第一次世界大戦への日本陸軍の派兵
第一次世界大戦に日本陸軍が参戦したIF歴史です。カルチベーターは正史でも試作品を作ったのですが完成は終戦後でした。実際のソンムの戦いは悲惨で長期に渡った為、これをひっくり返します
1914年08月。
日本は日英同盟に基づいて第一次世界大戦に参戦しようとした。
だが英国は「参戦は日英同盟の適用範囲外」とした。
遠回しに参戦を断ってきたのだった。
日本「それなら仕方がない、だが東シナ海は独国の支配下だ」
「青島の独国東洋艦隊が英国貨物船を襲ったらどうする?」
英国「そんな事態はおこらないから大丈夫だ」
「もしそうなっても日本には関係の無いこと」
英国はQシップを有しており、絶大な自信を持っていた。
<Qシップ:貨客船に大砲を積んだ武装民間船>
1914年08月04日、日本は中立を宣言し、事態を注視する事になる。
だがこの後英国の態度は二転三転する。
青島の独国東洋艦隊が英国商船を襲い始めたからだ。
しかも頼みのQシップは一週間で3隻も撃沈されていた。
英国「日英同盟に基づいて参戦を要請する」
日本は「そら見ろ」と思ったがおくびにも出さない。
平身低頭で礼儀正しく答えた。
日本「日英同盟に基づいて参戦いたします」
独国に宣戦布告したのは08月23日の事である。
日本も東シナ海の権益が実は欲しかったのだ。
「渡りに船」とはまさにこの事だった。
海軍が地中海に第二特務艦隊を派遣したのは前述の通りだ。
そして陸軍にも戦争の長期化に伴い、欧州派兵の要請が来ていた。
最初は英国が、次は仏国と露国が、繰り返し欧州派兵を要請してきた。
さらに08月下旬には仏国と露国は英国を通じて三個師団の派兵を求めた。
外相加藤高明「”連合軍の一員として”と英国も勝手なものである」
「最初は東シナ海の権益に介入されるのがイヤで断っていたくせに」
10月には二度目の要請が、翌年03月にはベルギーが要請してきた。
加藤「今の戦争の連合軍の損耗率は最高1日2万人と聞く」
「欧州では旅順要塞攻略戦でもやっとるのか?」
「もしそうなら十個師団は必要になるぞ」
そんな兵力を海外派遣する国力は日本にはない。
連合軍の魂胆は加藤高明外相には読めていた。
連合軍と独国はマルヌで塹壕戦に突入してから早2年。
一向に代わり映えしない戦局に業を煮やしていた。
ここは一端退却して、軍の再構成を図るのが得策だ。
兵卒の損耗を避け、代わりとして日本兵に肩代わりをさせる。
その間に兵力を回復して、自分たちは後の大攻勢に備えるつもりなのだ。
だったらこっちも欧州派兵をやってやろうじゃないか。
加藤「3個師団だけだ、受けて立つ!」
加藤高明外相は陸軍の欧州派兵を決定した。
<正確には天皇に上奏して御聖断を仰ぐこと>
その夜、加藤は英国と国際電話で長いこと話していた。
英国は地球の裏側なので、今英国は午前中なのだ。
相手は軍需大臣のチャーチルであった。
何事かをしきりに頼み、念を押していた。
「出征費を出すって言ってたの覚えてる?」
「なに、そうでしたっけ?」「まあ、いいよ、そっちは」
「それよりカルチベーター貸して欲しいんだが」
「なんで軍機密を日本人が?まあ蛇の道は蛇ってこと」
「70輛造って使い道がないんだろ?」「貸してよ、いいじゃん」
「なんで台数まで日本人がって?」「あのねえ」
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こうして6万人の日本兵が欧州に向かって旅立っていった。
