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(本編完結)また第二次世界大戦かよ  作者: 登録情報はありません
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南方還送油(1/2)

空の神兵はジョヨポヨ(1135)の予言伝説が現実に!という事でインドネシアではかなり盛り上がったようです(正史)。IF歴史なのでオランダ人はそのまま、しかし上主として日本人が管理することになったのです。

1942年02月14日。


パレンバンに「空の神兵」が舞い降りた。


インドネシアにはジョヨポヨ(1135)の予言伝説がある。

800年前に書かれた「バラッダユダ預言書」というものだ。


「天空より白き衣を纏いし黄色き者が現れ白き者を駆逐する」

<上空より白い落下傘で降下する日本兵が白人兵を駆逐する>


まさしく挺身落下傘部隊の威容がソレだったのだ。

インカ帝国に対するスペイン騎兵のように全くの偶然だった。


迷信深い原住民に日本軍は「救世主」に見えたのだった。

1596年オランダが香料諸島にやってきてからの350年間。


植民地として虐げられ続け、救世主の出現を待ち続ける日々だった。

日本軍はインドネシアの国旗と国歌の大合唱で迎えられた。


次々と奇襲される油田、製油施設、飛行場etc。

たった1週間で蘭印英豪連合軍は降伏した。


日本軍は和蘭支配の現状を次々に改め始めた。

首都バタビアをジャヤカルタ(ジャカルタ)に名称変更した。


バタビアはオランダ植民地時代の屈辱的な俗称だ。

また植民地時代は禁止されていたインドネシア語を公用語として復活した。


いままで虐げられてきた植民地のインドネシア人たち。

彼らの喜びようは如何ばかりであったろうか。


第16軍司令官の今村均(いまむらひとし)の配慮ある行為であった。

軍政部総務部長の中山寧人(なかやまやすと)宥和(ゆうわ)主義をよく理解していた。


占領と解放の後には統治が待っている。

残留オランダ人とインドネシア民族運動対策だ。


ジャワ島には20万人のオランダ人が慰留していた。

祖国オランダは独軍の占領され、帰る場所とてない。


経済界の大物オランダ人は資産を持って、豪州に逃げ込んでいた。

オランダ人は農場主から銀行頭取まであらゆる職種を支配していた。


今村「我々がシステムを解体し、直接統治するなんてとんでもない」

「ただでさえ戦争で経済はインフレになろうとしているのだ」


中山「今の社会構造を崩せば経済は混乱する」

「秩序は破壊され暴動略奪が横行するだろう」


軍政部「オランダ支配の頸木(くびき)は緩めることは保障する」

「平等と権利は認めるが、権力と権限はそのまま維持する」


つまり敵国オランダ人を強制収容所送りにはしない。

軍政部はその社会システムはそのままに間接統治を行った。


今までと何も変わらない日常が戻ってきた。

ちがうのはオランダ人の上主「日本人」がいるということだ。


オランダ軍は警察予備隊として日本軍指揮下に入った。

司令官だったポールテン中将はそのまま幕僚長になった。


これはPETA(祖国独立義勇軍)とは別のモノだった。


インドネシア民族運動の頭目は刑務所に囚われていた。

指導者スカルノとそのライバル、モハマッド・ハッタである。


今村はスカルノと頻繁に接触を保ち理解を深めた。

お互い「息をするように嘘をつく」政治家であった。


今村「君を傀儡としてインドネシアを支配するよ」

スカルノ「民族独立の為、日本軍政をせいぜい利用しよう」


信頼なんぞ何処吹く風、お互いに腹の探り合いである。

最後に、2人は不敵な笑いを浮かべて、お互いを認め合ったという。


今村は温厚な紳士型人物であり、支配もそれに応えたものとなった。


政府から実情を調査しに来た児玉秀雄ら(政府高官)は仰天した。

敵国オランダ人が平時と同じように悠然と街中を歩いていた。


軍人たちは警察予備隊として武器を持って治安を維持していた。

護身用に拳銃の携帯さえ許されているのだ。


その様子に敵対する素振りは微塵も感じられなかった。

児玉「どうなってるんだ?戦争中だぞ?」


これを今村に問いただすと実に明快な返事が返ってきた。

今村「戦後の平時に遺恨を残すのは賢明ではありません」


ハーグ陸戦条約はオランダのハーグで1899年に採択された。

そのオランダ兵を無下に扱うわけにはいかないのだ。


インドネシア人たちは実に日本人に親しみ深かった。

軍政部も全てを許す宥和(ゆうわ)主義で統治した訳では無い。


国旗掲揚、国歌斉唱を禁止、民族/独立運動に目を光らせていた。

独立歌「インドネシア・ラヤ」もその範疇であったが鑑賞は許した。


