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(本編完結)また第二次世界大戦かよ  作者: 登録情報はありません
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真珠湾(4/4)

多くのパイロットが脱出し日系人に紛れ込みました。日系人は姿形は日本人ソックリですが心は米国人で敵性です。彼らに頼る事は出来ません。頼るべきはカウアイ島の親日派だったのです。

日本軍の無線傍受担当のホノルルハイポ基地が連絡してきた。

「無線発信(日本機動艦隊位置)は003度または183度」


つまりハワイ真北か真南だというのである。

当時の方位探知機は二つの読み方しか出来なかった。


真珠湾北の山の頂にはCKK-X方位探知機が鎮座していた。

これは陸/海軍共用のシステムの筈だった。


だが空襲が始まると海軍の電話回線のジャックは外されていた。

海軍基地からいくら掛けても電話連絡は付かなかった。


いったい日本の機動艦隊は北か南かどちらにいるのか?

作戦室でレイトン情報将校が考えあぐねていた。


するとそこへキンメル提督が顔面蒼白で入ってきた。

キンメル「一体ジャップはどこにいるのだ?」


レイトン「分かりません、情報が錯綜しています」

奇襲と混乱で司令部作戦室は情報が山積みだった。


敵部隊が北部海岸に上陸中(誤報)という連絡が入っていた。

青い作業服に日の丸のマークを付けた日本兵(誤報)という事だった。


空挺部隊がバーバーズ岬に降下したという確かな目撃情報もあった。

これは撃墜された米飛行艇のパラシュート脱出である事が後日分かった。


結局正確な座標が分かったのは日本軍機の墜落によるものだ。

彼らは攻撃ルートと帰還ルートのファイルを所持していた。


ルートが確認されたのは墜落機の図表と地図からだった。

地図には帰還ルートが書き込まれていたからだ。


だがそれを鹵獲した時はすでに手遅れだった。

日本機動艦隊は航続距離の届かぬ彼方に去っていた。


南雲艦隊は空母6隻を無傷で生還させる事を優先した。

待ち伏せに逢い、全滅の憂き目を見た日本海軍航空隊。


損傷機を回収した南雲艦隊は日本に向けて進路をとった。

真珠湾攻撃は大失敗に終わったのだ。


多くのパイロットが脱出降下していた。


これは操縦席後方のチタン合金板による所が大きい。

操縦席側面はなんとチタン合金の熱間圧延板。


中国四川省の攀枝花(はんしか)にはチタン大鉱山がある。

世界第三位の埋蔵量を誇るチタン/バナジウム鉱山だ。


チタンの比重は鉄の約0.6倍、アルミの1.7倍ある。

25mmの防弾板も15mmで済むというワケである。


熱間加工と難切削材、難溶接性のチタン合金だ。

板で操縦席を囲うのが精一杯だった。


米飛行士A「いくら至近で操縦席に銃弾をぶち込んでも平気だよコレ」

米飛行士B「キャノピーも当たれば真っ白にヒビが入るのに割れない」

米飛行士C「まさかガラスじゃない透明なプラ板だとでもいうのか」


キャノピーも全面が防弾(アクリル積層)ガラスだったのだ。

<1939年生産高:正史25トン、IF歴史2万5000トン>


日本海軍はパイロットの命を大切にしていた。

なんとしてでも生還させる術を探っていたのだ。


これはパイロットから「檜風呂(バスタブ)」と呼ばれていた。

いかにも日本人らしい愛称だった。


ハワイには日系人が20万余人住んでいた。。

これはハワイ人口の45%にあたる。


広大なサトウキビ畑で働く日系人。

畑で働くのは全員有色人種で日系移民だ。


その中に親日派のカウアイ島住民が混ざっていた。

カウムアリイ家は農園に工作員を放っていたのだ。


<ハワイ王族と日本の皇族の縁談の章:参照>


彼らが日本人パイロットを見つけては回収した。

カウアイ島住民「コッチ、コッチ!コイ、コイ!」


動かせないほどの重傷者は捕虜になるよう言い含められた。

米軍に任せた方がいい病院をあてがわれる可能性があるからだ。


