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【書籍化・コミカライズ決定】ワンオペ母が悪役令嬢になったら、攻略対象が地雷にしか見えない件  作者: 葵 すみれ
第二章 杖作成

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03.地味男子を侮辱されたので、理詰めで黙らせました

 長老の言葉が、廊下の空気を凍らせた。

 子爵家の庶子ごとき──。

 その一言に含まれた侮蔑は、決して聞き流せるものではなかった。


 けれど、私は眉一つ動かさなかった。

 怒りを見せることは、相手の思うつぼだ。

 公爵家の名を背負う者として、感情よりも理を優先させるべき時がある。


「ずいぶんとご熱心ですのね。わざわざ、私の客人についてご関心をお寄せくださるなんて」


 静かに言うと、長老の眉がわずかに動いた。

 笑っているつもりなのかもしれないが、その目の奥は氷のようだ。


「客人……とは、随分なご表現を。公爵家に出入りを許されるのは、本来なら相応の血筋を持つ者のみ。それを庶子など……屋敷の格式が泣きますぞ」


 すぐ傍らにいたグレンが、わずかに息を呑む。

 それでも反論しようとはせず、抱えた書類を静かに握りしめた。

 私は横目でその動きをとらえ、ほんの一瞬だけ視線を向ける。

 ──大丈夫、私に任せて。

 目でそう伝えると、彼は小さく頷いて口を閉じた。


「そうかしら。彼は学園で正式に評価を受けた優秀な生徒です。紅魔病の経過観察という立派な理由もございます。公爵家の一室を使うに値する実績を持つ者に、出入りを禁じる理由はありませんわ」


 私の声は、意識して穏やかに保った。

 それでも、内側では熱いものが込み上げてくる。

 リーヴの柔らかな光、グレンの誠実な笑顔──それらがこの男の言葉で汚されるのが、ただ悔しかった。


「実績、ですか。若造の手慰みを功績と呼ぶほど、カルディナート家も落ちぶれたと?」


「落ちぶれたかどうかを判断するのは、私ではなく、国ですわ」


 その瞬間、長老の目がわずかに見開かれる。

 廊下の奥から差し込む陽光が、床に細い線を描いた。


「学園の観察記録は王立研究所に提出されることになっています。つまり、彼の成果はすでに公的な評価を受けている。その事実をご存じでないのなら──長老こそ、少しお勉強が必要ではなくて?」


 ぴたりと空気が止まった。

 長老の頬がわずかに引きつる。

 背後に立つ執事が、思わず息を呑む気配を見せた。


 沈黙の中、グレンが小さく頭を下げる。


「……ノエリアさま」


 その声には、言葉にできない感謝と戸惑いが交じっていた。

 私はわずかに首を振り、穏やかに言う。


「この屋敷の客人に不敬な言葉を向けた場合──その責は、公爵家への侮辱として扱います。以後はご留意くださいませ、長老」


 言い終えた瞬間、長老の顔から血の気が引いた。

 頬が引きつり、返す言葉を失っている。

 その沈黙を破るように、低く穏やかな声が廊下に響いた。


「……ずいぶんと声が大きいようだな」


 はっとして振り向くと、そこに父が立っていた。

 カルディナート公爵──この屋敷の主であり、私の父。

 陽光を受けた金髪が静かに光を返し、淡い灰青の瞳がまっすぐに私たちを見つめている。

 怒っているわけでも、威圧しているわけでもない。

 けれど、その一歩で空気が変わった。


「……お父さま」


 私が小さく頭を下げると、長老の顔に安堵が浮かんだ。

 彼はまるで味方を得たかのように、饒舌に言葉を並べはじめる。


「閣下、よいところに。ご息女がこのような者──子爵家の庶子を屋敷に迎えておりましてな。公爵家の格式を守るためにも、私は忠告を申し上げていたのです。やはり、公爵家にはそれにふさわしい品格が必要。卑しい身の者を近づければ、外聞にも関わりますゆえ」


