フィリピン死の行進(5/5)
いよいよ間接統治の始まりです。欲しいものはニッケル、与えるモノは食料、とくに砂糖は重要な取引の品だったのです。
一方ムスリムたちとの貿易は益々活発になっていった。
専用の病院が建ち、専用の行政施設も完成した。
ハラル専用レストランやホテルが日本行政地区に建ち始めた。
フィリピン資本のゼネコンはいまいちパッとしなかった。
米国資本が抜去されたフィリピン経済は脆弱だったのだ。
マニラ大司教「すいません、先日の放言は無しにして下さい」
日本軍政部に突然オドハティ大司教が訪ね、こう言い放った。
本間「おや、訪問が分かっていたら迎えをやったものを」
窮地の信者がムスリムと偽ってイスラム系会社に就職したのが原因だ。
収入が低くなりやむを得ずの行為らしい。
イスラムの戒律にそぐわないのでバレてしまったのだ。
こうして両者間の壁はちょっとだけ低くなった感じである。
差別は区別となり続いたが、以前に比べればマイルドになっていた。
日本は住友金属鉱山と三井物産、双日が輸出を担当した。
インドネシアのボルネオ島にはニッケル硫化物の鉱床がある。
やがてここは世界第2位(34万トン)の鉱石を供給する巨大鉱山となる。
ホセ(弟)の未来への奇貨は正しかったのだ。
ここで働かされるのは米軍捕虜たちや難民たちだ。
ニッケル含有量は1トンから6kg(0.6%)であとは錆と土だった。
採掘方法は階段式露天掘りで、全て重機で採掘する。
パラワンには道路も岸壁も整備されていなかった。
ただちに捕虜・難民を使ってインフラ整備工事を行う。
重機が惜しげもなく投入され、効率良く敷設された。
道路だけでは足りなくなって、鉄道も敷設された。
岸壁にアンローダー(荷役機械)が建ち並ぶ。
06万トン級鉱石運搬船が次々に接岸する。
これはスープラマックス(Supramax)という鉱石運搬船だ。
たいていの港湾施設で運用可能なサイズに収まっている。
精錬所でニッケル品位75%のニッケルマットにしたものを輸出する。
06万トン×0.75=4.5万トンとなる。
つまり一回の輸送で4.5万トンのニッケルが日本に輸入されるのだ。
耐熱部品や装甲板に欠く事の出来ない希少金属である。
Ni基合金に必要な量は240~300万トン/年である。
Nカレドニア、豪州も欲しいところだが、それは今後によるだろう。
米軍捕虜に港湾労働者が多くおり、彼らを就労させた。
彼らが港湾荷役機械を操作する役目を担っていた。
米豪捕虜はアンローダーやシップローダが立派なのにビックリしていた。
「豪州ウエイパのボーキサイト鉱山もすごいが、ココの設備もスゴイ」
この鉱山強制労働施設は高給で地元でも評判となった。
多くのフィリピン人が押し寄せ、我も我もと就労した。
彼らが米軍捕虜に交じって働く事で内部破壊工作を封じたのだ。
フィリピン人には内部告発で報酬を出したのたのだった。
中には無実の罪をでっち上げて高報酬を狙う不埒者もいた。
これで米軍捕虜の破壊工作はほとんど行われなくなった。
本間司令官は間接統治の方法を模索していた。
日本の予算と人員は限られている。
広大なフィリピンを直接統治するのはほぼ不可能だ。
1600万人もいる現地人の統治をどうするか?
