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【書籍化・コミカライズ決定】ワンオペ母が悪役令嬢になったら、攻略対象が地雷にしか見えない件  作者: 葵 すみれ
第二章 杖作成

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01.奇跡を抱えて帰る悪役令嬢、夏は長くなりそう

 夏の光が高い窓から差し込み、講堂の床に明暗の模様を描いていた。

 真面目そうな生徒も、浮ついた生徒も、誰もが「夏休み」という響きに心を半分持っていかれている。


 私は最前列の端に座り、隣にはグレン。

 彼の腕の中には、小さな人の形をしたシュプラウト──リーヴがいた。

 肌は淡い若葉色。胸のあたりで小さな光がまたたき、彼女あるいは彼が生きていることを知らせている。

 息をしているようにも見えるけれど、実際に呼吸をしているわけではない。

 まるで、魔力そのものが形を取って眠っているような存在だった。


 ざわ……と、周囲から小さなざわめきが起こる。

 無理もない。

 シュプラウトは通常、昇華を終えれば光の粒になって消える。

 それが、こうして人の姿で残るなんて、前代未聞だ。


 教師はあのあと、古い書簡をひっくり返してこう言った。

 「シュプラウトは古代の、滅びた種族をもとに作られた魔法生物。その先祖返りかもしれん」と。

 そして「学園で保護すべきだ」とも。

 ──もちろん、断った。

 責任は私が持つ。手放すつもりなど、最初からなかったのだから。


 授業の課題ではなく、私たちの手で育てていく存在となったこの子に、私とグレンは名を与えた。

 若葉の意味を持つ名──リーヴ。

 未来に向かって育っていけるようにという願いを込めて。


 壇上では校長が長い話を締めくくり、いつもの担当教師が前へ出る。

 淡々とした口調で、終業の言葉を述べた。


「これにて、一学期の課程を終了する。よく学び、よく休め。魔力は使えば減るが──宿題は、やらねば増えるぞ」


 その最後の一言に、生徒たちから笑いが起こる。

 リーヴが光をふわりと散らして、まるで笑いに応えたかのように揺れた。

 ……この子、空気を読んでいるのかしら。

 周囲が息を呑む中、私は軽く会釈して受け流す。見せ物ではないけれど、隠す理由もない。


 鐘が鳴り、椅子の音が一斉に響いた。

 教師が列の端で私たちを待っている。

 私はグレンと目を合わせて立ち上がり、講堂の出口へ向かった。


「カルディナート嬢、ベルマーくん」


 教師は眉を下げ、少し柔らかい声で声をかけてくる。


「紅魔病の経過は落ち着いているようだな。しかし、夏は疲れが出やすい。できるだけ安静に」


「はい」


 グレンが素直に頷く。

 けれど、その声音にはまだどこか遠慮があった。


「……本当に、公爵邸で過ごしてよいのでしょうか。僕のような者が……」


「当然よ」


 私はきっぱりと答える。


「発症したのは公爵家での滞在中ですもの。ならば、完治まで責任を持つのが筋でしょう」


 少しだけ間を置き、淡く微笑む。


「それに、この子──リーヴの観察も兼ねているわ。あなたがいてくれたほうが、何かと助かるもの」


「……もったいないお言葉です」


 グレンは姿勢を正し、深々と頭を下げた。

 顔を上げたとき、その表情にはまだ硬さが残っていたけれど、ほんのわずかに安心した色も見えた。


 リーヴの小さな指がグレンの袖をつまんだ。

 その仕草に、彼の表情がほんの少しだけやわらぐ。


「では、定期的に成長の報告を頼む。睡眠、反応、魔力応答、摂水量などを簡潔に」


 教師が言いながら、懐から小さな書類用紙を取り出した。


「記録書式は、前回の観察雛形を参考にしてもらって構わん。ベルマーくん、君に任せてもよいか?」


「……はい。光栄です」


 グレンが姿勢を正し、短く答える。

 その声の奥に、静かな決意があった。


「期待しているよ」


 教師は微笑んで去っていく。

 その背中を見送りながら、私は小さく息をついた。

 リーヴが光をこぼし、指先で私の髪をつまんで遊んでいる。


「……あなたまで落ち着きがないわね」


 小さく囁くと、グレンが苦笑を漏らした。


 扉の外は、すでに夏の音で満ちていた。

 蝉の声、遠くで鳴る馬車の車輪、魔力塔の鐘。

 太陽は容赦なく照りつけ、白い石畳をきらきらと光らせていた。

 夏休み前の校門前は人であふれ、あちこちで再会の約束やら、最後の名残惜しい談笑やらが飛び交っている。


 ──そして、視線の半分はやっぱりこちら。

 リーヴを見ているというより、「鉢から生まれた奇跡」を見に来た観光客のような目だ。

 慣れたけれど、居心地がいいとは言えない。

 グレンは気づかぬふりでリーヴを抱き直し、穏やかに日陰へ足を向けた。


 そこへ、聞き覚えのある声が飛んでくる。