 ああ、この人、本気で言っているのね。

 父が来たことで、自分の意見が通るとでも思っているらしい。

 私は一歩下がり、父の表情を見守った。


 父はゆっくりと視線を長老に向けた。

 声を荒らげることもなく、ただ静かに口を開く。


「……庶子、か」


 長老が、ふっと勝ち誇ったような笑みを浮かべる。

 だがその次の瞬間、場の空気が凍りついた。


「それは──私のことを指しているのか?」


 長老の顔から血の気が引く音が聞こえそうだった。

 目を見開いたまま、声にならない。


「か、閣下……まさか、そのような……!」


「私は先の王弟の庶子だ。正妃ではなく、側妃から生まれた。その卑しい身の者がカルディナート家を継ぎ、今ここにいる。それを外聞に関わると、君はそう言ったのか?」


「そ、それは……!」


 長老は慌てて手を振った。

 往生際の悪い声が、情けなく響く。


「閣下は側妃の子とはいえ、側妃さまもれっきとした名門貴族の令嬢であり、何より──王家の血をお引きになっておられます! 下々の庶子などとは……まったく、別の──」


「別の、何だ?」


 父の声は低くも静かで、その場の誰も動けなかった。

 長老の唇が震える。


「……っ……」


「貴族も平民も、生まれで差をつけるうちは進歩などない。そしてこの家は、血よりも志を重んじる家だ。それを知らぬ者が品格を語るのは、滑稽だと思わないか?」


 長老は完全に言葉を失った。

 やがて、蒼白な顔で深々と頭を下げた。


「……行きなさい。言葉より行いで、この家の価値を示してくれ」


「……は、はい……」


 長老が足早に去っていく。

 静寂が戻ると、父は私へ視線を向けた。


「ノエリア」


「はい」


「よくやったな。感情でなく理で封じた。それでいい」


「ありがとうございます」


「継ぐというのは、言葉で宣言するよりも、その覚悟を行動で示すことだ。今日の君は、それに一歩近づいたように見える」


 ──やはり、確かめに来たのね。

 私が本気でこの家を継ぐつもりなのかどうかを。


 父は静かにグレンへ視線を移した。


「ベルマー子爵家のご子息。不快な思いをさせたことを、家主として謝罪しよう」


「そ、そんな……もったいないお言葉です」


「だが、忘れるな。誇りとは血筋ではなく、何を守ると決めたかで生まれるものだ」


 グレンは一瞬息を呑み、それから深く頭を下げた。


「……はい。肝に銘じます」


 父は短く頷き、背を向けた。

 足音が遠ざかるにつれて、張りつめた空気がゆるやかに溶けていく。


 ──静かで、優しい人。

 けれど、いざというときは誰よりも容赦がない。

 その背中を見送りながら、私は確かに感じた。

 父は“娘”ではなく、“後継者”として、私を見ていたのだと。


 父が去り、廊下には再び静けさが戻った。

 緊張の糸がほどけたのか、グレンがそっと息を吐く。

 その手に残る書類が、わずかに震えていた。


「……お騒がせしました。僕のせいで、こんなことに」


「違うわ」


 私は首を振る。

 窓の外から差し込む光が、磨かれた床に反射して揺れていた。


「あなたのせいではない。むしろ、あの人──長老たちが変わるべきなの」


 グレンはしばらく黙っていたが、やがて小さく微笑んだ。

 その笑顔には、わずかな安堵と決意が混じっている。


「……強いですね、ノエリアさまは」


「強く見えるだけよ。そうでなければ、立っていられないもの」


 そう言いながら、自分でも驚くほど穏やかに笑えていた。

 怒りや悔しさは、もうどこにもない。

 代わりに胸の奥で、静かな炎が燃えている。


 ──父は、私を後継者として見ている。

 その意味を、今日ようやく理解した。


 血筋も、性別も、慣習も、もう言い訳にはできない。

 「継ぐ」とは、ただ座に就くことではなく、この家の在り方を示すこと。

 誰かのために戦い、守り、正すこと。


 リーヴが穏やかに成長していくように、私もまた、ゆっくりと形を変えていくのだろう。


「……戻りましょう。リーヴの様子を見に行きたいわ」


「はい」


 並んで歩き出す。

 廊下を抜けると、庭の向こうで光が揺れていた。

 その中心にある温室が、まるで新しい時代の芽吹きを象徴しているように見えた。


 ──あの光の中で、きっとまた試される。

 それでも構わない。

 カルディナートの名を継ぐ者として、私はこの手で未来を選び取る。

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― 新着の感想 ―
長老も、庶子の部分では無く子爵の部分を強調すればよかったのに。
 父上、カッコいい…
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