行き過ぎた抑制は反感を呼び独立気運を呼び覚ます。

軍政によってレコードが配られ、人々は耳を傾けるのだった。


さらにトップダウンではなくボトムアップも同化政策に盛り込まれた。


トップダウンとはオランダ人が決定し、インドネシア人が働く事。

ボトムアップとはインドネシア人が提案しオランダ人が決定する事。


その為には現地人のインテリを育て上げる必要があった。

日本式教育制度の全国的普及化の推進である。


国民学校、中学、高校、大学、実業教育、女子教育etc。

チハタ塾という農民道場まで営まれた。


インドネシアの少年/青年を教育して雇用しようというのだ。

これはオランダ植民地時代には考えられない事だった。


さらに優秀なら女子も社会人になれるのだ。

これには「インドネシア人もビックリ」である。


軍政部は宗教が色濃く影響する地方統治も進めた。

現地回教徒を部長とする宗務部による宗教行政だ。


地方では、政治家より宗教指導者のほうが高位にある。

これは政教分離という近代国家の原理には反した。


今村「軍政も万能ではないし、こういう面もある」

「政治が宗教を利用して上手く行くならそれでいい」


金融についても今村は大ナタを振るった。。

第16軍はインドネシア攻略の際にジャワ銀行を接収している。


その際に50億8000万ギルダーの未発行劵を押収した。

今村司令官はその銀行券を戦利品として精算しなかった。


陸軍会計に納付せず、そのまま軍票の代わりに流通させたのだ。

ジャワ銀行はニューヨークに豊富な在外資金を有し信用がある。


今村と中山は陸軍中央/南方総軍に言葉を尽くして訴えた。

ところが、あに(はか)らんや、訴えはスンナリ通ってしまった。


許可ではなく、陸軍中央/南方総軍は沈黙(暗黙の了解)で応えた。

フィリピン、マレー、ビルマでは軍票乱発でインフレが起きていた。


インドネシアがそれを回避出来れば御の字だったのだ。

上層部は非を認めるのが嫌で沈黙を守ったのだ。


食料需給状態にも軍政監部は整備を行った。

生産/集荷/配給のバランスにも気を配った。


流通/備蓄も倉庫は低温貯蔵庫を増設した。

アンモニア熱交換器による極低温貯蔵だ。


また異常気象による飢饉にも備えなければならない。。

今村はこれを第五師団時代に満州/華北でいやというほど体験していた。


水稲/陸稲、玉蜀黍(とうもろこし)、キャッサバ、タピオカ、甘藷(サツマイモ)

これらを焼畑農業で東部/中部ジャワで植付増加を勧奨した。


近代農法は一定区画での施肥による収穫増を奨励している。

長期的視野に立てば堅実だが、効果の速効性は薄い。


インドネシアの農法はまだ粗放的な段階で近代農法にはそぐわない。

すぐ効果が出るのは熱帯雨林植生を焼き払い、耕作地にする事である。


すなわち「焼畑農業」である。


耕耘・施肥はせず、焼け跡の草木灰が肥料にでき、一石二鳥だ。

湿潤熱帯地方では伝統的な農法として行われてもいる。


今村「飢饉は明日にでも来る」

「備蓄が充分になったら、近代農法に切り替えよう」


西部インドネシア及び各地は水田地帯だが、水利状態が弱い。

日本は排水施設の配備と修理に全力を尽くした。


企業農園(ゴム,コーヒー,茶,ココ椰子,カポック)は裕福な富裕層の経営だ。

今さらカネにならない甘藷(サツマイモ)なんか目もくれないだろう。


裕福な経営者の殆どが華僑(中国人移民)でもあった。

彼らに無理強いして抗日の敵に回してはならなかった。


間作や空閉地などの利用を促すに留まった。

今村「やれる事はすべてやった、あとは飢饉が来ない事を祈るだけだ」


しかし、あろうことか1942年の初年度に大飢饉が発生している。

代用食料の甘藷(サツマイモ)などがかろうじて間に合った。


低温貯蔵の穀物も一斉に供給が配給制ではじまった。

買い占めが起こらぬように流通は日本軍が厳重に監視した。


穀物価格の高騰には、軍政の指導で、ジャワ銀行が介入している。

無為無策なら餓死者が出ていただろう。


そうなったら日本軍の無能さが露呈し、独立運動が活発化。

日本の立場がまずくなっていた筈である。

占領地では軍票が乱発され、インフレが発生するのが常です。ここでは銀行未発行券をそのまま軍票がわりに放出という大盤振る舞いです。またその年の大飢饉も回避!支配階級の華僑も財産を保護しました。正史では銀行券は徴収され、軍票で大インフレで、しかも大飢饉が発生して無為無策、華僑の財産は没収で反感を買っています。それでもジャワは極楽~にもあるように他よりはマシでした。ちなみに正史でも護身用に拳銃の携帯は許可されています。次回は南方還送油(2/2)です。

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