アシカ作戦(4/4)
とうとう前首相であり親独派のチェンバレンがチャーチル内閣に総辞職を迫ります。チャーチルは反論しますがすべて論破されてしまいました。もはや逃げ道はありません、チャーチルも亡命政府の仏ドゴール、和蘭ウィルヘルミナ女王にも英国に身を置く場所とてなかったのです。
もうロンドンを守る地上/航空兵力は存在しなかった。
仏ドゴール大統領の亡命政府はここロンドンにある。
彼も必死になって泣きついてきたがどうしようもなかった。
おそらく今頃はチュニジアにでも逃げる算段をしている事だろう。
チャーチル「万事休す、か」
ロンドンを守る手立ては尽きていた。
大蔵省庁舎地下には内閣戦時執務室があった。
そこでチャーチルは1人絶望に沈んでいた。
この執務室に前首相チェンバレンが現れた。
親独派で知られる彼の来た意味は分かっていた。
ここに至ってはもう講和しかなかった。
徹底抗戦を貫き、名誉と供に民族滅亡という最後の手段はある。
チャーチル「バカげている」
「だが窮鼠猫を噛むという諺が前漢にはある」
チャーチルは力なく豪華な革張り椅子に沈み込んでいた。
そこには本土防衛の術を失った最高指導者の苦悩がにじみ出ていた。
チャーチル「キミか」
チェンバレン「これ以上の抵抗は無意味だ」
前首相チェンバレンは内閣不信任案を提出した。
チャーチル「まあそれが正道だろうな」
チャーチルの頭を過ったのは米国の動向だった。
米国は仏国陥落を受けて英国幇助を決めていた。
それなら防戦一方でも米国の援軍を待てばいい。
ここは耐えて凌いで後退戦術に持ち込めばいい。
チャーチルは最後の1人まで戦うつもりだった。
そうだ、あきらめてはいけないのだ。
チャーチル「米国はレンドリース法で武器供与を約束している」
「耐えれば耐えるほど、強力な戦力を期待できる」
「北部バーミンガムに撤退、政治機能を移転すれば良い」
「それがダメならグラスゴーだ」
「グラスゴーにはクライド海軍基地がある」
南西部海軍基地デヴォンポートはまだ無傷だった。
ボーンマスは墜ちたが西欧最大の軍港は無事だ。
チャーチル「まだ戦える!たかがボーンマスが落ちただけだ」
「独機の航続距離外に防御陣地を構築すれば良い」
チャーチル「南西デヴォンポート、北部クライド海軍基地は無傷だ」
「まだいける!やれる!本土決戦だ!」
チェンバレン「全身火だるまになって戦ってどうするんですか」
「本土決戦に民兵を使ったのは組織的戦闘力の喪失の表れです」
チャーチル「1938年キミはミュンヘンでヒトラーと会談した」
「領土拡張はこれ以上しないと、ヒトラーはキミに約束した」
「だが1939年独国はポーランドに進攻、戦争が始まったのではないか」
「このヒトラーをキミは2度信じるのかね?」
チェンバレン「外交には機微というものがあるでしょう」
「貴方もご存じのように、常勝というワケにはいきませんよ」
「英杜戦争で我々も二枚舌でした」
「貴方も政治家ならこの意味はおわかりのはず」
大英帝国といえども負ける時は負ける。
負けた後どうするかが政治家の役目なのだ。
こうしてチャーチル内閣は総辞職した。
チェンバレン前首相が再当選して現職に返り咲いた。
1940年06月。
仏ドゴール大統領は英国に亡命政権を作っていた。
英国降伏でそれもかなわず、アフリカ・チュニジアに脱出を図る。
しかし脱出用航空機は差し止められてしまった。
ドゴールは遂に独ヒトラー総統の前にひれ伏す事になる。
ドゴール「仏国は『戦闘』に負けたがまだ『戦争』に負けた訳ではない」
ヒトラー「負け惜しみを!いや、さすが政治家魂というべきか」
