ガダルカナル激戦(2/4)
いよいよガ島に日本軍が飛行場造成を開始します。正史ではツルハシやモッコを使っての人力ですがIF歴史では機力を使います。ガ島の地図も作成します。正史では地図と言うよりメモがあったのですがIF歴史では正確な地図を目指します。また補給もL2D零式輸送機の高高度投下によるグライダー補給が始まります。
1942年07月01日。
ガダルカナル島に日本海軍飛行場設営先遣隊が上陸。
1942年07月06日。
飛行場設営隊本隊(陸戦隊250人+人夫2000人)上陸。
ガダルカナル島(以下ガ島)は静かな離島である。
オーストラリア(以下豪州)領ソロモン諸島に属している。
熱帯雨林に覆われた島には多彩な原住民が住む。
豪州領民となった原住民の属性は敵性であった。
ココナッツ、バナナ、サツマイモの開墾が行われていた。
上陸した日本軍はまず見張り所を設置、敵来襲に備えた。
陣容は海軍設営隊2500余人と海軍陸戦隊250人だ。
この内の殆どが軍属の労働者で、300人ほどが兵力だった。
土木専従者が2週間掛けて、飛行場最適地を調査した。
地質調査のためのボーリング・コア採取は欠かせない。
コアを見れば直接目視で地層/土質を観察出来る。
露頭では地層や岩石/層理面や断層面の走向・傾斜を観察する。
これにはクリノメーターという機械を使う。
こうしてガ島の莫大なデータが蓄積された。
熱帯雨林にも分け入って植生を観察した。
その際にココナッツ・プランテーションの農場をいくつも発見した。
山師の鉱物採集場や宣教師の礼拝堂なども目に付いた。
彼らは日本軍上陸前に機帆船で豪州に逃げ出していた。
逃げた先は豪州東岸ケアンズである。
日本軍の探していた地図は見つからなかった。
岡村徳長隊長「チェッ逃げる時に焼却処分にしやがった」
山師の小屋には焼け残った地図の紙片が転がっていた。
こうなれば自分たちで歩いて地図作りしかない。
地図製作は、フィリピンにいる辻参謀が、ガ島に授けた秘策だった。
マレーでは地図のおかげで作戦と戦術が上手く一体化した。
日本軍はニューギニアに上陸した時地図を持っていなかった。
二見参謀長は上陸したがいいがどこをどう攻めていいか分からない。
二見「とんでもない貧乏くじを引いてしまった」
辻はそんな事だろうと思って地図作成の詳細を送った。
本道/側道や平坦/傾斜路、ガレ場かザレ場かをすべて調べるのだ。
それによって徒路か馬車道かの程度がわかり戦略が立てられる。
二見は一も二もなく辻の地図作成に飛びついて来たのだ。
海軍の岡村と陸軍の辻は会ったことはないが、似たもの同士である。
唯我独尊、勝手に考え、勝手に振る舞う命令無視のオンパレード。
今も飛行場の造成を、隊長の自分が先頭切って頑張っていた。
その海軍海兵隊の隊長に陸軍参謀の辻が横槍を入れてきた。
岡村徳長「なに、陸軍の辻参謀?誰だそれ、地図作成だと」
捻り鉢巻きで基地作成に勤しんでいた隊長は叫んだ。
海軍と陸軍は犬猿の仲で最初は胃が重い嫌悪感が先んじた。
だが岡村はそういう鬱陶しい横槍が好きなタイプである。
「ブルドーザー運転が面白くてすっかり忘れ取ったわ」
「この建機の類いもそういえば辻が調達したモノだったなあ」
辻は有無を言わせず、建機を海兵隊に送りつけていた。
辻「なに?額に汗してから考える?松下幸之助かよ」
松下の(汗を出せ、汗の中から知恵を出せ、それが出来ぬなら去れ)
辻はそれに反対で石川播磨の土光敏夫の口訓を支持していた。
土光(知恵を出せ、それが出来ぬなら汗を出せ、それが出来ぬなら去れ)
