表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【書籍化・コミカライズ決定】ワンオペ母が悪役令嬢になったら、攻略対象が地雷にしか見えない件  作者: 葵 すみれ
第一章 シュプラウト育成

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

39/47

39.二人きりの温室で芽吹く想いと、忍び寄る気配

「さて……今週も、希望するペアは鉢を持ち帰って構いません。これが最後の持ち帰りとなりますが、学園に預けるのも自由です。それぞれ、相談して決めてください」


 授業の終わり、教師の一言に教室がざわついた。


 それぞれのペアが相談し合い、鉢を手にする。

 視線を巡らせると、レオニールの隣で女子生徒が鉢を抱えていた。

 ──これまで、彼は頑なに自分が持ち帰り、彼女に口を挟む余地さえ与えなかった。

 それが今日は、自然に彼女へ鉢を委ねている。

 確かに変化が生まれているのだとわかる。


 エミリオのペアでは、いつものように女子生徒が鉢を抱えていた。

 ただ、これまでは悪びれもせず押しつけていたのに、今日は「頼んでしまって悪いね」と一言添えている。

 ──少しは気を使うようになったのかしら。

 でも、口だけなら何とでも言える。判断するには早い。


 オズワルドのペアでは、女子生徒が当然のように鉢を抱えている。

 がさつな彼ではなく、きちんと扱える彼女が持ち帰るのだろう。

 ユリウスのペアは机を挟んで穏やかに相談していて、特に問題はなさそうだった。


 ローレンスとミアのペアでは、ミアが鉢を持ち上げていた。

 ローレンスの態度もようやく普段どおりに戻ってきたようで、あのときの衝撃から立ち直りつつあるのが見て取れる。


「今回お伺いできないのは残念ですけど……あとでお話を聞かせてもらえたら嬉しいです!」


 やたらと瞳をきらきらさせながら、ミアが熱のこもった声を投げかけてくる。

 ……いったい、何を考えているのやら。


 ──今週末は、いつもと違う。

 ミアは来ない。公爵邸を訪れるのは、グレンただ一人。


 胸の奥で、まだ答えの見えないざわめきが広がっていった。




 週末の昼下がり、公爵家の紋章を掲げた馬車が門をくぐる。

 やがて玄関前に止まり、車輪の音が静まった。


 私と並んで立つのは、珍しくエミリオだ。

 普段なら、こういう場面には顔を出さないのに。


「どうして一緒に?」


 小声で尋ねると、彼は悪戯っぽく笑った。


「だって、今回は僕が友人を招いたことになってるんだよ。形だけでも、ね」


 思わず目を瞬かせた。

 エミリオが、こんなふうに気を回すなんて。

 あの企みの笑みが脳裏をかすめる。


 ……いったい、この子たちは何を考えているのかしら。

 ほんの一瞬、ある可能性が浮かびかけたけれど、掴みきれない霧のように消えていった。


 馬車の扉が開き、グレンが姿を現す。

 制服をきちんと整え、ぎこちなく礼を取る。

 四度目の訪問だというのに、やはり緊張を隠せていない。


「ようこそ、公爵邸へ」


 エミリオが先に声をかけ、私もその隣で微笑みを添えた。

 昼の光の中、戸惑いを押し隠そうとする彼の姿がまぶしく映った。


 エミリオに先導されて、グレンとともに温室へ向かう。

 義弟は終始ご機嫌で、何やら鼻歌まで口ずさんでいる。


「さあ、ここからは二人に任せるよ。ごゆっくり~」


 軽い調子で手を振ると、そのまま回れ右して去っていった。


「……相変わらずね」


 私が小さくため息をつくと、グレンは困ったように目を伏せた。


 温室の扉を開けると、淡い光に包まれたシュプラウトが出迎えてくれた。

 鉢の上には、すでに小さな人の形をした姿。

 つるりと丸い頭のてっぺんには、ちょこんと芽が生えている。ふっくらとした手を広げるようにして、幼子のようにすやすやと眠っていた。

 閉じられた瞳は穏やかで、呼吸をしているかのように胸がわずかに上下している。


「順調ね」


 声をかけると、グレンは真剣な表情で頷いた。


 二人並んで鉢の前に腰を下ろし、静かに魔力を注ぎ込む。

 言葉を交わさなくても、流れは自然に揃っていく。

 私が少し力を込めれば、彼も同じように。

 互いの魔力が重なり合い、やさしい循環となって人型のシュプラウトを包み込む。


 光がふっと強まり、温室の空気が柔らかく震えた。

 ただそれだけのことなのに、胸の奥に穏やかな満足感が広がる。


 ──静かね。

 光に照らされて、私と彼だけの時間が流れていく。

 賑やかな義弟もいない。見張る視線もない。

 ただ、育てるという行為だけに心を向けられる。


「……不思議です」


 グレンが小さく呟いた。


「……どうしてなんでしょう。ノエリアさまとだと、すっと形になる気がして」


 控えめな言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。

 彼はいつも自分を低く見積もるけれど、その誠実さと丁寧さこそが力になっているのだと、伝えたくなった。


 けれど、その言葉を口にする前に、彼の表情がふっと揺らいだ。

 眉がわずかに寄り、手が額へと上がる。


「大丈夫?」


「……はい。少し緊張しているだけです」


 無理に笑みを作るが、その声はかすかに掠れていた。


 問いただすべきか迷ったけれど、彼はすぐに深呼吸し、再び鉢へ向き直った。

 穏やかな空気が戻る。けれど、胸の奥に小さなわだかまりは残った。


 その日の夕食の席は、珍しく賑やかだった。

 エミリオが一方的にしゃべり続け、私は半ば呆れながらも耳を傾け、グレンもぎこちなく相槌を打つ。

 そのうちに、彼の表情から強張りが少しずつ抜けていくのがわかった。


 食事を終えると、エミリオがぱんと手を打ち鳴らした。


「よし! せっかく泊まるんだから、夜の温室も見ておくべきだよ! 二人で!」


「ちょっと、エミリオ──」


 制止の声をかけるより早く、彼はニヤリと笑って続けた。


「僕はグレンくんの部屋の手配をしてくるから。じゃあ、ごゆっくり~!」


 言うが早いか、背を向けて駆け出していく。

 呆気に取られる私とグレンだけが、静まり返った廊下に取り残された。


 ……まったく、何を考えているのかしら。

 そう思ったはずなのに、胸の鼓動が妙に速い。


 視線を上げると、グレンがこちらを見ていた。

 前髪に隠れた表情は読み取りにくいけれど、耳まで赤く染まっているのはわかった。


「行きましょうか」


 自分でも驚くほど落ち着いた声でそう告げ、私は足を踏み出した。


 夜の温室。

 淡い光が揺れ、昼間とは違う静けさが広がっている。

 その扉を閉ざした瞬間、私と彼だけの空間になった。


 ──今夜、この静けさの奥に、嵐が潜んでいることをまだ知らずに。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