「じゃあ私の座右の銘を君にプレゼントしようじゃないか」
「我々は敵を絶滅する、根こそぎ断固として容赦なく!」
やがてドゴールは南太西洋のセントヘレナ島に島流しとなった。
奇しくもこの島はナポレオンが晩年を過ごした因縁のある島である。
このためドゴールは「現代のナポレオン」と揶揄された。
島には電波妨害施設があり、ラヂオ放送を不可能にした。
自由フランス放送も二度と放送出来なかった。
これで独の傀儡政権である仏ヴィシー政権は継続する事となる。
オランダ亡命政府のウィルヘルミナ女王は脱出に成功。
南米オランダ領ギアナに脱出して再び亡命政府を開いた。
その頃、1機の飛行艇ブラックバーンB-20がエジプトを南下していた。
その機上にはチャーチルと副首相アトリーが乗っていた。
アトリー「どうしますか?これから」
チャーチルは窓の外のナイル川を見つめたまま答えない。
やがてチャーチルが重い口を開いた。
「スーダンのハルツームに亡命政権だ」
スーダンは英埃支配の植民地だ。
政権はウンマ党で、反英を謳っており穏やかではなかった。
アトリー「指導者アルアザリは反英だと聞き及んでおりますが」
チャーチル「ヤツの党派を穏健派(親英派)と過激派(反英派)に裂く」
「そうすれば自ずとすり寄ってくる者がおるだろう」
アトリー「な、なるほど!」
波風がなければ自分で立てて、風向きを自分に向けて利用する。
チャーチルは恐ろしいほどに政治家であった。
チャーチルが去り、英国は独友好国に組み入れられた。
彼は行き先がばれるのを恐れて米国にさえ明かさなかった。
ルーズベルト大統領はやむなく英国本土との国交を断絶した。
米国は武器貸与法から英国本土を除外した。
世界中には英国植民地が散らばっている。
かれら植民地軍も決断を迫られていた。
服従か?
抗戦か?
英国が運営するエジプトのスエズ運河。
北アフリカ戦線は混迷を極めていた。
イタリア領リビアには独陸軍が集結している。
トブルク、エル・アライメンでやがて戦端が開かれるだろう。
エジプト王国だけでは戦えない、英国の戦力が必要だ。
英国の圧倒的火力だけでいままで支えてきたのだ。
そこで英埃軍は英国/エジプトの二重権力制を導入した。
双頭政治とも言われ、同等の権力を持つ指導者が二人いる。
エジプト国王ファールーク1世。
エジプト英国大使マイルズ・ランプソン。
ファールークはエジプト英国大使の傲慢に我慢ならなかった。
彼はランプソンの傀儡であり「ぼうや」と呼ばれていた。
だが今や英国は独国の傀儡に成り下がっていた。
ファールークは今度はランプソンを「おじさん」と呼んだ。
英国駐留軍は英国/エジプト軍になったのだ。
これで独国に従う理由は無くなった。
インドでも英国軍は名目上英国/インド軍となった。
こちらも二重権力制を導入したが英国の三枚舌は健在だった。
インド領総督ヴィクター・ホープ。
インド国民議会ジャワハルラール・ネルー(投獄)。
議長を投獄して支配圏を独り占めしていたのだ。
これでは名目上英国支配は何も変わらない。
米国はエジプトとインドに武器を供給し始めた。
地中海作戦に従事していたプリンス・オブ・ウエールズ。
これらの艦船も英/印海軍下に配属されシンガポールに向かう。
これが1941年12月02日であった。
とうとう独国は英国を支配下に置いたのです。エジプトもインドも二重政権で独国には服従しませんでした。名目上はそうですが英領インドの支配の頸木は確実に弱くなっていました。これは後述の「セイロン制服」「インパール作戦」で明らかになります。次回は「ジェットエンジンへの道(1/2)です