「カルディナート嬢。見事な結果だったな」


 金髪が陽光を反射する。王太子ローレンス・アークフェルド。

 相変わらず姿勢が完璧すぎて、暑さという概念が存在しないかのようだ。

 けれど、その完璧さの中に、ほんのわずかなぎこちなさが交じっていた。

 視線を合わせた瞬間、彼はわずかに目を逸らす。


「お褒めいただき光栄ですわ、殿下」


「実体化とは前代未聞だ。二学期の育成課程でも、その経験を活かしてもらう」


 口調は丁寧で、言葉も正確。

 それでも、少しだけ硬い。

 まるで、他の誰よりも正しく振る舞おうとすることで、自分の本音を押し込めているように見える。


「心得ております」


 形式的なやり取り。

 それで十分だと思っている私と、形式の裏に何かを残したまま去っていく彼。

 その背中を見送りながら、私は小さく息をついた。


 ローレンスが立ち去ると、今度は影のようにオズワルドが飛び込んできた。


「うおっ、やっぱり動いてる! すげぇな!」


 興味津々に覗き込み、リーヴの頭上で手を振る。

 リーヴがそれに反応して、葉をぴょこんと揺らした。


「おお、返事した! かわいいな!」


「オズワルド・グランシェ、近いわ。あなたの声量で泣かれても知らないわよ」


「ははっ、悪い悪い!」


 脳筋は相変わらず元気そうだ。

 たぶん彼は、夏休み中も筋トレに励むのだろう。暑苦しいことこの上ない。

 ただ、ひたむきに一つのことに打ち込む姿勢は、素晴らしいと言えるのかもしれないが。


 その背後から、ひょいと銀髪が現れた。ユリウス・ヴァルドレイン。

 相変わらずの軽口で、片手をひらひらさせる。


「いやぁ、素晴らしい成果だね。学院の記録にも残るよ。報告書、特別に僕が代筆してもいいけど?」


「必要ありませんわ」


「えぇ、冷たいなぁ。じゃあ、せめて共同で──」


「ご自分の課題を終えてから仰ってくださいませ」


「うっ……ごもっとも」


 ──相変わらず、口だけ貴公子。

 けれど、反論せずに引き下がったあたり、少しは学んだようね。


 少し離れたところで立っていたレオニールも、こちらに近づいてくる。

 深い青の髪が風に揺れ、赤い瞳がリーヴを射抜くように見つめていた。


「魔力の循環が非常に安定している。検証素材として、実に興味深い」


「……あなたのシュプラウトは、種を残してくれたそうね。『検証素材』として、興味深い結果よね」


 私が同じ調子で返すと、レオニールの瞳がわずかに揺れた。

 すぐに視線を落とし、短く息を吐く。


「……失言だった」


「ええ。けれど、気づけたのなら上出来ですわ」


 私がそう答えると、彼は何かを言いかけて結局口を閉じ、軽く頭を下げて去っていった。


 すると今度は、やや高めの声が割り込んだ。


「いやぁ、さすが姉さま! この調子で夏休みも、グレンくんとの仲を──」


「エミリオ」


 名前を呼んだだけで、義弟がぴたりと動きを止めた。

 背後でミアが慌てて両手を振る。


「ち、違うんです! その……エミリオさまと話してて! 二人で、応援しようって……!」


「応援?」


「えっと……学問的な意味で、です! すごくいい研究チームだと思うので!」


 ──学問的、ね。便利な言葉だこと。


 エミリオはそれでも懲りずに胸を張る。


「姉さまとグレンくんが同じ屋根の下にいるんだよ? 進展がないほうが不自然だって!」


「観察と看病です。それに客人としての滞在だから別棟よ」


「それでもきっかけは大事だよ!」


 ミアがこくこくと頷いた。


「そうです! あの、グレンさん、きっと無理しちゃうタイプですし……。ノエリアさまがいてくださるなら、安心です」


 その真っ直ぐな言葉に、思わず少しだけ口元が緩む。

 ──まったく、純粋すぎて敵わないわね。


「夏休みが明けたら、また会えますよね?」


「ええ。もちろん」


「楽しみです!」


 ミアはぱっと笑い、リーヴに小さく手を振った。

 リーヴが光をふわりと散らして応える。


「もし時間があれば、公爵邸にも遊びにいらっしゃい」


「えっ……よろしいんですか!?」


「ええ。リーヴも喜ぶでしょうし」


 ミアが胸の前で両手を組み、目を輝かせる。

 その横で、エミリオがしたり顔で囁いた。


「やったね、ミアちゃん。これで二人の観察も──」


「エミリオ」


「……はい、反省します」


 二人が去っていくのを見送りながら、私は小さく息をついた。

 ──全力でおせっかいな弟と、真っ直ぐすぎるヒロイン。

 ……夏休みが静かに過ぎるとは、とても思えないわね。

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 りーゔ『ぱぱ~』
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