脱出したパイロットは一枚の紙切れを持っていた。

万が一の時の脱出経路を示したものだった。


海軍は戦争計画を40年に渡ってシミュレーションし続けていた。

そこには敗北や撤退の脱出経路も研究し尽くされていた。


「アワジシマ、ナルトミサキ、ハツモウデ」

これは暗号ではなく脱出経路の場所の隠語だった。


<ニーハウ島、キケパ岬、1942年01月01日>

この場所はカウムアリイ家親日派の勢力圏カウアイ島以東にある。


ハワイは米国準州だから米軍は調査探索は出来る。

だがカウアイ島住民が協力的かというとそうではなかった。


捜しても捜しても誰も一向に見つからない。

まるで雲を霞と消え去ったかのようだ。


キケパ岬は北東貿易風の強い影響を受ける場所だ。

つまり漂流物、流木、漁業用浮きなどが大量に流れ着く。


要はゴミ溜め海岸で、殺風景で人気(ひとけ)の無い海岸であった。

22日後の01月01日、そこに脱出者が集まって、待っていた。


そうするととんでもないモノがやって来た。

伊号潜水艦440号と陸軍潜水艦「特まるゆ」である。


ウエーキ島経由でパイロット回収の任に就いていた。

「特まるゆ」は独国U-151貨物潜水艦の流れを汲む。


「ふとっちょ」とか「母牛」という異名を持つ巨艦だ。


U-151は貨物を外船体貨物室(水没)に積載する。

違うのは内船体貨物室(気密)がデカい事ぐらいだ。


古野繁実(ふるのしげみ)「みなさん、あけましておめでとう」

特まるゆの艦橋ハッチから意外な人物が現れた。


真珠湾に潜行侵入した特殊潜航艇の乗組員だ。

真珠湾内で行方不明になった1人である。


ちゃっかり特まるゆに救助されていた。


九軍神の一柱として数えられた益荒男は献句にも謳われた。

その経緯については彼は戦中/戦後もなにも語らなかった。


潜水艦隊にパイロット全員が乗り込んで帰国した。

一方、捕まった負傷者は米国の捕虜収容所送りとなった。


米カリフォルニア州にはトゥーリーレイク戦争移住センターがある。

ここは「反米的」日系米国人の強制収容所として有名だ。


捕虜はここでセロリを植える農作業を延々と続ける事になる。

こうして終戦までセロリを収穫し続けるのだ。

WAR IS ON(開戦)!


米国本土では大騒ぎになっていた。

欧州だけでなく、とうとう日本とも戦争だ!


野村大使は口頭で宣戦布告たる「覚書」を読み上げた。

これはハーグ開戦条約の必要事項に批准している。


後に正式文章を手交したのは真珠湾攻撃の後だった。

しかし開戦の効力は野村大使の口頭宣言からである。


ハル長官は口頭で宣戦布告した旨を大統領に連絡。

米国大統領ルーズベルトはこの報に接して沈黙した。


喜色を見せれば日本暗号を解いた事がバレてしまう。

驚けばマスコミに後手に回ったと非難されよう。


どっちにせよ叩くのはどの国のマスコミも同じ。

ルーズベルト「全部知っていて黙っていた」


日本大使館のパープル暗号は解読されていた。

ルーズベルトは事前に全てを察知していたのだ。


2年前の1939年09月の独波戦争からこうなる事は分かっていた。

その時からデトロイト大工業地帯は戦争兵器廠に変貌していた。


ルーズベルトは即日、議会に日本への宣戦布告を通過させた。


「1941年12月07日の日曜日、日本は一方的かつ卑劣な攻撃を開始した」

「真珠湾は奇襲に晒されたが、我が軍はこれを察知し、撃退した」


「真珠湾軍事施設は健在であり、日本軍は奇襲に失敗した」

「私は米国が日本と戦争状態に入った旨の布告を議会に通過させた」


「我々はこの侵略行為に対してどんなに時間が掛かろうとも克服する」

「そして最後には完全な勝利を勝ち取るまで戦いをやめない」


こうして太平洋戦争は始まってしまった。

真珠湾の日本大敗北を始点として。

真珠湾攻撃は失敗して終了しました。次はマレー・シンガポール戦(1/5)です。

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