豪州攻略(7/7):捕虜の処遇(2/2)
豪州捕虜は自由の身になりましたが誰も逃げ出しません。これは好待遇で好条件の職場である「強制労働所(自称)があったのです。もはや三豪州は戦争不参加を表明し帰郷してもしなくてもよくなりました。地元より給料のいい日本企業に出稼ぎという形です(南豪州はまだ敵国です)。
捕虜はすでに帰国を許され自由の身になっていた。
三豪州大統領フランク・フォードは太平洋戦争不参加を表明した。
これにより米国との通商は断絶、大東亜共栄圏の一国となった。
捕虜の処遇は自由労働者の出稼ぎ待遇となった。
彼らの労働は主に破砕選別工場や貨車積み出しの労働者である。
労働者から管理職までほぼ全員が豪州人である。
西豪州の人口は200万余人。
州都パースの人口は6千余人だ。
その規模の土地に何万人もの元・捕虜が入ってきた。
その彼らはなぜか、誰も逃げ出さなかった。
現在南豪州は米国に見捨てられて経済が逼迫している。
民間求人はゼロ、公務員になるしかないが超高倍率だ。
7万余の豪州人の心根は揺れ動いた。
せっかく自国に帰る事が出来たのだ。
日本軍は捕虜の待遇に相当に配慮していた。
かつての捕虜収容所は貧しいなりにも厚遇だったのだ。
この事が今になって、捕虜の心を偏向させていた。
日本兵と豪州兵捕虜の間に奇妙な連帯感が生まれていた。
戦争は国家の外交の最後の手段であり、戦闘は運の巡り合わせだ。
お互いが怒りや憎しみを持って殺し合いをしているのではない。
豪州兵捕虜は心的外傷後ストレス障害に陥っていた。
後にこれは「ストックホルム症候群」と呼ばれる類いである。
今、全ての戦場で連合軍は劣勢に立たされている事も原因だ。
ずるいかもしれないが豪州兵捕虜は虜囚である事に甘んじる事にしたのだ。
このまま終戦までなだれ込めば、戦後補償があり軍人は年金がある。
豪州は戦列から離れて戦渦を避けていけそうだった。
シンガポールは陥落し、ミッドウェーで空母3隻を鹵獲された。
ガダルカナルもポートモレスビーも日本軍のものだ。
そして恐れていた豪州上陸は現実のモノとなった。
たとえばこのダンピア(Dampier)港も今や日本の領地だ。
日本から来た鉱石専用船(VLOC)は06万トンの鉱石を満載する。
その鉱石の輸送と積載が豪州兵捕虜の仕事だ。
39時間後、満載になったVLOCは離岸して日本に向かう。
すでに次の空のVLOCが港の外で待っている。
1ヶ月で600万トン近い鉄鉱石が日本に向かって輸出されているのだ。
アルミナもニッケル・コバルトも石油も液化ガスも同様だ。
豪州兵捕虜A「600万トン・・・・・・月刊6万トン級戦艦が100隻とか」
豪州兵捕虜B「ええっ、へんな計算やめろよぉ」
豪州兵捕虜C「うわあ、考えたくないよ~」
彼ら労働者には充分な余暇と給料が与えられた。
日本軍政部は金融業、銀行に手をつけなかった。
金融資産は莫大で、それゆえ占領時に手をつける国は多い。
しかしその後のデフレで紙幣が紙くずになる事もまた多い。
それゆえ軍政部は軍票を通貨の代用として発行してしまう。
これは兌換性が無く本位貨幣と両替できない。
これがまた不人気で、全然流通しなかった。
これでまたデフレスパイラルに突入してしまうのだ。
銀行に手をつけていないので、給与は振り込みである。
7万余人の捕虜に月給は凄まじい金額である。
日本軍政部はそれを金塊を担保にして保証金を積み上げた。
人々は「山下将軍の財宝」とウワサしていた。
これは軍政部が流布したデマカセである。
実際は東豪州で銅精錬の際に出る金地金が正体だった。
鉱山には必ず鉱夫を当て込んだ城下町がある。
それはこの西豪州の片田舎でも例外ではない。
景気が突然良くなったのは言うまでもない。
しかも西豪州の経済は資源産業だ。
豊かな鉱業生産が経済を支えている。
それを何万人もの労働力が採掘を加速させている。
鉄鉱石、アルミナ、ニッケル、天然ガス、石油。
この鉱石・鉱油の輸出先は日本である。
管轄は創業1860年のビリトン社が鉱業権を取得している。
これに伊藤忠や三井物産が出資し、利益獲得に乗り出す。
物凄い量の鉱石や鉱油を輸送する流通施設も増強された。
専用港と鉄道、道路の整備、石油パイプライン等々。
ポートヘッドランド、ポートウォルコット、ポートダンピア。
これら港町は工業港湾都市としての威容を見せ始めた。
油槽船、貨物船の需要もうなぎ登りとなった。
造船業はかつてない繁栄を謳歌していた。
西豪州自体が沸騰する景気の真っ只中にあった。
この景気の波は右回りの豪州大陸を席巻してゆく。
済し崩し的に時流をながめていくのが豪州流だった。
かつてシドニー攻撃で自沈した特殊潜航艇を引き揚げた時だった。
シドニー要港司令官グールド海軍少将は自沈という勇敢な行為に感動した。
「我々の内の幾人が自沈の犠牲を払った千分の一でも覚悟があるだろうか」
自軍の勇敢かもしれないが風紀や軍規の乱れた様を嘆いたモノだった。
かように豪州兵は「我が道を行く」タイプなのだった。
日本の産業/工業を支える台所となった三豪州。
西豪州、北豪州、東豪州と景気の波に乗った。