いかにも参謀らしい考えで、ここは岡村隊長とは真逆であった。
戦前から京都帝国大学で土木工学の研究に使われていた。
米国では1880年から2輪馬車に付けたブルドーザーがある。
1885年に馬が牽引するグレーダーが発明されている。
こっちは三井造船が研究を進めていた。
スクレーパは1878年米国で牛馬牽引式で発明されている。
恐るべし米国!畜力の時代から建機の発明があったのだ。
京都帝国大学で振動ローラーと共に研究が始まったところである。
九八式装甲運搬車に様々な建機アダブタを取り付けていた。
辻は勝手に交渉して、勝手に仮命令書で徴用、いつもの流れである。
正規ルートは陸軍省整備局戦用資材整備・補給係だ。
組織は縦割りで、長い長いお役所仕事の末に会議に掛けられ決議する。
ちなみに辻の行為は陸軍刑法に違反している。
辻は建機を各3台計12台徴用してガ島に送りつけてきたのだ。
それまでのツルハシと畚とは大違いな効率である。
造成の基本は凸部を削る切り土と凹を埋める盛り土の2つだ。
切り土は元の地面を削るので地盤が引き締まっている。
盛り土は新たに土を盛るので境界面が滑りやすい。
そのために仕上げに転圧して締め固める作業が必要だ。
ブルドーザーでまず荒れ地のガレキを取り除く。
グレーダーで凸凹のある荒れ地を平坦に整地する。
最後に振動ローラーで転圧して土壌を締め固めて飛行場の完成だ。
スクレーパは掘削・積込・運搬・敷均を自己完結できる優れモノだ。
07月14日。
飛行場の設営が始まっていた。
同時に辻プランに従ってガ島の詳しい地図を作成する。
日本軍は農場を結ぶ生活路を中心に調べまくるのだ。
山歩きや森林監視道に詳しい日本兵が有志となった。
最初に作成した簡易地図は見るも無惨な有様だった。
熱帯雨林地域を「密林」と一括りに書いていた。
実際には網の目のように生活路が張り巡らされていた。
地図無しにはガ島の哨戒も防衛も具体的に立案出来ない。
伊能忠敬よろしく、島内を寸刻みに歩き回った。
ガ島を含むソロモン諸島の政庁はツラギ島に置かれていた。
部族は9割がメラネシア系で、ポリネシア系、ミクロネシア系と続く。
村同士は付き合いが無く、かつては内戦状態だった。
だが16世紀以降、島内は落ち着きを取り戻している。
16世紀にスペインに発見されて以来、キリスト教が浸透している。
現代までの400年の間、西欧はゆっくりとガ島を文明に感化させてきた。
ガ島は砂金が出た為、「ソロモンの島々」と呼称された。
山師が鉱山を開き、宣教師が居たのはその為だ。
その後、豪州領となり、英語が通じる。
ガ島だけでも26の独自の言語があり、英語共通はありがたかった。
日本軍は原住民の村々や熱帯雨林を歩き回った。
族長や村長に挨拶回りを怠らない。
日本兵「日本人は侵略者ではなく、解放者」
「協力をお願いしたい」
こう挨拶して回ったが、どうにも反応が薄かった。
原住民は日本人に対して、無関心のようだった。
これは豪州軍コースト・ウオッチャーの仕業である。
日本軍上陸後も密かに密林に潜み、ゲリラ活動を行っていた。
M Special Unitと呼ばれる特殊部隊だ。
原住民を警察官身分とし、指揮は米豪軍将校が執る。
ガ島は米軍マーティンクレメンス少佐担当であった。
クレメンス「日本人は解放者ではなく、侵略者」
「協力してはいけない」
こう喧伝して日本軍を牽制していた。
豪州軍は第一次世界大戦頃から沿岸警備を重視していた。
広大な自国の領土をいかに侵略から守るか?