時に1915年04月の事である。
欧州までの旅は貨客船20隻の旅で4~5ヶ月掛かる。
1915年10月日本陸軍はブレスト港及びサン=ナゼール港に上陸。
ブレストには当時の軍需大臣チャーチル胆入りの重機が到着していた。
それが塹壕掘削機械「カルチベータ4444」であった。
チャーチルが1915年02月にぶち上げた「陸上戦艦委員会」計画の1つだ。
もうひとつは戦車でこれはもう実用化が出来ている。
これは元々除雪車とトンネル掘削用バケットホイールの折衷案であった。
製作は重機メーカーのラストン=ビュサイラスである。
日本の技術者が先回りして魔改造を施している。
その為、計画時より小型軽量で製作された。
英国技術者A「日本技術者は頭がおかしいだろ」
英国技術者B「マルタには空母が来てると聞く」
英国技術者C「日本人は発想がどうかしてる」
出来た掘削機械は今でいうと独鉄道敷設車RU800Sに似ている。
バケットホイールで掘削し、コンベアで土砂を左右に放出、積み上げる。
深さ2mの塹壕を掘りながら時速100mで驀進する機能を備えていた。
これが貨物船から出るわ出るわ、総勢70台が整列した。
英国13師団39万人、仏国33万人11師団が集結している中である。
これからソンムの地に肉弾戦に向かおうという中である。
英国陸軍A「な、なんだあ!ありゃあ」
英国陸軍B「あれがウワサの戦車じゃね?」
英国陸軍C「砲がない、ただの重機だろ」
1師団3万人に付き2台の掘削機械が割り当てられ訓練が繰り返された。
もう塹壕から出ての突撃の時代ではないのだ。
日本は日露戦争で旅順要塞攻略戦や奉天戦で露軍を破った。
これに尾ひれが付いて、地球の反対側の欧州で恐れられていたのだ。
仏国人A「忍者部隊というのがあるらしい」
仏国人B「不死隊というのがあるらしい」
仏国人C「あの機械が敵を全滅させるんだと」
連合軍の変な期待の下、ソンムの地に着いたのは1916年06月初旬。
英国軍は戦意旺盛だが、仏軍は戦意喪失していた。
直前のヴェルダン戦で死傷者54万2千人を出し、24師団を失っていた。
動けるのは40師団のうち、16師団のみである。
周到な準備を行い、日本軍はカルチベーターに自信を深めていた。
臆する仏国兵をなだめながらの出撃と相成った。
日本軍「皆さん、今回は突撃の笛はありませんよ」
「この機械が塹壕を掘りますので、後からついて来て下さい」
それについて仏国兵から意見/質問はなかった。
もう突撃の笛はこりごりなのだった。
<突撃の笛:「OUT~!」の号令とともに塹壕から出る合図の笛>
機械の後につく先陣は日本軍の抜刀隊である。
塹壕が繋がれば、そこは極接近戦で、ライフルはただの鉄棒だ。
士官は拳銃を持っているが、歩兵は烏合の衆なのだ。
その日本刀の長い刀身を見た仏国兵は怖気を震った。
仏国兵「日本人とは絶対に戦いたくないな」
1916年06月29日絶好の悪天候の中、ついにソンム戦は始まった。
掘削機械が戦場を掘り進む。
バリバリ、ガリガリ、物凄い騒音だ。
だがその大音響は、別の大音響に掻き消されていた。
味方の威嚇射撃で掘削の大音響は嵐と砲撃の爆発音に紛れてしまう。
無人地帯は300m、掘削機械なら3時間で掘り抜ける。
独軍塹壕は可能な限りコンクリートで補強した強固な作りだ。
だが人力なら防げても、鉱山機械の前には歯が立たない。
ドッカーン、ガリガリガリッ、ズッシーン!