フォード大統領は上手く経済を回した事が評価された。
戦争景気ではあるが、これは上主の日本のおかげである。
日本人を追い出せという心情が無いワケではないのだ。
打算的だったが成長と繁栄の果実の方が甘かったのである。
こうなると悲惨なのは孤立した豪州本国(南豪州)だ。
米国は孤立した南豪州を無価値として放棄した。
輸出入は制海権制空権を失い、もはや安全ではない。
こうして頼みの米国との海運は途絶えてしまった。
流通は途絶えたが日干しになるワケではない。
食料自給率は100%を越えており飢える心配は無い。
だが問題は金融と経済活動の急激な鈍化だった。
収支が南豪州内のみになり、国際的信用はゼロ。
株価はとうとうサーキットブレーカーが発動。
豪州政府はそのまま半年間株の売買を制限し続けた。
これがかえって市場の混乱を招き、急騰急落が連続した。
市場から大株主の資金撤退が相次ぎ、大混乱となった。
銀行は企業・小売りから資金を回収しようと躍起になった。
倒産が相次ぎ、債権が焦げ付き、商業流通は大打撃を被った。
だが農業と漁業と畜産にはゆとりがある。
自給率は223%を越えていた。
食糧配給カードが国民に配られ、ギリギリの生活が始まった。
困ったのは砂糖だった。
サトウキビも甜菜も南豪州では産しない。
大規模農業として行われていたのは主に東豪州であった。
これらは日本の企業が抑えており手に入らない。
そこで日本は赤十字を通じて、南豪州に砂糖を提供した。
敵に「塩」ならぬ「砂糖」を送るということだ。
砂糖の生産地世界一のブラジルを米国が押さえていた。
第2位のインドは英国が押さえていた。
第3位の中国(沿岸+華北)は日本がかろうじて押さえていた。
そこから最低限必要なだけ提供した。
フィリピンも砂糖が欠乏し、状況は芳しくない。
帰化ユダヤ人「呼んだ?」
呼んでもないのにまたもや商人魂がユダヤを突き動かした。
そして、どこからともなく砂糖が豪州の港に入ってきた。
その砂糖はなぜか連合国側のブラジル産だった。
なぜ連合国側のブラジル産砂糖が手に入るのか?
それは枢軸国側アルゼンチンまで陸路で密輸しているからだ。
途中連合国側パラグアイを通るが国内は内戦で乱れていた。
イヒニオ・モリニゴ将軍は連合国寄りの独裁者だった。
コウモリ外交で宣戦布告しただけで、兵を出す事は無かった。
彼は農村部を暴力で猛烈に抑圧摂取していた。
密輸は虐げられた農民の貴重な外貨だったのだ。
このユダヤ人のしたたかさには日本軍も舌を巻いた。
日本軍「欧州を追い出されたワケが分かってきたよ」
結局は手の込んだ嫌がらせに他ならない……。
連合軍側の砂糖を日本軍から供給されるのだ。
南豪州はその後も絶対に降伏しなかった。
戦争が続く限り独立国であり続けた。
高潔な英国風騎士道精神か、単なるバカか。
隔絶され、流通も途絶え、経済も止まった鎖国状態だ。
ただ自給率223%もあるため食料には困らない。
江戸時代の鎖国日本みたいな独立国だ。
畜産業は豪州牛が屠畜されずダブつき始めた。
スペインから輸入放牧に成功したメリノウール羊も同様だ。
羊毛の行くあてがなく、毛刈りがされない……。
なんかやたらにデカい羊が出現し始めた。
「呼んだ?」
これを救ったのが帰化ユダヤ人の密輸である。
南豪州には立ち直ってもらっては困るのだ。
密輸は個人レベルでのささやかなモノに限られていた。
畜産業に関わるモノが辛うじて廃業にならない低レベルだった。
それでも無為無策のカーティン首相よりはましだ。
牛の大群がゾロゾロ国境を越えていなくなった。
ボウボウのメリノウール羊が急にスマートになった。
農業では大麦、小麦が低温保存倉庫にダブつき始めていた。
大麦は麦茶やビールに、小麦は小麦粉になる。
輸出用に大規模農業で収穫した分は明らかに過剰である。
それも密輸によって帰化ユダヤ人が捌き始めていた。
廃棄される分は経理と会計がしっかりと見張っている。
そのはずの彼らが賄賂に目が眩んで「見て見ぬ振り」である。
海に投棄される分がそのままどこかに船でいってしまう。
砂漠に捨てられるはずの分が鉄道で彼方にいってしまう。
南豪州の国境監視員も賄賂で「見て見ぬ振り」である。
レジスタンスの蜂起どころではなくなっていた。
こうして南豪州は戦線とは関係ない存在となったのである。
日本も密貿易によって潤っていた時期があった。
江戸時代に日本は鎖国していたが諸藩は密貿易を続けていた。
長州・薩摩・佐賀藩は密貿易で財政を立て直し倒幕の力を蓄えた。
密貿易は前近代的な経済を支える原動力となりうるのだ。
但しこれが常態化した経済は契約や規則が無いため、早晩破綻する。
取引を記した登記簿が無いのだ。
登記は法治国家を支える為の貴重な法制度だ。
こうして南豪州は法治国家の体を成さなくなってきた。
抜け荷がかろうじて国を支えているようではどうしようも無かった。
江戸時代の鎖国日本みたいな位置付けである。
極東ならぬ極南の地「南豪州」であった。
こうして南豪州は平和で、戦略上役に立たない国になったのです。戦後は復活しますが、それはまた別の話になります。次回はインパール(1/17):ビルマ進攻です