フィリピンには第十四軍(渡集団)軍政部が設置されている。
軍政顧問は村田省蔵という政治と実業の二兎を扱う奇才である。
本間「どうかよろしく頼む」
村田「とりあえず行政委員会設立です」
残存する首長層や行政組織をそのまま活用するしかない。
彼らなら地元を上手くまとめて統治できるだろう。
日本は彼らを通じて支配を行う間接統治である。
宗主国の日本はその監督のみを行って、効率化を図るのだ。
軍政部はホルヘ・B・ヴァルガスという外交官に行き当たった。
彼が日本主導のフィリピン行政委員会の議長となった。
村田「大統領になってくれんか?」
ヴァルガス「私より適任者がいますよ」
彼は共和国大統領就任を薦められたが拒否している。
代わりにホセ・ラウレルが国民議会によって選出される事になる。
日本軍は支配地を駐屯軍基地にとどめ、全島から撤退した。
駐屯基地は軍港、飛行場を含める巨大都市のような有様だ。
30箇所以上の駐屯基地がルソン本島に睨みを効かせている。
民間人との無用な衝突を避けるため、基地の中で衣食住が完結している。
日本軍撤退には日本兵による犯罪・事件の増加がある。
売春婦を侍らせて、昼間から酒をかっくらう不埒者までいた。
「こら、イカンだろう、日本男児たるものが!」
そう叱責するのは泣く子も黙る辻政信参謀だ。
第11軍司令部付の軍規係だった頃から鼻が効いたのだった。
現代の水戸黄門の異名は伊達ではない。
あいかわらず参謀格なのに軍規係だった頃の癖が抜けない。
不埒者はあわてて自分の原隊に走り去った。
兵隊にとって平和で、静かで、穏やかなことは毒なのだ。
それで最前線に向けて、部隊が再編成されたのだ。
自由都市宣言のマニラに日常が戻ってきた。
こうしてフィリピンの統治は安定した。
だが先立つものは食料と流通だ。
これも日本から輸入を促進したが足りない。
1600万人が飢餓のため反乱を起こしたらえらいことになる。
今から機械化農業を促進しても収穫は1年後になろう。
米国支配を覆したため、米国からの輸入は止まっていた。
その物量は日本からの輸入の比では無かった。
今すぐに必要なのは止まった食料品の輸入再開だ。
だがどこから?どうやって?
ここでフィリピン第十五方面軍の軍政顧問が立ち上がった。
村田省蔵「私がなんとかしましょう」
彼は大阪商船(商船三井の前身)の社長かつ海運自治連盟会長だ。
また第四十七代逓信大臣を務め、官船局にも明るい。
官船局とは船舶運輸全般を総括する部局の事だ。
彼はその道のプロだといって差し支えない。
ただちにインドシナ・中国からの輸入を促進する。
日本支配による飢餓の発生は絶対に避けねばならない。
特に問題は不足している砂糖だった。
世界の三大産地のうち、インド・ブラジルからの輸入が止まっている。
残るは中国で北方の甜菜、南方のサトウキビが原料だ。
とにかくあるだけ中国の倉庫から掻き集めた。
表面下では帰化ユダヤ人が巧妙に流通に加担していた。
コンピュータもないこの時代に在庫を把握できるのは彼らだけなのだ。
商業港の空っぽの倉庫に砂糖の袋が積み上がり始めた。
もうちょっとで飢餓が原因で反乱が起きるところだった。
主食の米は100%自給だが総合自給率は38%と低い。
農地使用率に比べて作高が異様に低いのが上げられる。
肥料の窒素やリン、カリウムに対する化学的知識がない。
だが化学知識は今すぐ身に付くモノでもなかった。
短期的に収穫を上げるにはやはり焼畑農法(循環農法)だ。
密林を焼いた灰は肥料となり、土壌は害虫や病原体が焼尽される。
一定期間農閑期を設け、元の雑木林になるまで休ませる。
熱帯雨林はあっという間に地力を回復するだろう。
これを循環させて粗放農業を繰り返す格好である。
ただ熱帯雨林は酸性土なので長期的にはやはり集約農業がいい。
村田はゆっくり学べばいいと考えていた。
教育や学校は押し付けられてするものではない。
流通網も動き始め、全国津々浦々に物資が行き渡った。
ようやく戦前と同じ暮らしが戻ってきたのだ。
辻「しっかり見届けた!」
辻参謀は1942年07月、次の任地へと旅だっていった。
フィリピンは平定され、駐屯部隊を残して軍は新たな戦場に向かいます。正史では統治に失敗し、大飢饉となり、反乱軍は日本軍を圧倒します。港から砂糖は消えたまま、遂に終戦まで回復しませんでした。次回はニューギニア決戦(1/4)です