とうとう連合軍と独軍第一陣地の塹壕が繋がった。
なだれ込む日本陸軍の抜刀隊に驚く独軍兵士。
狭い塹壕内ではライフル銃はただの鉄棒だった。
拳銃を構えた上官は手首ごと切り落とされた。
陸軍抜刀隊は思う存分に斬って斬って斬りまくった。
あとからなだれ込んだ英国/仏国兵士は呆れていた。
英国兵士A「我々も銃剣で戦う事もある」
英国兵士B「だがカタナで乗り込むとは」
英国兵士C「日本人を敵にしたくないな」
独軍第一陣地は、あっという間に連合国側の手に落ちたのだ。
だがまだ重砲陣地のある第二、第三陣地が残っている。
吹き荒ぶ嵐と味方威嚇射撃の中、掘削機械が戦場を掘り進む。
独軍は何が起きているのか理解出来なかった。
70台の塹壕掘削機械が70の塹壕を掘って時速100mで接近中。
そんな事は当時、独軍は考えも付かなかった。
それより英国の「戦車」というモノに話題がいっていた。
独軍兵士A「ついに英軍は戦車というモノを投入するらしい」
独軍兵士B「こっちの陸軍でも研究中のあの”鉄の箱”だな」
独軍兵士C「なんでも越壕できるそうじゃないか」
そんな中、塹壕掘削機械は粛々と進む。
3~5km奥の第二陣地までは30~50時間掛かる予定だ。
30時間後、もっとも速い掘削機械が第二陣地に到達した。
独軍も何が起きているかは分からぬが、何をすればいいかは分かった。
外に向けていた重火器はすべて塹壕内に向けられた。
手段は不明だが、塹壕がどんどん近づいてくる。
そこから飛び出してくる敵兵をとにかくなぎ倒すだけだ。
塹壕の壁のコンクリートにヒビが入り始めた、もうすぐだ!
メキメキメキッ、しかしそこからがヘンだった。
ヒビが入ったまま何もでてこないではないか。
<カタナを振りかざした日本兵が飛び出して来る>はずなのだ。
その時、1人の兵士が嫌な予感がして、塹壕の外に目をやった。
独軍兵士「しまった、デコイだ!」
塹壕の上から日本刀を振りかざした兵士が降ってきた。
日本兵「つっきゃあああっ」
ドカッ、グシッ、ズバァァン!
独軍兵士は一刀両断だ。
次々と白刃部隊が切り込んでくる。
塹壕内は阿鼻叫喚の肉片地獄と化した。
士官が真っ先に狙われ、指揮系統はズタズタだ。
逃げ惑う独兵を斬り伏せ、突き刺す。
機関銃は壕内に引き入れて外撃ちの銃座はカラッポだった。
後から後から連合軍の兵士が第二陣地に無傷で躍り込んだ。
第一と第三に挟まれたこの独軍第二陣地。
この第二陣地こそが攻守の要だったのだ。
重砲陣地は第二陣地後方で連絡壕で繋がっている。
中間基地も第二陣地前方に連絡壕で繋がっている。
この第二陣地を連合軍が取ったことで独軍は総崩れとなった。
戦車が第三次攻勢で出撃してみると、第三陣地は既に占領されていた。
英兵「お~い、今ごろかよ」
仏兵「おそいよ、とっくに陣取りは終わったよ」
独軍は全軍が撤退し、戦場から消えていた。
連合軍がソンムの戦いを制したのだ。
■戦力:英国軍153万人、仏軍144万人、独軍150万人。
■損害:英国軍100余人、仏軍020余人、独軍700余人。
結局カルチベーターという機械が塹壕戦を過去のモノにした。
そしてその破壊力は戦車という新兵器に受け継がれる。
チャーチルは懸念していた。
チャーチル「もともとカルチベーターは研究用試作品だ」
「こういう技術進化の方向もあるよという実験室の粗造品だった」
「それを日本人は実用に耐える新兵器にしてしまった」
「それに比べて胆入りだった新兵器”戦車”はどうだ」
60輛の内、完動品49輛、稼働18輛で脱落/破損で実戦参加は5輛だった。
独軍も1911年に回転砲塔付きの自走架(Motorgeschütz)を研究中だ。
チャーチル「とにかく今が過渡期で、戦車の開発は最優先だ」
日本軍はカルチベーター70輛を連合軍に引き渡した。
ソンムの戦いは3日で終わったが、第一次世界大戦は続いていた。
塹壕戦は続いており、カルチベーター70輛は大活躍した。
だがその活躍にも終止符が打たれる日がやってきた。
