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(本編完結)また第二次世界大戦かよ  作者: 登録情報はありません
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戦時標準設計船(1/2)

ここで語られる戦時標準設計船は異形の艦です。船体は実際の松型駆逐艦を参考にし、機関についてはフレッチャー級(1942年)を参考にしました。つまりこんな艦船はないのですがIF歴史物なので3年ほど前倒しで登場させました。正史では松型(1943年)は1万9千馬力で27.8ノット、フレッチャー級(1942年)は6万馬力で36.5ノットです

大量に艦船を造船するにはどうしたらよいか?

基本的には設計の単純化、加工/工程の単純化の順番だ。


そして現行の性能から何を削るかの選択でもあった。

設計は当時曲面の多い、機能優先の効率に縛られていた。


1%でも速い船速を得る為に造波抵抗のない「凝った」船形だ。

これを全部直線にして曲面加工をばっさり捨て去った。


機関も日本のロ号艦本式缶を捨て、海外の高性能の模倣とした。

迫る世界大戦との時間との闘いで、今さら開発時間はとれない。


日本は開発は下手だが改造は大好きだ。

そしてそれは時に「魔改造」を生み出すのだ。


さいわい平時に多くの海外企業が日本に技術を残してくれていた。

ボイラー、蒸気タービン、減速歯車がそれである。


板金の材質が均一で物性が素直になった事も大きい。

かつての技術は圧延の不均一、温度管理の徹底がなされていない。


その為物性がおかしくなって、後加工も狂いが生じていた。

これを改めて、できる技術内で徹底的に突き詰めたのだ。


日本の技術は刀鍛治の作刀のように非常にすぐれていた。

だがその刀匠の銘刀は他の日本刀の鞘に入るのか?


反りや長さはその刀鍛治の求める最高の条件で造られている。

その美学が他人の鞘に収まる訳がない。


そういった熟練工の製造技術の美学を良い方向に舵を切る。

これがナレッジエンジニアリング(知識工学)だった。


上級熟練者の職工と一般工員の間に入って仲介の労をとった。

これが技術移転で、抵抗があったが、軍の命令で強行した。


ボイラ・熱交換器用炭素鋼鋼管|(STB)も技術移転を行った。

住友(官需)から日本鋼管、日特管、日本パイプ等の民需へだった。


住友は官需品、日本鋼管は民需品で圧倒的シェアを誇っていた。

これを軍の強制で技術移転し、量産体制を強要したのだ。


まずボイラーは英B&W社のモノを模倣製造し、使用した。

これは戦前技術提携で東洋バブコック社が日本に技術があった。


蒸気タービンはGE蒸気タービンを模倣製造し、使用した。

GE社は1886年より発電所のタービンを日本に輸出し技術があった。


出力3万馬力のタービン2基により出力6万馬力を叩き出す。

この高速回転を2段減速歯車装置で出力する。


これをコニカルドライブ形マリンギアを介してスクリューに回す。

低速運転の際の振動抑制にも成功していた。


歯車の表面硬化処理は窒化技術を採用している。

1923年独アドルフ・フライ博士が発明した。


この処理により150%の出力でも短時間なら耐えられる。

戦艦大和の主砲にもこの処理が使われている。


150%、つまり瞬間出力9万馬力のバケモノである。

巡航36.5ノットも瞬間なら54.75ノットが出た。


さらにスクリューは二重反転プロペラが採用された。

第七十一号艦(潜高)で使用された実績があり、有望と見られた。


効率として10~20%省エネになるという。

形状はハイスキュー型で振動は通常の1/10となっている。


推進機関の効率アップ、省エネ効果の後押しがあってこその標準化だ。

船体の直線化による造波抵抗の増加分は機関効率アップが吸収する。


設計部門は直線形の船体の設計に取り掛かった。

次に必要なのは、生産部門の工程の短縮だった。


そのために電気(アーク)溶接とブロック工法が必要だった。。

しかし1915年より前の造船は、鋲接構造といって溶接ではない。


巡洋戦艦霧島(1915竣工)は鋲本数300万本、1日平均2570本鋲接した。

6人一組の職工が10組総掛かりで200本/日で鋲接を行っていた。


竣工には単純計算で5年ちょっと掛かる計算になる。

この工程をそのまま溶接に置き換えてもやはり5年は掛かるだろう。


それを驚異的に短縮するのがブロック工法だ。

発案者は米ヘンリー・カイザーと言われている。


一方、実用的なアーク溶接は、1880年仏国ドナベールが開発した。

日本には1904年に英国から輸入した設備にアーク溶接機が入っていた。


これは輸入した鋳造設備のメンテナンス用だった。

1909年山武商会が溶接設備と酸素ボンベ一式を輸入する。


1914年三菱が瑞ESA社からアーク溶接の特許を取得する。

1915年三菱長崎造船所が被覆アーク溶接を始める。


1918年京大で岡本助教授がアーク溶接の研究を始める。

1919年海軍でアーク溶接の実用化研究が始まる。


海軍の福田技術士官が溶接棒のフラックスから研究した。

当時溶接棒は輸入で、彼が初の国産化に成功していた。


1920年英フラーガーが全溶接船として造船される。

1921年日本でも火薬運搬船を全溶接船として造船した。


しかし中々新技術の溶接に信頼が置けないようだった。

鋲接は枯れた技術であり、それゆえ経験値と実績があったからだ。


その後衝突事故の水雷艇の破損部分に溶接を適応。

徐々に実用化のための経験値を積み上げていった。


川崎造船でもアーク溶接をやり始めたのもこの頃だった。

神戸製鋼播磨造船所、横浜船渠、三井物産玉造船所等々。


少しずつ古参の造船所もアーク溶接に興味を持ち始めた。

1925年には日立製作所が国産溶接機を完成させている。


同年に角丸工業が溶接棒メーカーとして名乗りを上げていた。

1926年電気溶接協会(後の溶接学会)が設立される。


こうしてアーク溶接は練度を重ねて遂に実用の域に達していた。

しかし設計部門は船体の直線化に難儀していた。


軍艦船の複雑な曲線形状は複雑な作業工程を生む。

だがなかなかせっかくの造波抵抗の低減ノウハウを捨てられない。


なにしろ戦時標準設計船は初めての試みであった。

船体曲面化は枯れた技術ゆえに信頼度もまた高いのだ。


技術士官A「造船に最低でも9ヶ月は掛かる」

技術士官B「造るのは簡単だろうが結果がわからない」

技術士官C「なにかいい方法はないものか」


実験をするか、技術をどっかから持ってくるか。

技術士官たち「天才が現れて何とかしてくれるとか」


内務省土木局分室が赤羽に水理実験施設を持ってはいた。

だがそれは河川の洪水実験に供されるものだった。


ポンプ式の津波造波・環流装置を備えた実験施設はまだない。

八方塞がりで技術士官たちは項垂れるのであった。

次回は石井利夫とヘンリー・カイザーが登場。戦時標準設計船がとりあえず完成します。次回は戦時標準設計船(2/2)です

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