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(本編完結)また第二次世界大戦かよ  作者: 登録情報はありません
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真珠湾(3/4)

日本軍は損耗率80%というとんでもない損害を出してしまいました。唯一の救いは大海原のど真ん中の海戦ではなくハワイ島の上空だった事です。日本の戦争計画は撤退についても練られていました。

監視員「損傷機帰還します!」

それは淵田中佐機ほか数機であった。


源田「第1次攻撃隊の生き残りはたったこれだけ?」

次々と着艦する損傷機は全てが穴だらけで被弾していた。


コックピット周りが集中的に狙われている。

チタン防弾鋼板とアクリルキャノピーが搭乗員を救命したのだ。


報告を受けた源田航空参謀の顔は曇った。

奇襲が待ち伏せに遭うなんて聞いた事がない。


結局183機中、未帰還機146機、帰還機37機という有様だ。

やはりレーダーのせいだろうか?


空母蒼龍の柳本艦長がしきりに陸軍の電探に興味を持っていた。

柳本「偵察機は雲の向こうは見えませんが電探は見えるのです」

源田「水平線の見通し距離の向こうは見えまい?」


柳本「それは測距儀とて同じ事でしょう」

「電探は飛行機に積めば、高所から探索できますよ」


監視員「第二次攻撃隊が帰還します」

源田ははっと白昼夢から我に返った。


こちらも無傷は一機もいない。

こちらも171機中、未帰還機136機、帰還機35機であった。


なんと損耗率80%で、これは「全滅(50%以上で全滅)」に相当する。

一体どうしてこんな事になったのだろうか?