監視体制に心を砕いてきた結果、コーストウオッチャーが誕生した。
その監視網を今度は米軍が引き継いだのだ。
日本軍の一挙手一投足は全て米軍に筒抜けになっていた。
日本軍は勿論こんな事は知る由もなかった。
原住民を徴用し、空港建設を急いだ。
原住民は従順に従ったが、それは表向きで全員がスパイだった。
知られていないのは地図製作だけであった。
これは岡村隊長が深夜に独りでやっていた。
地図製作と同時進行でさまざまな作戦も練られた。
それは岡村隊長が以前から考えていた補給重視の作戦だ。
日本軍は補給への認識の甘さから来る物資不足に悩まされていた。
ガ島を餓島/死島にしてはならない。
ガ島付近には警戒線が張られ、潜水艦呂33号が遊弋している。
呂33号との連絡を綿密に行い、補給を絶やさない事が必要だ。
補給線は細く、それゆえ絶対に維持しなければならない。
この島より東方には東太平洋(米制空/制海権)が広がっている。
ここはガダルカナル島、南東方面最前線なのだ。
08月01日。
2週間掛かって、ようやく地図は完成した。
08月02日。
水上機でラバウルに地図が送られた。
米軍機がやたらと上空を飛ぶようになった。
米豪はガ島やツラギ島を取られると補給路を邪魔される。
日本軍の目的も、まさに敵補給路の断絶にある。
近々、島の覇権を巡って大きな戦闘になるかも知れない。
1942年08月07日。
遂にガダルカナル島に米軍が上陸した。
米海軍第1海兵師団のうち1万1千人が押し寄せた。
猛爆と艦砲射撃の為、日本軍設営隊は島の西側に逃げ込んだ。
米軍はフロリダ諸島で痛い目に会い、警戒していたのだ。
ロバート・ゴームレー中将が指揮官となった。
しかしフロリダ諸島といい、どうも旗色が悪かった。
ツラギ島ではロケット砲でひどい損害を被っていた米軍。
そのため過剰なほどの艦砲射撃が繰り返された。
だがガ島にはロケット砲は配備されていなかった。
日本軍2000余人は米海兵隊1万余人になすすべもない。
あっという間に追い立てられ、ガ島西側の密林に逃げ込んだ。
08月初旬に完成予定だった滑走路はこうして奪われたのだ。
完成寸前の飛行場は米軍に奪われ、手直し作業が始まった。
日本側重機はほとんど何も使われていない様子だ。
米軍工兵隊は日本軍建機に驚いた様子だった。
だがやはり馬力が米軍建機に及ばないのが実状であった。
路床路盤整理のモーターグレーダー等は揚陸したものを使う。
あっさり飛行場が手に入り、拍子抜けの米軍。
しかし万が一のためにスチュアート軽戦車6輛を揚陸した。
一方、島の西側に逃げ込んだ守備隊はどうなったか?
設営隊らが持ち出せた食料は7日間分だけであった。
08月08日ガ島日本守備隊はルンガ河を撤退して西進した。
西4キロの所にあるマタニカウ河を防衛線に設定。
クルツ岬に中隊本部を、熱帯雨林に海軍本部を置いた。
岡村徳長「戦えるのは守備/設営隊の軍人のみだ」
これからどうするかと言っても当てがある訳ではない。
だが幸いにして近くを遊弋中の呂号33潜と連絡が付いた。
08月09日エスペランス岬に派遣中の見張所に連絡が来る。
遊弋中の呂号33潜によれば味方援軍が来るという。
近日中に兵站の空中補給もあるから心配するなというお達しだ。
岡村「人間1人で年にどのぐらい食料を消費するか知っているか?」
「1トンだぞ、1日換算で3kg(飲料水含む)が必要なのだ」
「我々は3000人弱いるのだから、1日9トンの食料が必要だ」
「もしL2D零式輸送機が来てもペイロードは2700kg」
「従ってガ島には最低3~4機は必要だろ?」
通信員「今日から弾薬、糧食、医薬品の順で投下するそうです」
岡村「えっ?今日って今日の今日か?」
その時使い捨てグライダーが密林にぶつかってきた。
ズガーンッバキバキン、ドッカアアァ~ンッパリーンッ!
胴体は強靱なアルミだが他はベニアの付け合わせだ。
メチャクチャな破片の中から弾薬が出てきた。
弾丸20万発、榴弾3000発、その他対戦車用成形炸薬弾など多数。
これが4回、計弾丸80万発、榴弾1万2千発他が積み上がった。
陸軍のマレーでの空中投下補給は海軍でもウワサになっていた。
海軍は自前のL2D零式輸送機を使っての「まねっこ」である。
08月09日空中補給のL2D零式輸送機3機が糧食を投下。
これは数回にわたり1週間分のべ63トンを投下。
08月10日米軍一個小隊が戦車を先頭にマタニカウ河に進出。
これをタ弾(対戦車用成形炸薬弾)で撃退し、撤退させた。
08月10日空中補給のL2D零式輸送機3機が医療品を投下。
抗菌剤(スルファニルアミド)を含む消毒/除菌の薬品だった。
08月14日第2回の空中補給がある。
弾薬、糧食、医薬品など多種多様に空中投下された。
08月18日一木支隊がタイポ岬に上陸の報を受ける。
ガ島守備隊は大いに勇気づけられた。
08月19日敵上陸用舟艇が西方コカンボナに強襲してきた。
しかし一木支隊を輸送してきた駆逐艦の艦砲射撃を受け、撤退した。
08月20日いよいよ一木支隊が総攻撃に出る連絡が来た。
満を持して、その時を待つ。
こうして餓島/死島というふうにはなりませんでした。しかし一木支隊の運命はどうなるのでしょうか?次回はガダルカナル激戦(3/4)です




