マレー・シンガポール戦(1/5)
陸軍の上陸作戦に使う陸軍空母が必要です。それがあきつ丸/六甲山丸でした。ただし甲板が短すぎて発艦は出来ても着艦は出来ません。そのため敵地で敵飛行場を奪う必要がありました。海上機動旅団はその為の日本版「海兵隊」なのでした。
1941年12月04日。
中国海南島三亜から日本陸軍の渡洋上陸部隊が出撃した。
マレー攻略船団は貨物船18隻、護衛艦21隻の大船団である。
続いて南方部隊本隊も護衛艦10隻を率いて後続した。
この方面の作戦担当は陸軍であり、海軍機の揚陸作戦護衛は無い。
陸軍の航空機は巡航航続距離は届くが、格闘戦をやるとマズい。
そこで陸軍は丙型特殊船を投入してきた。
これもブロック工法と電気溶接、ガスタービンエンジンの賜物だ。
ただ標準設計船ではなく、ウェルドック艦と言われるモノだ。
丙型特殊船は全通飛行甲板を持つドック型揚陸母艦である。
全通甲板は短く、射出は出来ても着艦は出来ない。
<丙型にはカタパルトがある>
あきつ丸とあきつ丸の弟分「六甲山丸」の2隻だった。
上陸用舟艇30隻、新型戦闘機”層電”13機を搭載可能だ。
<層電は超高層雷放電の略>
あくまで上陸部隊護衛目的の直掩機である。
層電も飛んだらもう着艦できない。
離艦すれば、着水しかないのだろうか?
実は、陸軍は敵飛行場を上陸して占拠するつもりだった。
マレー北部コタバル航空基地を接収する考えだった。
そこには2000mの滑走路がある。
そこを占拠して着陸すれば良い。
なんとも一か八かの博打のような作戦であった。
その為だけに海上機動旅団が投入されている。
海上機動旅団は広島市宇品島に根拠地を持つ日本版「海兵隊」だ。
これが上陸作戦とは関係なく、コタバル航空基地を強襲する。
スンガイ・ラジャ・ガリ川を遡上しトクサダン橋から西進する。
側面からの奇襲攻撃で航空基地を確保し、陸軍機を降ろす。
海軍は戦闘艦造船に傾倒して、上陸作戦や特殊船に興味が無い。
上陸に空母さえ出していてくれれば、苦労は無いのだが。
海上機動旅団は専用のドック型揚陸艦を持っている。
その後部が大きく開き、次々と大発が出てきた。
それをあきつ丸から見ていた山下・鈴木中将。
その表情には嫉妬と羨望が入り交じっていた。
山下奉文陸軍中将「今後はこういった特殊船がぜひ必要だ」
鈴木宗作陸軍中将「陸軍も空母を視野に入れなければいかん」
全通甲板があるのはあきつ丸と六甲山丸だけだ。
揚陸では必ず敵の空襲があり、上陸部隊には要撃機がない。
今後の島嶼の奪い合いではどうしても要撃機が必要だろう。
それには空母がどうしてもいる。
上陸用舟艇母艦はこの後、陸軍特殊船として量産に移る。
布引丸、高雄山丸、城山丸・・・・・・と続く。
陸軍空母は国内の造船所が海軍によって押さえられており空きがない。
外地はこれまた1万トン級タンカーの大増産に掛かっており空きがない。
そこで中国沿岸の造船所が陸軍によって接収された。
大連船舶重工集団、福州船政局、広船国際、滬東中華造船などなど。
福州船政局などは溶鉱炉まである仏国技術者設計の本格的造船所だ。
ここで8000トン級陸軍護衛空母の増産に掛かるのである。
ユダヤ人の大量移民がすでに「ユダヤ企業連邦」なるものを設立。
あっという間に中国沿岸の造船所を取り込んでしまった。
彼らが陸軍空母を造船し始めたのが1941年06月だ。
まだ半年は掛かる計算(1942年06月竣工)になる。
さて、この船団には陸軍給糧艦が随行していた。
兵站は現地徴用が原則だが、ジャングル戦では心許ない。
海軍が給糧艦間宮丸を持つように、陸軍も持ったというワケだ。
2万5千人2週間分の食糧補給が可能だった。
■コタバル方面
1942年12月08日午前1時半、マレー半島コタバルに上陸開始。
これが太平洋戦争の始まり(真珠湾攻撃の80分前)となった。
クアラパクアマットビーチ(Kuala Pak Amat)。
1300人の陸軍が20隻の舟艇で第一回上陸に成功。
しかし英軍機3機の夜襲を受け、第二回以降上陸作戦は難渋した。
直ちに層電が六甲山丸より全機射出され、迎撃に入る。
日本陸軍機は次々と英軍機を屠っていった。
そのまま直掩機として、上空を旋回監視に入った。
層電の滞空タイムリミットはおよそ10時間だ。
巡航速度で頑張っても正午までに着陸しないと墜落する。
上陸部隊はコタバル陸岸の鉄条網と海岸砲に苦戦していた。
そこで試製陸戦用ロケット弾発射装置を陸揚げして使った。
英国が1940年まで使用したZ Batteryを参考にしている。
これは後に試製十五糎多連装噴進砲として大成する。
迫撃砲に見えるが砲弾ではなく推進弾である。
これを20発ほど撃ち込むと英国軍陣地は沈黙した。
さらに英軍機が次々とコタバル飛行場を離陸する。
英国機は直掩機に追い払われ、陸軍上陸部隊は第二第三と上陸した。
午前3時、海上機動旅団は計画通り川を遡上し、橋に取り付いた。
河川は熱帯のマングローブやシイノキカズラが群生している。
架橋付近のみ視界が開けるが、街灯もなく絶好の真っ暗闇だ。
川には何の防御陣地もなく、揚陸にはまったく支障もなかった。
コタバル空港はここから直線距離で300m先だ。
深夜なので隠密行動で街路を前進する。
街路といっても10mおきに家が散在するだけだ。
遠くに飛行場の光が見え、飛行機が発着しているようだ。
8日午前6時までにコタバル飛行場は制圧予定だった。
午前4時、空港内に侵入し、英空軍指揮所を占拠。
さらに対空指揮所、陸戦隊指揮所を征圧。
まさかの側面夜襲に敵も油断していた。
防衛隊が散発的に撃ってきたが、簡単に蹴散らしてしまった。
89式重擲弾筒で蹂躙し、英印馬の陸兵を排除した。
コタバル飛行場は午前6時には制圧され、陸軍機が続々と飛来した。
まさに燃料は1/2を切ったところだった。
飛行場の英レーダー施設は破壊されていた。
レーダーと対空戦車が運び込まれ、対空警戒を厳とした。
コタバルを飛び立った英軍機は着陸出来ず、西方に飛び去った。
恐らくペナン経由でシンガポールへ去ったのだろう。
今のところマレー半島上陸作戦は順調に進んでいます。正史では陸軍空母は随行しておらず、上陸部隊は海兵隊もなく、散々に蹴散らされながらの決死の上陸でした。次回はマレー・シンガポール戦(2/5)です。