独軍が回転砲塔のあるモーターガン(Motorgeschütz)を出してきたのだ。
初期の独戦車で、装輪だったモノが履帯式になっていた。
カルチベーターは無装甲だったのでひとたまりも無かった。
あっという間に戦場のクズ鉄になってしまったのだ。
仏軍も75mm砲を持つサン・シャモン突撃戦車を出してきた。
時代は越壕できる戦車へと切り替わっていった。
そして米国参戦により、事態は連合軍に有利に働く。
毎月30万人の米兵が連続して戦地に投入された。
1918年05月より米軍参戦で、独軍の兵力は磨り減っていく。
この派兵には恐ろしい病気がオマケで伝播していた。
1918年03月カンザスでインフルエンザが発生する。
第一波は1918年04月、米国の欧州派兵とともに伝播していった。
1918年04月には仏国北部の英国軍に伝播していた。
1918年05月には英軍南部に布陣していた仏軍にも伝播した。
そして無人地帯を隔てた独軍ヒンデンブルグラインにも伝播した。
白のフランダース地方で罹患した為、フランダース熱と呼ばれた。
1918年06月露国ムルマンスクに派遣された米軍によって露国にも伝播した。
アフリカのシエラレオネには石油補給基地があり、アフリカにも伝播した。
後は印国のムンバイ、コルカタ、重慶と地球を半周して伝播していった。
日本にも1918年06月に陸軍宿舎に伝播が確認されている。
欧州派遣組はまだ欧州にいた。
これはまったく別のルートから来たものだ。
当時パンデミックもウイルスも認識がなかった。
いわゆる謎の病気「奇病」だったのだ。
このパンデミックがどの程度第一次世界大戦に影響したのか。
その正確な数字は不明である。
それは戦死者と病死の累計がごっちゃになってしまっているからだ。
不衛生で不潔な環境の塹壕では、シラミが発生した。
このシラミが起こす塹壕熱というシラミ媒介性感染症があった。
こういう病気とごっちゃになって累計が報告され、真の数値が分からない。
インフルエンザは細菌ではなくウイルスなので、細胞膜がない。
抗菌剤は細胞膜機能阻害剤なので、インフルエンザには効かなかった。
北里柴三郎のスルファニルアミドは残念ながら無用の長物だった。
そのかわり抗菌剤は多くの兵士の創傷を化膿から救っている。
連合軍、独軍とも傷病兵で戦場はまさに地獄と化していた。
とくに独軍は負けが込んで、戦闘意欲が消失していた。
さらに独国内は戦況悪化で、経済がどんどん悪化していった。
将校は貴族で、歩兵が一般階級なのも不満に拍車が掛かった。
1918年10月末、独国革命が起き、軍部が反乱を起こす。
この争乱の火付け役は英国であると言われるが定かではない。
独国共和党蜂起は露国人の差し金だ。
支援金は英国発であったと言われる。
露国「独国が勝手に蜂起しただけだろ?知らんよ」
英国「ん~知らんな、なんのことかな?」
1918年11月04日4万人の水兵、労働者が蜂起して革命の嚆矢となった。
大衆蜂起は軍事/製造/流通の停滞を招く。
政治/経済は大混乱となった。
ついに帝政は倒れ、独共和国を宣言する。
1918年11月11日連合軍と休戦協定が結ばれる。
第一次世界大戦は終わった。
日本陸軍も第一次世界大戦の欧州戦に参戦して得たモノは多い。
医療、兵站(特に食料供給・補充)、兵士の自動貨車による移動。
特に米軍の派兵とそれを支える物量は想像を絶する。
日本軍「この国とだけは戦ってはいけない」
新兵器の戦車と航空機により、塹壕戦は無意味となっていた。
どうやら電撃作戦のようなものが将来の戦闘では有効と見られた。
多くの戦訓を旨に日本軍6万人は帰国の途に就いた。
果たしてどのくらいの訓戒が未来に残るだろうか。
第一次世界大戦で日本が学んだのは兵站(特に食料供給・補充)です。また敵国内の超党派を支援して、内乱を蜂起させ、政治経済を混乱させる調略も参考になっています。次回は戦時標準設計船(1/2)です




