39.二人きりの温室で芽吹く想いと、忍び寄る気配
「さて……今週も、希望するペアは鉢を持ち帰って構いません。これが最後の持ち帰りとなりますが、学園に預けるのも自由です。それぞれ、相談して決めてください」
授業の終わり、教師の一言に教室がざわついた。
それぞれのペアが相談し合い、鉢を手にする。
視線を巡らせると、レオニールの隣で女子生徒が鉢を抱えていた。
──これまで、彼は頑なに自分が持ち帰り、彼女に口を挟む余地さえ与えなかった。
それが今日は、自然に彼女へ鉢を委ねている。
確かに変化が生まれているのだとわかる。
エミリオのペアでは、いつものように女子生徒が鉢を抱えていた。
ただ、これまでは悪びれもせず押しつけていたのに、今日は「頼んでしまって悪いね」と一言添えている。
──少しは気を使うようになったのかしら。
でも、口だけなら何とでも言える。判断するには早い。
オズワルドのペアでは、女子生徒が当然のように鉢を抱えている。
がさつな彼ではなく、きちんと扱える彼女が持ち帰るのだろう。
ユリウスのペアは机を挟んで穏やかに相談していて、特に問題はなさそうだった。
ローレンスとミアのペアでは、ミアが鉢を持ち上げていた。
ローレンスの態度もようやく普段どおりに戻ってきたようで、あのときの衝撃から立ち直りつつあるのが見て取れる。
「今回お伺いできないのは残念ですけど……あとでお話を聞かせてもらえたら嬉しいです!」
やたらと瞳をきらきらさせながら、ミアが熱のこもった声を投げかけてくる。
……いったい、何を考えているのやら。
──今週末は、いつもと違う。
ミアは来ない。公爵邸を訪れるのは、グレンただ一人。
胸の奥で、まだ答えの見えないざわめきが広がっていった。
週末の昼下がり、公爵家の紋章を掲げた馬車が門をくぐる。
やがて玄関前に止まり、車輪の音が静まった。
私と並んで立つのは、珍しくエミリオだ。
普段なら、こういう場面には顔を出さないのに。
「どうして一緒に?」
小声で尋ねると、彼は悪戯っぽく笑った。
「だって、今回は僕が友人を招いたことになってるんだよ。形だけでも、ね」
思わず目を瞬かせた。
エミリオが、こんなふうに気を回すなんて。
あの企みの笑みが脳裏をかすめる。
……いったい、この子たちは何を考えているのかしら。
ほんの一瞬、ある可能性が浮かびかけたけれど、掴みきれない霧のように消えていった。
馬車の扉が開き、グレンが姿を現す。
制服をきちんと整え、ぎこちなく礼を取る。
四度目の訪問だというのに、やはり緊張を隠せていない。
「ようこそ、公爵邸へ」
エミリオが先に声をかけ、私もその隣で微笑みを添えた。
昼の光の中、戸惑いを押し隠そうとする彼の姿がまぶしく映った。
エミリオに先導されて、グレンとともに温室へ向かう。
義弟は終始ご機嫌で、何やら鼻歌まで口ずさんでいる。
「さあ、ここからは二人に任せるよ。ごゆっくり~」
軽い調子で手を振ると、そのまま回れ右して去っていった。
「……相変わらずね」
私が小さくため息をつくと、グレンは困ったように目を伏せた。
温室の扉を開けると、淡い光に包まれたシュプラウトが出迎えてくれた。
鉢の上には、すでに小さな人の形をした姿。
つるりと丸い頭のてっぺんには、ちょこんと芽が生えている。ふっくらとした手を広げるようにして、幼子のようにすやすやと眠っていた。
閉じられた瞳は穏やかで、呼吸をしているかのように胸がわずかに上下している。
「順調ね」
声をかけると、グレンは真剣な表情で頷いた。
二人並んで鉢の前に腰を下ろし、静かに魔力を注ぎ込む。
言葉を交わさなくても、流れは自然に揃っていく。
私が少し力を込めれば、彼も同じように。
互いの魔力が重なり合い、やさしい循環となって人型のシュプラウトを包み込む。
光がふっと強まり、温室の空気が柔らかく震えた。
ただそれだけのことなのに、胸の奥に穏やかな満足感が広がる。
──静かね。
光に照らされて、私と彼だけの時間が流れていく。
賑やかな義弟もいない。見張る視線もない。
ただ、育てるという行為だけに心を向けられる。
「……不思議です」
グレンが小さく呟いた。
「……どうしてなんでしょう。ノエリアさまとだと、すっと形になる気がして」
控えめな言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
彼はいつも自分を低く見積もるけれど、その誠実さと丁寧さこそが力になっているのだと、伝えたくなった。
けれど、その言葉を口にする前に、彼の表情がふっと揺らいだ。
眉がわずかに寄り、手が額へと上がる。
「大丈夫?」
「……はい。少し緊張しているだけです」
無理に笑みを作るが、その声はかすかに掠れていた。
問いただすべきか迷ったけれど、彼はすぐに深呼吸し、再び鉢へ向き直った。
穏やかな空気が戻る。けれど、胸の奥に小さなわだかまりは残った。
その日の夕食の席は、珍しく賑やかだった。
エミリオが一方的にしゃべり続け、私は半ば呆れながらも耳を傾け、グレンもぎこちなく相槌を打つ。
そのうちに、彼の表情から強張りが少しずつ抜けていくのがわかった。
食事を終えると、エミリオがぱんと手を打ち鳴らした。
「よし! せっかく泊まるんだから、夜の温室も見ておくべきだよ! 二人で!」
「ちょっと、エミリオ──」
制止の声をかけるより早く、彼はニヤリと笑って続けた。
「僕はグレンくんの部屋の手配をしてくるから。じゃあ、ごゆっくり~!」
言うが早いか、背を向けて駆け出していく。
呆気に取られる私とグレンだけが、静まり返った廊下に取り残された。
……まったく、何を考えているのかしら。
そう思ったはずなのに、胸の鼓動が妙に速い。
視線を上げると、グレンがこちらを見ていた。
前髪に隠れた表情は読み取りにくいけれど、耳まで赤く染まっているのはわかった。
「行きましょうか」
自分でも驚くほど落ち着いた声でそう告げ、私は足を踏み出した。
夜の温室。
淡い光が揺れ、昼間とは違う静けさが広がっている。
その扉を閉ざした瞬間、私と彼だけの空間になった。
──今夜、この静けさの奥に、嵐が潜んでいることをまだ知らずに。




