぁ……そうだが」
「こやつが何を思い悩んでおるか、わかっておるか」
「…………!」
あまりに唐突に、一度収まりをつけたはずの話題を持ち出すシーナさん。
何か意図があってのことなのだとは思うが、なぜ今それを言うのか。
そもそも両親に話していない理由も、シーナさんにはしっかりと説明したのだ。
それなのに……!
「……ええ」
「ああ」
「ならばよい」
何でこんなことをするのか、シーナさんに問おうとした刹那、母さんと親父は揃って返事を返して見せた。
もちろん感づいていないなどとは思っていない。
しかしあまりにもはっきりとした、悩んでいる事柄までを理解しているという返答に対して、俺は出そうとしていた言葉を飲み込み、その視線をシーナさんから、複雑な表情を浮かべる両親に向ける。
「母さん、親父……」
「おぬし、バレないようにと無理しとったようじゃからの。先のこともあるがゆえ、抱え込む前にこれだけは示しておかねばならんと思っての」
「……シーナさん」
抱え込む前に……か。
要は全部吐き出して、その上で思う存分悩め――と、そう言うことなのだろう。
遠慮はいらない。
例え求めていた返事が返ってこなかろうと、気持ちを伝えるだけで楽になることもある。
己に理解のある人間ならば尚更に。と。
シーナさんは俺に振り返って、そう言うことじゃと言わんばかりのウィンクをして見せた。
そして少し重苦しくなっていた場の空気を断ち切るかのように、パチンと手を打ち、未だ青い空を仰いだ。
「さ! 暗い話は終いじゃ終いじゃ! もうそこそこいい時間じゃし、帰るぞ」
「あ、え? うそ!?」
「実は17時を回っておる」
シーナさんの言葉を受け、俺だけでなく場の全員が信じられないとばかりに空を見上げた。
先も言ったが、まだ空は青い。
15時だと言われても信じるくらいには。
……夏って怖い。というか、みんな時間も忘れてあれこれしてたのね。
「私! まだ遊び足りません!」
「アリィ、ここは空気読みましょうよ……」
「だって! エルナちゃんの気分転換なのに、全然じゃないですかぁ!」
「そ、そこ関係ある!?」
「あります!」
正直、アリィが一番自由奔放にしてたよね?
さっき――リヴィアが現れた時は、流石に自重していたようだけれども。
まあ、彼女のそんなところに救われたところもないことはない。
率先して手を引っ張ってくれる彼女の存在は、時に逃げたくなることもあるものの、意外と頼もしいものなのだ。
今の何かに託けたようなセリフもそうだ。
重い空気を切り替えるために、率先して明るい話題を持ち込むなど、早々出来ることではない。
「でもありがと。来る前よりは、だいぶ楽にはなったよ」
「む。むむむむむ……エルナちゃんがそう言うなら……」
「はははは……」
何はともあれ、ひとまずこれにておひらきおひらき。
詳しい話はシーナさんの言った通り、グレィが起きたら直接聞いてみるとしよう。
こうして俺たちは荷物をまとめると、一難去ったハルワド海岸を後にしたのだった。
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