それには時間をすこし遡らねばならない。

午前08時54分。


第二次攻撃隊はいよいよカネオヘ湾に近づきつつあった。

艦戦36機、艦爆81機、艦攻54機の大編隊だ。


そこへ無線で凶報が飛び込んできた。

第一次攻撃隊が待ち伏せにあった報を受信したのだ。


当時の無線は雑音が多く、全然聞き取れない。

だが大混乱に陥っているのは間違いない。


阿部分隊長「こんな事があるか、奇襲が待ち伏せに会うとは」

「各機警戒せよ、こちらにも待ち伏せがあるやもしれん」


上空を見ると、今しも急降下を始める敵機編隊を確認した。

果たしてカネオヘ湾上空での米軍機の待ち伏せである。


奇襲が破れた場合の命令は強襲だった。

これでは強襲どころではなかった。


次々と友軍機は撃墜されていった。

阿部はその時異様なシルエットを目撃した。


阿部「なんだ、ありゃあ?」

とっさに中部座席にあったカメラに収めた。


阿部「全機、爆弾魚雷を捨てて、応戦せよ!」


ただちに爆装雷装を解いて、格闘戦に移った。

だが、何かがおかしかった。


被弾して紙のように燃え落ちるのは日本機だけ。

相手は撃っても撃っても、悠々離脱していくだけだ。


低速低空での旋回性能が劣るのを知っている風だった。

空戦に持ち込まず、一撃離脱を繰り返している。


阿部「くそっ、戦え!戦わんか!」

敵は格闘戦はせず、ただ撃っては逃げを繰り返した。


阿部分隊長は悪夢を見ているようだった。

真っ黒な航空機が混ざっている。


でかい、強い、重いの三拍子。

P-40とも違う謎のシルエット。


阿部機も散々にやられて、這々の体で退却に移った。

思いのほか敵機は執拗で、攻撃隊は大変な被害を被った。


源田「なに、新型機だと!」

阿部の報告を聞いた源田は直ちにフィルムを現像した。


写真を引き伸ばして拡大する。

中部座席のカメラが捉えた機影はブレていた。


源田「P-47サンダーボルト・・・・・・」

まだ量産試作段階のはずの機体がそこには写っていた。


たしか、試作で全金属製の動翼の固着に悩んでいる段階のはずだ。

間諜は少なくともあと2年は前線に出る事は無いと報告していた。


それがこれだ、早い、早すぎる。

源田「これも米国との国力と技術力の差か」


P-47シリーズの開発は1939年、1200馬力の試作機から始まる。

1940年1400馬力の試作機がXP-47の正式名称を与えられる。


XP-47Bは1941年5月に初飛行に成功。

技術試験機が12月に陸軍航空隊でテストされていた。


最終型はエンジン出力2100馬力の怪物だった。

これは日本機のほぼ倍である。


頃は良しとばかりに試製機を実戦投入してきたのだろう。

こんな怪物相手では日本機が勝てるワケがない。


写っていたのは一機だけだが、実際のところはわからない。

写真はブレていて、遠くの機種はよく分からない。


源田「流星みたいなシルエット?」


だがそこにはやはり恐るべ機種が投入されていた。

逆ガルウイングが特徴の「でかい、強い、重い」戦闘機。


XF4U-1コルセアだ。


XR-2800試作エンジン搭載の1800馬力のバケモノである。

一対一の格闘戦なら軽い日本機は悠々勝てたかも知れない。


急降下耐性速度で勝る米軍機は一撃離脱戦法で仕掛けてきた。

こうなると、もはや日本航空機に勝ち目は無い。


さらに問題なのはパイロットの損耗率だ。

機体は増産を掛ければ、元に戻せるだろう。


だが熟練パイロットを失えば増員は(かな)わない。

さいわい多くのパイロットが脱出したとの報告がある。


彼らをなんとかして救助して日本に戻さねばならない。

海上での戦闘ではなく、ハワイ上空での戦闘が幸いした。


脱出したパイロットたちはハワイに潜伏している。

その場合の方策も戦争計画によって練られていた。


参謀本部第2部(情報)第6課、通称米国班には対策があった。


有末精三が率いる有末機関がハワイのカウアイ島と連絡を取った。

カウイウラニ家の支配下にあるこの島は親日派が占めている。


日本の皇族依仁親王と王女が結婚した(えにし)がある。

<ハワイ王族と日本の皇族の縁談:参照の事>


有末は密かにパイロット脱出計画を進める事にした。

陸軍は退却とか撤退という言葉を非常に嫌った。


だが有末はなんとも思っていなかった。

戦闘とは撤退の殿(しんがり)を務めてこそ英傑なのだ。


一方こちらはハワイのオアフ島。


ハワイでは多くの日本軍航空機が墜落、鹵獲されていた。

エンジン、通信機、機体の順で徹底的に分析が成された。  


米国本土に輸送され、再構成して運動性能も試された。

その結果を次の航空機に生かす工夫が成された。


米国技術者A「エンジンが小さいし非力すぎる(金星のこと)」

米国技術者B「非力をカバーするために装甲がない」

米国技術者C「当たれば紙のように燃え墜落するだろう」


通信機はパーマロイシールドが無く、同軸ケーブルの使用もない。

これではエンジンの電磁ノイズを拾ってしまい、高雑音となる。


一部アルミ編線メッシュシールドがあり高圧スパークノイズ対策が施されている。

被覆はゴム、パラフィン混合物が使用されている。


芯線はスズメッキ銅撚線、被覆は紙-ゴム-紙で編紐組で覆っていた。

ゴムはゴム混合物で、逼迫した在庫不足の場合はエナメルとなった。


エナメルは柔軟性がないので、振動でヒビが入り漏電する。

これが短絡の原因となり、回路自体の品質を低下させていた。


たとい米軍と同じ回路構成でも会話は不可能だろう。

米国の配線被覆はすでにPVC(ポリ塩化ビニル)であった。


1928年米国のグッドリッチ社が柔軟なPVCを製品化、今日に至っている。

日本は1941年に日本窒素肥料がニポリットというPVCを商品化していた。


だが真珠湾攻撃には間に合わなかったのだ。

また通信機本体の防湿加工もされていない。


真空管の熱と湿度と密閉の為、通信機はカビの温床だった。

非力なエンジンとカビの生えた通信機と紙ペラの機体。


米軍調査員でさえ不思議がったものだ。

日本はなぜこんな装備で戦争を始めたのか?

ハワイカウアイ島のカウイウラニ家の王女と日本の皇族依仁親王の結婚の(えにし)がようやく回収出来ました。次回は真珠湾(4/4)です。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 忘れた頃にようやくハワイの話が出てきた。 一撃離脱戦法に対応するにはハ42を戦闘機に載せるのかな。
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